ある告白と少年の誤算-2

「学園祭成功を祝してぇ、チアーズ!」

「「チアーズ!」」


 何がチアーズだ。

 普通に乾杯と言えよ陽キャな皆様。


 調理実習室で打ち上げをやるとは、なかなか良いアイディアだ。

 学園祭で余った小麦粉や、ややくたびれた野菜をフル活用したピザがオーブンの中で焼き上がっていく。


「皆様再度ご注目!」


 学園祭実行委員会の委員長を務めていた二年生が声を上げた。


「今回の学園祭、集客数は今まででナンバーワン、売り上げ、募金額も全部歴代一位でした!」


 わぁっと大声が上がった。

 集計したのは多江と桐花だぞ。

 本来あんたらがやるべき仕事なのに放置しやがって。


「つっきー、なんだそのツラ? 今は楽しめよ」


 なんで俺に話しかけるんだ。

 場の空気について行けなくて隅っこに逃げていたのに。

 まぁ、瀬野川もその雰囲気について行けないから俺に話しかけたんだろうけど。


「まーだ兄妹のことで悩んでるのか?」

「……打ち上げやってる頃には全部上手くいってると思ってたんだよ」

「自分のことだけ考えとけっつったろ」

「できたらそうしてるよ」


 太い麺棒でピザ生地をオーブンの角皿の形に延ばす桐花の横で、嗣乃の包丁さばきは賞賛を浴びていた。

 粗野な嗣乃が料理上手とは思わなかったんだろう。


「汀嗣乃さん! ピーマンのタネ抜きっぷりに惚れました! 結婚してください!」


 実行委員長氏は何を抜かしているんだ。


「お断りしまーす」

「そんなこといわずに嗣乃ちゃんお願い……うわぁ!?」


 実行委員長が寸でのところで桐花の振るった麺棒をかわした。


「む、向井!」


 陽太郎が桐花を取り押さえていた。

 恐い小姑を持ったもんだなぁ、嗣乃も。


「瀞井君このクズの肩持っちゃ駄目だよ」

「金髪ちゃん、今のフルスイング包丁でやってみて!」

「おおーい君達ぃ! 委員長をもっと敬って!」


 実行委員の二年生女子達が身も蓋もないことを言うと、部屋中が笑いに包まれた。


「……うっわぁエグっ! 今の本気でスイングしたろ? くれぐれも桐花に暴力振るわせないようにしろよ?」

「う、うん」


 既に結構振るわれているんですけど。


「安佐手君、仁那ちゃん、和風だってさ」

「あぁ、ありがと」


 大葉とシラスがちりばめられたピザは、いかにも嗣乃が考えそうな逸品だった。

 白馬は俺と瀬野川が立っている隅っこで一緒に食べるのかと思いきや、自治会の面々が座っている席へと戻ってしまった。


「はーあ。かっわいいなぁ」

「白馬が?」

「バーカ、つぐだよ。近くにいると麻痺すんのか?」

「いや、可愛いけど……どうしたんだよ突然」


 俺の可愛いと思う感覚は、世話が焼ける妹に抱くような感覚だ。

 桐花に抱いている感覚とはかなりの隔たりがある。


「みんなつぐの料理の腕褒めてんのが誇らしくてさ」

「そ、そっか」


 俺も誇らしいといえば誇らしい。


「……つぐはなんでよたろーが好きなんだろうな?」

「こ、こんなところでそんな話するなよ!」


 さっきからどうしたんだ、瀬野川は。


「つぐはさ、手のかかる奴が好きなのは分かるんだよ。今のよたろーは手がかからなくなっちまっただろ」


 続けるのかよ。

 まぁ、こちらに注意を向けている奴なんていないか。


「だからさ……本当によたろーがいいのかな?」


 困ったように頭を掻く瀬野川の態度は、完全にこの部屋の和気あいあいとした雰囲気から取り残されていた。


 陽太郎と嗣乃のこと、桐花が他の男と話しているという不安を処理するのに精一杯なのは俺もなんだが。


「つっきー、連れション」


 女子が男子に絶対言わない台詞を吐いた瀬野川を追う。

 何人かにいぶかしげな視線を向けられてしまった。


「瀬野川、なんか白馬とあまり話してなくないか?」


 人気の無い廊下を早足で歩く瀬野川に、なんとか付いて行く。


「まーな。でもすることはしてっから。アンタと桐花はまだやることやってねーのの?」

「へ!? いや、その」


 生々しいことを。

 そんなことができる空間がそもそも確保できないんだが。


 それより、瀬野川と白馬の状況が心配になってしまう。

 学園祭の間は爆発して欲しいくらい公然とイチャついていたのに。


「せ、瀬野川、まじでどうしたんだよ?」

「……なっちのこと、傷つけちゃって」

「へ? 原因はなんだよ?」


 振り返った瀬野川の目は、寂しげに下を向いていた。

 急に廊下の寒さが身に染みた。


「アタシの未練」


 落ち込んだ表情とは裏腹に、その声ははっきりしていた。


「し、白馬が過去を気にするような奴かよ?」

「そうなんだけど、傷つけたのは確かだし」


 ふぅ、と白い吐息が瀬野川の口から漏れた。

 廊下はひどく寒かった。


「ねぇつっきー。つぐのことは協力するし、副委員長の仕事も頑張るからさ……アタシのこと、嫌わないでよ」

「は、はぁ?」


 ずっと協力していてくれたんじゃないのか?

 という言葉を飲み込む。


 違った。

 瀬野川は常に嗣乃の味方だった。

 他の誰でもなく、嗣乃だけの味方だった。


「……き、嫌わないけど、なんだよ急に」

「その言葉、信じるからな。とりあえずあの二人のことを一年副委員長の立場で考えてみたんだけど」

「は、はい?」


 話題がくるくる変わるな。

 職権濫用であの二人がどうこうなるとは思えないが。


「アンタがぶっ倒れた時にもう話し合いは始めてたんだけどさ、学園祭実行委員会を完全に独立させたいの。それから、スポーツ部のマネージャーも専門集団の委員会にしようかって話も」

「え……? それがよーと嗣乃にどう関係してくるんだよ?」


 自治会の仕事を分散するのは歓迎だけれど。


「アイツらが二人きりでいる時間はどれくらいあると思うよ?」

「え? あんまりないな」


 そうだ、陽太郎と嗣乃の間にはいつも誰かがいた。

 主に俺だ。

 俺のあずかり知らないところで二人きりになっていることも少ない。


 陽太郎は俺と遊ぶか、部屋でヲタな行為に勤しんでいることが多かった。

 嗣乃はといえば瀬野川や多江の家に遊びに行くことが多かったし、それ以外の日はほぼ主婦状態で家事に勤しんでいた。


「つぐはオメーとばっかり楽しそうに喧嘩してよぅ、アホのよたろーはそれを見て嫉妬もしねーし怒りもしねーし」

「う、うん」


 う……こう考えると、陽太郎は朴念仁が過ぎる。

 嗣乃も陽太郎の気を惹くことなんて何もしていないどころか、現状維持に躍起になっていた。

 陽太郎と結婚すると息巻いていた中学時代の嗣乃は、心配だから面倒見続けるという考えに過ぎなかったのかもしれない。


 陽太郎は嗣乃の相手として瀬野川のお眼鏡にかなう存在ではないようだ。


「ええと、つまり、あいつらが二人になれる時間をなんとか捻出しろってことか?」

「そーだよ。まずテメーらの生活を改革しろ。自治会の仕事を減らせればその分時間が確保できるだろ。あとよたろーのやってるゲームは取り上げろ。つぐの相手させろ。オメーがアイツに厳命すりゃいい」


 学園祭実行委員会が立ち上がれば、俺達は激務から少しは解放されるのは確かだ。

 毎日下校時間まで働いて、授業のない土曜日も日曜日も学校に行かなくちゃいけないことも減らせるかもしれない。


「……嗣乃のこと、本当に好きなんだな」


 そんな言葉が口を突いて出てしまった。


「言ってんだろ。愛してんの。多分……アンタが桐花のことを好きって以上にね」

「一線越えちまってるレベルじゃないかよ」


 真顔でシュールな冗談を言うのは止めて欲しいんだが。


「まーなぁ。『親友』と『恋人』の区別がつかなくなるくらいにはな」

「何言ってんだよ。笑えねぇよそんなの」

「……笑わなくていいっての。茶化されるのは心外だし」


 嗣乃のこと好き過ぎだろ。

 でも、それは嗣乃も同じだ。瀬野川への信頼は異常なほど厚い。


「な、仲良すぎだろ。嗣乃も同じこと言ってたけど」

「は? いつだよ?」

「学園祭の最終日だよ。あいつが行方くらました時だよ。誰が一番好きか聞いてみたら、よーじゃなくて仁那って答えたんだよ。そっちの好きじゃねぇってのに」


 瀬野川の目が大きく見開かれた。


「なんだよそれ……ハハ」


 笑うなと言っておいて自分で笑うなよ。


「なんだよそれ……二人でやめようって、約束したのに」


 真面目な顔して何言っているんだ。


「あの、瀬野川……?」


 何を、やめたんだ?


「だから、アタシのこと嫌わないでって言ったっしょ。アタシは……」


 これから瀬野川が話す言葉は、一文字も逃さず聞かなくてはならない。

 そう感じさせるほど、瀬野川の目は真剣だった。


「……他の誰にもそんな気持ちになったことはないのに……つぐだけは……」

「つ……嗣乃だけ……なんだよ……?」

「……察しろよ」


 瀬野川の言葉はまるで強烈な音波のように、俺の体を震わせた。


「キモいし、都合いいこと言ってるってのは分かってるけど、アタシを、拒絶しないでよ」

「き……拒絶しないよ。つ、嗣乃も、同じ気持ち、だったんだろ?」


 台詞は棒読みそのものだったが、なんとか口は動いてくれた。


 どんな言葉をかければ良いか分からない。

 ただ、瀬野川を安心させる言葉を探すだけで精一杯だ。

 

「多分、そう。アンタが嗣乃にした同じ質問、アタシにしてみなよ……アタシも同じこと答える。なっちが二番。僅差だけど。すっごく僅差だけど」


 嗣乃も瀬野川も、そんな相手と出会ってしまったのか。

 俺の中にその事を納得するだけの材料がないからか、混乱が収まらなかった。


 何かを言ってやらないと瀬野川はずっとこのままになってしまうという恐怖を感じさせるほど、瀬野川の表情は凍り付いていた。


「あの、瀬野川……ありがとう」

「ハァ?」


 やっと瀬野川の表情が変わった。


「アタシは今アンタの大事な妹を手籠めにしたってゲロったんだけど?」

「い、嫌だったら嗣乃も嫌だって言うだろ。そこまであいつを好きになってくれたってそりゃ、感謝以外ねぇよ」


 せっかく良い台詞を吐いたつもりだったのに、瀬野川の表情はまた沈んでしまった。


「……好き合ってて、どうして止めようって思ったんだ?」


 ドがつく恋愛初心者の俺には、『やめる』という結論に至った二人の想いは到底理解できなかった。


「繋がってたいからだよ。繋がりさえ保てていれば、お互い一番じゃなくてもいいって思えたんだよ」


 予め答えを用意していたのか、瀬野川の声ははっきりしていた。


「一番同士じゃなければ憎しみ合って別れて、一生会わないなんて辛い想いしなくても、ずっと繋がってられるんだよ。アンタならその気持ち、分かるっしょ?」 

「え? あぁ……うん……」


 俺が嗣乃に抱いた想いは、まさにそれかもしれない。

 ずっと繋がり続けるための選択だ。

 瀬野川の顔がまた歪んだ。


「はぁ。アンタって本当につぐの彼氏にはなれない兄妹なんだな」

「今はそうだけど……なりたかったよ」


 自分から心臓に針を立てるような告白だが、すべてをさらけ出した瀬野川に黙っていることなんてできなかった。


「……いいね、アンタには桐花がいて」

「瀬野川もだって……いや、ごめん」


 俺の中に眠っている本音をえぐり出して、嗣乃への未練を意識しないほどに小さくしてくれたのは桐花だ。

 桐花が居てくれなかったら、俺はどうなっていんだろう。


 瀬野川にも白馬がいる。

 だけど、白馬に頼ってしまうのは瀬野川のプライドが許さないのかもしれない。


「……とりあえず、えっと、実行委員会とマネジメント委員会は考え直そう。そんな滅私奉公委員会は考え直さねぇと誰も参加しないだろ」

「それもそーだな。ま、自治会も大概滅私奉公だけど生徒会みてーなもんだぞってマウンティングできるメリットはあっからな」


 話題を変えることで、もう追求しない気持ちは伝わったらしい。

 瀬野川の顔に表情が戻ってきた。


「あ……そうだ、アンタにちょっとだけ借りを返してやるわ。金髪の鬼にアンタの隠し持ってるエロの類いは男の共通インフラだってこと教え込んでやるよ」

「え? えと……た、助かる」


 それは大変助かるな。

 実はまだ桐花に見つかる前に処分するか陽太郎に預けなきゃとは思っていた。


 後に考えなきゃならないことは山ほどあるが、今この場で解決しなくちゃいけない事柄は一つだけだ。

 廊下の向こうからぶっとい麺棒を握りしめて歩いてくる金髪少女への言い訳を数秒の内に考えること。


 まぁ、無理だ。

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