少年と小さな訣別-5

 今日の桐花は可愛いというよりも、きれいだった。

 頬周りに広がっているそばかすはメイクで薄く消されていた。

 普段は日焼けして赤みを帯びている肌は、黒髪との落差で真っ白に見えた。


「な、何?」


 しまった。

 じっと見ていたのがバレたか。


「へ? あ、な、何でもない」


 まずい、漫画みたいな台詞を吐いてしまった。

 突然、桐花が俺の真横から消えた。


「何でもないってのはねぇ、拙者、桐花殿が可愛すぎて下から上まで舐め回すように視姦しておりましたでござるデュフフフコポォ! って意味だからね。分かった?」


 嗣乃に抱きつかれたのか。


「こ、コポォ?」

「知らなくていいから!」


 また桐花に余計な単語を植え付けようとしやがって。

 しかも古いし。


「二人でどこ行くの?」


 朝から思っていたが、ひどい顔だ。

 濃いめのメイクで誤魔化しているつもりなんだろうが、目の下のクマが隠しきれていなかった。


「よーはどこだよ? 最低二人一組で行動って言っただろ」

「細かいなぁ。よーはそっちの教室で捕まってんだもん」


 バスケ部のおでん屋か。


「あのね桐花、つっきはね!」


 何を吹き込むつもりなんだか。

 嗣乃の元気が空回りしているのは辛いが、それでも元気を出そうという気があるだけましだ。


 よく見ると、嗣乃の髪はきれいに切り揃えられていた。

 恐らく、桐花を美容院に連れて行ったのは嗣乃だ。

 自分は前髪カットだけを受けて、先に学校へ戻ったんだろう。


「よー、嗣乃のそばにいろよ!」

「……ああ、ごめん」


 陽太郎は朝よりもクマが濃くなっていた。


「みっともない顔しやがって。もうちょっとみんなに謝れ」


 少し茶化してやらないと。


「……嗣乃から何か聞いたか?」

「う、うん。一応」


 陽太郎が力無く答える。

 声で芳しくないことは分かった。


「……一番最初の場所、だってさ」

「はぁ?」


 陽太郎の顔が一段と暗くなった。


 少しだけ嫌な予感が頭を過ぎった。

 嗣乃はまさか、陽太郎の告白を受ける気はないのか?


「つっき何してんの! ちゃんと、あれ、なんだっけ? エスなんちゃら!」


 エスタークのことじゃなければエスコートのことか。


「ダン部行くんでしょ? 階段混んでるからエレベーター使っちゃいなよ! じゃあね!」


 嗣乃は一方的にまくしたてて俺達をエレベータへ押し込むと、どこかへ行ってしまった。



「やっと来たかテメーら」


 ダンス部の教室前に出来た長蛇の列を避けると、真っ白くなった髪の毛に赤やら青やらを混ざっている条辺先輩に捕まった。

 デニムのホットパンツにペラペラのTシャツという格好は初日からそのままだ。

 体の線がくっきり出ていて目のやり場に困ってしまう。

 しかし、なぜ列の整理担当が接客をしているんだか。


「窓席に金髪美少女ゲットしたクソ委員長ごあんなーい! アガリ二丁ふたちょう!」

「ダメ子ちゃんと接客してよ!」


 条辺先輩によって、窓際のパーテーションと木の板で囲われたスペースへ案内された。


「安佐手君、向井さん、ひとまずはおめでとう」

「え? あ、ありがとうございます」


 笹井本部長氏は相変わらず生き生きとしてるなぁ。

 条辺先輩が近くにいるからかな?


「無理に招待して申し訳ない。安佐手君は特にここに案内したくてね」

「え? 山丹先輩がこのカードをくれたと思ったんですけど……?」 

「いや、俺だよ。君のお相手が誰だか分からなくて、山丹にお願いしたんだ」


 クスクス笑いが様になってるなぁ。


「私です!」

「き、桐花!」


 でかい声で言うなよ。

 パーテーションの外まで聞こえるだろうが。


「あはは、すまない。さぁ、座って」


 カップルシートと言いつつ、置いてあるのは背の高いカウンターチェアだった。


「二人とも、下を見てごらん。君達が作り上げてきた物が見えるから」


 こじらせてるなぁ部長さん。

 頭の中で茶化したくなる気持ちは、一気に吹き飛んだ。


「うわ……」


 校庭を見下ろしたこの日は多分、忘れられない。


 白と黄色の集会テント群。

 それを取り巻くように立つ模擬店の数々。

 その間を歩き回るたくさんの人々。


 あぁ、俺達はこれのために奔走していたのか。

 地べたを這い回っていては見られない光景だった。


「存分に自分自身を褒めるといいよ」

「は、はぁ」


 キザな台詞を残しつつ、部長氏がパーティションをずらして出て行った。

 その間も、下の光景から目が離せなかった。


「た、食べよっか」


 パウンドケーキが運ばれてきたことすら気付かなかった。

 桐花が小さく咳をしてから、首を縦に振った。


 少しだけハーブの香りが漂うパウンドケーキは、美味しいなんて表現では足りなかった。

 桐花も一口食べた瞬間、目を見開いていた。

 今年でまだ二回目だというのに、これだけの人気を集めてしまう理由が分かる味だった。


「うまい?」


 口を動かしながら、桐花が頷く。


「甘い物好きなの?」

「ん、和菓子の方が好き」


 飲み下しながら言う。


「おじい……あの和食のお店でよもぎ餅作ってて、すごくおいしくて」


 おじいというのは例のヘビメタTシャツを着た割烹料理屋の主人か。

 しかし、よもぎ餅とは渋いなぁ。


「何が好き?」

「俺? ええと、前に作ってくれたやつなんだっけ? 白玉の」


 桐花の目が大きく見開かれた。

 変なこと言ったかな?


「あ、あれは、缶だったから、今度、ちゃんとしたの作るから!」

「へ? あんこを一から作るの?」


 あんこって物凄く大変って聞いた事あるぞ。


「作り方は分かるけど、うちではできないから、おじいのあんこもらってくる!」

「あ、あぁ、そういうことね」


 どうしてだろう。

 他愛のない会話だけど、心の底から楽しくてたまらない。

 分かり合うって、こんなに気分が良いことなのか。

 会話が途切れてしまっても、その気分の良さは途切れなかった。


 だからこそ、少し憂鬱さが首をもたげる。

 この気分を陽太郎と嗣乃にも味わって欲しいのに、どうしてあんなに噛み合わないんだろう。


 嗣乃の混乱に陽太郎が翻弄されるのはもうまっ平だ。

 そんな嗣乃をしっかりと捕まえられない陽太郎を見るのも疲れた。


「……嗣乃のこと、心配?」

「い、いや」


 しまった。顔に出してたか。

 今はあいつらのことを考えては駄目だ。

 こんな時に何してくれてんだよ我が兄弟。

 桐花にまで心配かけやがって。


 俺も俺だ。

 こんなに大事な相手が近くに居て、達成感を感じられる景色が広がっているのに。

 どうして鬱々とした気分にならなきゃいけないんだ。

 横に座る一番大切なはずの桐花の表情は困惑に変わってしまっていた。


「……二人のこと、心配じゃないの?」


 桐花の怒り混じりの声を浴びせられ、もう嘘は吐けなかった。

 これ以上は隠しきれない。


「ご、ごめん、二人のこと、考えてた」


 桐花の顔も少し暗くなった。


「……だから、自分だけだと思わないで」


 声は刺々しいのに、言葉は暖かかった。

 前にも同じ言葉を言われた。


「ごめんなさい……今、一緒にいられて、嬉しいのに、嗣乃が、心配で……」

「う、うん」


 なんだ、二人して同じ心配をしていたのか。


「昨日、ずっと嗣乃と話してた」

「あ、あいつ、どこかで陽太郎を待つって言ってなかったか?」


 桐花が首を縦に振った。


「一番大事な場所で待ってるって。初めての場所で待ってるって」

「そ、それ! どこか思い当たらないか!?」


 桐花が首を横に振った。

 あぁ、そうだった。

 ずっと一緒にいるような気分だったけど、まだ出会ってから一年も経ってないんだった。


「嗣乃、ずっと、つ……安佐手君と話したいって言ってた。本当は、助けて欲しいって」


 数日前に散々話して俺に怪我まで負わせてくれたじゃないかよ。


「……嗣乃のこと、助けて」


 そんな辛そうな顔をして言わないでくれ。

 その願いは叶えられないんだよ。


「駄目に決まってんだろ」

「ど、どうして?」

「あいつはお前に言うだけで、実際俺に泣きついてこなかったんだぞ?」


 俺の部屋は嗣乃の部屋からたった三十秒の距離だ。

 なのに、嗣乃は来なかったんだ。


 桐花に弱音を吐きながら、必死に踏ん張っているんだ。

 だから、今は手を差し伸べたりはしない。

 本当に助けが必要な時は今じゃない。


 そんな決意をしている俺の思いを知ってか知らずか、桐花が急に立ち上がった。


「ど……どした?」

「嗣乃がいた!」

「え? どこに?」

「校門向かってる!」

「ちょっと待てって! 会計!」


 一度桐花に腕を掴まれたら、俺の力では振りほどけない。


「なーに焦ってんだよ? オゴりだから行け」


 条辺先輩がパーティションをずらしてくれた。


「ありがとうございます!」

「お、おい桐花!」


 桐花が走り出した。


「桐花、嗣乃を捕まえてどうするんだよ!?」

「捕まえない!」

「どこ行くか見当付いてるのか!?」

「追いかける!」

「へ!? あいつに見つかったらどうするんだよ?」

「場所言わせる!」


 結局捕まえるってことじゃないかよ。


「お、おい落ち着けよ! それじゃあよーとの約束の意味が!」

「駄目! 嗣乃は自分が何してるか分かってない!」


 桐花がブチ切れていた。

 腹から声が出ていて滑舌も良い。

 果報者だよ嗣乃。

 こんなに良い親友を怒らせるなよ。



 校舎から人でごった返す校庭を避けて駐輪場へと猛ダッシュをしたにも関わらず、桐花の呼吸は一切乱れていなかった。

 案の定、嗣乃の自転車は駐輪場から消えていた。


「はぁ、はぁ……速いって」

「ゆっくり付いてきて!」


 自転車で正門を出た瞬間、桐花が風のように坂を下っていった。

 制服のスカートが翻り、まるで飛んでいるかのようだった。

 スカートの下にジャージを履いていなかったら丸出しになるところだぞ。


 見惚れている場合ではなかった。

 携帯を取り出して、瀬野川を呼び出した。


『はいよ?』

「ごめん、よーはどこにいるか分かるか?」

『なんでいちいちごめんとか付けるんだよ? よたろーなら休憩だよ』

「ごめん、四人抜ける」


 大きな溜息を吐かれてしまった。


『マジで言ってんのか? ぜってー許さねーぞ。行って来い』

「いや、頼む! もう二人外出ちまった……え?」

『だーから行って来いっつってんだよ!』


 瀬野川の優しさに涙が出てしまいそうだ。


『アタシの上司はテメーだからテメーに従うんだよ! 違うか!?』

「え……あ、ごめん」


 また溜息を吐かれてしまった。


『行って来い! それから嗣乃に伝えろ……何があっても愛してるって』

「は、はぁ?」


 こんな時まで茶化しやがって。

 でも、お陰で少し気が楽になった。

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