3章 デート?

 シェノラとアカリが来た翌日の夜、出撃の前に奏は暁の部屋を訪れていた。

「珍しいこともあるものだな」

「自分から人の部屋に行ったのは初めてだよ」

「そりゃ俺が記念すべき一人目ってわけか。何か持ってきたか?」

「お茶と果物」

 奏の手には2リットル入り烏龍茶とミカンの入った袋。暁は新種の生物でも見つけたような目で奏を見る。

「……まあいい。入りな」

 暁の住居の中はすっきりと片付いていた。といっても物がないというわけではない。奏が案内された部屋の本棚の中に本がぎっしりで、壁には大きなスクリーンが四つかけられている。中央には丸い平机と座布団。床には本が落ちている。

「そこらへんに座って。コップ出すから」

 そう言って台所からグラスを二つ持ってくる。追加でビールピッチャー。

「飲もうぜ」

「飲まないよ。美味しいと思ったことないし」

 暁は自分の分にだけビールを注ぐ。

「たまにはいいとおもうぜ。アルコールは分解されるから搭乗には問題ない」

「好きじゃない」

「ならいいけどな」

 そう言うあいだにも一杯目を飲み干して二杯目も注ぐ。

「で、何の用だ」

「この前、シェノラと東堂さんが来たじゃない」

 自分のグラスに烏龍茶を注ぎながら奏は言う。

「また会えないかなと思って」

 グラスを持った暁の手が空中で止まった。

「で、また呼びたいんだけどどうすればいいかと思って」

 暁はゆっくりと腕を降ろす。

「それなら外出許可を取った方が早い。俺がいつも外に出ているのを知っているだろ」

「そうなの?」

「ああ。そもそもあそこはあまり使用しない方がいい。部外者を入れるのは嫌がるからな。あいつらは……東堂だから何かしたんだろうな」

「シェノラと倉橋が幼馴染だって言ってたけど」

「ならそっちかな。戦闘機乗りの機嫌はできる限り損ねない方がいい。それに倉橋は既に有名だからな。変に刺激したくないんだろう」

「あぁ、逃げるのうまかったよね」

「判断力にすぐれていて、それを疑う時間が短いんだ。操縦技術がつけばすぐに勇者になれるかもな。女性の勇者ならさらに戦闘機乗りの名は上がる」

「エンタングルの活動も変わって来たしね」

「それで、どうして会いたいんだ」

 突然話を切り替えられて、奏は口を閉じて少し考える。それから、

「どうしてって、話をしたいからだよ」

「何を話したいんだ? 戦闘機乗りの誰かのところに来るのだってこれが初めてだろう。それなのに昨日初めてあったばかりのやつとなんて」

「楽しかったんだ」

「楽しい? それは、女性と一緒にいたからじゃないのか」

 暁にしては珍しく冗談は抑え気味の声だった。

「違うよ」

 奏ははっきりと否定する。奏にとってそれは意識するものではない。あの三人との会話は自分がいままでしてきたものとは違って、自分から得たものでもないのに自分もそこに加わりたくなるものだった。うまく言えないが、それを言葉にすると、

「ぼくはあの場所がいいんだ」

 烏龍茶を飲んでミカンに手をつける。皮をはいでふさを一つもぎとり口に入れた。甘い。暁も一つとって、半分に割って口でふさを取っていく。

「だったらさっきも言ったが、外出許可を申請するべきだな。管制の誰かに聞けば申請書を出してくれる。お前の事だし、許可はすぐに下りるんじゃないか」

「でも、それだとあのシェノラと東堂さんに会えない。どこにいるか分からないんだ」

「端末持っていたのにな。連絡先を聞かなかったのは失敗だったな。だが工科学院と言っていたよな。――おお、ここだ」

 暁が固定端末を操作するとスクリーンの一つに地図が出る。それは簡略化されたこの飛鳥の見取り図だ。管理塔がある管理区画と生産区画が端にくっついた円の形をしており、中心の市街区画の周囲に居住区角と教育区画が半円の形で存在している。教育区画は後方にあり生産区画と一部で繋がっている。そこに工科学院がある。

「3㎞ほどだな」

「結構遠いね」

 歩いて行くと30分ほど。車を使えばもっと早い。

「何時から会えるかなあ」

「講義が終わってからだろうな。場合によっては夜になるかもしれないぞ。だから連絡先を交換しておけばよかったのに」

 自分の事でもないのに残念そうに暁が言う。

 戦闘機乗りには三つの隊があり、それぞれが一日の8時間を決まった時間で担当している。奏と暁が所属しているのは雷土いかづち隊で3時から11時。昨日エンタングルと戦ったのは太陽隊で担当時間は11時から19時。最後は月影隊で19時から3時までである。

 奏は11時にあがって12時には解放される。それから30分だとして12時30分には工科学院に辿りつく。

「奏、まさか許可が出たらすぐに工科学院に行こうなんて考えていないよな」

「駄目なの?」

 暁は大げさにため息をつく。半分ほどは習性だが、はっきりとした動作で意思を示さないと奏が正確に理解しない可能性があるから。

「そんなことをしたら目立って仕方ないだろう。市街区画で待ち合わせろ。そもそも倉橋とそのシェノラってやつは知り合いなんだろう? 連絡先を教えてもらえばいいじゃないか!」

「ああ、そういえばそうだ!」

 声が弾んだのを暁は聞き逃さない。これは本当に嬉しいのかもしれない、と思う。こいつがここまで興味を示すことが飛ぶこと以外にあっただろうか。それも、本人は意識していないが異性とである。これを知れば管制の連中は驚くに違いない。それが喜ばれるかどうかは――今後の展開次第だが。自分も一枚かんでみたら面白いかもしれない。いや、絶対に面白くなる。

「とりあえず申請書を申請してこい。俺が倉橋から連絡先を聞いておくから。ところでお前、携帯端末は持っているのか?」

「助かるよ。――持っているけど使ったことはないかな。固定端末じゃ駄目なの?」

 駄目に決まっている。

「……後で携帯端末持って俺の部屋に来い。いいな」

 きょとんとした顔で奏は頷いた。

 それから30分後。奏は再び暁の部屋の前に立っていた。今度は携帯端末だけを持っている。申請はあっさりと許可されて、担当時間以外のいつでも外出できるようになった。暁も同じ申請をしていたらしいし、ほとんどの戦闘機乗りが時間に制限はあるものの外出の許可を貰っているそうだ。

 暁の住居の戸を叩く。入れ、の声で奏はドアを開けて、そこに立つ仁美の姿を見て立ち止まった。

「驚いたですよね! でも、わたしも先輩がシェノラの連絡先を知りたいって聞いて驚きました。どうしてですか?」

「暁、どうして倉橋がここにいるんだ」

 暁は仁美の後ろにいた暁は皮肉っぽい笑みを浮かべながら言う。

「なあに簡単なことだ。倉橋にシェノラの連絡先を訊きに行ったら理由を問われて、お前のことを話したら、もっと詳しいことが知りたいと言われてね。そうでないと教えないと言うから直接訊くのさ」

 なにか謀られたような気がしないでもないがまあいい。

 暁と仁美は奏に入り口から一番遠い席を勧めた。さらに入口に近い席を固める。そしてあらためて質問する。

「どうしてシェノラの連絡先が知りたいの?」

「話がしたいから」

「お前もエンタングルに興味が出たのか?」

 暁は何を言っているのだろうか。さっき説明しただろう。それとも、倉橋に説明しろということなのか。

「内容はなんだっていいんだ。ぼくは、あんな風に話しているのが楽しいと感じたんだ。だからまた楽しみたい」

 そう言うと、倉橋はなんとも言えないという顔になり、暁は面白がるように笑いを堪えた様子を作る。

「な、面白いだろう?」

「そうですけど、これはひどいんじゃないんでしょうか。無自覚と言うのも違う気がしますし。これまでもこんなに変だったんですか?」

「ああ。無邪気って言った方がしっくりくるよな。でもそれはこいつの生い立ちと関係があるんだ。詳しいことは言えないが、奏は小さいときにここに捨てられたんだ。その時からずっと戦闘機乗りの訓練ばかりの毎日で、人と関わることなんかなかったんだよ」

 それを聞いて仁美の顔が暁に向く。

「それを知っていて伊織先輩にあんなこと言っていたんですか」

「安心して言えるのがこいつだけなんだよ。他の奴は返ってくる言葉が怖いしさ。それに、この話は兵装部の中にいれば嫌でも知るようになるぜ」

「水無月先輩のような人が言いふらすからですか?」

仁美に詰め寄られるが暁は飄々としたものだ。

「それもあるな。だが、記録を見れば分かることだ。嵐剣を唯一操れる天才的な戦闘機乗り。どうしてそんなことができるのか知りたい奴は多い。訓練記録は弄れないし公開情報だからな。それで、奏がいつから訓練を重ねてきたかが分かるんだ。俺も初めて見た時は驚いたさ。何かの間違いだってな。だが俺の先輩から、真実だって聞いたんだよ。こうして話しているのも、いつかお前が記録を見た時に騒がないようにするためだ」

 仁美は複雑な顔で奏を見る。そんな事情があったとは知らなかった。しかし、聞いたところでどうすることもできない。

「で、なんなんです。それが言い訳になるとでも思ったんですか」

「ありゃあ、誤魔化されてくれないの? でもね、何かの刺激が大事ってことは分かるでしょ。だったら皮肉も刺激だよ。シェノラと触れ合うこともね」

「それはそうですが、また別の話です」

 仁美は暁を厳しく責める。だが暁は、その言葉を待っていた。

「そうだろう。だったら連絡先を教えてもいいよな」

 うまく嵌められたことに気づいて仁美ははっとした。それに、何を言っても暁には誤魔化されて終わってしまう気がしていた。そんなことに時間を費やすのは勿体ない。どうせ最初から教えるつもりだったのだ。それ以上に面白い話も聞けたから満足だし。

「今から送信します。携帯端末を出してください」

 奏が自分の端末を渡すと、なにやら不思議そうな顔をして暁を見る。

「伊織先輩ってもしかして人間関係以外にも疎かったりしませんか」

「その携帯端末はこれまで一度も使用していないそうだ」

 こんな奴が人と話して何を楽しむというのだろうか。一瞬、仁美はそう思った。しかしそれは、そう考えてはいけないことだ。考えを振り払うように頭を左右に振ると、奏の端末を少しいじって奏に返す。

「連絡先は登録しておきました。あとは取扱説明書を読めば分かりますよ」

 基本的なことくらいはできるようになっていて欲しい。そう願いながら仁美は奏に端末を返した。


 翌日、訓練の後に仁美は奏に聞いた。

「何かしましたか?」

「一応、会ってみたいと言ったんだけど、返事はないんだ」

「当たり前です。何時に送ったにしても深夜ですよ。今、確認したらいかがですか」

「部屋に置いてあるからあとで見てくるよ」

 すでに仁美の頭の中から奏が先輩だという意識は半分ほど抜け落ちていた。たしかに飛行は誰よりもうまいに違いない。だが人としては全然よくない。

「携帯、って名前がついている意味知ってます? いつでも持ち歩くからですよ。その場で確認できるように」

「ああ、そういえばそうだね」

 二人は飛行後の検診を受けてから奏の住居に行く。携帯端末を確認するとシェノラからのメールが届いていた。

「大丈夫です、だって。でも明日か」

「そうでしょうね。学生ですから」

 そうは言いつつも仁美はシェノラが好意的な反応を示したことを喜んでいた。二人の仲が進展すればいい、とは思っていない。まだその段階ではない。しかし伊織先輩に常識が身についたりシェノラが人の目を気にしたりするようになるのはいい変化だ。水無月先輩は面白がっているようだが、仁美は純粋に変化を喜んでいた。

 メールを確認して奏は返事をする。やけに短かったので仁美は気になって訊いてみた。

「なんて返事したんですか?」

「了解、だけど」

「それじゃ駄目ですよ。もっときちんと言葉を飾って――ああでもシェノラもそんな感じなので問題はないかもしれないけど。もっと意識してください。業務連絡じゃあないんですよ」

 言ってから思い出す。そうだった、この人にはそんな常識がないんだった。きっと返事をするのも業務連絡で必要だからだろう。

「じゃあ覚えておいてください。返事をする時は、よけいなことでも一言、楽しみです、とかありがとう、とか言っておくものです。業務連絡の時はいりませんよ」

「そういうものなの」

「そういうものです」

 じゃあ覚えておく、と言って奏は端末を置いた。それから別の部屋に入っていく。

「そういえば、伊織先輩って暇な時間はどうしているんですか?」

「訓練したり寝ていたり本読んでいたりしているよ」

 訓練? 仁美はその言葉に疑問を持つ。

「どこで訓練しているんですか」

「ここだよ」

 入っていった部屋から奏の声。見てみると、中には仮象訓練装置が設備されていた。

「これ、どうしたんですか!」

 装置そのものが部屋となっている。元の部屋の大きさは3m四方ほどだろう。だが内部はコックピットである。扉の内側も機械がはりついていて、それらは球を形づくっている。これは本物のコックピットにはないが何のためだろうか。

 奏は低反発樹脂の制御椅子の中に埋もれている。本物の制御椅子には、搭乗者の動きや搭乗者の肉体に流れる電流を観測し即座に機体に反映する仕組みがあるのだが、まさかそれまで再現しているのでは。手に操縦桿が握られているのも仁美は見逃さない。埋もれていて見えないが、フットペダルもあるだろう。

 そして球の内面はスクリーンになっている。

 奏はバイザーをつけている。バイザーは制御椅子に繋がっており、同調装置と似ているが違うものだ、が……まさか。

「それ、なんですか」

「視界を全方向にできる装置。この球と合わせて嵐剣の状態を再現できるんだ。さすがに同調装置は設置できなかったからこれで代用しているんだよ」

 本物の同調装置でなかったのはほっとした。それでもやりすぎだが。これが嵐剣という特別な機体の搭乗者に許された権利なのか。それとも自前? 戦闘機乗りの給料は危険に比して高くなる。勇者ともなれば、そりゃこれだけの設備を揃えるだけの金もあるだろう。でもそんなことをしてまで――それとも、これしかやることがないのか。

 そこまで考えて仁美はやめる。これ以上考えていたら頭が変になりそうだ。ここにいるのは確かに〝勇者〟だ。

 もうやることはなさそうだと仁美は奏の住居を出る。あんなことをしていれば、そりゃうまくもなるだろう。付き合いきれるかは別だ。


 同じ日の朝、シェノラは講義を休んで少女の世話をしていた。昨夜はいつ少女の目が覚めるのかと待っていたがいつまでも寝たままなので寝てしまった。しゃべれたらと思うとまだ何にも手を付けられなかった。

 朝、目が覚めると少女は起きていた。ベッドの上に手をついて座っていて、丸い大きな目は部屋の中をもの珍しげに見まわしている。少女をベッドに寝かせてシェノラは床に布団を敷いて寝た。ベッドから落ちやしないかと不安だったがそんなことはなくてよかった。

「おはよう」

 言われて少女はシェノラに顔を向ける。だが何も言わない。シェノラをじっと見ているだけだ。それもすぐにやめて再び部屋の中を見ている。

 大丈夫かな。シェノラの頭に不安がよぎる。この子は何歳だろう。見かけどおりの年齢じゃないかもしれないし、知っていることもわたしたちとは違うかもしれない。扱い方は動物の方が近いかもしれない。

「ねえ、言葉は分かるかい?」

 少女は首をひねる。反応があるということは、少なくとも認識はしているのだ。

 シェノラは少女の前に膝立ちになり手を触ってみる。ほんのりと暖かくて柔らかい。肌はなめらかで、ずっと触っていたくなる。少女はというと上目遣いでシェノラを見上げてくる。可愛い。手を持ち上げると、バランスが崩れて倒れる。ぼす、とベッドが揺れた。

「あ、大丈夫?」

 慌てて手を離すと身体を起こす。それから腕を真上にあげて伸びをした。ついでにあくびもして、ふわあと小さな吐息が漏れる。伸びの動作に連動して翼が広がろうとしているのか寝間着の背中が膨らんだ。

 それが変な感覚だったのだろう。少女は寝間着の上を脱ごうとする。裾の後ろに手をやって、下からはみ出ている翼を出そうともがく。

「あーあー、ちょっと待って。……ほら、暴れないで、脱がすから」

 シェノラは左右の袖を掴んだ。自分の服でもゆったりとしたものだから、サイズの小さい少女なら、引っ張れば一気に脱げる。万歳の姿勢のままで少女は固まり、その背の翼が解き放たれ躍動を持って広がる。差し渡しは3m近いだろう。大きく羽ばたいて、畳まれると背中に収まる大きさになるから、不思議だ。

 しかも、その翼は鳥のように羽毛でできている。映像でしか鳥を見たことがないシェノラは羽毛というものを見るのも初めてだった。落ちた一つを手に取る。一本の芯から生える毛は、根本は細く柔らかく、半ばから先端にかけては固くしっかりとしている。

 それを机の上に置こうとして気づいた。講義は、今日は休むことに決めている。しかし朝食は食べなくてはならない。そうしないと力が出ない。寮の食堂が、あと30分で閉まる時間だった。

 ちょっと待っていてくれるかな、と言ってシェノラはそのまま部屋を出た。寝間着のまま大急ぎで朝食を食べて、おにぎりとサンドイッチを買う。買うといっても余りもので作られたものなので値段は安い。少女と自分のお昼の分を買い、そこに水を追加して部屋に戻る。

「待たせたね」

 少女は、今度は床に降りてうろうろしていた。上半身は裸のまま机を叩いてみたりベッドの下を覗き込んだりしている。少しの間シェノラはその様子を見ていたが、シェノラが帰ってきたのに気づいて目が合うと少女に寄っていく。

 そこに携帯端末の音が響いて少女はびくりと身体を震わせた。

「ごめんごめん」

 少女に近づきながらシェノラが確認すると三通のメールがあった。一つは今来たものでアカリからだ。

 講義に来ないことの心配と少女の状況を報せて欲しいとある。そろそろ講義が始まるからとシェノラは今のうちに、「講義は休む。少女は問題ない」と書いて送信する。あとの二通のうち一通は仁美からだった。そしてもう一通は知らないアドレス。とりあえず仁美からのものを開いて、足が止まった。

 伊織・奏がシェノラに会いたいって。アドレス教えといたから。

 そういう意味の言葉が書かれていた。シェノラはすぐに知らないアドレスのメールを開いて確認する。それは紛れもなく伊織・奏からのものだった。

『また会いたい。時間が空いている日はある? 市街区画で』

 簡潔なものだったが言いたいことはこの上なく伝わる。

「まさかデートのお誘いじゃないだろうね」

 どうして自分に。まさか昨日のことだけで? だが、驚くと同時に昨日の会話も思い出す。伊織・奏はそういうことにはひどくうとくて、男女関係も意識していないと。だったらいい機会ではないのか。戦闘機乗りと知り合いになるだけでも他の人にはない経験だ。エンタングルのことももっとよく聞けるだろう。

『今日は無理なので明日の』

 明日の講義はどうだろうか。16時まで。

『17時からなら大丈夫だよ。中央の広場で待ち合わせでいいかな』

 そう送り、送ったところで我に返る。少女は椅子にのぼり、椅子をくるくる回して遊んでいた。目が回らないだろうか。

「ねえ、」

 言いかけてシェノラは気づく。この少女にはまだ名前がない。それでは呼びづらいし、何かつけないと。何がいい? 少女を見る。白い翼に白い髪。見れば見るほどハクに似ているように思えてくる。でも、それを思わせるような名前はつけたくなかった。彼女は人だ。そう言いたかった。

 なにか手がかりはないか。部屋の中を見て考える。机、椅子、ベッド、本、本棚、だめだ。本も専門書ばかりでタイトルにするには相応しくない。あとは羽毛くらいだ。

「羽毛……翼……飛ぶ……空……」

 それくらいか。

「じゃあ、ソラだ」

 シェノラは少女に向けてその言葉を放つ。少女は椅子をとめてシェノラを見る。シェノラは人差し指を少女の胸に当て、「ソラ」と言う。少女は首を傾げるだけだがシェノラは根気強く繰り返す。

 十回くらい繰り返しただろうか。少女は、ソラ、と呼ばれて反応を示すようになっていた。呼ぶと顔を上げてシェノラの方を見る。その動作にシェノラは刷り込みという言葉を思い出さずにはいられない。

 次にシェノラは、自分に指を向けて「シェノラ」と発音した。ソラは首を傾げている。その音がどんな意味を持つのか分かっていないのだろう。

「シェ・ノ・ラ」

 ひとつひとつ言葉を区切って発音すると少女はシェノラの様子をまねし始めた。口を開いて閉じて、音は出ていなくても口の形は同じになっている。さらに人差し指でシェノラを指しながら口の形を作っている。

 もしかしたら声が出せないのではないか。シェノラはそのことに思い至った。だったら繰り返すのも酷なことじゃないのか。名前は覚えてもらったようだしそれでいい。

 一つの難関をクリアした気がして、シェノラはようやくソラが裸でいることに頭が回る。慌てて自分の下着を漁るも、肌着は大きく太腿まで隠れるし、パンツはサイズが合わない。学院では売ってないだろう。今日はシャツだけにして、パンツは明日買いに行くか。

 本当は背中が開いている服の方がいいのだろうがシェノラはそんな服は持っていない。ソラを椅子から降ろしてできるだけ大きい半袖のシャツを着せる。なんとかワンピースに見えなくもない。外に連れ出す予定もないしこれでいいだろう。

 一息ついたところでシェノラはおにぎりとサンドイッチを出した。台所からコップを持ってきて水を注ぐ。その様子をソラはじっと見ている。

「おにぎりとサンドイッチ、って言っても分からないか。水は飲めるよね」

 ソラはコップをじっと見ている。シェノラは、もう一つコップを持ってきて水を注ぎ、こうすればいいんじゃないだろうかと、手に持ったコップを口に運ぶ。こうすれば真似するだろうか。予想通りソラはコップを口に当てる。そのまま固まる。飲まなきゃいけないか。口を開いて水を流し込む。ソラも真似をして、口の端から水がこぼれ落ちた。

「ひぃい」

 慌てて口からコップをはずすとソラもはずす。その時、ごくりと喉が動いた。それからコップを持って、今度はこぼさずに水を飲む。

 よくできた。その光景をシェノラは微笑ましいと思う。布巾でこぼれた水をふいて次はおにぎりに手をのばす。口に運んで少しずつ噛んで飲み込むと、ソラも同じようにした。


 おにぎり一つを食べ終わるとサンドイッチも食べ、お昼の分が残り少なくなってしまった。

 だが、どこまで教えればいいのだろうか。この部屋にいる限りは問題ない。外に出ていくのなら――自分の行動をまねするのならばそれも考えておかなくてはならないことだ。その翼も何のためについているのか。まさか飛べるのか?

 疑問は尽きないが明日は講義を受けなくてはいけない。明日は一日アカリに預かってもらえば……でも甘えたくないし、言い出しっぺの自分がどうこうする問題だろう。何か、この部屋から出ないようにする手段はないのか。

 さんざん迷った末に本棚をバリケード代わりにすることにした。本をすべて出して横倒しにし、入口に高さ1mほどの壁ができる。シェノラなら簡単に乗り越えることができるがソラの身長では無理だ。少し目を離したすきにいなくなってしまっても困るので、このままにしておくことに決めた。

 これからどうしよう。とりあえずソラの定位置をベッドにする。ちょこん座る姿はやはり普通の子どもとは違うように見える。今度はその視線はシェノラに注がれていた。しかしシェノラは他の事に夢中で気づかなかった。

 ソラがどこから来たのか探したい。携帯端末に「人 翼」で検索をかけると、最初に「天使」が表示された。ページを表示すると、そこに出ていた絵はまさしくソラの見た目と同じだった。人は、少女のものもあれば大人の男性のものもある。しかし説明文には宗教上の存在と書かれ、実在したという記録はない。それに、造られた存在なら、これをモチーフにしたと考えるのが自然だろう。

 今度は飛鳥内の怪しい所を探す。とはいっても、掲示板を片っ端から探して、白い少女の姿を見てないかとかハクについての噂を辿るとか、電力使用がおかしい所がないかというのを探すだけだったのだが。もちろん何も出てこない。

 今度は生物関係。人の身体に翼があるということは、基本的な脚部が6本あるということだ。鳥の場合、翼は腕である。ではソラの場合はどうなのか。腕がもう一対ある? それなら説明はつくが、それだと人と言えるのか。もはや新種の生物と言った方が正しいのではないか。

 そんなものを造れるのか。まずそこからが問題だ。関係がありそうな論文を漁ってみると、人の身体はけっこう自由に作り変えられるらしい。ただしハクの場合は身体強化が主で翼をつけるような人の範疇から外れることはしていなかったらしい。そもそも、そんなものを造っても意味はない、というのが本音みたいだ。

 とするとソラが生まれてきた意味とはなんなのだろうか? 鳥の翼では高高度は飛べないようだし、あとは愛玩くらいか――

 ばさばさと音がして顔を上げると、ソラが落ちていた本に手を伸ばし、開いたり閉じたりして遊んでいた。

「あーあー、待って、やめて」

 手当たり次第に本をめくっては適当なところを開き、閉じる。シェノラはその手を押さえてやスマッシャーせる。ソラは、不思議そうな顔でシェノラを見た。

「何か目印があるかもしれない」

 シェノラは思いついた。タグが埋め込まれていたりマーカーがついていたり、ソラの身体にも手がかりがあるかもしれない。そもそも身体を探るのは最初にやっておくべきだった。少女だから安心していた。

「ソラ」

 少女に呼びかけるとシェノラの方を向く。

「ちょっといいかな」

 ソラをベッドに連れて行き、頭を撫でる。髪を梳く。その動作に付随して頭に何か埋め込まれていないか探る。上から見てみて白以外の色が無いか探す。今度は膝の上に座らせて身体に変なところがないか探す。シャツを脱がし、翼の付け根を見てみる。――嫌がって逃げられてしまった。それでもソラは正面を向く。白い裸体におかしなところはない。きちんと人の形をしている。

「背中も見てみたかったなあ」

 いつも翼に隠れている場所に何かあるかもしれない。軽い気持ちで言ってみた。

「ソラ、後ろ向いて」

 後ろを向いた。え? 反応がある。さっきまでとは違う。

「翼、開いてみて」

ソラは翼を開く。その背中も白。何もない。タグが隠れているような不自然さもない。

 じゃあなんなのだろうか。いきなり言葉に反応して、コップもすぐに使えるようになって、学習能力が高過ぎはしないか。本当に、一体なんなのだ。

「ああ、どうしよう」

 シェノラはベッドに倒れこんだ。伸びをすると睡魔が襲ってきて、眠ってしまった。


 アカリがシェノラの部屋に来たのは18時。講義も終わって連絡しても返事がなく、少し心配だ。

「シェノラ? いませんの?」

 ドアをノックしても返事がない。ノブを回すと、鍵がかかっていない。開いた。

「大丈夫ですの?」

 明かりはついたままで、なにやらがさごそと音がする。正面、リビングと寝室を隔てる扉は開いており、奥のベッドにシェノラが横になっている。

「寝ていただけならこの音は……」

 横倒しになった本棚を発見する。その向こうには本が散らばっていた。

「シェノラ?! 本当になにがあったのです――」

 駆けだしたアカリの眼前になにかが躍った。ばさり、と音を立てて器用に本棚の上に立つ。すると、目線はアカリよりだいぶ上になった。

 少女の裸身がアカリの目に飛び込む。翼はいっぱいに広げられているが、ほとんどは壁に阻まれて見えていない。アカリが逆光の中で見たのは股の隙間から差し込む光と軽く前かがみになってこちらを見下ろす小さな無表情な顔。

 あまりの事態にアカリの脳の許容量が閾値を超えた。何も言えず固まってしまう。

 少女は翼を畳んで本棚から飛び降り、着地の衝撃で足を滑らせて前に倒れた。

「…………」

 その音でアカリは我に返る。これは昨日の少女だ。翼があるのは分かっている。ならば飛べてもいいだろう。そうです、飛べるのは自然です。

 そこまで考えてからアカリは現在の状況を察する。外に出ないように本棚を横にしてバリケードを作ったはいいものの、寝てしまってあとは少女のするがまま、飛べるのでバリケードも関係ない、といったところか。

「だ、大丈夫ですか?」

 少女は翼を畳み、両腕で身体を起こす。鼻の頭が赤くなっている。それだけですんだのは幸運だが可哀想でもある。

「ちょっと待ってください」

 ポケットからハンカチを出し、洗面所で濡らして少女の鼻に当てる。こうすれば痛みも早くひくだろう。

 それよりこの部屋の住民はこの中でも起きないのか。

 シェノラを起こそうとアカリは部屋に入る。本棚を乗り越えるのは少し苦労したが、今日はパンツスタイルだったのでよかった。スカートスタイルだったら無様な格好になってしまうところだった。

 本棚から降りたところで、落ちていたシャツを踏む。半袖はこの季節には少し早い。あの少女に着せていたものでしょうか。裸のままで放っておくことはないだろうし。手に取って広げてみる。やはり自分より大きい。どことなく胸の部分が膨らんでいるのには少し嫉妬を覚える。

「あの……、」

 少女を呼ぼうとして気づいた。そうだ、名前がない。シェノラはそれに気づいて名前をつけているのでしょうか。分からない。だったら起こした方が手っ取り早い。

「シェノラ、起きなさい!」

 アカリがとった行動は単純。シェノラの身体をベッドから引きずりおろしたのだ。

「っ、――!?」

 たまらず目を開くシェノラ。だがアカリの顔が目に入ると安心したように笑う。

「講義はどうだった?」

「どうなった、じゃあないですわよ! 早く状況を説明してください。あの少女の名前はなんていうんです!」

「……ソラ」

 寝ぼけた頭で答えて身体を起こし、シェノラはそういえばソラがいないと気づく。

「ソラ、こっちに来てください!」

 アカリの声で目が覚めてくる。ソラを呼んでる? でも……

 ばささっ、という音で本当に目が覚めた。翼の音。本棚の上に立っているのはソラだ。その背中には翼が広がって――

「飛べるのか、あれ」

 飛べるとは思わなかったというのがシェノラの本音だ。鳥についての資料はほとんどなかったが機械ならいくつか例があった。それによると、羽ばたきによって身体を支えるには軽い必要があり、かつ大きな動力とそれに耐えうる構造も必要だと。

「ソラ」

 シェノラが呼ぶと少女は彼女のもとに歩いてくる。

「懐かれていますわね」

「そうなんだ。可愛いだろう」

「……たしかにそうですけど、この部屋の惨状を見てもそう言えるのですか?」

 本は大半が崩れて床に散乱し、机の上に置いてあったおにぎりとサンドイッチは消え、空のコップが倒れて水が床にこぼれている。本の中には踏まれて歪んでいる物もあった。

「ま、いいんじゃないかな」

「本気で言っています? それ」

 手に持ったシャツを見せる。

「あ、着せるの忘れてた。寒くなかったかな」

「寒くなかったかな、じゃないですわよ。きちんと説明してください」

「……といっても、ご飯食べさせて服着せただけなんだけど。飛べると思わなかったし」

「私もそうですわ。それに関しては同意します。だとしても眠っているなんて、部屋の外に出ていたらどうするつもりだったんです。もう!」

 そう言いながらアカリは部屋を片付け始める。この部屋はさすがに見ていられない。本棚を立て……られない。やっと斜めにすることはできるが後が続かない。このままだと、力が続かなくて倒れてしまうだろう。

「シェノラ、手伝って、ください」

「えぇー」

「バリケードの意味が、ないのですから、無駄、ですわ。それより早く……」

 シェノラはアカリの頭の上まで手を上げ本棚を押した。アカリにかかっていた重量がぽんと消えてドアが通れるようになる。

「ふう……」

 次にアカリは散らばっている本を棚に戻す。それを見ていたソラが真似をして本を拾う。つられてシェノラも本を棚に戻す。二人の様子にアカリは身震いがする。ソラ――翼をもった少女はいったいなんなのだろう。人のやっていることをすぐに真似をするしきちんとできている。まるで意味が分かっているかのようだ。

 作業の中、シェノラがアカリに声をかけた。

「ねえ、明日、講義が終わったらソラを預かってもらえないかな。色々買っておきたいんだ」

「それなら私が」

 言いかけてアカリは気づいた。これはいい機会だ。シェノラに邪魔されずにソラのことを調べることができる。多少のことをしても問題ない。

「いえ、分かりました。引き受けますわ」

「そう? 助かるよ」

「何か注意してほしいことはありますの?」

「言葉がしゃべれないってことくらいかな。わたしもよく分からないんだよ」

「では、調べておきますわ。――明日も休むんですか?」

「さすがにマズイと思っているよ。ソラは置いて行く」

「何か起きても知りませんわよ」

「その時は何とかするさ」

 どうにかできないと思うからこう言っているのだが。でもこれ以上は言えることがない。

 今日はこれまでにしてアカリは自分の部屋に帰った。明日、どうしようかとわくわくしながら。


 翌日、シェノラは17時ちょうどに広場に辿りついた。円形の広場には噴水やベンチがあって、他にも待ち合わせの人や学生、手を繋いで歩いている人たちがいた。

 その中にチューリップを逆さにしたような頭全体を包む帽子をかぶった人がいる。他より頭一つ抜け出た位置にある帽子は、薄い青と深い青が交互に縦になって頂点で収束している。ズボンは灰色で上は水色のシャツ。なかなかシェノラの好みだ。彼はぼうっと空を見上げていて、帽子の中から白い髪が垂れた。

「いお――」

 名前を呼ぼうとして止める。本人じゃなかったら? それに、名前を聞かれて伊織・奏だとバレたら?

 携帯端末を出してアドレスをコール。同時に、帽子の男が端末を取り出して耳に当てた。

『シェノラです。空を見ているのは伊織さんですか?』

 帽子の男がこちらを見た。やっぱり伊織・奏だ。そのまま近づいてくる。

「やあ、シェノラ」

 耳に端末をあてているところが彼らしい。シェノラが端末をしまうと、同じ動作でポケットにしまう。

「じゃあ行きましょうか、伊織さん」

「奏でいいよ。その代わりシェノラって呼んでいいかな」

 これが基本になるのだろうか。それはやりづらい、とシェノラは思う。自分も男女の心の機微はあまり分かっているとは言えない。それでも小説や漫画を読んで、恋をする男女を見て、憧れたこともあるのだ。そういう気がないと分かっていながらもこういうふうに言われるのはこそばゆい。

「まあいいです。……そのかわり、わたしは敬語を使わないでいいでしょうか。堅苦しいのは苦手、というよりすぐに地が出ちゃって……」

「いいよ」

 軽い。言葉のひとつひとつが雲のようだ。そんなことを言っているけど本物の雲を見たことはない。でも映像で見たものは青空に漂っていて呑気そうだった。

「そういえば東堂さんは来ないのかな」

「今日は来られないんだ。一緒の方がよかったかな?」

「そうだね。でもシェノラがいるならいいけど」

 ううん、どうも調子が狂う。とりあえず買い物をしよう。

「どこか行きたいところはあるかい?」

「とくにないよ。それより話をしたいんだ」

「ええっと、わたしは買い物があるから、買い物と会話と一緒にというのはどうかな」

「じゃあそうしよう」

 さあどうしよう。第一に買うものは少女用の下着。どんな目で見られるか、考えるだけで顔が赤くなる。

「じゃあ行きましょう」

 今更ながらに自分もきちんとした服を着て来るべきだったと思う。暗めのジーンズと黒いジャケットは地味すぎる。赤茶色のベルトと水色のシャツがアクセントになればいいけど。

 シェノラが歩き出すと奏は横に並んで、話しかけてくる。

「何を買うんだい?」

「服です。……従妹の」

「何歳?」

「7歳」

「…………」

「…………」

 会話が続かない。そもそもあの時の会話はほとんどアカリと仁美が喋っていたのだし、ちょうどエンタングルが来て話の流れがそうなったからシェノラでも会話が続いていたのだ。

「じゃあさ、エンタングルについて話すのはどうだい。一昨日もそうだったじゃないか」

「話せるならいいんじゃないかな。エンタングルと言えばあのエンタングルは騒ぎにならなかった?」

「連携するエンタングル、のことだね。エンタングル行動学の教授が大騒ぎしていたよ。あんなことは初めてだ、エンタングルは学習能力があるんだ、ってね」

「そうそう。兵装部でも対策をしないといけないって、隊全体で連携をとって戦うようにって言われたよ。向いてないんだけどな」

「話を聞く限りだと、そうみたいだね。でも飛んでいる姿は格好いいと思うよ」

「それはよかった。でも、連携を取れないのはうちの隊全体だから」

 いきなり隊と言われても反応に困る。

「えーと、それは?」

「雷土隊。ぼくを含めてだけど個性的な人が多いんだ。隊長と暁はよくやっていると思うよ」

 自分が個性的だと自覚しているなら直せばいいのに。そうすればもっと親しみやすいんじゃないのか。自分も個性的であることを棚に上げてシェノラは思う。

「どんな人がいるの?」

「今日、久しぶりに話をしたけど、ぼくと倉橋と暁の他は、エンタングルを恨んでいる人と戦闘機が好きな人と狙撃がうまい人と強い人かな。隊長が強い人」

「へ、へぇ」

 全く分からない説明だ。それとも名前を言ってはいけないのか? でも勇者となったら名前も顔も出るし、秘密にする意味がない。それと、さりげなく仁美が入っているのか。

「皆、飛ぶのはうまいから、初めから連携を目指す動きはしないからね。暁は行き当たりばったりだって言っていたよ」

「そこは適材適所とか臨機応変って言うところじゃないのかな」

「さあ……ぼくは、」

 奏はそこで言葉を止めて、

「そうかもしれないね。覚えておくよ」

 道を曲がる。そこが店だ。

 シェノラが行こうとしているのは一般的な量販店だったが、そういう場所でも服は男女でスペースが別れており、特に女性の下着売り場に男性がいるのは好ましくない。

「ちょっと待っていてくれないかな。男が一緒だと、やりづらいんだ」

「そうなの。じゃあ待っているよ」

 奏はいきなり立ち止まった。待っている、と言ったのはここで待つという意味らしい。

「違うよ。こんなところで待っていた方が目立つ。――来て」

 シェノラは奏の手首を握り、引っ張るようにして連れて行く。

「買うのは服なんだ。女性もののところに男がいるのは不自然だろう? 待っているなら自分の服でも見ていたらいいんじゃないか」

「そうなの。じゃあそうしていようかな」

 服売り場は一階にあった。奏を男性のスペースに残し、奏はソラの服を買いに行く。できるだけゆったりとしたものが欲しい。できれば背中が開いているといい。なかったら、自分で繕うのもいいか。やったことないけど。

 翼はどこから生えていたっけ。思い出しながら選んでいく。肩まではなかったはずだ。肩甲骨のあたり? それでも結構広く開いていないといけない。

 どうにか上を選ぶと適当に下を選んで会計を済ませる。支払いは携帯端末でできるから便利だ。

 そして男ものの服のスペースに行くと、奏は一つの服を見ていた。全体的にゆったりとしていながらも引き締める部分は引き締める。スタイリッシュになっていても名前から滲み出る一定のアレな感覚はごまかせない。ジャージだ。しかも藍色。

「気に入ったの?」

 奏は無言でうなずく。

「じゃあ着てみたらどうだい。あっちに試着室があるよ」

 そう言って、シェノラは奏とジャージを試着室に放り込む。数分後に出てきた奏を見てシェノラは笑いを堪えざるを得なかった。

「似合ってないよ」

 サイズが一回り大きなジャージは袖と足の長さに合っているものの、胴が余っており幅も広すぎる。おまけに変装のつもりか帽子もかぶったままで、通り過ぎる人がちらりと見ては口元を押さえている。

「戻して」

 シェノラは言い放ちカーテンを閉めた。がさごそという音の後、すぐに奏が出てくる。手にはジャージがぐったりしていて、どこか名残惜し様子でそれを見ている。

「ねえ、その服、誰のもの」

 シェノラは奏が着ている服を指差す。帽子をかぶり続けていることといい、一昨日とは印象が違いすぎる。着ている服とセンスが違うなんてことがあるだろうか。案の定、奏は仕込んだヤツの名前を吐く。

「暁に貸してもらったんだ。倉橋が、シェノラにはこれがいいって選んで」

 あとで文句を言うべきか。でもそのおかげでひどい私服(推定)と一緒に歩かなくて済んだと思うと感謝するべきだろう。この分だと服装以外にも色々仕込まれていそうだし。

「じゃあわたしが選んでいいかな」

「いいよ。任せる」

 軽く奏が笑いを口に浮かべた。

「任せられた」

 そう言うシェノラの口元も自然と笑みを作っていた。

 さて、どうしようか。適当じゃ駄目だ。今の奏の服を参考にさせてもらおう。細身で腕や脚の長さが強調されて、青をベースとした明るめの服。パンツは女性ものでも似合うかもしれない。女性用のものを探すと、カーゴパンツにちょうどいい色が見つかった。鴉の濡れ羽色というのだろう、少し青みがかったつやのある黒。

「ここ、女性服売り場だけど」

「いいんだよ」

 ついてきた奏が不安そうな声を出す。シェノラは腕にパンツを下げながら、今度は男性服に戻ってシャツを見る。下が黒ならより引き締まって見えるだろうし上は明るめがいいだろう。十数分迷った挙句、灰色交じりの水色になる。それに赤茶色のベルトを合わせて終了。ベルトは、自分がつけているのと同じものを選んだのは秘密だ。

「ありがとう。じゃあ着てみようか」

「今?! いいよ、あとで感想を送ってくれれば」

「いいのいいの。ぼくが着たいんだから」

 そう言うと、シェノラの手から服を取り、さっさと会計を済ませて試着室に入り着替えてくる。手には服が入っていた袋。着替えたものが入っていた。

「どうかな」

 我ながらいい出来だとシェノラは自賛する。だが他の人の判断も欲しい。

「あとで仁美に見てもらって、その感想を送ってくれないかな」

 言いながら写真を撮る。あとでアカリに訊いてみよう。

「分かった、そうしよう。……それで、そろそろ会話をしたいんだけど」

 控えめに奏が口にする言葉に、シェノラはそもそもの目的を思い出す。買い物に夢中になって奏を放置してしまっていた。今は18時。そろそろいい時間だ。

「じゃあ、食事にしないか。その間に会話をして。場所は行きたかったところがあるんだ」

「いいよ」

 シェノラは携帯端末に保存してあった地図を出す。所要時間は15分。そして、30分かかるルートを検索する。その中からできるだけ遠回りだと悟られない物を選んだ。

「じゃあ行こう」

 再びシェノラが歩き出す。遅れて歩き出した奏が一歩で隣に並ぶ。早い、とシェノラは奏の方を見る。自分が選んだ服におかしなところがないか探してしまう。そうしていると、奏がだいぶ注目されていることに気づいた。帽子の端で揺れる白い髪、ほっそりとした顎と小さく笑みを浮かべる口。顔がよく見えなくてもこれだけで人目は引くのだ。

「会話だけど、さっき途中で切れちゃったエンタングルの話でいいかな」

「うん、いいよ。何が訊きたいの」

「さっきの続きでいこう。エンタングルに対抗して連携を取った訓練をするんだっけ?」

「そう」

 奏はうなずく。どこまで話していいのか、どんなことを話せばいいのか、どうしたら楽しんでもらえるか考えながら。

「さっきも言ったかな、ぼくたちの雷土隊は個性的な人が多いんだ。それで、いつも担当の時間は哨戒と個人練習になっているんだけど、いきなり合同で連携を、って言われても無理なんだよ。エンタングルに対して個人で対応できるだけの技量はあるから各個撃破でいいと思うんだけど。そういうことはどんなふうに勉強するの?」

「今日の講義か。昨日は騒いでいるだけでてんで講義にならなかったみたいだけど、エンタングルに知性があるかもしれないって確認されたのは初めてで、生物だとか機械だとかっていう論争が勃発してるよ。わたしたちはどうやって連携を取っているのかその手段を解析しろってさ。意思の疎通を行うには何らかの方法がある、それが光子的なものじゃないか、って」

「それを突き止めれば、その方法を潰せばいいわけだよね」

「それより核を破壊した方が早いんじゃないか、って教授は言っていたよ。そういう器官はたいてい内側にあるって。それより、もっと厄介なことはあれより強いエンタングルが連携を取ることだって」

「そうだね」

 奏は思い出す。いつも来ているのはほとんど三種類だが、まだエンタングルには種類があるということを。

「カレイドスコープ。年に数回しか現れないエンタングルもいるよ。しかも出現するのは夜だから、ぼくもあまり戦ったことはないんだ」

 エンタングルはほとんどが昼間に現れる。光が多い方が彼らの有利になるから、と考えられているが真実は定かではない。だが、観測の統計上ではほとんどのエンタングルは日中に現れている。

「じゃあ、そのカレイドスコープってのは強いんだ」

「強い。月影隊の訓練の半分はそいつへの対処だって言われるくらいにはね」

 それがどれくらいの強さなのか知らないが、カレイドスコープとは自分も知らなかった名前だ。講義でも聞かない。というか自分が学んでいる範囲の学問ではエンタングルとひとまとめにされてしまっているのだ。

「ねえ、エンタングルごとに形が違ったり特徴があったりするけど、エンタングルって本当にエンタングルっていうふうに一括りにできるものなのかな。たとえばさ、人も猫もタンパク質でできた身体を持っているけど、身体の作りは違う。あの自動タクシーだって機械の塊だけど戦闘機だってそうだ。構成している素材は同じでも構造は全く違うんだ。エンタングルは光学的活動体かもしれないけど同じ種類の活動体とは限らないんだ」

 シェノラの脳はしゃべっているうちに白熱してくる。思いついたことは一旦無意識の内にふるいにかけられ誤っていないか精査し、それを通ったものが口から滑り出す。

「とすると核っていうのは唯一のエンタングル全体に共通する構造かもしれないんだ。それを解析した例はほとんどない。戦闘機に機材を持ち込んでなんとか破壊される前の一瞬の状態しか観測できていないんだ。――どうにかしてできないかな!」

 奏を見るシェノラの目はぎらぎらと輝いていた。勇者と呼ばれるほどの技量があれば可能なのではないかと期待している。

「それは無理」

 だが、奏は断言した。

「どうして」

「シェノラはエンタングルをどうやって倒すかは知ってないみたいだよね。エンタングルは超近距離か遠距離か、どちらかで倒すんだ。しかも近距離の場合は一瞬で通り過ぎてしまう。ぼくの嵐剣はマッハ4で飛ぶよ。それでどんな計測ができるの?」

「それでも何か方法はないのか? 遠距離からでは反応や細かいところが観測できない。せめて戦闘機が取得している映像を見せてもらえないのか」

 普段の戦闘はいくつもの衛星によって撮影されている。戦闘機の機動を捉えられるとは非常に精度の高い撮影機だが、いかんせん距離がありすぎる。自分の見たいものが撮影されるとも限らないしほとんど戦闘シーンしか撮っていない。個人で衛星を上げるのは禁止されている。

「戦闘機には余計な重量を積む余裕はないよ。感覚も変わってしまうからね。だから戦闘機に撮影機は必要最小限のものしかない。その映像は色々な秘密を撮っていることもある。だから無理だよ」

 そこまで言われて、ようやくシェノラの頭は冷えてくる。奏の語調が少し荒くなったのも理由の一つかもしれない。

「ごめん」

「何が?」

「自分の言いたいことをばかり言っちゃって」

「そうでもないよ。面白かった」

 気遣わせてしまっているとシェノラは感じた。戦闘機に機材を積めないのか、戦闘機乗りの状況を考えれば分かることだ。もうしたくないし、そんな自分を見せてしまったのが恥ずかしい。――さらに考えれば、奏に気遣いなどできるはずがないということに気づくのだが。

 失態を取り戻そうと気合を入れるシェノラと対照的に奏は気楽なままだった。他人の意見を聞くのは楽しい。お互いに話したことが帰ってくるのだ。考えていることが同じよりも違う方が会話が続くから、さらに楽しい。

 シェノラと一緒だと考えることがいっぱいあっていいな、と思う。こうして出てきてよかった。

 そうしているとシェノラが足を止めた。目的地に着いたのだ。ちょうど会話が途切れてしまったところでよかった、とシェノラは思う。

「『珍清川館』?」

「そう。量が多いので有名な店なんだけど、女性だけだと来づらくて」

 中に入ると熱気が充満している。ちょうど食事時なので人がいっぱいだが待ちはなかった。かなり大きい店舗を四階まで使って人を入れているのだ。厨房は各階にあって、注文から運ばれてくるまでの速度も遅いことはない。

 空いているテーブルを適当に選んで、さっそくシェノラは注文する。奏は、どれがいいのか分からずメニューの上に視線を滑らせるだけだ。そうしていると、シェノラが一緒に頼んでおいたと言った。注文はテーブルの固定端末に打ち込む方式で、会計もそれと個人端末を使って行われる。

「何を頼んだの?」

「秘密」

 そう言ってシェノラは笑う。それから話を戻す。

「エンタングルだけどさ、連携を取るようになって戦いづらくなることはありそうかい?」

「分からないよ。仮象訓練装置に複数で襲う場合のプログラムをエンタングル仕様にしてみたけど、それが実戦で通用するかは別だしね。エンタングルは人じゃないけど、戦闘機相手に訓練をしていた方がいいのかもしれない。――ねえ、講義のことを聞かせてよ」

 シェノラが自分から話の方向をふってくる。シェノラは少しうれしくなる。

「そうだね……今日のエンタングル行動学のことを話そうか。エンタングルが連携を取るということは意思の疎通がある、ってのはさっき話したね。その上でどう行動しているのか、目的は何か、っていうことかな。目的は飛鳥を攻撃することだった、っていう結論だけどどう思う」

「それで間違いないと思うよ。それに、ぼくも一つ思い当たることがあるんだ。前にエンタングルと戦ったとき――倉橋が30秒持ちこたえた時だけど――グラスプがメルトブルーの身代わりになったりメルトブルーがグラスプの中に入ったりしたことがあったんだ。それも関係があるのかもしれないね」

「エンタングルがエンタングルの中に入った!?」

 奏にとっては敵の戦略の一つだったかもしれない。しかしシェノラにとっては貴重な情報だ。それどころか、エンタングル生態学の教授が聞いたら興奮で失神するような出来事だ。

「そうだよ。でもぼくらの戦闘は必ずしも中継されているとも限らないんだ。衛星が撮影できる範囲にいないこともある。ぼくたち戦闘機乗りも、最終的にエンタングルを倒せればそれでいいからそんなに変わった行動じゃない限りは気に留めないんだ。こうしてシェノラが話を聞いてくれるからそういうことに気づけるんだよ」

 自分が奏の役に立っているようでシェノラは嬉しくなる。

「そうかな。だったらもっと面白いこともあったからそれも話そうか」

「どんな話?」

 口を開こうとしたシェノラの目の前に皿が置かれた。

「盛り上がっているね、お二人さん。でも料理は冷めないうちに食べてほしいもんだ」

 ウェイトレスというのか。中華服を着た女性が、カートに乗った皿を机に移していく。どうやら話に夢中で来たのに気付かなかったらしい。

「あ、すみません」

「いえいえいいのよ、お客様ですからね」

 文句を言いながらも並べる手際はいいもので、十数はある皿が20秒も経たずに余ることなく机に乗った。箸やスプーンを置くスペースもきちんとある。

「ごゆっくりー」

 一言を残してウェイトレスは足早に去っていく。これからも様々なものを運ぶのだろう。そう思いながら料理に視線を移すと、奏が顔を近づけながらメニューの写真と見比べていた。

「これが餃子でこれが点心、これは……海老炒飯?」

「そう。食材の半分くらいは合成だけど、本物も混ざっているよ」

 奏はこんなに種類のある食事を初めて見た。共同住居で出される食事は色々あるが、奏は一種類のものしか食べていなかった。小さいときはいくらか幅があったかもしれないが、今は固定されている。特にそれしか食べられないというわけではないから、これらも食べられるのだが。

「それで、どれを食べたらいいのかな」

「え? 好きなものを食べればいいんじゃないか?」

 そう言われるのが一番困る。好き嫌いという考え方はシェノラにはあまりない。食物に関してはとくに食べられないものはないし、味も食べられるか食べられないかの基準にしかなっていない。

 こういうときはどうすればいいか。暁は、判断は相手に任せるようにしてうまく誘導しろ、と言っていた。

「シェノラはどれが好き?」

「特にと言うならこの水餃子かな。スープと一緒に食べるといいよ」

 奏は、スープにひたされた白い塊に手を伸ばす。スープには細く切られたオレンジと緑色の野菜が浮いていて、しょっぱい香りが漂ってくる。

 奏はそのお皿ごと手に取り、取ったところでシェノラに腕を掴まれた。

「そうじゃないわ。このレンゲですくうの。いただきます」

 そう言ってシェノラは据え置きの食器箱からレンゲを取り出し、スープと餃子と野菜を一緒にすくって口に運ぶ。口の中に野菜と魚介の旨味が広がるのと同時に歯が餃子の皮を切り裂き、中から肉汁があふれ出る。一瞬のことだけど、味に差ができてそれぞれの美味しさがより鮮明になる。中には弾力のある触感、大きいシメジが二本入っていて、口の中をくすぐりながら舌全体に味を染み込ませていく。噛むと繊維が割れる感触が気持ちいい。肉は甘い味付けがなされていて、野菜の甘みとともに塩気の中に安らぎを与える。

「美味しい」

 もう一つを口に運ぶ。やはり来て正解だった。残りの水餃子は4個。3個ずつで分けて一つは後にしようとシェノラがレンゲを置こうとした時だった。

「ぼくも食べていいかな」

 奏がシェノラの手からレンゲを取って水餃子をすくい、止める間もなく口に運んだ。咄嗟に手を伸ばしたシェノラはその格好のまま固まってしまう。その様子をおかしいと思った素振りもなく、奏はもう一つを口の中に放り込む。

「美味しいね」

 奏はシェノラにレンゲを返した。同じ数食べたから一旦止める、という意味だったのだが、シェノラには、これで食べてという風に感じた。ほんの一瞬だけだが。奏はそんなことは知らないのだ、と今日で何回目になるかという言葉を頭の中で繰り返す。だったら遠慮することはないか。シェノラは残った2つの内一つをレンゲで自分の口に入れ、あとの一つを器ごと奏に渡す。もちろんレンゲも一緒だ。

「はい、食べちゃっていいよ」

「そう? じゃあ喜んでいただきます」

 器を持ち上げ餃子ごとスープを口に流し込む。一瞬のできごとで、しかもレンゲを使っていない。少しがっかりしたシェノラだった。

 そこから後は一つの料理を半分ずつ食べるといった形式で食事は進んでいった。合間に会話もして、エンタングルと関係のないことにも盛り上がって、奏にとってもシェノラにとっても楽しいひと時だった。暁のこと、仁美のこと、アカリのこと、学院のこと、管制や整備士のこと、お互いに知らないことを教え合って、追加で注文もして、気づいたら20時を回っていた。

「もう料理も食べ終わったし帰ろうか」

「そうだね」

 二人が食べきった量は、通常の人が食べる一食のおよそ4倍。最後の注文の時に至っては料理を運んできたウェイトレスの顔が若干引きつっていた。

 会計は半分ずつ、いや自分が少し多めに出そうかとシェノラが考えていた時、奏が携帯端末を固定端末に当てた。それで会計が済んでしまった。

「え、あれ、払っちゃったの?」

「暁はいつもこうしているって言うから」

 何をやっているんだあの人は。そう思うのも束の間、一瞬だけ見えた奏の所持金額にシェノラは目を疑った。一人の大人が一年で稼ぐ金額を軽く超えている。というか確実にその3倍はある。

 戦闘機乗りはそれだけ稼げるのか、それともあれだけのことをしてこれしかもらえないのか。非常に気になったシェノラだったが、それを口にしないだけの分別はあった。

「じゃあまた」

「また会おうね」

 さらりと次に会うことが確定している。でも、それもいいかもしれない。とにかく今日は疲れた。楽しかったけど。――デートっていうのはこういうものなのかな。帰りに歩く中で思うシェノラだった。

 しかし自分の部屋に戻ってからが一番の試練だった。

 アカリはとっくに部屋から逃走していた。敗走という言葉が一番似合うかもしれない。シェノラの部屋の前で、珍しくパンツスタイルで膝を抱えながら座っていた。シェノラの姿を見るなり、目尻に涙を浮かべながら抱きついてきた。

「なんとかして~! 私の手に負えませんわ~!」

「何をしたのさ」

 部屋の中に入るとソラが裸で飛びまわっていた。床に落ちているのは妙な器具。どこか破損しているように見える。

「何をしようとしたの」

「ちょっと身体を調べようと思ったんですのよ。でも睡眠剤も利かなくて、自然に眠ったところを調べようとしたらあんなふうになって暴れて……」

 とりあえずシェノラはアカリの頭に拳を落とした。神妙にアカリも受ける。

「すみませんでしたわ」

 こちらはこちらで気疲れするけど、少なくとも気を遣わなくていいだけ楽だ。そう思ったシェノラだった。

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