6章 大空の勇者

 ワンダーゲートに確かな一撃が加えられたことに雲上の戦闘機乗り達の歓声が上がる。一撃を当てたあとはもうエネルギーは来ない。

 しかし、援護がなくなったということよりもワンダーゲートが負傷したという方が彼らにとっては大きなことだった。パルス砲が撃たれると、3㎞――2.5㎞――2㎞――さすがに門が出現する。しかし3㎞の結界は破られた。中心の渦は消え、新たにエンタングルを生み出すこともない。戦闘機たちは雲海から上昇する。

 炎竜と蒼竜Ⅲ式改改はワンダーゲートの後方下部へ回る。ワンダーゲートから吹き飛ばされた光子は降下してきて、それを取り込んで荷電粒子とし、発射する。門はさっきより出る速度が遅くなっている。途中までしかいかなかったが、破壊した門は180、距離は1200mまで伸びている。

 それを見て紅竜Ⅲ式が乗り込んだ。結界は狭まった、この機会を逃してはならない。警戒しつつマッハ2でエンタングルの前方から直進する。その後ろに閃竜が一機続き、背後からパルスを撃ちながら門を破壊していく。門の出る速度は遅くなり、後ろとの距離も長くなっている。左右に機体をふって門を避けながら、これならばいける――思った紅竜Ⅲ式の直前30mに渦が出現、閃竜も間に合わな――背後からSD砲が炸裂しさらに後ろにあった3つの門ごと吹き飛ばす。カネルヴァの援護射撃を得て間宮は進む。

 さらに太陽隊の炎竜も動く。紅竜Ⅲ式の進むべき軌道を先読みし、そこに現れるであろう門へと荷電粒子砲を撃ち始めた。ここしか機会はないとばかりに撃って――壊れた。それでも二条の光は別方向から門を砕き、前進の大きな助けとなる。さらにパルスも撃たれ突き進んでいく。

 だが、それはワンダーゲートを知性のないものと侮ったが故の慢心。残りが1㎞を切った瞬間、紅竜Ⅲ式と閃竜は上下前後左右を門に囲まれ、失速し、進むも止まるもできない状態となっていた。内側を向いている門と外側を向いている門と、両方が合わさって内外からの干渉を拒む球体のようになる。直径は50m。内側で紅竜Ⅲ式はあがく。翼を門へと斬りつけ破壊しようとし、しかしすぐに渦は出現しさらに隙間を埋める。

 荷電粒子砲の砲撃に対してはさらに門を作ることで対応し、中身が押しつぶされて最後には粉々となるまで防ぎきる。断末魔の悲鳴は無い。ただただ無力感と怒りだけが咆えるような原始的な感情となって戦闘機乗りの脳に訴えかける。それも虚しくすぐに途切れ、間宮と閃竜に乗っていた戦闘機乗りの意識は消失した。残ったのは表面が削り取られた翼が六つだけ。

 雲海に落下する金属片に、炎竜の搭乗者が怒りの気勢を上げる。対空機雷を放出しがむしゃらに突撃をしようとする。それを防ぐのは月影隊の閃竜。くっついて飛んで進路を逸らし、なんとか結界から追い出すことに成功する。

 どうしたらいい? 奏はただ、結界の外側からパルス砲を撃っているだけだった。他の閃竜と紅竜に蒼竜もそうだった。できることがないのだ。あれだけの相手にどうやって対抗できるのか――

 ふと奏は暁の死の場面を思い出す。そうだ、あの渦はSD鋼を傷つけられなかったのではないか? SD砲は減衰した。しかしSD鋼弾ならばどうか。

 嵐剣は飛ぶ。マッハ4まで加速し内部に飛び込んだ。すかさず荷電粒子砲とパルス砲の援護がつき、正面と左右上下の門が破られていく。さっきの誘い込みの手に乗らないよう、1㎞付近でSD鋼弾を撃って反転し全速離脱する。

 はたして、SD鋼弾は渦を撃ち抜き進んでいく。途端に門の層が厚くなった。100の門を超えて、いくらSDとはいえ表面に傷ができ、そこから光が侵食してさらに30をすぎれば跡形もなく消滅してしまう。それでも距離は700mを超え、あと一歩で本体に届く距離まで迫った。

 その時だ。少女の翼が広がり、横へと開く。片方が80mという長さにも拘わらず開く速度は速い。吹き飛ばされた方は20mにも満たない。その根元に光が集まる。

 マズイ。その思いは全員の共通のもと、そこに向かってありったけの砲が撃ち込まれる。再び半球形となった門の重なりを、今度は荷電粒子砲とSDスマッシャーが貫通した。それは翼とは関係のない部分。それでも意味がある。

 間宮の最期の瞬間、クロイツェルにはあるデータが通信で入っていた。それは結界の役割。門ができる範囲が結界なのではない。結界となっていた範囲にエンタングルを構成する物質が満ちていて、その中なら門を自由に作り出せていたというのだ。推測では、門はワンダーゲートの翼が作っていた渦に繋がっているということだったが、それは外れていたようだ。しかし結界内にSDを散布できれば門を作り出すことが困難になるか、少なくとも邪魔をすることはできるはず。

 ワンダーゲートは翼を守ることを優先した。そこに重点的に門を作ったのだ。それは知性を持ったが故の失敗。他の場所の守備が薄くなったところにSDスマッシャーが侵入し、SDのもたらす乖離的な痛みが彼女を襲う。翼を傷つけられたときの痛みを思い出して門を展開するも遅い。荷電粒子砲がSDスマッシャーを破壊し微細なSD鋼を結界内にぶちまけた。

 それでもワンダーゲートの判断は間違っていない。翼に守りを集中したことで修復は阻害されず、翼は完全な状態となって再生する。門が消えると白く光る翼が曲がり、再び円環を作ろうとする。

 その役割がどこにあるのか。本当にエンタングルを呼び出すためだけの突出点としての役割しかないのか。クロイツェルの関心はそこにあった。本当にそれだけならば、どうしてエンタングルを呼び出すのだ? 完成した円環に向かって荷電粒子砲を放つ。門が出現するのは――1920m地点。まだ結界は2㎞だ。再生するにもエネルギーを消費するのだろう。この違いは大きい。

 クロイツェルは考える。嵐剣の速度なら2㎞を1.7秒で飛べる。蒼竜Ⅲ式改改のブースターを使えば1.6秒を切れるだろう。だが攻撃に転じるための機動力は無い。他はどうだろう。砲撃すら防ぐのだ。だが亜光速の荷電粒子砲を防ぐのは、発射してからでは遅すぎる。とするとこちらの行動を見て、その結果を予測して動いているのだ。

 クロイツェルはワンダーゲートに知性を見た。それが突破口となるかどうか、賭けるしかない。

 クロイツェルから指示が出る。結界内にはSD鋼弾が撒き散らされている。多少はダメージとなったはずだ。門にも干渉するだろう。

 八機は卵の表面に波線で円を描くようにワンダーゲートの周囲を飛び、再び砲撃に移る。たしかに、門が出現する速度も門の強度も落ちている。それでも門が出現する場所は的確で、このままでは無駄に砲撃を行っているだけになる。クロイツェルは全員に指示を出す。同じ体勢で、同じタイミングで、気づかれずにSD鋼弾を撃て。

 合図は3秒後。数の少なくなったSD鋼弾は、最後の二つのうちの一つという戦闘機もあった。それでも撃ち出す。その一撃が必ず痛手になると信じて。

 発射の直前にワンダーゲートは気づく。次に発射されるのはさっきまでのものと違う。だがそれがSDということまでは分からない。エンタングルの感覚は光を媒介にして為される。人が視覚で情報を得ているのと似ているが、エンタングルの場合は波長まで読み取って、三次元より上位の次元上から俯瞰しているのである。

 門が出現した。危機を覚えて先より多く厚く、SD鋼弾に直角となるように配置される。そこにパルスが突き刺さった。

 予測が外れた? 再びワンダーゲートは焦りを覚える。彼女は知らない。人は思考を介さずに行動ができる生き物だということを。自分の思考が彼らの反射より遅いことを。発射の直前に出されたクロイツェルの指示は管制を通してゴドウィンへと伝わり、ゴドウィンは絶対的な権限という脳と身体への直接的指示をもって命令する。もはや身体を操っていると言えるような圧力に、戦闘機乗りは考えずに実行したのだ。

 クロイツェルは門がこの空間に存在できる時間を計っていた。それが切れる寸前、クロイツェルの指示が下る。衝撃と文句が混じりながらもSD鋼弾は発射され、通常と変わらぬ数の門の中を進む。さらに炎竜からSDスマッシャーが投じられ、門を斬り裂きながら変則的な軌道を描いて進んでいく。いくつもの情報を瞬時にワンダーゲートは処理し、それでも捌ききれないものも存在する。SD鋼弾は本体との距離598mまで食い込み、特に進路の読みづらいSDスマッシャーは42mまで行った。確実に効いている。それにSD鋼弾は消滅するわけではない。

 荷電粒子砲が鋼弾を薙ぎ払う。光は破壊の奔流。消えそうだと感じた瞬間に門ごと鋼弾を砕く。再び結界内にSDが放出され、濃度を高めていく。エンタングルが行うのが光による侵食ならば彼らが行うのは逆光による侵食。光を以って光を打ち消し破壊する。

 次の一撃はSD砲だった。それは結界内に散ったSDに反応と反射をして門に噛みつくようになる。さらに渦が小さくなって、維持される時間も短い。

 その中にエンタングルは生み出された。翼を破壊して、戦闘機乗り達が知らず知らずのうちに省いていた事態。中心の渦から突出するはグラスプ。だが数は3体にまで増えている。SDとエンタングルと二つの物質が満ちる空間に産声を上げた彼らは外に向かって動き出す。はやく、この不快な子宮から出るのだと。

 奏はなんとなく察する。ワンダーゲートには攻撃を行う方法がないのだ。門は結界内にしか作れない。だから、どこからかエンタングルを呼んでくる必要がある。その場所も奏には推測がついていた。いつもエンタングルがどこから来るか考えれば大体の予測はついた。雲海の下だ。

 管制室で室長は一人微笑む。伊織・奏がワンダーゲートの特性に気づいた。必要もないし興味を持たれても困るから言わなかったが、気づいてしまう分にはしょうがない。彼は飛ぶたびに進化していっている。それが手に取るように感じられる。これならいい器に成長するだろう。あの時、彼を見つけられて本当に良かった。予定外の産物となり各種実験に使われる寸前で確保できた僥倖から始まる道は、ここで潰えさせてはいけない。飛べ、とゴドウィンは強く念じる。

 奏はそれをはっきりと意識に乗せるか躊躇う。勝手な自分の考えだ。それに、そんなことをしておかしな事態を引き起こさないだろうか? 動揺はあっても棚に上げておける奴らだ。それでも雲海の下については――

 迷った末に奏はグラスプの相手をしに行くことだけに決めた。近くにいたカネルヴァが援護に回る。3体が相手でも嵐剣ならば一機で充分。むしろ、連続した攻撃で隙を見出そうとワンダーゲートへの攻撃は続いている中で、砲撃に優れる蒼竜Ⅰ式改が少しの間でも抜ける方が問題だ。

 それでもグラスプの脅威は見過ごせない。結界を出る場所はさすがに同じではない。そのため、出る時間にもわずかな差が存在する。

 砲撃のために速度を落としていた嵐剣は再び加速する。その瞬間を奏は喜んでいた。これが自分だ。喜の感情を翼に乗せて飛ぶ。

 下方に向かい、上半身の下半分がまだ結界内に残っているグラスプを縦に核ごと両断する。あまりにも速度があるためワンダーゲートの結界を一周し、0.32秒後に球の一番下から身体を出したグラスプはパルス砲で動きを止めて核を抉るように斬り、さらに結界の中から出ようとしていたグラスプに対しては、さらに一周を加えた後に結界内に翼を入れることで門ごと核を斬り裂く。この間、1.1秒。

 カネルヴァの出番すらない。SDスマッシャーもかくやという切れ味でエンタングルを屠っていく。

 新たに渦の中からエンタングルが出現――だがそれは誰も見たことがないものだった。奏の予測は正しかったのだろう。エンタングルが雲海の下に存在するとして、これまでに浮上してきたものがその全てとは限らないからだ。

 新たに表れたエンタングルの色は赤。形は――巨大な一組の右手と左手。さらに奇怪なことに指が腕となってその先にまた指がついている。それは何かを探るように手のひらを広げてくるくると動かした後、重力に引かれるように結界の下部に向かって移動する。

 動揺が走る中、嵐剣はそれに向かって突撃する。赤い両手は結界を出ようとして、右手の指を根元から斬り落とされる。一周の後の一撃でさらに右手を横に裂いて止めようとした左手も一部を残して斜めに斬り裂いて、今度はひねりをいれ斜度をつけて嵐剣は舞い戻り、左手の中に見えた核を両断する。

 しかしそれでは終わらなかった。核が消えたと思った瞬間、右手から指が生え、その近くに左手が出現した。いつの間に。思う間もなく2体が動いた。ワンダーゲートの周囲を回っている戦闘機に向かって直進、最初に太陽隊の蒼竜Ⅱ式が狙われる。

 それはカネルヴァが防ぐ。赤い両手をSD砲で横から狙撃し、進路を曲げると嵐剣が核を斬り裂く。場所はさっきので分かっている。だが、また効果がない。消えた瞬間に復活している。

 どういうことだ? 奏の疑問にはカネルヴァが答えた。パルス砲で足を遅くし、返ってくる嵐剣とタイミングを同時にして左手を斬り裂く。嵐剣は右手を斬って、同時に核が破壊された。

 まさか2体で1体というのだろうか。エンタングルは基本的に何でもアリに思える連中だ。三次元上の物理法則の中にいる自分たちにとっては不可思議なことばかりだ。今のだって、核は4次元上では繋がって一つだという可能性もある。

 再び赤い両手が渦を通って突出した。ワンダーゲートはこのエンタングルが気に入ったのだろうか、今度はまとめて3体だ。いちばん近くのものに奏は向かう。

 3体はてんでバラバラな方向に動き始める。上に2体、下に1体。目障りだ。蒼竜Ⅲ式改改と炎竜は荷電粒子砲で右手と左手を撃ち抜く。炎竜と蒼竜Ⅰ式改、蒼竜Ⅱ式はSD砲で同じエンタングルを狙い、蒼竜が右、炎竜が左を撃ち抜く。残る1体は閃竜二機と嵐剣が同時に斬り裂き片づける。

 その瞬間だけワンダーゲートに向けられている砲口はなくなった。ワンダーゲートの門の展開が止まり門の層が薄くなる。

 奏はそれを見逃さない。上部から結界内に侵入しSD砲を撃ちながら本体を狙う。

 本体は、正確には結界の中心から外れたところにある。中心は渦の中心であって、少女は中心から24mの地点にいる。つまり上部からだと1976mと若干距離が短くなる。

 0.3秒。348m。突出の反応を確認し最も正面に近いものに砲口を向ける。

 0.5秒。616m。無粋な侵入者に門が向けられるも撃ち抜かれ、外から嵐剣を支援する光条が門を貫く。

 0.9秒。894m。後方支援の射撃が前方の門を砕くも層が厚く通れず、螺旋を元とした軌道で蛇行するように進む。

 1秒。1080m。嵐剣はSD鋼弾を本体へ発射。炎竜からSDスマッシャーが二つ、直線の軌道で発射され二方向からワンダーゲートの本体を襲う。

 1.3秒。1399m。SD鋼弾の軌道がわずかに逸らされ少女の肩を掠め、衝撃波で右腕が胸の一部を巻き込んで吹き飛ぶ。肉片は白色。赤は無く、光と化して落ちていく。

 1.4秒。1504m。SDスマッシャーが門に磨り潰されて消える。嵐剣は後部から少女を狙う。

 1.5秒。1621m。門は上下左右前後から嵐剣を押し潰そうと層を重ねる。ここが潮時か。嵐剣は速度を落としつつSD鋼弾を発射した。少女との距離は355m。嵐剣はマッハ3.5、鋼弾の初速はマッハ8、秒速にして約3450mの一撃が前方の門をまとめて撃ち砕き0.1秒で少女を消し飛ばす。

 少女が霧散する。その直前に嵐剣の周囲は門で覆われていた。最期に自分を滅す相手を道連れにしようというのか。それともただ近くにいたからなのか。嵐剣はSD砲を放とうとしたが間に合わない。一瞬の判断でパルスを撃ち込み正面から突っ込んだ。

 パルスではSD砲のように門を壊すまでの威力は無い。機首が削られ表面が失われていく感覚は自分の喪失。センサーが次々にエラーを起こして光を失っていく。唯一、翼だけが門を斬り裂く光となって奏を導く。門の囲いを一瞬で抜けた――

 嵐剣は落下していた。バランスを失った機体は回転するように宙を舞い、センサーが壊れて方向も分からず直進し、いまだ形を保っている円環の中、渦の向こうに落下していった。

 奏はその瞬間、意識を失っていた。戦闘機にはセンサーが一定以上使用不可能になった場合に備えて同調を切るシステムがある。搭乗者の身体と意識の乖離を防ぐための措置だ。それにより奏は嵐剣の中からはじき出され、別のものとなる。

 渦を突き抜けた先にあるのは闇。奏の意識は常に嵐剣とともにあったのに、今は違う。身体が感じるのは制御椅子で、腕は操縦桿を握り、足にはフットペダルが触れている。

 マニュアルなんて最後に使ったのはいつだろうか。その何千倍の時を嵐剣と共にいた。自分と嵐剣が別のものになるなんて考えてもみなかった。自分の肉体が重く感じるほどだ。これじゃあ飛べない――奏の心のどこかが叫ぶ。お前は空に触れる身体を失ったのだと。じゃあ、もう飛べないのか。そんなのは嫌だ。そう叫ぶ自分もいる。どうすればいい。葛藤は一瞬だった。『じゃあ飛んでいればいい。それが奏なんだろう? 何を迷う必要があるんだ』。シェノラの声が耳に残っている。

「ぼくは、飛ぶしかないんだろうね」

 独白して自分の身体と機体を意識する。そうすれば少しは嵐剣が自分のものと感じられる。これは身体ではないかもしれないけれど、少なくとも手足にはなる。

 同調は切れたが生きているセンサーは外の状況を奏の頭に映し出していた。装甲で覆われたコックピットはキャノピー式とは違って目視で外を確認できない。そう思っていると装甲の一部が収納され前方だけキャノピーとなる。

 落下していることに気づいた奏は体勢を立て直す。どうしてここにいるのか理解し周囲を精査、閉じようとしている渦を見つける。だが、精査している途中で見てしまった。地上に蠢く無数のエンタングル。さらに空にも飛んでいる。飛んでいるのはグラスプやメルトブルーと知っているものが多いが地上にいるやつらの大半は見たことがないものばかりだ。どれもこれも人から部分部分を捻り千切ったような形をしていた。

 目を空に転じる。空中には空間に開いた渦があり、さらに上空の彼方にあるのは巨大な鏡。雲海の下は同じ雲と思っていたが違ったのか。さらに地上も鏡だ。それらには継ぎ目も瑕疵も見当たらず、一つの影もできないようにしてある。そしてエンタングルの身体が発光していた。核が身体を透いて見えているのだ。それほどまでに光に乏しい空間、まるで光を閉じ込めるために造られた牢獄だ。

 しかし奏には悠長に観察する時間は残されていない。渦にはエンタングルが集まっていこうとしている。奏は嵐剣を動かす。方法は身体が憶えていた。脳が処理をするより早くどうやったらいいのか、まるで嵐剣が自分の中にあるように身体が動いていく。気持ち悪い。そう思いつつも、奏にはそれが快感だった。

 嵐剣の加速力はエンタングルを追い抜き斬り裂き弾き飛ばし、閉じようとしている渦を超える。その途中で翼が引っ掛かってSD鋼が空間に傷をつける。その隙間からグラスプの腕が伸びて、空間に挟まって千切れ、こちら側からの砲撃が手を破壊して渦は閉じる。あとには粒子が残ったのみで、それも翼が崩れてできた霧散の中に消えて行った。

 戻った途端、奏の耳にキィキィ言う音が聞こえてくる。同調装置が変な風に意思を拾って音声に変換しているのだ。辟易しながら奏は通信に切り替える。

『戻ったよ』

 わっと歓声が上がった。

 同じころ、管制室でも歓声が上がる。ワンダーゲートを倒したのだ。そして嵐剣が失われることも防げた。だが、室長は一人険しい顔になっていた。きっと嵐剣と伊織・奏は雲の下に行ったのだろう。そこで何を見たのか、何を知ったのか。地上が今どうなっているのか。知る必要があった。

「忙しくなりますね」

 ゴドウィンの呟きと表情を事後処理の心配とみたのか、管制員の一人が励ますように笑顔でよかったですねと言う。ゴドウィンもそれには同意だ。

「ええ、この飛鳥は無事です」

 少なくとも今のところは。現れるはずのないものが現れ異変は各地で起っている。翼を持っている少女を拾い、ここ最近では伊織・奏が接触している深凪・シェノラとかいう少女。いざという時のために確保しておいて損になるものではない。さて、これに対して管制塔はどう動くか……

 一人の管制官が管理塔からの通話を運んできた。専用の回線から流れる声は塔主のもの。

『“月”から文句が来ているぞ。あの砲撃はいったいなんなんだ、とな。適当に対処してやったが引くことは知らない奴らだ。次はお前が対応しろ』

 心配の種が増えた。これからの計画を思い、ゴドウィンは再び険しい顔になった。


 飛鳥には、唯一肉眼で空を見ることができる場所がある。強化樹脂で覆われたその場所は虚空の天蓋と呼ばれ、限られた者しか入れないようになっている。

 そこに二つの人影があった。両方とも背が高いが、片方はもう片方よりも10㎝は高い。ともに黒いローブとフードで身体を覆っており、誰に見られても特定されることはないが、怪しいことこの上なかった。

 背の低い方は設えてある望遠鏡をのぞいていた。衛星と繋がっているこの望遠鏡は、140㎞彼方の光の霧散をとらえ、男はそれを愉快そうに見ていた。

「やっとワンダーゲートを倒したか。計画通りだが、ここまで遅いと逆にやられてしまうのではないかと冷や冷やしたぞ」

 そう言うが、男の口角は上がっている。しかし目に宿る光は笑みではない。暗い、立つことも困難で、周囲にいればその臭気で正常なものを汚し、引きずりこんでしまう毒沼のような色。その目でずっとワンダーゲートの戦闘を見ていた。

男は誰に聞かせるまでもなく独白を続ける。隣に立つ人影は、微動だにせず男の後ろで立っている。男もそいつに聞かせているようでもない。

「まさかあんなものまで隠しているとは。少し肝が冷えたが、エネルギーは独立していないようだな。俺の知らないものだから焦ってしまったよ。もし飛鳥の住民を殺す覚悟でもあればワンダーゲートを倒せていたんじゃないのかな」

 飄々と言う。それが本音かどうかは男にしか分からない。男はあの砲撃の正体を知らなかったが、似たものについて知識はあった。過去に失われた技術。現在では再現できないそれを、男は至高の技術クラシックテクノと呼ぶ。あの嵐剣もその一つだ。

「まったく……通りすがりの嬢ちゃんに孵卵器が持って行かれた時はどうしようかと思ったぜ。でもうまく保護していてくれたようで助かった。本当は兵装部で学習して周囲の設備ごと転移してくれれば一番だったが、適当な環境を用意すればいいと分かっただけでも得だったな」

 一つ間違えば飛鳥が消滅するかもしれない事態を起こしておきながら、調味料を間違えたけど料理が美味しいからいいか、というような感覚で言う。

 今度は背が高い方に話しかける。

「これは始まりに過ぎない。そうだよな、オフキィ」

 オフキィと呼ばれた人影は首肯する。頷いたときにずれたフードから覗くのは光。女性的な丸みを持ちつつも体表が発光していた。色は翡翠。ローブとフードがなければただの人ではないことが丸わかりである。

 オフキィは声を出さずに男の肩に手を置く。その手は手袋をしていたが、同じく翡翠色の光が透けて見えていた。

「俺はやってやるよ。待っていろ、塔主にすめら、それにゴドウィン。俺はお前たちの支配を解き放つ。そして帰るんだ」

 どこか憂いを含んだ声で言って、もう見るものは無いと望遠鏡を置く。そしてオフキィを伴い天蓋を後にした。


 大規模な停電が起こった時、シェノラは、これが奏が呼ばれた理由ではないかと察知していた。あまりにも突然で理由もはっきりせず、後になってエンタングルの襲来とそれに伴う措置だと言われ、信じられるはずもない。

 それでもエンタングルの襲撃は現実で、四人の戦闘機乗りが死んだという発表は飛鳥全体を衝撃に包んだ。一日だけで五人の死亡は多すぎる。しかも、その中には水無月・暁と間宮・亮という勇者が二人も含まれている。二人とも長く戦闘機乗りであり、広く知られていたため人々の慟哭は深い。

 だがシェノラにとっては奏が無事だという報せでしかない。何よりも奏が死ななかったのが嬉しい。その勢いで携帯端末にメールを送信して、後から恥ずかしくなった。奏からの返信は翌日。明日会えないことを残念がっていた。もしかして毎日会いに行こうとしていたのではないか。想像するだけで顔が赤くなる。

 仁美と連絡をとってみたが、出撃したわけではないので詳しいことは分からないそうだ。もちろん言えないこともあると知っていたが、シェノラは深く聞かなかった。機械越しにも仁美の声は沈んでいた。そっとしておいた方がいい。

 いつの間にかいなくなっていたソラは、探そうにも探せなかった。人に見られたわけでもなく、それとなく異変があったかどうかを訊いても何もないとしか返ってこない。

 アカリはさらなる勇者の死でショックを受けたようで、日常生活を送るだけの機械と化していた。

「もう昼だよ。いい加減、ちゃんとしたらどうだい」

「……お気に入りのカナデ様が墜ちなかったから、シェノラはそんなに元気でいられるんですわ。それともシェノラがカナデ様のお気に入りですの?」

 冗談を言うだけの元気は戻ってきているようだ。これなら放っておいても大丈夫だろう。

「そういえばソラはどうしましたの」

「いなくなっていたんだよ。誰も知らないし、勝手に出て行って、そのままどうしたのかな。それらしい噂も聞かないから大丈夫だとは思うんだけど」

 ここでの大丈夫とは、事故に遭っていないということだ。誰も知らない場所で朽ち果てていたり公的機関が保護している場合は管轄外である。

「そうそう、ソラの事ですけど、分かったことが一つありますわよ」

「なんだい?」

 自分は何も分からなかったか、アカリが全部調べ上げていた。もちろん天使じゃないかと思ったことは伏せた。

「反皇団体に〝豊饒の大地〟というものがありまして、無断での人体生成と人身売買を行っていたそうです。大規模な培養槽もあって本格的な培養も可能だったみたいですわよ」

「それで、その団体は?」

「団体は取り潰し、造られた人はすべて売ったそうですの。元々技術のあったところに下請けのような形で資金を稼いでいたらしいですわ。ソラの持ち主は買っていったうちのどれかだと睨んでいますの」

 そう言われても、ソラの正体が分かったわけではないのだ。だがアカリもこうなったら徹底的に探ってくれるだろう。それに期待する。


 ホセ教授の授業には学生が大勢いた。シェノラが持ってくる(であろう)情報が目当てなのは見え透いていたがホセは全員を受け入れた。ついて行けないなら去るだけだし、人が多い分にはかまわない。そのおかげで専攻はにぎやかになっていた。

 また、ホセ自身もどこからか情報を持ってくるので学生たちの間で重宝されていた。一限の講義ではこのあいだの停電のことで、動力炉のエネルギーが別の事に使用されたのだと言っていて、その用途が分からないことを不思議に思っていた。それでもその間に襲来したエンタングルと関係があるものと考えており、その映像を手に入れることに躍起になっている。

 そして翌日は土曜。講義はない。5日ぶりの休息にシェノラは昼まで寝てから奏との待ち合わせ場所に向かった。少しは明るい服を選んで、たまにはアカリのすすめてくれたスカートをはいてみる。ロングでも下半身が心もとない。いつもこんな恰好はできないけど、こういう時くらいなら、まあいいか。

 市街区画の中央の広場はいつにもまして人が多い。その中で、もはやおなじみとなった帽子が頭一つ抜けて揺れている。

「待った?」

「少しね」

 他愛もない会話をしながらシェノラが案内する喫茶店に入る。会話の内容は主にシェノラのことで、昨日の講義だとかアカリの様子だとか、当たり障りもないことばかりだ。

「それに、従妹が帰っちゃったんだ。可愛くて、懐いてくれていたのに、残念だなあ。また会いたいよ」

「可愛いって、ぼくにも懐くかな」

「さあ。おっとりしているから可能性はあるんじゃない」

 奏は、今度はコーヒーを頼んだ。意地悪でシェノラがブラックを頼んだら奏は嫌な顔もせずに飲んで、シェノラは面白くない。少し不機嫌になっていた。

 それも奏が話し始めれば消えた。

「また遊びに来られるかな。管制室の室長がシェノラに会いたいって言ってるんだ」

 管制室。知らない名前だ。しかも室長とは権力を持っていそうだ。つまり胡散臭い。

「どうしてかな。わたしはただの一般人だよ。そんなところに呼ばれることをした覚えはないよ」

 もしかしてソラに関係することだろうか。でもソラと兵装部に何の関係があるのか。それとも勇者がちょっかいをかけている異性の値踏みか。

「分からない。でも、あの出撃の話を色々訊かれたんだ。中身は言えないけど、それに関することかもしれないね」

 それこそわたしには関係のないことだ。でも興味はある。出撃と言うと、きっとエンタングルに関係していることだろうし。どちらにせよ、分からないときは行動してみた方が早い。

「その室長のところに行ったら聞かせてもらえるのかな」

「頼んでみる」

 奏の言葉はいちいち軽すぎて信用できない。でも、言ったら実行するだろうという安心感はある。

「じゃあ、日時はこちらが決めさせてもらっていいのかな。学生だから勉学に集中したいんだ」

「それも伝えておく」

 そうやって真剣にしている奏との会話をシェノラは愛しいと思う。死なないでよかった。その思いは心の底から湧いてくる。

 そこで不穏なにおいのする会話は終了し、他愛もない会話に移る。

 その光景は、傍から見ている分には非常に仲睦まじかった。

 そして時間が来る。

「また今度」

「うん」

 二人は別れ、また会う日を心待ちに浮かれた足で帰っていった。


 奏は空を飛ぶ。もう嵐剣を自分と一つだと感じることはない。でも自分の一部だ。この遥かなる大きな空を飛ぶにはそれでいい。


〈一話・完〉

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