選ばれないことを選ぶ選択-5

 瀬野川が去ると、嗣乃は毛布を被ってしまった。


「……怒ってる?」

「多江を遠ざけたことか?」


 無駄な質問だ。

 俺と多江は長続きしないという嗣乃の言葉が本心でもそうでなくても、構わない。

 そもそも俺と多江がうまくいかなかった原因は嗣乃じゃなくて、自分自身にある事くらい分かっている。


「怒ってねえよ。俺と多江は普通にしてるだろうが」


 簀巻の嗣乃が毛虫のように這いずり、俺の膝からノートパソコンを蹴散らして枕にしてしまった。


 ちょうど、鉄琴の音が鳴り響いた。


『学園祭実行委員会から、協力のお願いです。東校舎の、恐怖の館は、本日、十三時より、テスト運営を、開始致します。テスト運営に、ご協力いただける方は……』


 やっと完成したか。

 携帯の画面に、陽太郎からの着信が表示された。


「どうした?」

『放送聞こえた?』

「聞こえたよ」

『一日遅れだぞって怒鳴り散らさないの?』


 何を言っていやがる。

 あくまで目標にしていた日を過ぎただけだ。


「謹慎食らって手伝えなかった奴が怒鳴るとかあり得ないだろ」

『なんだそんなこと? どうせ夜になったら手直しが発生すると思うからさ、その時にでも手伝ってよ』


 ぬぅ、そりゃそうか。


『……嗣乃はどうしてる?』

「あ? あー……」


 やべぇ。すげぇ気まずい。


「んー……寝てるよ」


 寝ている。嗣乃は寝ているんだ。

 膝の上から俺を穴が開くほど見つめているが、寝ている。


『……どうせつっきにべったり甘えてるんでしょ? いいよ、そのままで』


 正解だよ馬鹿野郎。

 なんで普通にしていられるんだよ。


「嗣乃、そろそろいい加減にしろよ?」


 なるべく苛立ちを込めた声で告げたが、嗣乃はまったく動いてくれなかった。


「俺トイレ行きたいんだけど? 頭打つぞ?」


 なんだよもう。


「頼む。ほんとに頼むから。漏れる!」


 渋々嗣乃が頭を退けた。


「すぐ戻る」


 大してトイレに行きたい訳でもなかったが、この状況から逃れたかった。

 靴を履いて窓から外へ出ると、なぜか嗣乃も背後に着地した。


「は? な、なんだよ? 痛いって」


 どんと背中を押された。

 なんだよもう。


「桐花はどこで何してんだ? 自転車の鍵返さなくちゃいけないんだけど」

「さっさと歩いて」


 結局、嗣乃に付き添われたままトイレと自治会室を往復するよりなかった。


「嗣乃、元気ならちゃんと仕事に参加しろよ」

「あんたの看守してるし」


 俺はちゃんといい子にしてるだろうが。


「あー! 嗣乃、安佐手! 食べてってよ!」

「え? 何これ!? 超うまそう!」


 変わり身早っ!

 クラスメイトからクラムチャウダーを強引に押しつけられ、自治会室へと戻った。


「はぁ、暖まるぅ!」


 良かった。

 嗣乃は全く元気がないと言うわけではないらしい。

 しかし、食べ終わったらまた俺を枕にしてしまった。


「な、なんでだよ……?」


 嗣乃は、俺に負けず劣らず駄目な奴だ。

 男二人も付き従えて、そのうちの一人と一番深い仲になりつつある。

 なのにそれを素直に受け入れきれず、もう一人の男にべったり甘えてしまっている。

 俺の姉兼妹兼親友兼諸々。

 正直、こんな嗣乃が可愛くて仕方がない。


「なぁ嗣乃、俺このままだとよーに恨まれちまうって」


 絶対あり得ないってことは分かっているんだが。

 そして、自分から嗣乃を振りほどかないといけないことも分かっている。


「動かないで」


 振り落とそうとして一喝されれば、自分の体は勝手に止まってしまう。

 でも、それもそろそろ限界だ。俺だって一応は男なんだよ。


「なぁ、甘え足りないなら瀬野川に甘えてこいよ」


 瀬野川なら、絶対お前を裏切らないよ。

 多江だって、桐花だって。

 でも、俺はお前を裏切るよ。


 俺はお前が陽太郎の気持ちに曖昧な態度をとり続けるなら、はっきりしてくれるまでお前を揺さぶり続けるよ。


「頼むよ。嗣乃」


 俺にこんな気分ずっと引き摺れって言うのか?

 なら、俺は誰に泣きつけば良いんだ。

 嗣乃に手を差し伸べてくれる瀬野川のように、誰か俺に手を差し伸べてくれる人はいないのか?


 誰かに助けを求めたくなると、桐花の顔が浮かんでしまう。

 桐花は俺よりも脆い部分が多いのに、どうして頼ってしまいたくなるんだ。


「……嗣乃、頼むから離れてくれ」

「なんで」


 なんでも何もない。

 こんなのはおかしいからだ。


「もう、頼むから離れてくれよ」

「……なんで?」

「俺が辛いからだよ!」


 あれ?

 こんな答えを返すはずではなかったのに。

 悩んで苦しんでいるのは俺じゃなくて陽太郎と嗣乃なのに、どうして俺が辛いなんて言えるんだ。


 でも、俺は今確かに辛くて堪らなかった。

 どうしてこんなに辛いんだ。


「頼むから、頼むから陽太郎を頼ってくれよ。どうして俺につきまとってんだよ」


 声を荒らげることすらできない。

 どうすれば嗣乃は俺から離れてくれるんだ。


「じゃあさ、俺がずっと一人で居りゃいいか? いつでも好きな時にお前が甘えられるようにしとけば。それで満足か?」


 童貞ぼっち確定の俺に言い訳が注ぎ込まれるのは嬉しい限りだよ。


「……駄目」

「ならどうすりゃいいんだ? 俺がきれいさっぱり消えればいいのか? 結局俺が原因なんだろ? 俺がお前らを邪魔してるんだろ?」


 俺さえいなけりゃ、こんなに嗣乃は苦しまなかったのかもしれない。

 でも、俺はここに存在してしまっている。


「……つっきがいなくなったら、あたしもよーも死ぬ」

「はぁ? もう……分かったよ。もう無理強いしないから、いつかでいいから。よーも多分、待ってくれてるんだろ?」


 でもさ、俺はもう待てないんだ。

 嗣乃、自分がどうなりたいか決めてくれ。

 お前は陽太郎に残酷なことをしているのに気付いてくれ。


「……ほんとのこと、言う」


 本当のこと?

 陽太郎への本心か?


「……よーに、痛いくらい、抱きしめられて、好きって言われて、愛してるって言われて……うれしくなって、抱きしめ返したら、すごく気分良くて」


 なんだ、良かった。

 でも、その後何があったんだ。

 突然子供っぽい話し方をされると、心配になってしまう。


「あのね……つっきにも、同じこと、して欲しいなって、思った。なんで、こんな……」


 嗣乃がどんな人間か、何も分かっていたはずなのに。

 陽太郎と俺への愛情が深過ぎて重過ぎて、自分では制御もできない。

 それが汀嗣乃だって分かっていたのに。


「……こんなの、仁那にも、言えないと、思ってたのに……ごめん……なさい」

「それ以上言うな。俺達はその、特殊過ぎるんだから仕方ねーだろ」


 嗣乃の迷いは普通の迷いだ。

 誰だってそうだ。

 一番好きな人だけが好きで、他の人が嫌いなんて人間はいない。

 

 だけど、嗣乃はそれが看過できないんだ。

 生まれてからずっと一緒にいる相手なら尚更だ。

 陽太郎を心の底から裏切りたくないから、その気持ちが看過できないんだ。


 できればしてやりたいよ。

 陽太郎と同じように、抱きしめて愛してる言ってやりたい。

 それで嗣乃が満足するなら。


 でも、今俺にできることは、ここでブレないことだ。

 今までたっぷりブレてきた分、今だけはブレちゃいけない。


「……ごめん。俺にはしてやれない」

「うん……ありがと」


 心臓の痛みが、少しだけ治まった。


「なぁ、よーにそのわだかまり、全部話してみろよ。大丈夫だから」


 嗣乃は黙ってしまったが、少しだけ目に光が戻ってきた。

 はぁ、世話が焼けるな。


「……信じるからね?」

「信じるも何も事実だよ……痛えって」


 嗣乃に上半身を預けられ、また肩口に咬みつかれた。


「嘘だったら、また咬む」

「いいよ、頸動脈食い破れ」


 嗣乃の体は離れたが、目は合わせたままだった。

 こうして咬まれるのも、これが最後か。


「嗣乃。その、あの、俺の方が瀬野川よりもお前のこと好きだし、ずっと、ずっと味方だからな」


 なんだか、変なことを口走ってしまった。

 俺は陽太郎よりも瀬野川の立場に嫉妬していたのかもしれないな。


「うん……分かってる」


 はぁ、やっと笑ってくれた。

 小さい頃から変わらない嗣乃の甘ったれたような笑顔だ。

 羨ましいよ、陽太郎。

 羨ましいだけじゃなくて、嗣乃をしっかり守り続けるお前が誇らしいよ。


「ねぇ、つっき……一個お願い」


 甘えきった声を出しやがって。


「いいよ、なんでも言ってみろ」

「最後のひと咬み」

「は、はぁ?」


 もう、なんでもしてくれ。

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