少年と少女、苛烈なる現実に引き戻される-2
閉会まであと二時間もなかった。
色々あり過ぎる学園祭だった。
閉会後は最低限の撤収をしたら解散し、明日に全体片付けが行われる。
せめて明日一日を無駄にしない対応として、各部活動から集めたボランティア部隊が早めのゴミ拾いを開始していた。
これは山丹先輩の作戦に、俺が来年の模擬店の位置選択の優先権をちらつかせて人員を倍にした結果だ。
『学園祭実行委員会よりお知らせします。これより、美術部、写真撮影用展示コーナーが、中庭に出張いたします』
学園祭の後は遅くまで残ってキャンプファイアというのが他校の定番らしいが、この高校での最終日の解散時間は早い。
理由は公共交通機関だけでなく、わざわざチャーターした送迎バスの終わりの時刻が浅いからだ。
なのでまぁ、夜闇に紛れて告白大会なんていう行為はこの学校では起こらない。
ただ、その代わりになるようなイベントは今から始まるんだが。
小会議室から下を見下ろすと、美術部員と実行委員会スタッフが大きく分厚い板を何枚も運んで来ていた。
廃材のレンガをタイル状に薄く切って貼った本格的な物だ。
その一部にはペーパーフラワー装飾が施されていた。
東京のどこかにある教会の壁の装飾を模したものらしい。
どこからどう見ても、カップルが楽しく写真を撮影するための物だ。
陽キャの皆様は衆人環視の中でそれができるのか。
「ん? 校舎側に向けたら逆光じゃないか?」
写真を撮るなら順光だろう。
「順光は写真撮るのにまぶしくて目が細くなるから。資料読んで」
全部の資料に目を通す余裕なんて無いっての。
桐花は読んでいるんだろうけど。
「へぇ……何でもかんでもよく考えられてるなぁ」
物事にはちゃんと理由があるものだ。
去年までの俺なら、くだらないイベントをしているなぁと思うだけだっただろう。
「つっきー! 何してんのそこで!」
窓から少し顔を出していたからか、多江に見つかった。
俺がサボっているとでも思ったのか、声がやけに刺々しい。
「報告書全然できてねーんだよ」
「あそっか! あたしの分もよろしくねー!」
「え? 自分でやれよ!」
何を言ってやがるんだ。
「ほぉーう。断るんかね!?」
多江が眼鏡越しの思いっきり真顔で睨み付けてくれているのが、二階からでもよく分かった。
「分かったよ! 実行委員の分だけは自分でやってくれよ!」
「それでよくってよ!」
仕事が増えちまった。
でも、さっきまで四人も抜けたんだ。
そしてまだ二名ほど帰っていない。
多江達にかかった負担は並大抵ではなかったはずだ。
「さ、撮影できなくなるのでぇ、この線までさがってくださぁい!」
杜太が力いっぱい叫んでいた。
「はがれたタイルをはめ直すの手伝ってくださーい!」
多江の号令に生徒達が従った。
「あ、あのぉ! それでは、一番の方ぁ! どうぞぉ!」
俺にとっては縁遠い人達が集まっていた。
彼等はインスタに載せる写真を撮りに来ている訳ではない。
俺みたいな人種にとって、世にも恐ろしいことをしに集まっているのだ。
「……と、トイレ」
「え? うん」
桐花が出て行った後、外も廊下も騒がしくなり始めた。
これから始まるイベントを一目見ようと、学生達が殺到していた。
レンガ板の前に、いかにも体育会系な男子生徒が立っていた。
制服の上下を一切着崩さず、二年生を表す青のネクタイのナットも正しい位置まで上がっていた。
「に、二年! 四組の!」
大声で意中の相手の名前を叫んだ。
これが学園祭最後のイベントだ。
『出張インスタスポット』という名を借りた愛の告白大会とやらが、こんなに規模がでかいとは思わなかった。
いたたまれない気持が足をすくませてくれる。
顔を手で半分覆った女子が、男子生徒と向き合った。
俺にとっては思わず目をつむって耳を塞いでしまいたくなる光景が広がっていた。
公開告白なんてラブコメでは定番だが、俺は結構苦手だ。
「「わぁーー!!」」
大きな歓声が上がった。
どうやらカップルが成立したらしい。
少し身を乗り出してみると、実行委員会の面々が紙吹雪を散らしていた。
せっかくゴミ拾いの時間を繰り上げたのに実行委員会自ら散らすなよ。
これが情報連携不足ってやつか。
手を取り合った二人が、その友人達と思しき人々に囲まれて歩き去っていく。
「……おっそいなぁ、桐花」
気を紛らわそうとしても、無駄だった。
率直な愛の告白が繰り返され、その度に当事者二人は手を取り合ってパネルの前から去っていく。
桐花は俺の手を繋いで衆人環視の中を歩いてくれるだろうか。
いずれ人混みの中を歩くことだってあるかも分からない。
すぐに愛想を尽かされなければ、だけど。
『どうして酒匂がお前なんかと』
記憶の山の中でゴミと化していた記憶が、少しずつ形を取り戻していく。
多江と二人きりでよく遠出をする度にいわれた言葉だ。
お前は酒匂に良いように使われているだけだの、気を引くために趣味を合わせるな気持ち悪いだの……。
にわか知識で多江をナンパするからだと反論できるほど、俺は肝が据わっていなかった。
「つっきー何してんだテメェ!」
「……瀬野川? ほ、報告書押しつけに来たのか?」
「何漫画っぽい言い回ししてんだよ! ソッコーで桐花泣かしてんじゃねーよバカが!」
風圧を感じるほどの剣幕だ。
「え? トイレに行っただけだろ、あいつ」
「職員トイレでうずくまってたぞ。早よ行け!」
「い、いや、女子トイレに入れってのか!?」
はっとした顔すんな。
「……てこたぁ、あれか」
瀬野川が窓の外を窺う。
俺もいたたまれない気分にさいなまれているんだから、他人の目を過剰に気にしてしまう桐花はなおさらきついのかもしれない。
「見てて気分悪ぃからなぁ、他人の幸せなんて」
「い、いや、桐花はそんな奴じゃ」
「桐花のことを言ってんじゃねぇよ。この愛の告白ごっこが刺激が強すぎるんだろ。共感性羞恥だかいうヤツさ。後でググってみな」
瀬野川は開いていた窓を閉めたが、下の叫び声を止めるまでには至らなかった。
『戻ってきてくれ』
チャット画面に打ち込み、『送信』をタップしようとして指が止まった。
トイレに行った女子にこんなチャット送って良いのか?
嗣乃も多江も間違いなく気にしないだろう。
瀬野川も無頓着だ。
でも、桐花は?
「うおっ!?」
突然背後で聞こえたガンという音に身体が跳ねた。
「ふ、二人とも! 急いで下!」
「桐花!?」
会議室の引き戸を壊す勢いで突っ込んできたのは当の桐花だった。
「つっきーこれマジでヤベーわ」
瀬野川が指さす先を見ると、本当にヤバかった。
「二年八組! 条辺塔子さん!」
学校一空気が読めない男に名前を呼ばれた学校一の猛獣が人混みをかき分けて接近していた。
「つっきーこれ間に合わねえぞ!」
「分かってるけど!」
飛ぶように階段を降りていく桐花に、瀬野川となんとか付いていく。
条辺先輩を捕らえられなかったら暴行事件になりかねない。
やっと昇降口を抜けて上履きのまま外へ飛び出した瞬間、強張っていた体の力が抜けた。
「んがあぁ! 離しやがれこのくそ! もががががが!」
「条辺先輩抑えて!」
「ねーさんお願いだから!」
陽太郎と嗣乃が二人がかりで条辺先輩を捕らえてくれていた。
そこに桐花が飛びかかって口を押さえた。
「つっきーさっさと指揮取れ!」
うわっと、そうだった。
瀬野川が取った方がいいと思うんだけどな。
「多江! 山丹先輩呼んでくれ! 杜太、イベント進めろ! 瀬野川、俺と会場整理!」
乱闘を期待した見物人を下がらせると、なぜか同級生達に生暖かい視線を向けられた。
「頑張れ安佐手ぇ!」
「そんなに次期生徒会長の座が欲しいかぁ?」
だからこの学校に生徒会なんぞねぇんだよ。
指示を出せば出すほど笑いが起きるのはんなんだ。
陽キャはなんでも笑いの材料にできるんだな。
「んぐぐぅ!」
「じ、条辺! 俺のことならいくらでも殴ってくれてもいい! だから……!」
犯罪教唆するなよこのマゾヒスト!
笹井本マコト部長氏は今日も空気は吸うだけじゃなくて読むものでもあるってことも覚え欲しいよ。
俺が既に一発謹慎食らってるってのに、ここで条辺先輩が部長氏をぶん殴ったら自治会は大打撃だ。
俺達は生徒会じゃないんだ。
態度で示さないと誰も付いてきてくれないんだよ!
「みなっちゃん何してんの!?」
周囲の笑いが大きくなったが、すぐに止んだ。
「……二人とも、そこに直れ」
山丹先輩、お早い到着で。
そこにいる誰もが咎め立てられている気にさせるような、恐ろしい声だった。
『白馬』に乗った当校の女王が、メデューサのような視線を浴びせていた。
迷っている場合ではなかったんだろう。
山丹先輩を背中から降ろした白馬は、肩で大きく息をしていた。
「笹井本、ダメ子」
あまりに剣呑な空気に、誰もが静まりかえっていた。
俺はこんな人物の後を継ぐのか。
平均身長より低いこと以外の共通点がないのに。
「や、山丹先輩……こ、ここじゃなくて小会議室で」
ナイスだ白馬。
このままじゃ閉会時間まで告白大会が終わらない。
ふぅ、仲間が揃うと色々楽だ。
「それもそうね。二人とも付いてきなさい」
「だから悪いのはこのウジ虫野郎だろ!」
俺も心底条辺先輩に同意する。
でも、暴言と暴行は何であれアウトだ。
「桐花、大丈夫か?」
条辺先輩から手を離した桐花は不満顔だった。
「いっぱい手舐められた」
桐花の手はよだれでべったべただった。
はぁ、どうせそんなもんだろうと思ったよ。
条辺先輩の行動は半分悪ふざけだ。
「だからそこのフナムシ野郎がアタシに喧嘩売るのが悪いんだろ!」
「じ、条辺、俺はそんなつもりじゃ」
うわ、泣きそうだよ部長氏。
遊ばれてるのに気づいて。
取り囲む連中は「頑張れ」だの「告れ」だの声をかけているけど、絶対にいじくり回して楽しんでいる。
まぁ、確かに見かけ倒しで可愛い性格の人だとは思うけど。
「番号二十番の方! いなかったら飛ばしますよー! とーた! 二十番飛ばしで!」
瀬野川の呼びかけに、誰も応じなかった。
ついに辞退者が現れたか。
案外双方同意の上でこの舞台に立たない場合もあるのかもな。
笹井本部長氏は例外として。
「あ、あの、瀬野川ちゃん、二十番、お、俺ですん……」
「あんだよとーた。テメーが持ってたのかよ……ハァ!?」
俺はなんとなくこの展開を読んでいたから驚きはしない……なんてめっちゃ心臓が早鐘打ってるよ! 逃げたい! この場から逃げてしまいたい!
「いや、え? え、えと、つ、つぐ! 会場整理頼む!」
「え!? あ、あたしが!?」
はぁ、揃いに揃ってこのザマだ。
俺も逃げ出したいけれど、大切な杜太の晴れ舞台を見逃すのはいかんしなぁ。
あぁ、それよりもこういうのに弱い人物がいた。
「あ、あ、う……ゲホッ!」
肌の白い部分が全部真っ赤だ。
目が合った俺に何かを訴えようとしているが、言葉になっていなかった。
「大丈夫だから、落ち着いて」
「お早い彼氏ヅラだねぇつっきーよぉ」
デカめの声でなんてことを言ってくれるんだ、条辺先輩。
早く小会議室行ってくれ。
「あーアメリカンなお手々舐めまわしてみたら美味かったなぁー! でもさぁー、アメリカンな味の中にさぁー……キモヲタの味がしたんだよなぁ……安佐手月人みたいな味がしたなぁー! おっかしいなぁー!?」
周囲がざわついた瞬間、隣の人影が消え去っていた。
どうしてそんなに早く逃げるかな。
ちょっと傷ついちゃうんだけど……。
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