卑屈少年と清廉少年、勝負もせず-2

 頭を冷やすという作業は大切だ。

 今ほどそれを実感したことはなかった。

 だが、正気に戻ると自分の行動がよく分からなくなってきた。


 俺は何をしているんだろう。

 一度頭を冷やしてから、ホールへ向かうつもりだった。

 そして、桐花に会う。


 でも、会ってどうしたいんだろう。


「おいこらぁ! もう時間だから引き上げろ! 前夜祭でも楽しみやがれ!」


 拡声器を通した条辺先輩の声が響いた。

 色々あったが、学園祭はなんとか形になった。

 俺は少しでも役に立てたんだろうか。


 でも、色々なわだかまりも残してくれた。


『あなたが欲しいんです』


 朝礼台を見る度、あの言葉が聞こえる気がした。


 会長氏のことはどうでもいい。

 ここは最後に桐花と言葉を交わした場所でもある。

 六角レンチ付きの鍵は、俺のバッグの中だ。


 学園祭が終われば、いつものように自治会の仕事をこなす時間が帰って来る。

 変わらない日々が帰ってくるのか、俺にとってもっと良い日々が待っているのか。


 それはきっと、俺自身にかかっている。


 やっとたどり着いたホールの前には、演劇部前部長氏が一人座っていた。


「遅い」

「こ、こんばんは」


 宇宙人と主張したらしい真っ白い全身タイツのような衣装のせいで、丸さが一層際立っていた。


「遅すぎるぞ貴様。関係者チケットは他の奴に渡してしまったぞ」


 ホールの出入口にかかっている時計を見ると、思った以上に時間が過ぎていた。


「何を突っ立っておる? ワシはそろそろ出番だから戻らなければならぬ」


 こんなところまで来て怖気づいてどうするんだ。

 でも、なぜか体が動かなかった。


「……自治会の一年委員長という立場で何故ワシの言うことを守らぬ? 前の席は取るなと言っただろうが」


 俺に一言文句を言うために待っていたんだろうか。

 手で額を押さえつつ、主宰氏が巨体から大量の空気を吐き出した。

 役者だからか、雰囲気もばっちりだ。


「……宜野が、好きなチケット抜いておけばおごってくれるって言ったんで」


 あいつがチケットを抜いていったから、その隣のチケットを俺も抜いた。

 陽太郎はもう気づいているかもな。


「フン……大人しく座っておけよ?」

「は、はい」


 ほんの出来心というか、薄汚い嫉妬心とでも言えば良いんだろうか。


 宜野が抜いたチケット番号6番は、中央列の通路側だった。

 正しくは、Aブロックの6番。

 使用される席数は三百席。

 前からAからJまで三十席ずつのブロックに分かれている。

 縦方向の通路は左右から五席目ずつの場所にそれぞれ二本奥まで通っている。


 宜野が自治会室で抜いたチケットはA6番席。

 そして、俺が抜いたのはAブロックの7番席のチケットだ。

 ホール前の待機場所の明かりが前部長氏によって消され、明かりは非常口のピクトさんだけになった。


「ほれ。通路をまっすぐ前へ進め。転ぶなよ?」


 灯りを消した主宰氏が、ホールへのドアを開けてくれた。



「あのオッサンはどこにいるんだ!?」


 大声で女子の演者が叫び声を上げていた。


「わ、分からない! う……! またウウゥ◯コ!! の臭いがきつくなってきたぞ!」

「だからいちいち強調して言うな!」


『ブブブブ』という下品な音を響き渡った。

 舞台上では十人以上が、床に這いつくばって伸びていた。


 相変わらずひどい下品さだ。

 緩やかな下り階段になっている通路を降りたところで、俺の足は止まった。


『え……?』


 Aブロックの6番席。

 俺がここだと思った位置に、金髪頭が見当たらなかった。


 周りを見回しても、ステージからの照明で茶色い髪色の生徒がちらほらいるくらいだ。


 どうして。

 どうして俺は桐花に会えないんだ。

 会いたくて、話がしたくてたまらないってだけなのに。

 なんでだよ……。


『……なーんてね』


 昨日から色々あり過ぎだよ。

 混乱しすぎて、かえってすっきりした気分だ。


 よく見ると、俺が立っている廊下には赤いカーペットが敷かれていた。

 いかにも青春を謳歌している奴が好きそうな舞台が整っていた。


 A6席に座る人物は間違いなく、俺が求めている人物だった。

 どれほど見た目が変わっていたとしても、例え後ろ姿しか見えていなくても分かってしまう。


 夏休み前に短かくなった髪は更に短くなって、首はおろか耳が半分出てしまっていた。

 それより何より、その髪の毛は周りに溶け込んでしまう色に変わっていた。

 でも、簡単に分かってしまう。


「席一つずれてくれ」

「ひっ」


 俺に耳打ちされた相手が、驚いて口を押さえた。


 舞台が暗転した。

 宇宙船のブリッジらしきセットが組まれたステージに、オッサン役の宜野が立っていた。

 よれよれのスーツを着ているが、目を奪われてしまうほど凜とした立ち姿だった。


 客演が主演とは。

 随分大胆なキャスト変更だが、正しいキャスティングだと思えた。


「貴様……!」


 相対する宇宙船乗組員は、演劇部の現部長だった。

 片手で鼻をつまんだ状態で、カラテのような姿勢をとっていた。

 すぐ横に倒れているのは前部長氏か。


「さぁ、もう立ってるのはあんただけだ」

「き、貴様は地球の兵器なのか!?」

「んなワケねぇだろう。お前らは嗅覚が強すぎて、しかも地球の汚物の臭いに弱いなんざとっくに気付いてたんだよ。頭悪いくせに地球を破壊できる兵器なんか持ってるってこともな」


 相手を屈服させようとするかのような声音で、オッサン演じる宜野が現部長氏演じる宇宙人を牽制した。


「お、俺は他の奴らのようにはいかんぞ!」


 鼻声で、いかにも愚鈍というキャラクターがよく表現できていた。


「ヒュウゥゥ……!」


 ああ、父上の蔵書であんな動きする漫画あったなぁ。

 世紀末覇王的なの。


「ひっ! ひぃぃ! な、なんだ!? その姿勢を見ているとモブとして倒されなきゃいけない気分になってくるぞ!」


 オッサンこと宜野が、拳法めいた動きをしつつ副司令を徐々に追い詰める。


「お、俺を倒してしまったら、お前は地球に戻れなくなるんだぞ!」

「お前らを放っておいたらあのすっげー大砲で地球ぶっ壊すんだろ?」


『一撃で地球を破壊できるネオアームストロングサイクロン……以下略砲は、セットが完了しているのである!』


 ナレーターさんは相変わらずノリノリだな。


「そ、そんなことはないぞ! 我々は水が必要なのだ! お前の星は飲み放題ではないか! なんか青いし!」

「え? 海はほとんど塩水だぞ?」

「塩水!? そんなものを飲んだら死んでしまうではないか! 貴様らはどうやって生きているんだ!?」


『宇宙人は相変わらず下調べの甘さが地球人の百倍なのである』


「え? 塩水飲んだら死ぬの?」

「俺達は塩に弱いのだ!」


『宇宙人は、地球人の百倍塩水に弱いのだ。そして口の軽さも百倍なのだ』


 だから何なんだよその設定。


「お前らこんな宇宙船作れるんだから塩水を真水にしたり出来るんじゃねぇの? 塩水だったらたくさん持っていっていいのに」

「その装置は忘れてきたのだ!」

「取りに帰ればいいだろ!」

「手に入ると思って水をいっぱい使ってしまったから帰れないのだ!」

「お前らマジなんなの!?」


『宇宙人の脇の甘さは、やはり地球人の百倍なのである!』


「やっぱりいいや。お前もう倒す」

「フン! 私の素早さは地球人の百倍だぞ? どうやって倒すというのかな?」


 副司令がオッサンを挑発する。


「そうか。なら、俺も秘めたる力を開放しよう」


 オッサンが両手で作ったVサインを横向きにして額につける。

 昭和の特撮か?


「な、なんだその姿勢は?」

「お前も同じことをすれば分かるさ」

「そ、その手には乗らんぞ!」

「いや、やってみなって」

「鼻から手を離したら、やられてしまうではないか!」

「ちょっとだけ! ちょっとでいいから、ほら!」

「やらん!」

「大丈夫、平気! もう隔壁閉じてあるし」

「だ、だまされないぞ!」

「あ、そうだ。死海っていう湖があるんだけどさ、そこって真水過ぎて生き物が生きられないんだよ。とりあえず帰れるだけの水取れるんじゃね? ほら、地図でいうとここな!」

「ほ、本当か!?」

「本当本当! 俺を信じろって!」

「よし、コンピューターエックス! 死海の水を回収しろ!」


 ゴゴゴゴという音が響いた。


『死海の 水を 回収 します』


「この宇宙船声でコントロールできるのか? すごいな」

「ああ、すごいだろ! コンピュータエックスと呼びかければなんでもしてくれる! しかし地球にお前を転送しようとしても無駄だからな! 生物の星への移動は司令にしかできないのだ!」


 宜野の顔が観客側に向き、悔しげに歪んだ。

 その司令役の前部長氏は倒れたままだ。


「お前、手が鼻から離れてるぞ?」

「え? 大丈夫だ! さぁ、勝負……」


 宜野が少しだけ尻を突き出すと、『ブゥゥッ!』という音が響いた。

 副司令は意識を失って崩れ落ちた。


 ひっでぇ幕切れだなぁ。

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