5章 ワンダーゲート

 水無月・暁が死んだ。そのニュースは、発生が早朝ということもあって最初はわずかな人しか知らなかったが、2時間もすれば飛鳥内を駆け巡り誰もが知る所となった。墜落の映像は多くの飛鳥の住民を悲しませ、一部の学者を驚愕と狂乱にたたき落とした。カレイドスコープとの戦闘はほとんど中継されていない。衛星の撮影機器はほとんど役に立っていなかった。だが、直接戦っていた戦闘機から提供されたものなら別だ。

 戦闘の状況はほとんどが歪んでいた。中継はほとんど使い物にならなかったが低速再生はそれなりのものだった。戦闘機のセンサーがとらえたものを視覚に再編成したからだ。提供主はクロイツェル。その情報はほとんどが秘匿されるものの、暁が死んだということを知らせるにはそれしかなかった。

 シェノラの部屋にはアカリが飛び込んできた。よほど衝撃が強かったようで、半泣きになりながらシェノラに抱きついてくる。シェノラはその頭を抱きかかえる。

「私、意地悪なことをあの方に言ってしまったままでしたわ。それにあんなにあっさりと死ぬとは思わなくて、勇者だと勝手に持ち上げて……」

 その様子をソラがじっと見ていた。

 一般の住民にとって戦闘機乗りが遠い存在でも、勇者となれば誰もが知る。その中でも10年の年月を戦闘機乗りとして生きてきた暁は広く知れ渡る存在だった。ただ勇者という肩書だけでなく、その実績は積み上げられてきた。よく市街区画に出てきていたこともある。一般の住民にも親しんでいた、だからこそ誰もが彼の死を悼む。

 戦闘機乗りにとって死は身近であるがそれほど親しくもない。エンタングルと戦っている限り死の淵はすぐそばにあるのだし、1年に1度は誰かが死ぬ。だが、逆に言ってしまえばそれだけなのだ。戦闘機乗りの数は20人を欠いたことはない。それは戦闘による死の少なさも意味している。

 暁の死は今年最初の戦闘機乗りの死だった。これが最後になればいいと誰もが思っている。

 しかし奏の場合はその理屈が違う。悲しみはある。それでも彼の中で優先されているのは優秀な人員がいなくなったことに関する喪失感だ。誰もが感じるが、決して表に出そうとはしないでいること。その気持ちを誰にも分かってもらえないことを不思議に思っていた。忘れたわけでもないのに暁の死の話題を離れようとすることなど、さらに。

 すぐに奏は動き始めた。誰かと話がしたい。暁の死について話したい。奏の脳裏に思い浮かぶのは一人しかいなかった。


 今日の講義は人が少ない。アカリもいない。水無月さんが死んだことでこんなにも影響があるのかとシェノラは思う。アカリのように戦闘機乗りに憧れは無い。共感もない。知っている人だったがそこまで深くも知らない。シェノラにとって他人とはそういう存在だ。この飛鳥を守る人が少なくなってどうするのだろうか、というくらいだ。

 狩生教授もそういう考えらしい。暁の死のシーンを何度も繰り返して、このカレイドスコープの行動は今までのエンタングルからは考えられない、と力説している。

 ここ最近、エンタングル生態学とエンタングル行動学の講義にはモグリで講義を聴きに来ている人が多くなっていた。エンタングルの行動の変化、その原因を知りたいと誰もが思うのだろう。シェノラは元から受講している。

 映像は、カレイドスコープが霧散した直後に新たにカレイドスコープが突出したところだ。この場面は何度も見ている。エンタングル光学理論では戦闘機の表面にできた模様と突出する際の渦の関係性についての講義があった。

 狩生教授が喋る。カレイドスコープの映像が撮影されるのは非常に珍しいことで、この映像によって多くの問題が新たなステージに昇るだろう、もしくはそのきっかけとなるだろう。この突出が意図的なものだとしたら、エンタングル全体に共通する性質かは分からないが、突出そのものを攻撃に使う可能性もある。これはエンタングルの種類ごとか個体ごとに攻撃性や性格が違うのではないか。そんなことを言っている。

 そんなことはどうでもいい気分だ。シェノラはあくびをした。つまらなくはないけど、面白くもない。適当にノートを取って、それでおしまい。一限目からずっとそんな感じだ。

 理由は分かっている。自分で思った以上に戦闘機乗りの死が大きかったということだ。水無月さんだったからいい。でも、これが仁美だったら? ――奏だったら? そんな想像が頭の中を駆け巡る。渦に突っ込んで戦闘機ごと消滅してしまったら。エンタングルに飲み込まれてしまったら。やり場のない感情が胸を渦巻いている。

 携帯端末を出して仁美のアドレスを触りかけて手を止める。仁美だって水無月さんが死んで大変なはずだ。自分だけが吐き出してもいいことなんてない。アカリの分もあるから体裁だけでもノートは作っておかなくちゃいけないな、と思いながらシェノラは残りの講義を沈んだ顔で過ごしていた。


 午前の講義は12時半に終わる。いったん部屋に戻ってソラがちゃんと留守番をしているか確認しよう。――とはいえソラは、きちんと言っておけば待っていてくれていた。言葉は話せないがこちらの言葉は理解できる。どこから来たのか手がかりは全くないが、シェノラは漠然とただの実験用ではないように思えていた。本当に新人類の製造ではないのか。バカらしいとは思いつつも益体のない考えに身を浸していた。

 講義棟から出て、そこに人が集まっているのに気がつく。何かあるのかと近寄ってみると、見覚えのあるチューリップに似た帽子が揺れている。

「ええと……」

 携帯端末で呼び出すと、帽子が揺れて手が上がる。ああ、やっぱり本人だ。

奏が人ごみの中から出てくるとシェノラは呆れた顔で手を振った。どうしてこんなところにいるのだろう。おい、とかこちらに手や顔を向ける人もいる。これはきっと正体がばれているに違いない。

 出てきた奏は、昨日シェノラが見繕った服を着ていた。ただそれだけなのに嬉しくなる。でも今はここから離れることが先決だ。

 シェノラは近づいてきた奏の腕をつかんで走り出す。講義が終わった後に人が出てくるので動きづらいが、人の中に紛れることは簡単になる。このままでは寮には戻れない。奏を引っ張って学院の外に出る。

「やあ、久しぶり」

 一息ついて、奏は穏やかな顔でそう言ってきた。

「昨日会ったよね」

「うん、でも久し振りでしょう?」

 感性がずれているのは相変わらずのようだ。だが、ここに来た理由もどこかずれた理由だとしたらシェノラには対処のしようがない。ここまで来るのにもかなり気疲れしているのだ。

「それで、突然どうしたんだい? 会いたいのなら連絡が欲しかったよ」

「話をしたいんだ。暁のことで」

 その言葉に、シェノラは自分の予想が間違っていたのかと少し警戒を解いた。

「それなら、もっと落ち着ける場所に行かないか」

「いいよ」

 二人は場所を移動する。教育区画と市街区画のあいだには静かな道が多く、それを活かした喫茶店もある。その一つに二人は入る。道の反対側にテラスがあって人目につきにくい店だ。

 二人はテラスに出る。注文は人に直接頼む古式のやり方だが、奏はもの珍しそうにその様子を見ていた。シェノラが頼んだのはミルクコーヒー、奏はメニューに載っているものはどれも飲んだことがないと言うのでミルクティーを頼んだ。

「それで、話ってなんだい」

 同僚の死で落ち込んでいるのか。そう思っていたシェノラに奏の言葉が突き刺さる。

「暁が死んだけど、皆、それについて何も言わないんだ。倉橋も触れたがらないし。それは別にいいんだけど、倉橋に言われたんだ。ぼくだけが変だ、って」

 シェノラは口にまで持っていったコーヒーカップを静かに置いた。どこかずれていると思ったのは間違いなかった。だが、その気持ちは自分もよく理解できていた。実際に同僚ではないし戦闘機乗りの思いなんて知らないが、自分もそうなるだろうとはなんとなく予想はできる。

「そうだろうね。仁美ならそう言うと思うよ。それがどうかしたの?」

 自分がどう思うのかはおいておく。

「何が変なのかって自分で分かるものなの? ぼくは自分が変わっているとは思う。でも何がどう変わっているかは分からないんだ。それが、知りたい」

 そう言う目はいつになく真剣で、シェノラは認めざるを得ない。こいつは大変に変わっている奴だ。でも面白い。そんなふうに思ってしまう自分も変わり者なのだろう。

「じゃあ会話しようか」

「うん!」

 二人はお互いを見つめ合う。

 短い沈黙を破り先に口を開いたのはシェノラ。

「そもそも奏は、水無月さんのことをどう思っていたのかな」

「一緒に飛ぶ人。それに支えてくれる人かな。いれば便利だったし」

「じゃあ寂しくはないのかな」

「さびしい……?」

 そんなことは今まで考えたことがなかった。そもそも寂しいという感情はこういう場面で使うものだっただろうか。

「ぼくには、寂しいっていうのが分からないんじゃないかな」

 奏は告げる。誰かがいなくなった。でも、それは惜しいという気持ちだ。残念とは人の生死に向けて使うようなものではない。

「……じゃあ、奏は自分が一人になったらどう思うの。他の人が、水無月さんみたいに死んじゃって、奏だけ生き残って一人ぼっちで」

「それは、」

 どうだろう。奏は何か違和感を覚える。その状況でも空さえ飛べていれば自分は問題ないはずだ。どうでもいいんじゃないの? その一言が言い出せない。

「じゃあ他の人がいなくなって、代わりに水無月さんが生き返るとしたら?」

「それは……」

 何か言わなくてはいけない。そんな思いが奏の胸を打つ。どうしてこんな思いになるのか理解できない。自分の事なのに自分の事じゃないようで、頭と身体が別々のことを考えているようで、自分の中に別の誰かがいるようで、自分が自分じゃないようで、気持ちが悪かった。

「じゃあ、誰と一緒ならいいのかな」

 その問いは放ったシェノラにも衝撃を与えていた。どうしてこんな風に考えたんだろう。もしかして自分は、奏に選んで欲しいのだろうか? シェノラ、とその一言を望んでいるのだろうか? 心臓が跳ねる。そんなことを意識してしまったら余計意識するようになってしまうじゃないか。コーヒーを口に運んで落ち着きを取り戻そうとする。

 その様子を見て、ようやく奏は目の前の紅茶に手を伸ばす。色は白みが混じった茶色。匂いはお茶だが烏龍茶とは違って濁っている。口に運ぶ。牛乳の甘みがお茶の苦みを消して、飲めない物ではない。温かかったし、気を落ち着けるためにカップの中身を飲み干す。

「待った、いまのはなし」

 落ち着きを取り戻したシェノラが言った。これは奏も困るのではないか。そう思うことで精神の安定を図る。自分だけが動揺したわけではないのだ、と。

 それは正解だ。だが奏の思考はもっと別の方向に行っている。どうして自分は自分なのだろう、自分とはなんなのだろう、と。自分について考える。戦闘機は自分ではないけど戦闘機に乗っている時は自分となる。そんなふうに、身体は別の自分だったりするのだろうか。奏は自分の手を見る。自分の意思とは関係なく動く。それが消えても自分は自分と言えるのだろうか?

 黙ってしまった奏を前に、シェノラは自分の気持ちを整理していた。自分は奏に何を伝えたいのだろう。ただ喋っているだけでいい? それならばこんな説教くさいことなんてしないはず。じゃあ、やっぱり奏にとっての特別でありたいのだろうか。それでもいい、という自分がいる。否定する理由も思いつかない。でもそれを認めてしまうのは、理性が感情に負けた気がして嫌だった。

 奏はさらに考える。どうしてシェノラは自分以外の人が消えたらなんて質問をしたんだろう。暁が生き返ったらなんて質問をしたんだろう。ぼく、伊織・奏は他の人などどうでもよかったはず。――でも今は、どうしてそんなことを自覚しているのだ?

 奏は気づいていない。これまでの奏だったら人間関係に“悩む”などということはなかった。奏にとっては、自分も含めて人は皆等しい存在でしかなかった。では、それを切り離した存在、シェノラとはなんなのか。

「ねえ」

 シェノラは口を開く。

「奏は飛ぶのが好きだ、って言っていたよね。ただ飛んでいるだけっていうのも」

「そうだよ」

 それは変わらない。例え自分が別の自分だったとしてもそう言うだろう。そんな確信があった。どうして? 奏は自問する。考えたこともなかった。

 しかしシェノラは、その疑問を口にする。

「どうして空を飛んでいるの」

「ぼくは……」

 どうしてだろう。今の自分にとってはそれが当たり前だ。では、今じゃなかったら?

 奏は思い出す。初めて実際の空を見たときのことを。誰かに手をひかれて見た、天井とは比べ物にならないほどの大きな空を。あの時は戦闘機が白い雲を引いていた。その光景に安らぎを覚えて、いつかそこに行きたいと思っていた。

 初めて空を飛んだ時、自分はどう思ったんだろうか。戦闘機に乗って見た空は自分にとってどんなものだったのだろうか。

「ぼくは、空に憧れていたんだ。ぼくは、見ての通りハクの血が入っていて、きっと捨てられたんだと思う。その時、ぼくには何もなかったんだ。だから天井を見ていた。そしたら誰かが本物の空を見せてくれたんだ」

 思いを口に出す。深く考えたこともなかった過去の記憶。自分の根源。

「初めて戦闘機に乗った時に見た空はぼくが見たことのあった空とは違った。でも空だったんだ。だから、ただそこに行きたい。飛んでいたいんだ」

 そこに人が関わって、今はなんとなく息苦しくなっている。でもやっぱり好きだ。でもどうして人が関わったんだろうか?

「飛べなくなったらどうする?」

「それは……嫌だ」

「じゃあ好き?」

 嫌いとか好きとか、そういうものなのだろうか。でも、なんて言ったらいいのか分からない。だったら言ってしまえ。自分の言葉でなくてもいい。

「ぼくは飛ぶことが好きだ」

 その答えにシェノラは満足して微笑む。

「じゃあ飛んでいればいい。それが奏なんだろう? 何を迷う必要があるんだ」

 奏の口が笑みになる。その顔が眩しいとシェノラは思う。何かを決めた顔。自分が失ってしまった純粋な笑顔。

「そうだ。ぼくは――」

 シェノラに関わってからこんな気持ちになったんだ。

「ねえシェノラ」

「なんだい」

「また、こうして会話をしてくれるかな」

 言われてシェノラは無意識の内にうなずいていた。そうしようと思っていたけど身体が勝手に動いていた。

「いいよ。でも、その時は連絡を入れて欲しいな。講義が遅くまである日もあるし、午前中も暇なときだってある。せめて一日前には連絡してほしいな」

「うん」

 困ったように笑うシェノラに奏は頷いていた。


 シェノラが奏と会話をしていた時、シェノラの部屋では異変が起こっていた。奏がシェノラを訪ねなければ、シェノラはその様子を見ていただろう。あるいは、そうであれば次に起こる事態は形を変えたのかもしれない。それは運命にもあずかり知らぬことで、よくなっていたのかも悪くなっていたのかも不確かなままだ。

 だが一つ確実なことは、引き金は引かれたということだ。

 ソラは突然遊びを止めた。部屋の中心に立ってシェノラの部屋を見回す。もうここに用はない。あとは孵卵する場所に行くだけだ。

 翼を広げる。二度三度、羽ばたくと宙に浮かんで、翼はソラの胴体を中心に円を描く。翼の中の空間が光を放ち、光は中心で螺旋となり、内と外で光が反転し、ソラは消えた。


 奏のポケットの中で携帯端末が震える。取り出して見ると、エンタングル出現の警告だった。どうして時間外の――しかもさっき戦闘を行った担当に報せるのだろうか。少し後になるとはいえ全体に警報が鳴るのに。そう思って中身を見る。途端に奏の顔色が変わった。

 これをシェノラに伝えたい。でも、シェノラは一般住民だ。

「呼び出しがかかっちゃった」

 奏は端末を見せながら言った。

「じゃあ、行ってらっしゃい」

「行ってくる」

 名残惜しい。そんな気分になったのは初めてだ。焦り。やっぱり変だ。会話をしたいと思ったのは、本当はシェノラだったのではないか。そんな気になってくる。

 端末で自動タクシーを呼ぶ。ちょうど近くを走っていた車両が寄ってきて、奏はそれに乗りこむ。警報はまだ鳴っていない。

 お急ぎモードに設定すると10分ほどで管理塔に着いた。塔の中は混乱状態で、普段はほとんど人がいない正面玄関にも大勢が集まっていた。それをかきわけてエレベーターまでたどりつく。行き先は勝手に決まる。兵装部の管制室までたどりつくと、現在の時間を担当している太陽隊を除いた全員が入ってすぐのところに集合していた。

「やっと来たな」

 珍しくクロイツェルが険しい顔をしている。

 管制室は巨大なスクリーンが前面にかけられた巨大な部屋である。十数人が常に戦闘機と戦闘機乗りのモニターを行い、衛星と中継を繋いだりエンタングルの情報をまとめたりしている。また、戦闘機乗りの管理を一手に引き受けているのもここであり、兵装部の頭脳と言っていい。

 今、前方のスクリーンに映っているのは巨大な白い円環だ。直径50m。その中は光が螺旋を描いている。渦だ。突出の渦に見えるが人の目でも見ることができるほどの異常が空間に起こっている。こんなもの今まで見たことない。そしてスクリーンの下にはスーツを着た男が立っていた。

 奏が来たのを確認すると、その男、管制室室長のゴドウィンが前に出る。壮年の体格のいい男性で、声も低く威厳がある。クロイツェルに少し似ていた。

「全員集まりましたね。これから話すことはこの飛鳥の存亡に関わることです。そしてここにいる者以外には話してはいけません。この出撃も、もしかすると中継されないかもしれません」

 ゆったりと抑揚をつけて話し出す。スクリーンに映る存在を指差して、

「さきほど出現したこのエンタングルはワンダーゲートといいます」

 その名前にざわめきが走る。誰もそんな名前のエンタングルを知らなかった。

「静かに。ワンダーゲートが出現した記録は二件しか記録がありません。それも3百年以上前のことです。私でさえ、名前しか伝えられていなかったのです」

 3百年前という言葉にクロイツェルが手を挙げた。

「それは、飛鳥が地上にあった時ですか」

 ざわめきがどよめきに変わる。地上は雲海によって隔てられている。それがどうして?

 ゴドウィンは頷く。

「そうです。飛鳥の飛行は376年前のことですが、それ以前にもエンタングルは存在しました。もっとも残っている記録は少なく、どれも読むには最上位権限が必要ですがね……。それによると、ワンダーゲートはエンタングルの中でも強い方だったそうです。かつての武器は現在とは比べ物にならないほど強大で、エンタングルも空を飛ぶようなことはなかったようですのでどこまでを参考にしていいのか分かりませんが、カレイドスコープより強いのは確かなようです」

 カレイドスコープと聞いて雷土隊がざわめく。対して月影隊は眉間にしわを寄せるだけだ。それをそのままにゴドウィンは説明を続ける。

「記録によれば、あれは出現に莫大な量の光子を必要とするそうで、事実あれがいる場所もカレイドスコープが倒された場所です。雲に落ちたものを吸収したのでしょうか……とはいえあれを倒さなくては飛鳥が危険です」

 それはどういうことか。

「ワンダーゲートはその名の通り、自身が巨大な一つの跳躍装置のようなものです。自身は動かずにその渦の中から何かを跳躍させる。資料にはそうありました。ですが本当に恐れるべきは、あれが跳躍と突出を自在に操れることです。あれ自体は跳躍をしなかったそうですが、空間をつないだ時に起きる力、すなわち門を攻撃に転ずるのです」

 誰もが黙っていた。それではまるで、今朝の暁の死にざまと同じようではないか。本当に至近距離でやられたら回避のしようがない攻撃だ。

「有効な対抗手段はないのですか」

月影隊隊長の瀬遠せとお木更きさらが手を挙げた。

「では先に言ってしまいましょうか。記録では、ワンダーゲートの本体は円の一番上、」

 室長の言葉に合わせて映像が拡大される。

「この少女です」

 そこには、背中から白い翼を生やした少女がいた。身長は118㎝。手も足も垂れた力を抜いた体勢で直立し、目に光は無い。翼は円環となっており、その少女がワンダーゲートであることを充分に証明していた。

 奏以外の誰もが衝撃の顔つきとなる。

「……この少女は――少女に見えるだけで本当の人ではないんだな?」

 押し殺したような声でクロイツェルが言った。本当に人だとしても、このような形になってしまっていれば既に人とは呼べないのは分かっている。それでも確認しておきたかった。

「太陽隊に確認させていますが、まだ不明です。記録でもそこまでは載っていませんでした。しかし、あれがどんな形にせよエンタングルはエンタングル、我ら人類に仇なす存在には変わりません。皆さんの機体はすべて出撃準備ができています。すみやかに出撃し、必ずや倒してください」

 室長は最後まで冷静さを崩さなかった。動じていないように見えた。だが、その本心がどこにあってもこの飛鳥を守ろうとしているのは確かだった。だから彼らは戦闘機に乗る。戦闘機乗りとしての最善を果たす。それが彼らに与えられ、彼らが己に課している使命だから。いかなる思いがあろうとそれがなくては戦闘機乗りの資格は与えられない。

 太陽隊を含め、出撃する戦闘機の数は18機。多すぎるのではないのか。

そう思って格納庫に行くと、整備士長には指示が行っていた。

「炎竜と荷電粒子砲を持っている機体を中心に編成を組んで、あとは後詰めだ。これから俺が呼ぶ奴だけがまず出撃だよ」

 読み上げられる中に嵐剣は入っていた。編成は、嵐剣が一機にクロイツェルの蒼竜、他にもカネルヴァが入っている。蒼竜はそれだけで、他に月影隊から閃竜と炎竜が一機ずつ加わり、合計6機が出撃する。太陽隊と合わせて13機。それでも多い。

「もうじき太陽隊から蒼竜二機と紅竜一機が戻ってくる。そしたら出ろ。準備していな!」

 それならば10機。ギリギリではないのか。それとも、それだけの戦力が必要な敵なのか。奏は考える。速度と火力が重視されている。炎竜の火力で突出を破壊していきながら閃竜と嵐剣で本体を狙う。そういうことだろう。

 奏は嵐剣の中に搭乗する。コックピットの中、制御椅子に身を沈め、同調装置を頭に装着し、フットペダルに足を置き操縦桿を握る。そうすれば奏は嵐剣と一体となる。伊織・奏とは嵐剣であり嵐剣とは伊織・奏だ。

 だが、機体は一機も帰ってこなかった。

「出撃だ!」

 整備士長が叫んだ。まずは炎竜が射出カタパルトに乗り、発射された。続いて蒼竜が続き、最後になるのは閃竜と嵐剣。

 出撃の前、一瞬だけ通信が入る。倉橋からだ。彼女はまだ訓練課程なので、どのみち行かないはず。それでも機体に乗っている。

『さっきはすみませんでした。あんなこと言ってしまって……』

『いいよ。ぼくも、それで気づいたこともあるし、シェノラと会話するいい機会になったから。むしろ、ありがとう、だよ』

 そんなことを言われて仁美は動揺する。そもそもお礼を言われるようなことではないし、伝わってくる感情は感謝だし、そもそもどうしてシェノラの名前が出てくるのか分からない。もしかして、さっき遅れてきたのはそういうことだったのだろうか。

 そこに、逆に奏からの質問が飛んでくる。

『倉橋はどうして飛んでいるの?』

 どうしてそんな質問をするのだろうか。でも早く答えないといけないと思って彼女は言う。

『エンタングルを倒すため、です』

 奏が訊きたかったのはそういう意味ではない。でも伊織にとってはそうなのだろう。なんとなく納得する。ほとんどの戦闘機乗りにとっては空を飛ぶことなんて重要ではないんだ。最後に奏は伊織に口を開いていた。

『でも、ぼくは飛びたいから飛んでいるんだ』

『え?――――」

 疑問を後にしたまま回線が切れる。嵐剣が出撃したのだ。


 明るい空。そこでは死闘が繰り広げられていた。

 ワンダーゲートは飛鳥へと進んでいる。決してそれ自身は跳躍をしない。だが直径10mほどの突出――室長に言わせれば“門”が厄介だ。そのせいで、攻撃はすべて途中で消滅させられ、常に変則的な軌道を取っていないと正面から光に削り取られる危険がある。速度も充分に出せなければSD鋼弾もろくに使えない。

 しかも、巨大な渦から突出してくるものが問題だった。

 光り輝く巨人。青い人の頭のようなもの。茶色と白の縞模様をした洋梨。緑色をした四本腕の頭と足なし。断続的にエンタングルが吐き出されている。突出する数は一度に一体ずつで、突出の瞬間はそこが無防備になるものの、気を配らないわけにはいかない。カレイドスコープが出れば二機、三機は対処に回らなければいけないし、あの突出点を壊そうとしてもどうすればいいのか分からない。常にパルス砲を撃っていても門に遮られてしまう。

 蒼竜と紅竜を一機ずつ失いながらも太陽隊は残りの五機でなんとか攻撃を凌いでいた。ワンダーゲートの進む速度は遅い。突出してくる別のエンタングルを倒すことだけに集中して増援が来るまで乗り切る算段だ。それも限界に近かった。炎竜は装備の半分を失っている。荷電粒子砲はすでに熱で半壊している。他の戦闘機も、SD鋼弾は無暗に使用できない状況だ。メルトブルーを倒し、次に出てくるエンタングルに対する焦りが見えた。

 だから彼方から荷電粒子の一閃が飛来した時、隊長の間宮は喝采を上げていた。

 二条の荷電粒子が時間を置いて少女型の本体を狙う。それは門によって妨害され――その後ろからの荷電粒子砲の力を受けて打ち破る――かに見えたが門の後ろには複数の門が展開されていた。それによって威力は減衰し拡散され、本体に届くことはない。

 さらに嵐剣が飛来する。突出したクレイドルにパルス砲を撃ち込み、加速して向かってくるのものともせずに翼で斬り裂く。そのまま本体に――行けない。門が展開されて急旋回と急降下をかけざるを得ない。それでも嵐剣は優秀だ。速度をそのままに門を避ける。

 戦場にかけつけた時、ワンダーゲートの正面には紅竜Ⅲ式と閃竜一体に炎竜、後方に閃竜と蒼竜Ⅱ式がいた。背後に回ると、巨大な渦は観測できず向こう側がはっきり見える。

(どうなってるんだろう)

 疑問を解消する暇はない。嵐剣は後方からパルス砲を浴びせかける。だがどれも門に防がれる。嵐剣も、マッハ3までしか速度を出さない。門の出現の速さからは、それ以上を出したら危険と判断したからだ。また、さらに分かったこともある。門を出せる範囲は、ワンダーゲートの中心から3㎞まで。マッハ4なら2.7秒、マッハ3なら3.2秒で通過する距離だ。それを行う間にどれだけの門が行く手を阻むかと考えれば、それは得策ではない。だが、この中でそれができるのは嵐剣だけだ。

 そして蒼竜Ⅲ式改改が追い付いてくる。周囲の光子は充分、集光荷電粒子砲が光を撃つ。それ一つで破壊できる門は122。距離は726m。これではとても当たらない。

 だが、どうして全面を門で覆わないのだろうか。そうすれば手出しができないのに。奏の考えは他の機体にも伝わり、炎竜を中心に実行に移される。戦闘機たちはワンダーゲートを囲む。3㎞の距離を保ちながら周囲を回って飛び、飛びながら砲撃を行う。光学パルスが30以上撃ち込まれ、SD砲も10を超え、上空からは対空機雷とSDスマッシャーが降ってくる。SDスマッシャーはSD鋼を円盤状にしたものにSD砲のエネルギーを固定して回転・射出したもので、SD鋼弾より少ないSD鋼で同等以上の威力を発揮する。しかし速度が出ないので使い勝手が悪く、SD鋼弾の方が優先されている。だがこういう状況ではこちらも使い道がある。

 それらすべてに対し門が出現する。門が何十層にも重なり半球形になったところに砲撃が突き刺さり、機雷はSD鋼を放散しながら門を削り、SDスマッシャーはエネルギーの塊が門を斬り裂いてゆく。これを続けて行けばいい、誰もがそう思った。しかしいくら削っても門の数は減ることはない。互いに拮抗しているのか、それともワンダーゲートが力を出し切っていないのか、音を上げたのは戦闘機側だった。

 ワンダーゲートの下部からカレイドスコープが出現する。下部から攻撃しようとして5㎞のラインを侵入した嵐剣に光り輝く巨人が立ちふさがり、門が出現して退散を余儀なくされる。カレイドスコープは守られた中で分裂を開始――しない?

 巨人は外に向かって移動を始める。跳躍もせず、まるでただのカレイドスコープの形をした別の存在のようだ。

 それを疑問に思うが、今はこいつを倒す方が先だ。嵐剣は中心から5㎞の外にいて、球の表面をなぞるように最短距離でカレイドスコープのもとへ移動する。カレイドスコープが3㎞の範囲を出た瞬間、奏には異常が察知できていた。3㎞の範囲、その境界には光の膜があった。それは外界を隔絶させ、エンタングルに何らかの形で干渉するのだろう。そのため跳躍も分裂もできない。だからここまで太陽隊はもったのだ。

 砲撃の陣が崩れる。これ以上やっても無駄だという判断が為され、カレイドスコープに注目が集まる。跳躍の兆候をいち早く見つけた月影隊が突出点を捉えパルス砲を撃つ。そこに閃竜が二機急行して分裂の前にSD砲で核をむき出しにして、飛び込んだ閃竜が核を破壊する。美しい流れだ。

 それをワンダーゲートに対して適用できるかというと別の話だ。なおも前進するカレイドスコープを止めないことには無数のエンタングルが飛鳥を襲うことになるだろう。そうなれば――そうなれば? 奏は思考を止める。余計な考えは、今は邪魔だ。

 カレイドスコープが霧散したあとにクロイツェルが蒼竜Ⅲ式改改を移動させ、散らばった光子を集光している。そして荷電粒子砲を発射した。向けるはもちろんワンダーゲート。なんども繰り返されたとおり、門が出現してその一撃を減衰・消滅させ――ていない。散らばった光は雲海に落ちることなく、蒼竜に集まっていっている。そこに月影隊の炎竜も降りてきた。炎竜にも集光機能がついているのか、二機が同時に荷電粒子砲を放つ。それは一つとなって威力を増し、門に喰らいつく。

 それを見て、他の戦闘機がワンダーゲートに集中砲火を浴びせる。だが荷電粒子砲の威力が何よりも強い。一秒間に門を30個破壊し、同じ数だけ門ができていく。他の砲撃は攻防の片手間のようなものなのだろうか。SD鋼弾もすぐに意味がなくなってしまうだろう。SDスマッシャーも、結局は本体まで斬りこむことができずにエネルギーはなくなり削り取られて消えてしまった。

 それを衛星が中継している。管制では戦闘機の速度に対応するために管制員は常に同調装置を着用している。室長であるゴドウィンもそうだ。彼の場合は負担を抑えるため緊急時の身だが、今日はほとんどの時間で着用していた。

「駄目か」

 非常に強いエンタングルだ。過去の人々はSD鋼弾を全面に塗布した戦闘機でも使っていたのだろう。嵐剣にやってみるか? だが、そこまでしてもワンダーゲート級のエンタングルはそうそう現れない。ならば意味はない。

 ゴドウィンは決意を新たに手元のスクリーンをスライドさせる。そこには鍵穴がある。ポケットから一つの鍵を取り出し、悩むことなく突き立てた。決断をしないと彼らが危険だ。この飛鳥が滅びるよりはマシだ。

 それから動力部と管理塔最上階に連絡を入れる。両者から罵倒の言葉が来るが、彼らだって分かっているはずだ。あれはいつものエンタングルより数段上の存在。これまでの方法では倒せない。そもそもあんなものが無限鏡面を超えてこられるはずがないのだ。立派な非常事態だ、力を使わせてもらう。

 最後に管制に指示を出す。どうして自分の持ち場に指示を出すのが最後になるのだろうか、とため息をつく。

 戦闘機乗りたちに管制から指示が出た。すぐにそこから撤退し雲海まで下がれとのことだ。どうして? 分からなくても管制からの指示だ。従うしかない。

 11機の戦闘機はワンダーゲートから撤退する。飛鳥とワンダーゲートの距離は147㎞にまで迫っていた。2時間もすればワンダーゲートは飛鳥に到着してしまう。

 全機が雲海まで降りた時、センサーが莫大な量のエネルギーを感知した。距離は75㎞彼方。あまりにも莫大な量なので、探知距離に入った途端にそれを知覚する。宙に穴を穿つようなそれは、直径が10mもあった。この量のエネルギーを持つのは飛鳥しかない。それでも多すぎる。まさか飛鳥のエネルギーをこれに凝縮して撃ち込んだのか?

 奏の疑問は全員の疑問であり、半分当たっていた。飛鳥のエネルギー・ジェネレーターを余剰出力にし、生命維持と飛行以外のほとんどすべてのエネルギーを一撃に転換した、飛鳥最大の兵器。管理塔でも一部しか知らず、管制室では室長のみ、動力部ではほとんどが怪訝に思いつつも無視するよう厳命されている代物。元々は地球を撃つために開発された冗談のような兵器。1000㎝砲、名前をスター・ハンマーと言う。

 その口径に対応する砲身の長さは80m。飛鳥の全長の75分の1であるが、大きさがつくる反動を殺すにはこれ以上の長さが欲しかった。

 砲身は飛鳥後部に縦になっている。それがゆっくりと下降し、下降しきると今度は砲塔を正面に向けるように根元が折れ曲がる。同時に飛鳥もワンダーゲートへ向けて回頭する。

 強大なエネルギーを感知したワンダーゲートは門を大量に作りだす。それを前面に向け防御に回す。どれだけの門が必要なのか、彼女には分からない。ただ、自分を襲うものから身を守るために相手をするだけだ。

 ワンダーゲートの前面がほとんど半球状になったころ、エネルギー砲がワンダーゲートに飛来する。

 その一撃は神の鉄槌。SD鋼を含んで撃ちだされたエネルギーの塊は真っ向から門に突き立ち正面から壊していく。速度はそこまではないがなにしろ使用されているエネルギーの総量がまともではない。そこにSD鋼の補助もあり門を喰らい始める。

 ワンダーゲートは焦りを覚えていた。人の感情とは違っていても、それには学習した知性というものがあった。孵卵する前にいた場所。そこで覚えた様々な出来事。それが彼女という存在を形作り人に近い存在としていた。

 エネルギーの奔流は門を撃ち破る。門を作る速度は次第に押されていき、本体に対してエネルギーが当たるようになっていた。すでに中心の門からエンタングルは出ていない。そのエネルギーをも門へと回して彼女は自己の防衛を続ける。このままでは我が身が滅んでしまう。それを阻止してあの場所に行かないと。機械のようにその思いが頭の中に回っていた。

 だが、ついにエネルギーがワンダーゲートの身体に到達する。たまらずワンダーゲートは後退する。それも意味をなさず、一撃は翼を吹き飛ばし巨大な突出点を破壊していた。

 

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