少年と少女、苛烈なる現実に引き戻される-3

「安佐手月人みたいな味がしたなぁー! おっかしいなぁー!?」


 まずい、周囲がざわつき始めた。


「おい委員長!」

「え? まじで? なんで!?」


 なんでって、至極まともな質問か。

 依子先生が俺と桐花の関係をバラしたところで信じる奴なんてそうそういないだろう。だって、俺だし。


「つっき! 場が収まらないから向井を追ってよ!」

「へ!? いや、それは!」


 陽太郎の言うことはもっともなんだが、杜太がなけなしの勇気を振り絞っているこの場を離れたくなかった。


「あ、あの、い、いひにぇん、ひゅ、ふういひくみ……」

「御宿直ー! 何言ってっか分かんねーぞー!」


 ヤジのような、激励のような言葉が飛び交っていた。

 俺はどうすればいいんだ。


 思考が追いつかなかった。


「安佐手ぇ! マジでどういうことだよ!?」


 顔を見知った奴らが何人も掴みかかってきた。

 俺に何かを言っているらしいが、何一つ聞き取れなかった。

 杜太がなんとか言葉を絞り出しているのに、聞こえやしなかった。


「安佐手聞いてんのか!」

「ねぇねぇ! 最近よく二人でいるよね!?」

「あ、桐花ちゃんと自転車で県道走ってたっしょ!?」

「は!? マジ!?」


 少しずつ周囲の会話が聞こえてきた。

 でも、俺から話せることなんて何もない。


「だあぁーー! もう!!」


 多江?

 あまりの剣幕に、全員の体がびくりと跳ねた。


「御宿直杜太ァ! ちょっとそこ座れェ!!」


 あれはカップル成立……ではないな。


 この学園祭で一番ストレスがかかっていたのは間違いなく、多江だ。

 あの使えない実行委員会をなんとかまとめていたのも、全て多江一人の力だった。

 もちろん杜太もいたのだが、交渉事になればどうしても多江が前に立たざるを得なかった。


 しかも、実行委員会はうるさい多江を取り囲んで恫喝までしたのだ。

 今でこそ和解は成立しているが、それでも心が強いとはいえない多江にかかったストレスは計り知れなかった。


「あたしは目立ちくねーっつってんだろがァ! こんなとこ呼び出して告白たぁずいぶんおもしれぇさらし者にしてくれたでねーかァ!!」


 怒鳴り散らす酒匂多江を誰も止められなかった。


「お、おい安佐手、あれ止めないとやばいんじゃね?」


 クラスメイト達は俺を押さえつけて何を言ってくれているんだか。


「な、なら、離してよ」

「それはお前の態度次第かなぁ?」


 多江を止めて欲しいのか止めて欲しくないのかどっちなんだ。


「あ、向井戻ってきた!」


 え? 戻ってきてくれた?

 確かに桐花は猛ダッシュでこちらへ向かってきた。


「き、きり……?」


 声をかけようとしたが、桐花はそのまま俺の前を素通りしてしまった。

 もう何が何だか分からないと思った瞬間、桐花は多江に掴みかかっていた。


「き、きりきり!?」

「ゲホ!」


 あまりの展開に、周囲がしんと静まりかえった。

 杜太も土下座姿勢から顔を上げていた。


「ゲホ!」


 あの咳は無理矢理話そうとしている時のものだ。


「た、頼むからちょっと離してよ!」

「離さなくていーぞオメーら」


 依子先生の声だ。


「いいから見てろ。アイツに秘策を与えてやったからよ」

「ひ、秘策?」


 ゲホゲホと咳を続ける桐花に、なんの秘策があるっていうんだ。


「Just tell'em yes or no!」


 へ? 声が出てる?

 なんで桐花は英語で叫んでるんだ?

 杜太にイエスかノーで答えろって言ってるのか?


「え、と、えぇ!?」

「Tell'em!!」


 良く通る声だった。

 やはり、英語の方が話しやすいのかな。


「え、あ、え? ……い、いえーす?」


 桐花の剣幕に多江も白旗を揚げたようだ。

 もしかして、英語なら声が出るのか?

 んなアホな。


 当惑気味な歓声の中、地面に両膝をついたままの杜太は何が起きたか把握できないようだ。


 やっと、杜太の横に多江が立つことになるのか。

 もっと感慨深くこの瞬間を迎えたかったなぁ。


「おいオメーら、コイツあそこの前へ運べ。多江! 金髪……じゃねぇ、黒……なんか青っぽい髪、掴んどけ」

「……は、はいぃ!? ちょ、ほ、ほんとにやめて! 先生なんで!?」


 依子先生が邪悪な笑顔浮かべていた。

 なんとか逃げないと本当に心臓麻痺起こすんだけど!


「このくらいの歳になるとよぉ、甘酸っぺーの見たいんだよぉ」

「せ、先生! ほんとに、無理! だってもう俺達、その!」

「ああそうだよなぁ! この小娘オメーのこと好きすぎてちらっちらちらっちら隣見ててよぉ! オメーはオメーで授業中この小娘の手助けばっかしてただろ!」


 うわぁ、ばれてる。


「ああーークッソうまやらしいんだよテメーよぉアタシにはそんなせーしゅんなかったんだよ返せよアタシのせーしゅんをよぉ!」


『うまやらしい』って何語だよ。先生、まさか酔っ払ってないよな?

 第一、桐花がそんなに俺の顔を見てる訳ないだろうが。


「まーとにかくよぉ、あんの壁ん前で好きですぅ! 愛してますぅ結婚してくださいぃ! ってしてこいや、な? いやならそーだな、民主主義だ。賛成の人ー?」

「「はーい!」」


 それは民主主義ではなくて煽動でしょうが!

 キモヲタいじめるだろうよ!


「ちょ! ちょぉっとぉ! きりきりぃ! ストップ、ストップ!」


 あれ、桐花がこちらへ寄ってくる。

 相変わらずのパワーだ。

 腰を掴んでいる多江などまるで存在しないかのように、スタスタとこちらへ歩いてくる。


「おっほぉ? ここでおっぱじめてもいいぜぇ? アタシが許可するぜぇ!?」

「先生酒くさっ!」

 

 他の生徒が叫ぶ。

 本当に呑んでるのかよ。


「ちょ、きりきり、それは駄目……!」


 多江は何を叫んでるんだ。


「痛だだだだ! ちょ、なんで!?」


 なんで両手で俺の髪の毛掴むの!? 桐花さん!?


「ぎゃははは! 力関係はっきりしてんなぁ!」


 助けろよ先生! 担任だろ! 顧問だろ!


「痛い! 痛いって桐花!」


 痛みで訳が分からないままたどり着いたのは、人っ子一人いない三年校舎の北側だった。

 ようやく、桐花の手が頭から離れた。


「……い、いってぇ」


 顔を真っ赤にした桐花が肩で息をしていた。

 両手に付いた俺の髪の毛をばっと振り払った。

 ハゲたらどうしてくれるんだよ。


「な、なんでこんな?」

「……せ、先生が、つ、つ、つき、ひとをなんとかしろって」


 えぇ……?

 今のは無茶苦茶過ぎるよ。


「先生が、親と話すみたいな気分なら、しゃべれるんじゃないかって……親と話してる時、キャラが違うって言われた」

「ん? 三者面談の時にでも会ったの?」


 やっぱりより子先生は酔っ払っていてもすごいな。


「それで、多江に実践してみたのか」

「……ごめんなさい」

「いや、いいよ」


 いまいち話が噛み合わない。

 まぁ、いつものことだ。

 桐花から会話のボールが飛んでくるのを待てばいい。


「痛かった?」

「そりゃ痛ぇよ……お陰で逃げられたけど」


 沈黙が流れた。


 俺も桐花も落ち着いていないから、間を取らないと。

 ただ、場所は変えないとまずい。


「うぅ……寒いから中入ろう」


 気付けば何も羽織らず、しかも上履きのままで飛び出してしまっていた。



 閉会時刻が迫る中、客の間を縫って小会議室へと戻った。

 その間、桐花と特に会話は無かった。

 手の甲が何度か桐花の袖に触れた。


 出会ったばかりの他人が、こんなに近くを歩いていた。

 でも、その事実に少しも違和感を感じなかった。


 何もかもが非日常的で、段々心が付いていけなくなるような感覚だ。

 でも、桐花の顔を見ればすぐに気持ちが落ち着いた。


 こんなに依存して良いのかという疑問も浮かぶけど、今の状況に甘んじているしかなかった。

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