第十一話 『クリスティニア』が『桐花』でいるために……再び

『クリスティニア』が『桐花』でいるために……再び-1

 ネガティブな人間がちょっとポジティブになろうとすると、必ず嫌なしっぺ返しが待っていると思うのは俺だけだろうか。


 桐花と俺達の距離を一歩近付けることができた。

 などと浮かれ気分でいたら、すぐに突き落とされた。


 ショートホームルームが終割った瞬間、交野先生に呼び止められた。


「つっきーおすわり。金髪は待たなくて良し! ていうかね!」


 交野先生に何か粗相でもしたかな。

 他の生徒が全員退出してから、少し渋い顔をした交野先生が俺の机に座った。

 芳しい話ではなさそうだ。

 白いオーバーサイズのリネンシャツと緑色のパンツという交野先生のスタイルはかなり格好良く見えた。

 足元の上履きがそれを台無しにしているが。


「何見てんだよ? 乳の話したら殺すぞ」

「先生さようなら。また明日」

「悪かった! 真面目になるから!」


 面倒くさいなぁ。

 だぶだぶの服着てる時点で隠したいのは分かってるんだよ。

 視線の誘導はされるけど、そこまで胸に興味がないんだよな。


「あーのさ、忘れててくれたなら最高なんだけどさ。金髪の名前の件なんだけど」

「はい? なんで俺だけ呼び止めるんですか?」


 要望書を書いたのは桐花であって俺じゃないぞ。

 桐花の作業服(こんなのジャケットとは言いたくない)には「向井」という、俺がフロンクロスをめちゃくちゃな形で日本語変換した苗字が刺繍されている。

 それに嗣乃や瀬野川が大声で桐花と呼んでいるので、結構浸透してきているとは思う。


「じゃ先生、桐花にちゃんと話をしてくださいね」

「いやいやちょっと聞けって!」

「聞きません」


 俺は桐花の保護者じゃないっての。


「えー? 聞いてくれないと屁するけどいいの?」

「はい」

「ぐぬぬぬ!」


 ぐぬぬ顔を理解した上でやってるな、この先生。


「依ちゃん初担任頑張ってるんだけど?」

「頑張ってるかどうかは他人が評価することですよ」

「なら依ちゃん頑張ってるって言ってよ!」

「そんなにアピールしても依ちゃんって呼びませんから」

「固いなーつっきー! クラスも委員会も一緒だろ?」

「先生は生徒じゃないでしょ」

「年増と言いたいのか!」

「はい」

「許さんぞその暴言!」

「自爆テロはもういいから話進めてください!」


 なんだこの面白面倒くさい会話は。


「いけずぅ! さて、真面目モードになるぞ? いや最初から真面目だったんだけど! とにかくあの案は通ったよ。留学生ないし外国籍などの場合に限ってOKってさ」


 教師の癖に真面目の意味を履き違えている交野……依子先生くらいの呼び方はしてもいいか……が言いたいことは分かった。

 とにかく桐花の要望は部分的に通ったってことだ。

 ん? じゃぁ日本国籍の桐花は?


「……つまり、桐花は日本国籍だから対象外ってことですか?」

「そゆこと。つっきーも知ってると思うけど、この提案の元になった留学生の子は日本語にはない漢字書くんだよね。しかも他の教師どもが本人の希望があれば日本語の名前を皆で考えてプレゼントしようとか言い始めちゃってさー。教頭のヤローはまぁあだ名くらいはいいじゃないかって言ったのに押し切られやがって!」


 教頭のヤローって言い方はどうなんだ。

 熊かと思うくらいでかいけど、すごく優しそうな人だ。


「ちょっとつっきー聞いてんの?」

「聞いてますよ。今後のことを考えてるんですよ」


 依子先生が複雑な表情を浮かべる。


「いや、今後も何もファイナルアンサーなんだけど」

「んなこた分かってますよ。どうやってことを荒立てて覆すか考えてるんですよ」

「あのさ、依ちゃんまじで頑張ったんだけど、そこんとこ評価してくんない?」


 結果が伴わなければ評価も何もないだろうに。

 イライラが抑えきれなくなってきた。


「……俺がもし赤点取って頑張ったから赤点免除してくださいって言ったら再試験免除してくれるんですか?」

「それとこれとは話が別ですぅ!」

「じゃぁ俺も先生を許しません。早く再交渉してきてください。赤点取ってんの先生なんですから再試受けて下さいよ!」

「えー教頭と話すのタルい!」

「でしたら俺らで話します!」


 と言いつつ陽太郎を前に立てて、嗣乃と瀬野川辺りに暴れてもらう予定だけど。


「恐喝のつもりか!? 先生だぞぉー!」

「いちいち茶化してないで協力してくださいよ」


 先生がこっちオタク側の人間だってことは既に把握済みだ。隠れられるヲタって羨ましいな。俺は見た目を裏切らないヲタだってのに。


「えーなんかつっきーってもっと穏便なキャラだと思ってたのにぃ。折木なんちゃら気取って省エネライフ送ってそうだし」


 う……!

 ピンポイントに俺がちょっと憧れているキャラを出してきやがって! 


「図星だろぉ? 残念ながら先生はお見通しなんだなぁ」


 いちいち会話を脱線させやがって。


「先生、まじで教頭先生に会いたいんですよ。その留学生に日本の名前考えてあげようみたいな企画どうせ自治会で要項まとめてねーって言うんですよね? 桐花のことはなかったことにして。あいつも委員なんですよ?」

「わ、わぁってるよそんなん」


 先生も分かっているだろうが、振り上げた拳を振り下ろさずにはいられなかった。


「何が分かってるんですか? 自分は認めてもらえないのに認められる他人のために働けっていうんですか? うっ」


 何を泣きそうになっているんだ俺は。


「……き、教頭先生は職員室にいるんですか?」

「うへー顔怖。いるよ。言えば会ってくれるんじゃね? 学校側はどうにもしてくんねーぞ?」

「だから嗣乃達に任せるだけですけど」

「えー! そんなことしたらこじれちゃうだろ!」


 先生の本音を平気で吐くところは好きだけれど、こういう時は腹が立つ。

 俺達一人一人の性格を見抜いているし、誰と誰が気安い仲にあるのかもある程度把握している。


 桐花は俺にある程度気を許してくれていると踏んでいるんだろう。

 正直、桐花はクラス全体とうまく言っているとはいえなかった。嗣乃抜きでクラスメイトと話している姿なんて見たことがない。

 陽太郎とは普通に会話するものの、回数は多くなかった。

 桐花本人に話し辛い話なら、俺が適任だと踏んだのか。


「あのね、依ちゃんはつっきーには期待してんのよ」

「な、なんでですか?」

「アンタが一番冷静だからよ。よたろーも嗣乃もいざとなったら止めるのがめんどくさそうだし。よっ! 折木!」


 褒めてねえよそれ。

 あと陽太郎を与太郎みたいな発音で呼ぶのはやめてくれ。


「いやぁつっきーがいないとまじで話になってねーのよ? 帰宅部狩りだってさぁ、みんなバラバラに動いてぐちゃぐちゃに情報集めて来て混乱すると思ったらアンタがちゃんと情報まとめて仁那が役割分担しっかりやってぇって感じだったから大助かりよ!」

「は、はぁ」


 随分買い被ってくれてるもんだ。


「ほんとに助かってんだって! ねえ分かってんでしょ? 自治会がマジでやばい状況だったの。依ちゃん嬉しいんだよ? 自治会なんとかしろって教頭の野郎に言われて困ってんだから! まじ最初から試合終了してたんだよね! 安西先生も心臓麻痺起こすくらい!」

「あ、謝れ! スラダンファン全員に謝れ!」


 ここはキレていいところだろ!


「アタシは絶対に謝らない! つっきーと愉快な仲間達がいるんだから諦める必要ねーし!」


 確かに色んな意味で愉快だよ。

 でも、俺を選んだのは明らかにミスだ。


「先生、俺期待裏切ったことないんですよ」

「おおーすげー自信! こりゃもっと期待せざるを得ないね! 先生の見る目に狂いはなかったわ! はっはっは!」

「期待されたことがないから裏切りようがないんですよ」


 相手するのも期待されことも、本当になかったんだよ。


「おー! うまいこと言うね! じゃあ依ちゃんが初めての女か!」

「言うに事欠いて何言ってんだよ!」

「ついに敬語取れたわ! 依ちゃん大勝利!」


 本当は先生に媚びていたいから敬語で通してたのにな。

 もういいや。この先生に遠慮する必要がないことは分かった。


「先生」

「何だね? 我が可愛い生徒兼岸孝之よ!」


 西武の? エース扱いしてくれるってこと?

 メジャー組の大谷とか田中とは言ってくれないの? 岸でも十分過大評価だけど。


「先に謝っておきますよ。先生、ごめーんね」


 精一杯感情を抜き去って謝罪する。

 先生の顔が歪んだ。

 俺がこのままで終わらせる気がないことは伝わったようだ。


「はぁ。こうなっちゃうかぁ」

「なりますよ」


 怒りの中に悔しさが混ざっていた。

 俺が教頭に直談判したって無理なのに、陽太郎達に任せるのはなんだか責任放棄のような気がしてならなかった。

 桐花の保護者ぶるのもいい加減にすべきなんだが。


「教頭先生と話したいんでお願いします」


 険のある口調になってしまった。

 なんでどいつもこいつも桐花に辛く当たるんだという気持ちが、俺の中で渦巻いていた。

 とにかく、教頭先生に会ってみないと道が開けない。

 俺から桐花に伝えさせようとしたことを後悔させてやる。

 ん? 今の台詞、めちゃくちゃ格好良くないか?

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