セカンダリ・ロール

アイオイ アクト

第一話 主人公の隣の隣

主人公の隣の隣-1

 冬が厳しいこの地域で、桜舞い散る入学式は奇跡に等しかった。

 丘の上にある高校へと続く桜並木の道をゆっくりと登る俺と、もう一人の少女。

 その相手の手を取るか、取るまいか。

 悩む間に、目指す正門はどんどん近づく。

 触れ合う部分はお互いの袖だけ。今日こそ、互いの手のひらを重ねたい。

 そう決意したのに、俺の手は足につられて前後に動くだけだった。



「あー……もう無理」


 疲労というやつは妄想すら許してはくれないようだ。

 恋人未満の相手が存在する妄想異世界から戻った俺は、高校へと続くつづら折れの長い坂道を、ただただ歩いていた。

 狭い歩道は真新しい制服に身を包んだ生徒達でぎっちぎちに詰まっていた。

 入学式に参加しようとする保護者の車が大渋滞を引き起こしてくれたお陰で、入学式に間に合わないと判断したバス運転手さんに降りろと告げられてしまったのだ。


 路傍の交通標識に高校まで残り一キロメートルと告げられ、俺の心は折れるどころか砕け散りそうだった。


 這々ほうほうの体で正門へとたどり着き、二時間押しで始まったテンプレート丸出しの入学式は瞬く間に終わった。

 校門前のバス停の混雑に辟易して次のバス停まで歩こうと決意したが、つづら折れの坂道の歩道は行きと同様に大渋滞を起こしていた。


 歩きにくい理由は入学式に参加した生徒や父兄で渋滞しているだけではなかった。女子も男子も、盛りが付いた獣のような視線を俺の方へと向けていたからだ。

 あくまで、俺の『方』へ。


 まぁ、仕方のない話だ。

 俺の右隣には、高校一年生で身長が180を超えた優しい顔つきの男が歩いていた。

 左隣には大きな瞳に、長く腰のある黒髪の少女が歩いていた。

 色めきだつ同級生達の視界に俺が入ったとしても、記憶に残るはずもない。

 なんせ俺の背は女子の平均身長より少し高い程度で、左隣の女子とほぼ一緒だ。

 俺の顔はよく言っても十人並。数回見ないと覚えてすらもらえない。


 そう、俺は先ほどから視線をやたらと集める二人の男女の間に偶然存在する脇役という存在に過ぎないのだ。


 この二人と俺は生まれてこの方ずっと一緒に育った仲だ。

 生まれた日は数ヶ月の差があるが、同じ病院で生まれて同じ県営アパートで育った。

 今も新興住宅街の三軒並びの戸建てに住んでいる。


 しかも、右隣のひょろ長い奴は俺の従兄弟ときたもんだ。

 左隣で調子外れな鼻歌を歌う女子とは血の繋がりこそないが、家族と表現して差し支えない存在だ。

 お前の人生ゲームみたいだな。何度そう言われたか分からない。

 俺自身この世界はゲームで、俺はこの二人のために作られた登場人物なのかもしれないと思っているくらいだ。

 この『幼馴染み過ぎた幼馴染み』の二人が添い遂げるサポートをするために作られた存在。

 そう思い始めたのは中学二年の頃だったか。


 しかしこの世界がゲームだとしたら、極めて厄介だ。

 俺の恋愛の師匠である恋愛シミュレーションは当たり前だが、常に主人公一人にメインヒロイン一人だ。他の登場人物は『サブヒロイン』に過ぎない。

 そう、主人公と最初から距離が近い幼馴染はそのサブヒロインである場合が多いのだ。幼馴染みは往々にして扱いが悪く、メインヒロインに主人公をかっさらわれてしまうのだ。


 なら、メインヒロインを攻略しなければ良いのではと考える意見もあるだろう。

 その考えは甘い。実に甘い。


 昨今の名作はすべてのキャラクターを攻略しなければ消化不良となるように作られているものが多い。全キャラクターを攻略してかつトゥルーエンドといわれる大団円ルートを進まなければ完結してくれないのだ。

 そして、主人公はそのトゥルーエンドでメインヒロインと添い遂げる。


 つまり俺個人の見解という注釈は付くが、主人公とメインヒロイン以外の存在はこの二人の物語を彩る一つの要素に過ぎないということだ。


 主人公に告白するタイミングを逸した幼馴染。

 言い出せないけど想いを募らせるツンツンしたスポーツ万能少女。

 元気いっぱいにラブラブ光線を放つロリっ子後輩。

 どうしても主人公に対して乱暴に接してしまう先輩。

 そんな魅力に溢れるサブヒロイン達が、突然主人公と出会い頭にテメーの不注意でぶつかっておいて痴漢呼ばわりする性格ドブスのメインヒロインの前に屈伏するのだ。

 許しがたい。特に幼馴染の扱いの悪さ、許しがたし!


 主人公と同性の脇役は更に不遇だ。

 同性の友達がいないと不自然だから程度の理由で作られる存在に過ぎず、後から現われるライバルキャラに存在理由をかき消されてしまう。


 だが、下には下がいる。

 一般的にモブと称されるキャラ達だ。脇役とモブとの境界線は主に名前の有無にある。言い換えれば、主人公に自分の名前を認知されているかどうかだ。

 俺の左右を歩く美男子と美少女は俺の名前を知っている。

 つまり俺の立場はモブよりもマシな脇役だ。

 しかし脇役であっても、主人公の行動範囲から離れ、そのストーリーに一切干渉しなければモブでしかなくなる。

 主人公と絡まなければ、存在しないと同義だからだ。


 今の俺は、脇役とモブの境界線上に立っている。

 高校入学を機に、サポートキャラなどという脇役ポジションをぶん投げることを決意したからだ。

 この二人の添え物は中学をもって卒業し、背景に溶け込んで自分の好きなように生きてやると決意したのだ。

 

 これで俺はモブへと成り下がって、この二人と比べられて馬鹿にされる地獄から解放される。

 俺は誰の視界にも入らず、ひっそりと生きていける。

 あれ? なんか寂しい。パソコン部にでも入れば友達出来るかな? 友達なんて贅沢言わないから知り合いくらいは欲しいな。



 そんな馬鹿馬鹿しい思考を重ねた翌日。

 二人とは袂を分かつ決意したにもかかわらず、俺はその二人と仲良く自転車を漕いでいた。

 昨日の決意を思い出したのは、自転車を漕ぎだしてからだった。俺の決意、軽い。


 坂道にさしかかると、二人を振り切ってバスで通学すれば良かったと後悔に襲われた。

 俺達が今跨っているのはクロスバイクというマシンだ。しかも、高級な部類に入る。

 三台揃って納車されたのは雪が溶けきった先月。

 ママチャリとは比にならないスピードと快適さに、高校へと続く坂など屁でもないと思い込んでいた。


 しかし、現実という名の地獄は容赦がなかった。

 格好良いと思って買った自転車ヘルメットも、存外恥ずかしかった。


「はぁ……はぁ」


 荒い呼吸に耐えかねた喉が痛みを発し、足の筋肉は乳酸を溜めて込んで悲鳴を上げていた。

 調子に乗って装着した速度計は時速十キロを越えなくなってしまった。


「ごめん、やばい……やばい!」


 後ろを振り返ると、従兄弟は俺よりも息絶え絶えだった。


嗣乃つぐの、減速!」


 前を走る同じ自転車に声をかけたが、反応は無かった。

 高校までの10キロ以上、しかも全区間上り坂を自転車通学すると言い出した張本人だ。


 名前はみぎわ嗣乃。

 身内贔屓かもしれないが、容姿はかなり良い。

 スポーツは万能……もとい特定のスポーツのみ得意で、成績優……もとい中の上。

 性格はかなりキツいが、プラスポイントといえなくもないだろう。


 そして、俺達からどんどん離れていく運動音痴は瀞井とろい 陽太郎ようたろう。俺の従兄弟だ。

 中学に上がって以降、女子に告白された回数なんて誰にも分からない。成績は三人の中で最上位の俺と嗣乃のちょうど中間。

 性格はおっとりとして優しい人間だ。たまに怒ると超絶怖いが。


「嗣乃! 減速っつってんだろ!」


 息上がってる時に叫ばせるなよ。

 やっと俺の声が届いたのか、嗣乃は背中に手を回してグーを作った。

 習ったばかりの止まれのサインだ。


「いっちばんゆるい所なのに何甘やかしてんだよ!」


 女子にしてはハスキーな怒声が、周囲の注意を集めて恥ずかしい。


「減速しろっつったんだよ! 止まる方が甘いだろうが!」


 だから陽太郎は運動音痴のままなんだぞ。


「そ。つっきがそう言うなら再スタートね」

「む、無理! 休ませて!」


 心底どうでも良い話だが、『つっき』とは俺のことだ。

 月人と書いて『つきひと』、転じてつっきまたはつっきーと呼ばれる。

 この名前のお陰で人の名前を書いたら死ぬノートを持っている奴だの、『付き人』だのと言われる厄介な名前だ。

 更にどうでも良い話だが、苗字は安佐手と書いて『あさで』と読む。

 太陽と月という相反性のあるネーミングについて、互いの両親は偶然であると言い張っている。嘘つけ。


「坂道は軽いギアでたくさんペダル回した方がいいって自転車屋のじーさんが言ってたでしょ!」

「は、早く回せないんだよ」


 早く回せない理由は運動音痴以上に、長すぎる足でがに股状態だからだ。

 腹立たしい理由だ。


「あっ! こむら返った! 筋肉さんこむら返った!」


 陽太郎がふくらはぎを抑えて苦しみ始めた。

 少し古めだが、俺の推薦図書ゲームをしっかりこなしているところは評価してやろう。

 だが、水分補給は過剰なくらいがちょうど良いのを忘れてはいかんぞ。自転車漫画の諸先輩方が教えてくれただろうに。


「力抜いて!」


 寝転がされて嗣乃に足を伸ばされる陽太郎は実に無様だが、見物人にはイチャつくカップルに映るのかもしれない。この坂道を果敢にも徒歩で登校する生徒達は羨望のまなざしを向けていた。

 ここは一つ他人のふりをしたいところだったが、同じ自転車に同じヘルメットでは不可能だった。


「何? あんたも疲れたの?」


 ぼさっとしていたら、嗣乃に顔を覗きこまれた。

 処置は終わったらしい。


「疲れてねぇよ。鼻毛出てるぞ」

「へ!? マジで?」


 早く抜いてくれと鼻腔を拡げて美少女が迫って来た。

 ちょろりと出ている鼻毛を爪で挟んで、一思いに抜く。


「あだっ! 何これなっが! キープしとこうかな?」

「汚ねぇからやめろよ」


 歩道でダラダラしている俺達の横を、生徒を満載したバスが通り過ぎていく。

 嗣乃の顔はバスの方へと向いていた。


「二人ともごめん……た、多分行けると思う……嗣乃?」


 バスはもう見えなくなったのに、嗣乃は坂の上をぼうっと眺めていた。


「どうしたんだよ? 行くぞ」

「……今の、見た……?」


 嗣乃が困惑したような声を出した。


「は? 何を?」

「……金髪の女の子が……自転車で、バス追い抜いていったの……見たでしょ?」


 何をおっしゃっているんでしょうね、我が片割れの一人は。

 大好きな自転車漫画と金髪ロリっ子キャラが脳内コラボしたのか? ちなみに嗣乃は俺と陽太郎の影響でその手のゲームにもアニメにも精通している。


「騙すならもっとマシな嘘にしろよ」

「違う! 本当に見たの! 金髪のエメラルドグリーンの自転車乗ってたの! ほんとに!」


 嗣乃の瞳孔はばっくりと開いていた。『金髪のエメラルドグリーンの自転車』ってなんだよ?

 しかし、嘘を言っているとは思えなかった。それはつまり……大問題だ。


「よ、よー! ど、どうしよう!? 俺のせいだ! 俺が金髪キャラいっぱい教えすぎたせいだ!」

「え!? ええと、救急車呼べばいい!? で、でもメンタルの問題とかで呼んでもいいの!?」

「え!? いや、どうなんだろう!?」

「あたし追いかける!」

「やめろって見間違いだって! 深呼吸しろ深呼吸!」


 すーっと嗣乃が息を吸って吐き、ふらっと後ろに倒れそうになったところを陽太郎が支えた。


「だ、大丈夫?」

「……駄目……かも」

「だ、大丈夫だよ。何があっても嗣乃の面倒は俺達が見るから、ね? そうだよねつっき!?」

「え!? いや……うん」


 顔が怖いよイケメン野郎。お前一人で面倒見てくれよ。


「うえぇー! ありがとう我が眷属!」

「そういう言葉を使うな!」

「つっきも嗣乃も馬鹿やってないで行こうよ」

「う……うん」


 嗣乃は我に返ったのか、ひらりと自転車に跨った。

 ジャージのハーフパンツを履いているからってスカートの中を見せるなよ。はしたない。


 投稿時間の予鈴が鳴り響いていた。

 普段なら遅刻確定だが、今日は学内オリエンテーションだ。

 一時限目が始まる時間までに体育館に入れば良い。


「者ども、行くよ!」


 そんなセリフ吐かれたら三人乗り自転車の悪党みたいだからやめて欲しい。


「アラホラサッサーって言えよ!」


 あぁ、忘れていた。

 あれも主人公が金髪少女だったなぁ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る