2章 邂逅

 深凪みなぎ・シェノラは後悔していた。大広間の片隅に人が集まっており、なぜか自分はその中心にいる。教授達の目が光って自分を取り囲む中で、他の学生の好奇心を隠せない瞳が自分を射抜いてくる。仲良くなった子も申し訳なさそうな顔で高みの見物を決め込んでいる。ここに味方はおらず、見ず知らずの人が助けてくれるようなこともない。偶然作った縁もない。まさに孤立無援だ。

「さあ、シェノラ君。早くどの専攻に入るか決めてくれ」

 大きくため息をついても教授達の態度は変わらない。むしろ、そんなものは慣れっこだと言うようにさらに威圧を大きくしてくる。

 どうしてこんなことになったのか。始まりはこの日の講義だった――


「……ですので、エンタングルは光子を誘導素子として四次元空間を波となって移動しているものと考えられます。その場合、時間の経過は三次元のものに縛られないのか、という疑問も出てきます。ですが波となったことで時間軸の支配を完全に受けるわけでもなく、どちらかと言えば光の方に性質が寄っているのでしょう。ちょっと待ってください。

 はい、出ました。エンタングルが空間跳躍をする時の画像です。ほら、全体が希薄化していますがその中心の核から光が出ていることが確認できますね。この光は螺旋状になっているそうで、エンタングルそれぞれの色と同じだそうです。

 螺旋が何を意味しているのかは研究中ですが、私個人の見解では光子へのアプローチにスピンが関係しているのでしょう。突出の祭も空間に渦ができるということです。渦を巻く方向が一定ならば楽だったのですが特に規則性は無いようです。ですから視点を変えてみましょう。実はスピンにも二種類あるのだとしたら? 物質と反物質のように相反する二事象が常に同居しており、なんらかの形でバランスが一方に傾くとどちらかが表面に出てくるなら? 実験を行っていないので何とも言えませんが私はこの説がお気に入りです。

 ……コホン、画像をもう一度見てください。希薄化している部分はどうなっているでしょうか? 角度を変えてみると、光の当たり具合によって微妙に空間に揺らぎが発生していることが分かります。この正体を掴めたらいいのですが、私は戦闘機乗りの適性がなかったので今も分かりません。推測できるものとしては、一つ目は密度が違う。二つ目は三次元上でも波となっている。三つ目は見間違い。――観測機が正確に事実を捉えられるとは限らないのですからこれは入れておくべきですよ。おっと、ここで時間ですか。

 エンタングルと光が大いに関係を持っていることが分かりましたね。ですからエンタングルという名前を改めて光学怪獣と呼ぶようにすればいいのではないのでしょうか……あれ、笑わないのですか? 遠慮しなくていいんですよ。――はい、じゃあこれで入門講義を終わります。皆さんと本講義で会えることを期待しております」

 エンタングルについての講義だ。この工科学院に来てシェノラが一番楽しみにしていた講義であり、期待に違わずなかなか面白いものだった。特に、エンタングルが光と関係があるのは知っていたがスピンとの関係性を聞いたのはこれが初めてである。

 知識が増え、知識と知識の間が補完されていく瞬間が、シェノラは好きだ。その方向がエンタングルに向かったのは幼馴染の影響である。彼女は戦闘機の方向に進んだが、この世界に足を踏み入れたのだ、どこかで会えるだろう。

「ねえ、シェノラはこのあとの専攻紹介に行く?」

 講義が終わって東堂とうどう・アカリが声をかけてくる。工科学院に入学する女性は全体の二割ほどで、その中でも二人はエンタングル関係の講義をいくつか一緒に受けていたことから親しくなったのだ。他にも女性はいるが、排他的というかあまり仲良くなろうという意思が感じられなかったので、話しかけづらい雰囲気となっていて距離ができてしまっている。シェノラとしては仲良くなりたいが機会がない。

「もちろん行くよ。何時からだっけ」

「18時。遅れないように17時半には着いていたいわ。いいかしら?」

「いいよ」

 工科学院はいくつか存在する専門学院の中の一つであり、入学の難易度で言えば下から三番目ほど。しかし学べる分野は多岐に渡っており、分子機械から建築構造学、量子物理学やこの飛鳥のことまで、知りたいことならなんでも教えてやろうという態度である。

 しかしついていけるかは別。甘い気持ちで入ってきた奴は半年もたたないうちにいなくなる。入学の簡易さに反して中身は専門性が強く、優秀な人員の発掘のために門戸を広げているだけである。やりたいことが見つからないとふらふら入ってきた者は、安住の地を見つけるか流れ去っていくかの二つである。

 その中でも専攻を決めることで本当にやりたいことが深くできるようになる。入門講義はその第一段階であり、入学してから二ヶ月間行われる二次試験のようなものでもある。そして試験結果の発表が専攻紹介であり、本当の入学がその後の専攻決定である。

「あ! 忘れてました!」

 アカリが突然大声を上げた。周囲の学生も少なくなっていたので彼女に注目が集まる。

 その目を気にせずアカリは携帯端末を取り出し画像を再生する。指向性のあるスピーカーは使用者にしか音声が聞こえないようになっているのでわたしは質問する。

「それ、何?」

「さっきエンタングルが出ましたでしょう。その時の映像ですわよ。――あ、ラッキー。今日はカナデ様が出撃したのね! それにこれはアカツキ様かしら。かっこいいですわ~」

 アカリは戦闘機乗りが大好きで、特に奏の熱烈なファンである。少し親しくなってからそれを伝えられて、その時はなんとも思わなかったのだが、エンタングル警報が出た時に初めて見た彼女の興奮は今でも覚えている。不謹慎というよりいっそ清々しくなるほどの喜びを全身で表現していた。目は大きく開いて電流が走ったように背筋が伸び足は床に固定され両手で端末を食い入るように見ていた。

 その後で怖々と、これでも友達でいてくださる? と訊いてきた時に本当にこの子を好きになった。こんなに可愛すぎる生き物がいたのかと抱きしめたくなったほどだ。それを我慢して、いいよ、友達だ、と伝えるとにっこりと笑ったからもう辛抱たまらなかった。

 でもそれ以外にも特徴的なところがあった。実家が金持ちでお嬢様というものらしい。しかしその趣味のせいであまり友達もできず、こうして友達ができて余計に嬉しかったのだとか。エンタングル方面を志望したのも戦闘機乗りとお近づきになりたいとのことで、動機がわたしと似ていたのも気が合った理由らしい。

「で、どうだったの」

「もちろん勝ちましたわよ。戦闘は二回あって、一回目がカナデ様とアカツキ様がグラスプ4体とメルトブルー1体を倒して、二回目は最後にカナデ様が一気に決着をつけたのですよ! クレイドルを切り裂きその勢いでグラスプを2体撃破、メルトブルーは暁様の援護もあって無事に倒していましたわ」

 まるで自分の手柄のように話す。だが、

「でも2回目……逃げているだけの蒼竜がいて、そこにカナデ様の嵐剣が翔けつけたのですわ。3体……途中からは4体のエンタングルから34秒も逃げ切れたのですわよ。あの蒼竜の搭乗者、なかなかやりますわね」

 新たにお気に入りを発掘したようだ。わたしには戦闘の様子を見ても何がどうなっているやら分からない。ただ、34秒というのがかなり粘ったということは分かる。

「へえ……すごいね。その搭乗者、誰だか分かる?」

「ちょっと待ってください。――ああ、駄目! まだ訓練課程を終えていないので非公開だそうです。でも嬉しいことに注目されているようですね。これだけ操縦がうまければすぐにでも訓練課程は終わるでしょうし、楽しみですわ」

 弾んだ声で言う。その様子を見ている人が、5人、6人、何人かいた。もちろんほとんどが男だ。アカリは可愛い。仕草だけでなく外見も。同じ18歳とは思えないほど腕も脚も細くい。西洋系の血が混じっているのだろう、細い髪の毛は栗のような茶色を帯びており、肩を越したあたりまで伸びている。目は大きく鼻も唇もすっとしていて、細く色白の顔にバランスよく配置されていた。

 服だってそうだ。わたしは汚れが目立たず動きやすいようにと暗めの丈夫な服で固めているのに対し(今日はダークグリーンのパンツに黒い長袖のジャケット。アクセントに水色の肌着を着ているが外からはほとんど見えない)。髪は、伸びていると邪魔なので短く切ってあり、今は耳にかかるぐらいだ。癖っ毛なのでこの方が手間もかからなくていい。

 アカリは淡いオレンジから黄色へとグラデーションがかかったワンピースに黄緑色のブラウスを合わせている。髪留めは黄色の花の形をしていて、何の花かと聞いたところスイセンだと返事が来た。

 わたしもあんな格好をしてみたい、と思うことはある。というか毎日会うたびに思っている。しかしアカリほどわたしは可愛くもなければそういう服が似合いもしないだろう。

「ではそろそろ行きましょうか。時間まで散歩でもしましょう。あとで立食パーティーもあるそうなので、少しお腹に何か入れておきたいですわね」

 わたしは立ち上がる。そうするとアカリはわたしの顔を見るために上を向かなければならない。アカリの身長は158㎝。18歳の女性としては平均的だ。対してわたしの身長は169㎝。目線は彼女の髪留めにある。

 並んで歩いているとカップルに間違われることもある。アカリも、告白して(もれなく玉砕して)くる男が減ったと言っている。この格好が彼女の役にたっているなら嬉しいことだが日常でも間違われた時には本気で男装でもしてやろうかと考えた。

「立食パーティーって言ってもお金持ちがやるような優雅なものじゃなくって、最初に食事に群がってあとは入りたい専攻の教授や学生に話を聞くようなものだと思うよ。食事は後から補充されると思うし大丈夫じゃない?」

「そんな席だとしても私ははしたない真似はしたくありません」

「少食を演じる、っていうこと?」

 意地の悪い訊き方だっただろうか。アカリは少し顔を赤くすると、

「礼節を重んじた結果、大食いのように見えたとしても、私はそれを恥とは思いませんわ」

 と言い放った。

 その結果がサンドイッチ3個なのだからかなりお腹が空いていたと見える。この学院の料理はとにかく男性が基準となっているので量は多いしカロリーもそれなりにある。玉子サンド一つにフルーツサンド2つといえども決して軽くはない。わたしはフルーツサンド一つですませた。

 専攻紹介は、各専攻の教授の紹介と実績、その専攻でできることを簡単に話すものだった。自分が入門講義を受けている分野はもう知っていることだったが他にも面白そうなものはある。新たに興味を惹かれたものもあったので満足だ。質疑応答では、講義では聞けないような内容にも及び――プライベートを聞かれた教授は笑い顔で受け流していた――真面目な質問も多く時間が延びていた。中には周囲の人と質問を交わして軽い会議のようになっているところもある。

「どこにします?」

「エンタングル関係かなあ。でも教授は誰にしようか……?」

「それを決めるのがパーティーの役割でしょうね。なんです、まさか私が行くところについて行こうなんて考えてはいませんわよね。自分の進む道くらい自分で決めなさい」

 そう言われても、シェノラはあまり教授には興味がなかった。どうせ講義は全部受けるのだしやることで絞ればあとは大体同じだろう。そう考えていた。

「――あ、質問いいですか?」

 雑談の中でも気になる言葉は聞き逃さない。その様子をアカリが微笑ましげに見ているとも知らず、シェノラは好奇心のままに行動していた。

 そして長かった専攻紹介も終わり、パーティー会場に飢えた獣が案内されてゆく。口輪をつけられたかのような状態で移動していく様子は幽鬼の如し。こうなると、大目に食べていたアカリの判断は正しかったのだろう。

「予定より一時間も長いとはね……」

 温かい食物の匂いが鼻腔と胃を刺激する。肉汁の中の香辛料が唾液を増やす。パンにはチーズとバターが塗られていい具合に溶けている。うず高く積み上げられた緑色は葉ものの野菜だ。さすが学院。

「えぇー、では、これから立食形式の懇親会を行いますが、簡単に場所の確認を行います。私から見て右手の壁際、入口の方から順に人工金属、ハイブリッド繊維、……」

 それが長かった。工科学院の専攻の一角とはいえ30を越す教授が並んでいるのだ。学生はまだかまだかと固唾をのんで待っている。

「……では皆さんの限界も近いようなので、どうぞご自由に食べてください。わたしもいただきます」

 最後の言葉は誰も聞いていなかった。食物に突撃する様子は飢狼のようだ。

「アカリは行かないの?」

「シェノラこそ、あれだけで大丈夫でしたの?」

「あ、あー、大丈夫だよ」

 本当はお腹が空いていたが我慢しよう。それより教授のところだ。

 エンタングル学の場所にはすでに人が集まっていた。講義に出ていた人の数を考えると多くはないが、50は下らないだろう。対して教授は5人。

「シェノラ、どの教授がいいと思いますか?」

「さあ……」

 だがアカリは人の回答など求めていないようだった。やおら飲み物を手に突撃したかと思うと、学生からそれぞれの専門分野について質問攻めにされている教授の話に耳をそばだて、5人の間を何度も往復して情報を拾ってくる。人の和を乱さず踊るように動き回るさまは蝶のようだ。

「ほえー……」

 そこまでしている姿を見ていると、自分も何かしなくてはならない気がしてくる。アカリがなかなか戻って来ないので、シェノラはとりあえず人が一番多い教授のところに向かって足を進める。目立たず話が聴けるだろう。

 しかし彼女の姿は目立つ。狩生かりお教授は新たな客人に対し、彼なりの歓迎をした。つまり突然、議論を吹っ掛けたのだ。

「なあ、そこの黒い少女。エンタングルはどうして我々を襲うのだと思うかね?」

「へは?」

 慌てて口を閉じたが遅い。異様な音を立て、注目はシェノラに集まってしまった。

「さあ、どうしてだね?」

「えぇ、ええと、あの、エンタングルはっ、」

 突然訊かれて、混乱したままのシェノラは口が回らない。その肩を叩いた手があった。アカリだ。頑張れ、と励ましているようで、その手は力強く感じた。すぐに離れてしまったがその重みは忘れない。シェノラは一度、口を結んでから開いた。

「それは、エンタングルは人を襲っているのか、ということが前提なのでしょうか」

「とすると他にどんな前提があるのかね? 戦闘機乗りは、自らの身を囮にして我々を守っているようなものだ」

 シェノラはむっとした。戦闘機乗りの立場を言ったようにも聞こえたが、口は彼らを嘲笑するように歪んでいた。シェノラの口調は固くなる。

「それではエンタングルが人のみを襲うということの証明にはなりません。戦闘機や飛鳥など、人が開発したものに狙いを定めているという可能性も否定できません」

「ならばどうして襲うかについての推論は? 人を襲う、というのは、彼らの形状が人のパーツに酷似しているから、という理由も持ち出すことができる。いわゆる同族嫌悪というやつだ」

「そんな曖昧な推論でエンタングルを語っていいとは思いません。たしかにエンタングルは人に似ていますが、エンタングルが生物なら収斂進化という可能性もあります。人工的に発生したものなら、人を襲うようにされた、ということも考えられますが」

「そうだな。だが戦闘機乗りだから襲われるということは考えられないか? エンタングルは飛鳥の近辺に浮上することはあっても、真下から現れることはない。そうすれば戦闘機が発進する前に飛鳥に入ることも可能なんじゃないのかね。戦闘機が外に出ることを知っていてわざわざ待ち構えているのだとしたら?」

 バカにしたように狩生が言う。そこがシェノラの限界だった。戦闘機、それに戦闘機乗りのことを貶されると幼馴染が同じような目にあったような気になってしまう。それに、シェノラも飛鳥の住民の一人だ。勇者と呼ばれるほどの者をここまで言われて腹が立たないわけがない。それはこの場に集まっている者も少なからず思ったことだ。アカリなど、狩生教授に向かって憎々しげな眼光を飛ばしている。

「たしかにエンタングルが飛鳥の近くに現れないことは大きな謎です。しかしそれと戦闘機を結びつけて考えるのは、間違ってます。そんな証拠がどこにあるって言うんですか? 戦闘機と戦闘機乗りを飛鳥から追い出します? 第一、戦闘機が近くにない場合、エンタングルは飛鳥の近くに出現しなくても飛鳥を目指して移動します。他に誰が飛鳥を守るんです? 戦闘機と戦闘機乗り、この二つが飛鳥を守っているということを忘れたのか!」

 語気も荒く最後は叫ぶように言い切る。その勢いに場は少しの間、静けさを生じる。いつの間にか狩生教授とシェノラに皆が耳を傾けていたのだ。

「いや、悪かったね」

 静寂を破ったのは狩生教授だった。

「ちょっと言い過ぎたよ。半分以上の学生は前提から疑うということをしないんだ。面白そうだからといって調子に乗りすぎたよ。すまない」

「では、演技だったってことですか?」

 軽く頭を下げる教授の様子に気が抜けたシェノラである。

「まあ、嘘も方便と言うが、ちょっと違うか。悪ノリと言った方が正しい気もするね」

 絶対それだ。シェノラはため息をつく。この教授は疲れそうだ。そもそも自分がやりたいことと違うような気がする。

「教授の専門はなんですか」

「エンタングル生態学。エンタングルがどうして発生したのか、エンタングルの活動に必要なエネルギーは何なのか、そもそも生物なのか非生物なのか、ということを研究している」

 堂々と言い放つ狩生教授は、身長180㎝を越えるすらりとした男性だ。渋いという表現が似合いそうだが笑顔は10代のように輝いている。しかし目だけは知性の光を宿している。

 その輝きがきらめきを放った。次の質問は、さりげなく放たれたものだったから、シェノラも軽い気持ちで答えてしまった。

「ときに君は、さきほどかなり戦闘機と戦闘機乗りにこだわっていたじゃないか。なにか理由でもあるのかね?」

「ああ、幼馴染が戦闘機乗りにえらば……」

 そこまで言ってしまってから気がついて口を閉じる。だがもう遅い。

 0.8秒後、4人の教授の目が彼女を向いた。

 1.3秒後、50人強の学生が彼女に目を向け、自然に円を作った。シェノラをここから逃さないという無言の圧力が行き渡り、包囲網が完成する。

「今の言葉は聞き捨てならないな。エンタングル行動学の水谷だ」

 細い身体つきの眼鏡をかけた青年が前に出る。ぎょろりとした目が異様なほどに精気を放っている。

「戦闘機乗りが身近にいる者に会えるとは……。エンタングル光学理論のホセだ」

 大きめの白衣をマントのようにはおり、銀色の髪を肩まで伸ばしている男性。肌も白く言葉も淡々としており、どこか人間味を欠いている印象がある。

「エンタングル次元学の青野だ。その幼馴染に話だけでも聞きたい」

 髪を後ろで束ね白衣を着た、4人の中で唯一の女性だ。だが顔立ちは凛々しいと言うのが相応しく、化粧もほとんどしていないように見える。

 4人は半円状になってシェノラに迫る。

「我々は君を通してその幼馴染から情報を得たい。そのためなら設備や知識などの提供は惜しまない。なんなら学院長に特別に取り計らってくれるよう掛け合ってもかまわない」

「もっとも、我々が提供するものが実際の戦闘機乗りからの情報と釣り合うとは限らないし、そうでないことの方が多いだろう。だが君が手にした情報をかなりの精度で検証することは充分に可能だ」

「情報は独占されるべきではない。残念なことに兵装部の連中はすべての情報を渡していないと思われる。俺たちが手にして不都合な真実は存在しないはずなのだがな」

「君が学徒ならば我らの提案にうなずいてくれると思っている。基本的には、独学よりもいくらかの天才のもとで情報を取り扱うべきなのだ。そうすれば研究が遅れることもなく自らの利となることに、なぜやつらは気づかんのだ」

 そして話は冒頭に戻る。シェノラは混乱の中で奇妙な冷静を見つけていた。どの教授も同じだと思ったのは正しかった。みんな自分の欲望に忠実で、しかしエンタングルという一つの共通点の下では団結する。自分の研究が飛鳥の役に立つ。そうしているうちに彼らの思考が見えてきた。そして自分がやりたいことも。

「エンタングルを知りたい。でも、エンタングルとは何か、を知りたいです。だからエンタングル光学にします」

 とたんに湧き起こる学生たちの歓声と教授二人の呻き声。納得できない、それなら自分たちの方がいい、とばかりに狩生と水谷はシェノラを見た。ホセは一つ頷いただけだ。

 その様子を見てシェノラは問いかける。

「じゃあ、一つ聞いていいかな」

 いきなりざっくばらんな口調になったシェノラに眉をひそめつつも2人は頷く。

「戦闘機乗りにとって一番大事なことは何?」

 彼らにしてみれば予想外の質問だろう。エンタングルと戦闘機は敵と味方という非常に近しい関係にありながらも、絶対に近い分野ではない。両者を結び付ける存在になりたいというシェノラの思いの言葉だった。また狩生教授への意趣返しの意味もあった。

 先攻は狩生教授だった。

「エンタングルを倒すことだ」

 水谷教授も、

「エンタングルを倒すこと、ではないのか?」

 シェノラはホセを見た。

「生き残ることだ」

 はたして、ホセ教授は間髪を入れずに答えた。

「正解」

 シェノラは満面の笑みで言う。この人を選んでよかった。これなら戦闘機乗りの情報を扱うようになっても安心できる。

「決まりましたのね。では私も同じところにしましょうか」

 いつの間にかアカリが隣にいる。ホセ教授の髪を訝しげに見つめているが、

「自分の好きなところを選べばいいじゃないか」

「だって、あの二人では」――まだ意気消沈している狩生と水谷をさして――「人の器が小さいように思えますし、光学と次元学でしたら光学の方が好きなのですわ」

 それなら文句はないとシェノラは納得する。

「では、よろしくお願いしますわ。ほらシェノラも」

 アカリがシェノラの肩を押して彼女の身体を倒す。やや抵抗して顔を上げると、ホセが小さく頭を下げた。

「これからいくらかのお願いをするだろう。無理だというなら断っても構わん。しかし、できることならその機会を無駄にしないようにしてくれないか」

「はい! シェノラが拒否しても私がやらせますわ!」

 アカリがびしっと決めた、その頭にシェノラはぐーを落とす。

「なに言ってるんだ」

「いやですわね、せっかく尻を叩いてさしあげようとしているのに」

「いらないよ」

 漫才だなーと思うシェノラの横で、ホセ教授のもとに人が増えていた。


 5日後。シェノラはアカリを連れて管理区画に来ていた。シェノラの幼馴染に会いに行くのだ。戦闘機乗りが普段いるのは兵装部。そこは外部から離れており、面倒な手続きが必要だし、時間も場所も決まっており、兵装部の上の人が許可しなければ入ることさえできない。本当はシェノラ一人で来る予定だったのだが、なぜかアカリも着いてきた。なぜか許可証も持っているし時間も場所も同じである。

(お嬢様って話だしなー、そういう伝手があるならそっちに頼めばよかったかな)

 そう考えると、自分よりアカリの方が情報を手に入れられそうな気がする。

 シェノラはホセ教授から言われたことを思い出す。

『特別なことは訊かなくていいし、怪しまれてもいけない。あくまでも個人の感想程度でいいのだ。向こうも雑談は止められないだろうからな。しかし戦闘機乗りは機体と同調するため、俺たちのような一般人が見えていないことも見ているだろう。それが狙いだ』

 とはいっても、どうやってそっちに話を持って行こうか。考えていると道が変わった。管理区画に足を踏み入れたのだ。大きな道が一つ、林の中央を割って作られている。

 管理区画は管理塔と呼ばれる建造物が入口だ。正面には大きな入口、上は天井に届くまで伸びた巨大な建物。さらに奥まで広がっているらしいが、正面からでは全てを見ることなどできない。

 二人は建物の外のカード挿入口に申請書を入れる。申請書は人差し指ほどの長さがあるカードとなっており、一度きりしか使用できない仕様だ。無駄だと思うが警備を優先するなら効率的でもある。

 二人はカードを挿入し、数秒後、建物の大きさに比べて小さな、それでも10人が並んで通れるような入口が開く。正面を進んだところに昇降機があり、ひらいて二人を待ち構えていた。ご丁寧に『深凪シェノラ様&東堂アカリ様』と書かれた白板が置いてある。

 二人は昇降機に乗った。扉が閉まると、かすかな動作音がして小さく揺れただけで、何の変化もない。

「これ、動いてるのかな」

「動いているはずですわよ。……こんな静かな昇降機は初めて乗りました」

「わたしも初めてだよ。って言っても学院のにしか乗ったことないんだけど」

「私は管理塔のものにも乗ったことがありますが、こんなものではありませんでしたわね……こうすることで兵装部の場所を分かりにくくする、といったことでしょうか」

「たしかに、何階くらいあるんだろうね。30秒はたってるけど速さが分からないんじゃ測りようがないし」

 昇降機が止まったのは2分以上が経過してからだろうか。扉が開いたところは応接室のような場所だった。2人掛けのソファが2つに一人掛けが2つ、長方形を描いて机を中心に置かれ、さらに向こうに扉がある。壁には花や動物の絵がかかっている。

「こんなものか……」

 さすがに、機械がひしめく工廠や戦闘機の格納庫に案内されるとは思っていなかった。しかしこんな場所だとは――いや、場所を用意してもらえただけでもありがたいのだろう。それを感謝しないといけない。

 アカリはすぐにソファに座って部屋をぐるりと見渡している。絵を見て、ほうほうとか頷いているが、高価なものなのだろうか。

 シェノラは部屋をまわって扉に近づいて、

「シェノラ!」

 扉が開いた。その奥は普通の廊下だったのをシェノラは見逃さなかった。しかしすぐに視界は人の髪の毛で満たされる。

「仁美! 久し振り!」

 シェノラに抱きついたのは倉橋・仁美だった。栗色の髪の毛は記憶と同じで肩のあたりで切りそろえられ、大きな目もつんと尖った鼻も小さな口も、別れたときのままだ。いや、目は少しきつくなったかもしれない。資格があるとして仁美が戦闘機乗りの道を選んでから、端末越しにしか友情をはぐくんでこなかった。もう3年にもなるだろうか。二人はお互いにしっかと抱き合った。

 シェノラは仁美との再会で頭がいっぱいだった。だからその後ろから人が現れたことには、アカリの悲鳴でようやく気づいた。

「あ、あれぇっ? 夢……じゃないですわよね。だったら、本物!?」

 何が本物なのか。頭を上げると白い髪が見えた。

まるで寝起きのようなぼさぼさにしたままの髪だった。肩にまでかかるような髪は、彼の顔を半分ほど隠していた。誰? シェノラは彼が誰なのか分からなかった。それでもアカリの反応から戦闘機乗り――それもすごく有名な――だということは分かる。

「仁美、その人」

 シェノラが彼を指差す。それに気づいたのか、彼は目にかかっていた髪を持ち上げ、仁美が口を開くより先に言った。

「伊織・奏です。戦闘機乗りをやっていて、勇者と呼ばれています」

 あまりにも雑であっさりとした自己紹介にアカリは目を見開いていた。


 どうして自分が。そんな思いで奏は仁美を談話室に案内していた。訓練が終わって部屋に戻ろうとした時、いきなり管制の柳原さんに呼び止められたのだ。倉橋の友人が来るから談話室まで案内してやってくれ、と。

 別に案内するだけなら自分じゃなくてもいいだろう。暁も同じ訓練だった。それなのに暁は部屋に引き上げていった。奏の役割は、余計なことをしゃべらせないための見張りだろう。それに自分を使うとはどんな重要な者だろうかと行ったら拍子抜けだった。

「あ、あのっ、本当にカナデ様ですの?!」

 少女が二人。一人はソファに腰掛けて自分を驚きのまなざしで見ている。そりゃ知っている人からすればそんな反応が当たり前だろう。しかし仁美と抱き合ったままの少女は、自分のことをよく知らないのか、小さく口を開けただけだった。

 さされたから名乗る。それにも大して驚いた反応は無いのだから驚きである。その代わりに小さい方の少女がはしゃいでいた。さすがに写真は断ったが、サインから握手まで一連の流れは慣れているようで、こういうのを暁はファンとかミーハーと呼んでいた。いつかお前にも役割が回ってくるとも言っていたので今がその時なのだろうか。

 彼女は東堂アカリと名乗った。そのあと大きい方の少女に頭を殴られていた。

 それから初めて大きい方の少女と対面した。大きい。それが第一印象だ。目線が自分とほぼ同じで、瞬きの間見つめ合う。それからどちらともなく目を泳がせて、彼女から名乗った。

「深凪・シェノラです。仁美の幼馴染で親友です」

「シェノラ?」

 不思議な名前だ。漢字姓なら漢字名。仮名姓なら仮名名。名前はこれのはずである。

「あぁ、それは」

 口を濁した。しかしすぐに開いて、

「父親がつけたんです。いまでもいい名前だと思っているでしょうね。もっともわたしはこの顔ですからよくからかわれましたよ。あなたのような髪の毛でもしていたらよかったでしょうか」

 髪の毛。自分の髪は白い。明るい所で見ると完全な白じゃなくて薄い灰色だ。でもそれがどんな意味を持つのか。彼女の黒い髪の毛は、遥か高空の夜の色、藍色を越えた天の色で、自分は好きだ。

「そうですかね。シェノラという名前がどんな意味があるのか知りませんが、音はきれいです。似合っていると思いますよ」

「ありがとう」

 寂しさとよそよそしさを感じるその言葉を聞いて、奏は彼女がその言葉を言われ慣れているのだと気づいた。

「ごめんなさい……でも、似合っているって言ったのは本当です」

「いいよ。わたしもちょっと言い方が悪かったかもしれない」

 会話が続かない。倉橋もおろおろしていている。どうしよう……

 ダンッ! すごい音がしたかと思うとシェノラの身体が沈んだ。彼女の身体が床に転げる。

「え――? 大丈夫シェノラ!」

 慌てて倉橋が駆け寄る。身体を確認して、怪我をしていないか確認している。床は絨毯で切り傷を作る心配はないが、どこか打った可能性もある。

「医務室から人を呼んでこようか」

 その背を引き留める手。低い位置から引っ張られたのであやうく後ろに倒れそうになった。

「なっ!」

 その手を掴んで上にあげ、振り返って不機嫌な顔に遭遇した。

「二人とも、緊張しすぎですわ」

 腕を掴まれたまま東堂が言った。怒っているのだろうか。でもどうして?

「そもそもシェノラは仁美と会いに来たのです。カナデ様がそれを邪魔してはいけませんわよ。ほら、シェノラもソファに座りましょう」

「ちょっと待ってよ。シェノラに何したの」

 倉橋とシェノラが立ち上がる。

「大丈夫だよ。アカリは友だちだ。わたしを傷つけることをしたとしても、何か理由があるんだ。――今のは、緊張をほぐそうとしてくれた、そうだろう?」

「ええ、そうですわ」

 キン、と倉橋とアカリの間で視線の火花が散った気がした。

「それはありがとう。でも、それだったらあなたも邪魔じゃあないのかしら」

「お気遣いなく。シェノラは私がいた方が楽だと言っておりますわ」

「それ本当? シェノラ、この無遠慮で不躾な小娘をここから出していい?」

「いや……それは困るよ。仲良くしてもいいんじゃないかな、ね?」

 その言葉で二人は一旦矛を収める。しかしソファに座る時も、倉橋は二人掛けを一人で占領していたがシェノラと東堂は並んでいる。ぼくは一人掛け。その差が倉橋を苛立たせているようだ。

「それで、最近はどうだい? 訓練課程は」

「楽しいよ。やっぱり実際に空を飛ぶのは違うね! 仮象訓練装置にも本物の同調機能は使うんだけど、実際の空とは全然違うよ」

「どんな感じなんですの?」

 一瞬、倉橋の顔がむっとするが、その感情を話すのは止められないようだ。

「自分が広がる感じかな。同調するとね、自分が戦闘機になるんだよ。手とか足とかなくなる感じで、戦闘機も生き物のようだし、映像でしか見たことないけど鳥ってあんな感じなのかなあ。そんなにうまく飛べないけどね。それなら伊織先輩に聞いた方がいいよ」

 東堂とシェノラの視線が自分を向く。

「そう言われても、確かに自分が戦闘機と同じになるのは分かるんだけど、生き物のようだってことはないかな。機体が違うし感覚は人ぞれぞれじゃないかな。ぼくはただ飛んでいるだけだよ。でも、鳥みたいに飛べたらいいとは思っている。

 そういえば、倉橋は空を見るのが好きなんじゃなかったっけ?」

「へ、どうしてです?」

「だってあの時、エンタングルに追われていたのに空を見て美しいとか思ってたじゃない」

 途端に倉橋の顔が赤くなった。

「そ、それはっ、どうして知っているんですか! あんな状況の中で!」

「あれくらい強く思っていたら耳元で叫ばれているのと同じだよ。でも、空は美しいよ。天井に映っているような青じゃなくて、藍色の空だ。その向こうの宇宙もいいよ。ただの黒じゃなくて澄んでいるんだ。ちょうどシェノラの髪みたいな色かな。空を飛ぶことと、空を見ること。ぼくは、そうしている時が一番好きかな」

 一気にしゃべって、黙ってしまった三人を見て、やってしまったと思う。自分はあまり口をはさむべきじゃないのだ。変なことを口にしそうだったら誘導すればいい。それだけだ。

 だが三人は顔を近づけて、こちらに声が聞こえないように小さな声で話す。だが奏には聞こえている。

「あれ素ですの? 相当な世間知らずでもなければあんなこと言えませんわよ」

「……ちょっと恥ずかしかったね。もしかして、名前をほめたのも本心からだったりするのかな」

「変な気は持ってないはずよ。というか伊織先輩に男女の心の機微が分かるとは思えないわ。飛ぶことは一流だけど、それ以外は本当に何もないわよ。それなら水無月先輩に聞いた方が早いわ」

 新たな言葉に東堂が口の回転を早くする。

「水無月というとアカツキ様ですわね! あの人の飛び方は安定感があって好きですわよ。さりげなく補佐に回るのもいいですし」

「そう、そこが格好いいのよね。周囲をちゃんと見ているっていうのかな。伊織先輩は、周囲を見ていても自分一人で突っ走るもんね。仕方ないかもしれないけどちょっと苛々する時もあるわ。一緒に訓練するのだったら水無月先輩のほうがいいわね」

 そうか、自分はそう思われているのか。意気が落ちて奏の背中が少し丸まる。

 三人の内緒話はまだまだ続く。そうしていると、さっきのいがみ合いが嘘のようだ。

「伊織先輩ってさ、顔はいいと思うの。身体も細いけど筋肉ついているし。でもいつもぼうっとしている感じで、覇気がないのよね」

「そうかな。ちゃんと話せているしうるさくないし、いいじゃないか」

「それはシェノラが他人に興味がないからですわよ。置物のような人が一番めんどくさいんですわ。パーティーで、何も言わずにうろうろしているだけの人なんて邪魔なだけ。変に才能があったり地位が高かったりすると、こちらも気を遣わなくてはなりませんのに、向こうは話しかけても来ないのです」

「もしかしてアカリっていいところの出身? 」

「気安く名前で呼ばないでいただきたいですわ。――ええ、父は管理塔に勤めていますし母は動力部で働いていますのよ」

 動力部は飛鳥を飛翔させている機器を管理する場所で、この飛鳥で最も重要な部署と言っても過言ではない。

「へえ……わたし、アカリのような子がどうして工科学院に来たのか不思議だったけど、どうしてか分かった気がするよ。お母さんの影響だろう?」

「そうです! 母は本当にすごいんですのよ。とは言っても、詳しいことは私も知らないですけどね。暮らしぶりを見ていれば大体は分かりますわ。そう考えると戦闘機乗りって一人で暮らしていますわよね。寂しくないんですの?」

「それはないよ。住んでいるのは共同住居で他の戦闘機乗りもいるから。家は一人だけど会いたくなったらすぐに会えるし」

「親がいなくて大丈夫なんですの?」

「それは問題なかったなあ。ウチは個人主義でね、家族は好きなことやっていて、ある程度は仕込まれていたから苦労はなかったし、むしろ今の方が人は近くにいるよ」

「……わたしはそんなことはなかったかな。欲しいものは与えてくれたけど、家族は一緒にいたよ」

「工科学院は全寮制ですから一人暮らしですわ。そういえばシェノラは大丈夫ですの? 私は一通りの家事はできますけど」

「大丈夫だよ」

 たった一言だけなのが不安だ。しかし話題はまた元に戻って、そこからエンタングルに移った。戦闘機の仕様や住居の位置、日常を聞かれるのは困るがこれくらいならいいだろう。

「怖くないんですの?」

「怖いけど逃げる方法はあるわけだしね。あーでも、空間跳躍をずっと意識していないといけないのは疲れるかな」

「というとエンタングルと戦ったことがあるのかい?」

「逃げてただけだよ。ほら、5日か6日前の。伊織先輩がいなければ墜ちてた。――そういうところだけは格好いいから勇者なんて呼ばれるんだよね。そう呼んでいるほとんどの人は何にも分かってないし、分からない方が広報的にはいいんだろうけど、なーんか釈然としないのよね」

 さんざんな言われようだ。というよりぼくはそんなに色々なことに使われていたのか。まずそれが驚きだった。

 それよりも二人にとっては倉橋がエンタングルと遭遇していたという方が衝撃的だったらしい。声が大きくなり顔を離して会話をする。

「じゃあ、あの映像の、30秒逃げ続けた戦闘機乗り訓練生とはあなたのことだったんですの!」

「そうみたいなのよね……。あの様子も中継されているとは思わないし、なにより訓練生だよ!? 戦ってもいないのにこんな有名になるとか思わないよ」

「でも、素晴らしい飛行でしたわ」

「そうそう、自信持っていいよ」

 シェノラが倉橋の頭を撫でる。気持ちよさそうに倉橋は目を細めた。

「それでさ、エンタングルってどんな感じのものなのかな」

「そういえばシェノラはそういうことに興味があったんだっけ。でもわたしは、エンタングルはあまりよく見てないんだよね。逃げるのに必死で、そりゃ一瞬前には出てくるのは分かるけど把握するのは大変だし。だからもっと速いのに乗りたいかな。そうすればもっと回避しやすくなるのよ」

「乗っていたのは蒼竜でしたわね。それで5体のエンタングルを相手に30秒持ちこたえられるなら今のままでもいいのではありませんか? 速くしてしまったら操縦性が落ちるかもしれませんし」

 ここらへんが自分が関われる話題だ。多分、この中では一番詳しい。見ているだけでも面白かったが暇になってきた。

「ただ速くするだけではそうかもしれないけど、同調装置の具合や本人の感覚次第で速くしても操縦を犠牲にしない方法もあるよ。同じ蒼竜でも改造することで速さも変えられるし、それならほとんど変わらないはずだよ。問題は、倉橋が速さに着いて行けるかどうかだね。テストはしたの?」

「まだ早い、蒼竜の実践データを集めてからだ、って言われて終わりです。整備士って腕はいいけど頭固いですよね。特に年寄りになるほど」

「マッハ2.5と3は全然違う。整備士も実際に乗って確認しているし、マッハ2.5に慣れておかないと3は辛いよ。そうだ、今度紅竜あたりに乗せてもらえばいい。マッハ3がどういうものか分かるからね」

 シェノラが口を挟む。

「そんなに変わるとエンタングルへの対応も違ってくるんじゃないかな。嵐剣の最高速度はマッハ4だって聞いたけど、マッハ2.5の蒼竜とはできることも倒し方も、見ている風景も違うんじゃないかな」

「そうだね。最近は蒼竜に乗ってないから分からないけど、倉橋の動きを見ているとかなり不自由に思うよ。だからぼくは、もう嵐剣以外に乗ることは考えられないな。でもそれまでにかなり時間が掛かったし、仮象訓練装置で練習するのも重要だよ」

 倉橋は眉根を寄せる。

「それで好成績を出しても整備士には通じませんよ」

「だから紅竜に乗ってみるといいんだよ。整備士は整備をするために実際に戦闘機にも乗っているし仮象訓練装置も使ってる。速さに慣れているか慣れていないかは、彼らが一番分かっていると思うよ」

「だってさ。わたしもそう思う」

「シェノラもそう言うのね。ああ、じゃあ仕方ないか」

まだ腑に落ちない顔だが一応の納得はしたらしい。

「ところでエンタングルのことも訊いていいかな」

 シェノラはすっかり敬語がとれていた。その方がこちらも話しやすくていいが、いつの間にそうなったのだろうか。まあいい。この感じだと彼女たちの狙いはここにあるみたいだから。

「いいけど、エンタングルについてぼくは見たことしかないから感想しか話せない。それでいいかな」

「充分。わたしたちは見たことがないから、そういうことを聞きたいな。そうだね、エンタングルってなんだと思う?」

 ならばと奏は前回の戦闘を思い出す。

「光と螺旋、かな」

「抽象的すぎじゃないですか? わたしは機械に見えましたよ」

「うーん、機械とか生物とか分からないな、ぼくは。少なくとも〝核″って名がついている部分があるわけだけで、あれが光ったりぐるぐるしてたりするから、とりあえず光と螺旋って感じなんだよ」

「ぐるぐる、か」

(ちょっと可愛い所もありますわね)

 真面目に繰り返すシェノラに東堂が耳打ちをする。可愛いと聞こえたが、そうなのか?

「そうかな……でも、螺旋、か」

「突出する時にも渦ができますわ。やはり光学を選んで正解だったのですわ」

「じゃあ、学校でエンタングルについて勉強しているの?」

「学校じゃありません。学院ですわ」

 会話をしているうちに楽しくなってきた。自分は特殊な立場にいるせいか、他の人と距離を置かれがちだ。同じ班でも暁しか積極的に話しかけてこなかった。それで彼とも少しは仲良くなっている、と思う。でもこんなふうに会話が続いているのもいいものだ。

「学校に学院、か。面白いのかな」

 その言葉にシェノラと東堂が首を傾げた。その時、部屋に声が降り注ぐ。

『エンタングルが出現した。繰り返す、エンタングルが出現した。職員、戦闘機乗りは万が一の事態に備えよ』

「エンタングル警報?!」

「ここではこんな風に流れるのですね!」

 興奮した様子でアカリが言う。その時二人のポケットが振動した。二人が携帯端末を取り出すと、いつもの警報が発令されている。

そんな二人を見て、奏が机を操作してスクリーンにし映像を映す。

「こっちの方が見やすいよ」

 スクリーンには蒼竜が二機と紅竜が二機、閃竜が一機。エンタングルの数は6体で、グラスプが4にメルトブルーが3、クレイドルが1。

「隊長は間宮まみやりょう……太陽隊だね」

「紅竜Ⅲ式ですからそうですね」

 今回の浮上は飛鳥から70㎞の地点。いつもは大体150~250㎞地点に出現するが今回は近い。前回が350㎞とかなりの距離だったのも、そうそうないことだ。しかし、エンタングルが同地点に突出したことも含めて考えるとエンタングルに変化が起こっているのではないのか。そんな気がしてくる。

 画面の中、飛鳥から21㎞地点で接敵する。近すぎる。エンタングルが4回跳躍すれば飛鳥に辿りついてしまう。

 紅竜は紅色のやや大きな機体だ。閃竜と同じく全長は17m。細長い機体は後部まで伸びる三角形の翼が全体的に三角形に見える。尾翼は一つ。通常最高速度はマッハ3。しかし装備に重きを置き、SD鋼は尾翼にもコーティングされている。中でもⅢ式は火力重視の機体だ。

 紅竜Ⅲ式は最大速度を出してグラスプに迫る。その背後から蒼竜のパルス砲が支援し、グラスプは跳躍するがその地点は予測済み、もう一機の蒼竜が突出の瞬間にグラスプ1体を仕留めている。この間、約3秒。その様子が画面の半分で中継され、もう半分では人が肉眼で追えるようにした低速映像が流れている。

「本来はこうして連携を組んで倒すものですわ。いくら自分の腕に自信があっても個人で突撃していく人なんてほとんどいませんもの。そうでなくては勇者と呼ばれていないでしょうけどね」

 東堂がちらと奏を見る。

 奏としては、どうして皆が自分と同じように飛べないのかが不思議で仕方がなかった時期もあった。時間が経つにつれ、自分が異常なのだと気づいて、それからは連携も大事にしているつもりだが、一人でやった方が楽な時もある。その時はそうしているだけだ。

 画面の中では戦況が移り変わっていく。クレイドルの体当たりを回避しつつメルトブルーに突撃する紅竜、グラスプを上下から挟み撃ちにして斬り捨てる蒼竜、メルトブルーのリボンに4門の7㎝パルス砲を撃ち込む紅竜Ⅲ式、紅竜の向こうからリボンの隙間を縫って本体へ肉薄する閃竜。そして跳躍するメルトブルー。

「こっちに近づいてる?」

 メルトブルーは飛鳥に近づく方向で跳躍していた。そして二回目。飛鳥との距離は8㎞。それは低速再生のものであり、現在はというと、

「炎竜が出ていたか」

 飛鳥最大の戦闘機である炎竜は専用カタパルトから射出される。細めの胴体と斜め後ろに伸びる翼、翼と一体化したエンジンなど、素体はシンプルなつくりだ。だが全長24mの巨体には全身に武器をとりつけられている。これを動かすにはそれだけの手間も必要だ。そこまでしてでもこれを出す意味がある。

 予測突出地点との距離は8㎞。炎竜は砲撃した。12㎝光学パルス砲が4門、荷電粒子砲が2門。荷電粒子砲は、金属などの微粒子に電荷を与えて加速器に入れて加速させ、放出するものだ。例えればミクロのレールガン。加速器の中で回るほど速度を得て威力を上げ、亜光速まで達すればSD鋼弾や波長を使わなくてもエンタングルに対抗できうる、人類のほぼ唯一と言っていい兵器。

 光の奔流は正確に空中の一点を穿っているはずなのに空中を面として攻撃している。弾き出されたメルトブルーに荷電粒子砲が炸裂し、圧倒的な火力により通常兵器では効果が薄いエンタングルの表層すら削り取りパルスが跳躍を遅らせる。リボンを剥がす隙もなく2門のSD砲撃ち込まれメルトブルーは消滅する。

「すっごいな……」

「あれが最高火力の戦闘機ですわ。移動する砲台と言った方がよろしいですわね」

 たしかにすごい。だがその威力に比して必要な燃料も段違いだ。一階の出撃で通常の戦闘機の倍は消費する。現在の戦力では足りないと判断された時にのみ使用される、嵐剣とは別のベクトルでの突き抜けた作品。

 メルトブルーが散った、その奥2㎞地点にグラスプが突出する。放たれたのはパルス砲のみ。砲撃のたびに冷却を置かないといけないのも炎竜の欠点である。だが、メルトブルーを一瞬で退けるのは見事と言うしかない。

 中継画面をじっと見つめていた奏は戦闘が終わったことを知った。細かいところはよく見えなかったがかなり危ない戦いだった。エンタングルが飛鳥に近づきすぎていた。閃竜が転身して背後からクレイドルを倒していなければ、あと2㎞で飛鳥に突撃していた。その閃竜も飛鳥を回避するためにかなり強引な上昇をしなければならなかった。

 問題は、どうしてクレイドルを通したか、だ。その様子が再生されていた。

「これ、メルトブルーがクレイドルを守っているよね」

 低速だとよく分かる。一つのメルトブルーが囮のように炎竜と対峙し、グラスプも蒼竜と紅竜を引きつけている。その隙にクレイドルは雲海へ身を隠し、斜め下方から飛鳥へと突撃したのだ。

 蒼竜と紅竜はグラスプとメルトブルーの対応をしていた。四機がかりで3体を相手にしていたが、跳躍をして逃げ回るグラスプに翻弄され、メルトブルーのリボンに巧妙に捕らわれるのを回避するために倒せていない。

 閃竜はメルトブルー相手にSD砲を撃ち込み短期決戦を望んでいたが、メルトブルーも何度も跳躍を繰り返し逃げ続ける。

 炎竜はエンタングルと戦闘機の距離が近すぎるせいで砲門を開けない状態だった。

 均衡を打ち破ったのが紅竜Ⅲ式だったのはさすが隊長と呼ぶべきか。メルトブルーにSD鋼弾を撃ち込み亀裂を破壊して蒼竜が動ける隙間を作り、グラスプを斬り捨てる。蒼竜はメルトブルーが跳躍した隙に予測地点にパルス砲を発射し、そこに紅竜Ⅲ式が突撃して突出したメルトブルーを斬る。もう一機の蒼竜は閃竜の援護に向かう。突出地点を狙撃して閃竜がメルトブルーを倒す。

 その隙にグラスプ1体が飛鳥へと迫っていた。メルトブルーの霧散に身を潜め、炎竜に跳躍を阻止されればマッハ2で炎竜へと迫る。光学パルスをよけているうちに跳躍が可能になり、炎竜の至近へと出現――したが炎竜も予測済みだ。ミサイルからSDチャフだけを放出させて次の跳躍を止め、翼がグラスプを両断し核を破壊する。

 ここまでが囮だった。

 残りはグラスプとクレイドル1体ずつ。しかも、クレイドルがいないことに誰もが一瞬だけ失念していた。

 雲海の中をマッハ3で飛ぶクレイドルは一直線に飛鳥を狙う砲弾と化す。その背後からもう一つの砲弾がやってくる。

 閃竜は誰もよりも早く飛鳥へと動いていた。

 クレイドルの速度はマッハ3。閃竜はマッハ3.5。クレイドルは――飛鳥までの距離は48㎞。閃竜はさらに28㎞後方を飛んでいる。追いつくには炎竜の助けが必要だ。

 炎竜は雲海ぎりぎりまで降下する。クレイドルの進行に合わせ砲門を解放。クレイドルは雲海の中。光を通さない雲には光学パルス砲は通じないので荷電粒子砲で雲とクレイドルを削る。荷電粒子砲は1門しかないが物理的存在である雲には大いに力を発揮しクレイドルの姿を出現させる。

 両者の距離は約6㎞。クレイドルは進行をやや上方に向けて炎竜へ突撃。炎竜はパルス砲で応戦する。クレイドルはそれらをよけながら縦横上下に小刻みに揺れ、炎竜の捕捉を避け続ける。炎竜はパルスを4門使用して面での制圧を行うが、雲海へ沈降することへの警戒からどうしても全力で動けない。

 炎竜が上昇した。クレイドルもその後を追うように上昇。炎竜はSD鋼の微粒子を散布し下降、クレイドルの正面からSD砲をクレイドルに撃つ。クレイドルの周囲に漂う微粒子がSD砲の威力を増幅しクレイドルを包む。クレイドルは回転することで強引に降下して範囲から抜けようとするが、一部がかすり表面が削り取られる。だが内部に至ってはいない。

 炎竜はSD鋼弾を発射した。これだけ弱らせれば当たる。その確信があった。だが命中は別のエンタングル、グラスプにであった。霧散する光が周囲を緑に染める。鋼弾の進路上に突出し自らを犠牲にしてクレイドルを守る、この動きは明らかに異常だ。

 再びSD鋼弾を発射してももう間に合わない距離だ。ならばと荷電粒子砲を発射。連続使用により粒子加速装置が限界を迎え沈黙する。それでもクレイドルは健在だった。

 後を追おうにも距離は開くばかりだ。しかし炎竜は少しでも速度を落とすためにパルス砲を撃ちながら後を追う。クレイドルは再び雲海へ潜行したため、それもすぐに意味を失った。

 炎竜が稼いだ時間は21秒。それが飛鳥にとっての生命線となった。

 クレイドルが去ってから3秒後、閃竜が炎竜を追い越した。

 さらに30秒後。クレイドルは雲海から浮上した。飛鳥まで直線距離にして5㎞。斜度を計算に入れると約9㎞。10秒もしないうちに衝突する。

 そこに天空から閃竜が突っ込んだ。クレイドルは左右に軌道を曲げて回避するが速度は落ちる。降下によって加速のついた閃竜はSD砲でクレイドルの上昇を妨害する。クレイドルはそれでも飛鳥へと特攻をかけ、自らの身体が希薄化しても上昇を続けて閃竜を追い越し飛鳥へと近づく。閃竜は反転し、残り2㎞でクレイドルを切り裂いて垂直に上昇する。本当に危ないところだった。

「105秒。今回は長かったですわね」

 低速再生はその十倍でところどころ編集もされている。再生された映像の中では10分強ですべての戦闘が終わる。

「エンタングルの様子もおかしかったし、学院じゃあ大騒ぎだろうね」

 それどころではない。戦闘機乗りはエンタングルの動きの変化に直結している。兵装部でも大騒ぎだ。

 そうやって戦闘に場が盛り上がっているところに昇降機が降りてきた。

「どうした奏、勇者の権力でハーレムでも作るのか」

 早々に下品な冗談を飛ばして中から出てきたのは、暁だ。東堂の目が丸くなる。

「外に出ていたのか」

「そうしたら警報だろう。そんなに遠くまで行ってなかったからすぐに戻ってきたんだが、お前はお楽しみの最中だったみたいだな」

「たしかに、誰かと話すのは楽しいね」

 シェノラと東堂の顔色が変わった。暁は大げさに手を顔にやり、

「御嬢さんがた、この男は冗談が通じないから、あまり変な意味にとらないでください。こんな奴が我々の標準ではないですから」

 芝居がかった口調で手を広げて言う。呆れたように倉橋が暁を見る中、東堂が進み出て、

「サインよろしいですか?」

 と言った。

「ああ。名前は?」

「東堂・アカリと申します」

 瞬間、暁の顔が青くなった。

「へ? 東堂? 監査委員の娘がどうしてここに?」

「あら、父を知っているのですわね。光栄ですこと。でも安心してくださらないかしら。今の私は学生です。何も父に言うことはしませんわ。――ああでも、もっとここでお話しをしたいですわね。私、エンタングル光学理論を習っていまして、面白いことも聞けそうですから」

「ああ……。ならば頼んでみるよ」

 東堂は笑顔、暁は引きつった笑みで視線を交わしている。何はともあれまたこうして話ができるようになるならいい。

「じゃあ、また」

 毒気を抜かれたように暁はそそくさと立ち去ろうとする。その背を東堂が掴む。

「サインがまだですわよ」

 暁の笑みがさらに引きつったものに変わった。


 暁が去ってから面会時間はすぐに終了した。1時間が与えられていたがエンタングルの浮上で時間が無くなってしまった。エンタングルの行動の変化についても話す時間はなかった。

 二人は昇降機で管理塔へと戻る。

「シェノラ、楽しかったでしょうか?」

「ああ、仁美の顔を見られてよかったよ。他の戦闘機乗り――しかも勇者なんて呼ばれている人がいるとは思いもしなかったけどね」

「でもアカツキ様が私の父を知っているとは思いませんでしたわ。普段から市街区画には顔を出しているとは聞いていましたけど色々と情報は手に入れているのですね。でもこうやって会うことになるとは」

 管理塔から出ると風が二人を包む。中継を見ていた人たちはどんなことを想っただろうか。ふとシェノラはそんなことを考えた。

 歴史上、飛鳥とエンタングルが直接接触したことはない。だがこんなに近くに来たことはあったのだろうか。もしなかったとしたら――それか誰も知らないとしたら、飛鳥も危険だと言い出す人が出るかもしれない。いや、そう主張する団体も存在するのだ。

 戦闘機乗りはどうなのだろう。自分は戦闘機や戦闘に関しては詳しくない。だが向こうが連携をして攻めてくるとなると、これまでのような戦闘はできないはずだ。

 そんなことを行うということはエンタングルが学習能力を持っていることを意味する。詳しいことはエンタングル行動学の領域だろう。

「シェノラ? 大丈夫ですか?」

「ちょっと考え事に夢中になっていたよ。何だい?」

「あれ、なんでしょうか」

 アカリに指で示されて気づいた。茂みの奥、林の中、白いものが見える。

「行ってみようか」

 シェノラはアカリの返事の前に歩き出す。茂みを乗り越え林の中に足を踏み入れると、その姿がだいぶはっきり見えてきた。

「人、かな」

「まさかこんなところに行き倒れでもいるとは思わないのですが……」

 だが、近づくにつれてそれが人だということは、よりはっきりしたものとなった。

「これは……」

 倒れていたのは少女だった。一糸まとわぬ白い裸身を草に横たえ、白く長い髪で身体を覆っていた。大体、7歳くらいだろう。

 シェノラは少女を抱き起こす。息はある。だが背中にやった手に柔らかい感触があった。

「アカリ、これを見てくれ」

 シェノラは少女の背中を見せる。アカリが息を呑んだ。

「これ、私たちの手に負えるものですの?」

 少女の背中には翼があった。畳まれているが、それでも大きさは背中一面を覆うほどだ。

「でもアカリも飛鳥の噂話を知らないわけじゃないだろう? 幽霊戦闘機に白い怪人に光る幽霊、あとは秘密の工場と禁忌区画。子どものころに聞かなかったかな」

「知っていますわ。でも、翼の生えた人なんて……」

「白い怪人と秘密の工場は本当にあったことじゃないか。人体実験が続いていてもおかしくない」

 まだ120年前のこと、人体実験用に製造されていた人工人間が起こした反乱とその時に見つかった工場のことだ。その人工人間は肌も髪も白くハクと呼ばれていた。それと同じような特徴を持つ少女も人工人間ではないかと考えたのだ。そもそも翼がある時点でおかしい。もしかして、外でも活動できる人でも作ろうとしていたのだろうか。

「ともかく放ってはおけない」

 そう言いつつもシェノラの動く理由は好奇心が半分以上を占めていた。

「管理塔に渡せばいいのではありませんか」

「そんなことをしたらまた工場に戻されるかもしれない」

 シェノラは上着を脱いで少女に着せる。怪しいが、まだ怪しまれることは少ないだろう。

 アカリはため息をつく。まあ、私も興味がないわけではございませんし、と前置きをして、

「だったら私が探しますわ。一週間ください。それまでに探しきれなかったら管理塔に行きますわよ」

 シェノラの顔が輝いた。

「わたしのところで預かるよ」

「……何も見つからない可能性がほとんどですわよ。あまり情を移さないほうがいい、と忠告しておきますわ」

 あらためてシェノラは少女を見る。細い身体はこの年齢なら当たり前のものだっただろうか。何かの拍子に折れやしないだろうかと不安になる。病院に連れていくわけにはいかないし、途端に自分のやろうとしていることへの不安がのしかかってくる。

「私もできる限り手伝いますわ。さあ、行きますわよ」

ひとまずそれは横に置いておくことにして、シェノラは少女を背負う。翼があるせいか、見た目より重く感じる。

「大丈夫ですの?」

「ああ」

 なんとなく周囲を警戒しつつ二人は寮に帰った。

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