選ばれないことを選ぶ選択-4

「……コイツはね、やっぱり最初からよたろーが好きだったんだよ。格好いいし、優しいし、オメーみたいにウジウジしてるとこはねーし」


 そうか、良かった。

 多江は嗣乃の態度からして陽太郎が好きに見えないと言っていたが、瀬野川の言葉は信用して良いと思う。


「でもな」


 瀬野川が嗣乃を抱きしめ直した。


「はぁ、重てぇ。でもな、なんつーか少しずつ考えが大人になってくると、今まで見えてこなかった部分も見えてくるのさ。よたろーの短所とか、つっきーの長所とか。下手すりゃ気持ちが逆転しちまうくらいさ」

「……そりゃねぇだろ」


 瀬野川の視線が険しくなった。


「あるよ。あるんだよ」


 視線の怖さとは裏腹に、瀬野川の声は優しかった。


「アタシは多分、なっちがいなかったら今のアンタをちょっと改造したいって思うかも。アタシ好みに改造してムコ養子にして、アタシの家転覆させる計画に加担させて……なんて考えるかもね。やべ、笹井本かとりに感化され過ぎてるかも」

「だめ」


 嗣乃が駄々っ子みたいな声を出した。


「大丈夫だよ取らねーよ。なぁつぐ、どうなんだよ? よーとつっきー、どっちでもいいってこともあるのか?」


 嗣乃は答えなかった。


 あからさまに何かを迷っているのが分かってしまった。

 瀬野川にほら見ろといわんばかりの視線を投げかけられた。


「つぐはずっと自分の中で混乱してんだよ。そもそもつぐがちゃんと多江とお前の仲をバックアップしてればうまく行ってたんじゃねーのか? 口ではずいぶん気を使ったようなこと言うくせに、結局何もしやがらなかっただろ。コイツは多江とつっきーの相性がいいのは分かってたくせに、つっきーは取られたくなかったんだよ。馬鹿だねぇ」


 嗣乃の背中をぽんぽんと叩いた。

 嗣乃は荒っぽく鼻水をすするだけだった。


「つっきーをそんなに大事にしてどうすんだよ? お前のもんにしたいのか? すりゃいいじゃねえか」


 嗣乃は何も答えなかった。

 その質問は本当に困る。

 俺の心臓が早鐘を打ち始めた。

 手足の先がどんどん冷えていく。


「嗣乃、アタシも一緒に悩むから教えてくれよ。人に苦しみをなすりつけろよ」


 嗣乃の顔が、少し上を向いたのが分かった。


「……こんなこと、なるとは、思わなくて」

「あぁ? 話飛ばしやがって。女子サッカー部のことか? つっきーのことは守れたじゃねぇか」


 瀬野川の胸にあった嗣乃の顔はズレ落ちて、膝の上に落ち着いた。

 でも、相変わらず顔はこちらを向いてくれなかった。


「つっきのこと、守るだけで、良かったのに、あの、女子、サッカー部……完全に潰して、みんな、学校に、来れなくして……そこまでは……」


 あの女子サッカー部の連中は完全に学校に来ていない。

 本当に、過激な結末だった。


「よーが、みんなのこと、確実に、守るには、これしかないって」


 嗣乃は今更何を言っているんだか。

 俺がこうして五体満足なのは陽太郎が一番確実な手段を取ったからだ。


 誰かがあの破れかぶれに増長しきった笹井本杏を止めなくちゃならなかったんだ。

 それは、俺にはできない。


「……よたろーが怖くなったんだろ?」


 瀬野川が少し怒りの籠もった声を出した。


「アタシはよたろーのやり方に賛成だよ。イカれた奴はしっかり心をへし折っておかねーとどうなるか分かったもんじゃねぇんだ」


 笹井本かとりへの嫌がらせ目的だけのために女子サッカー部を名乗り、親の権力で特別扱いを校長に認めさせた。

 偽造書類による不正会計や笹井本会長氏への殺人未遂に近い暴行、学園祭を潰すために計画された俺達への暴行未遂。


 陽太郎は後ろ盾になっていた笹井本杏の父親まで巻き込んで壊滅させてしまった。

 俺達を守るために、死力を尽くしたんだ。


 嗣乃は小さな復讐心をここまで大きく発展させてしまった陽太郎が怖くなってしまったんだろう。


「嗣乃、あんなことはもう二度とねぇよ。よーはもうあんな過激な真似しないよ」

「……つぐ、返事くらいしろよ」


 嗣乃が体を起こし、体育座りになって瀬野川と並んだ。


 案の定、顔は鼻水で滅茶苦茶だった。

 でも、こうしてパニックを起こすのも嗣乃を可愛いと思ってしまうところだ。


「……あたしがムキにならないで、あの連中、そっとしておいたら、良かったのかもしれないって、思って。リナ……笹井本会長の、気持ち考えたら、そっとしておくなんて、できなくて」


 そんなに好きだったのか。

 笹井本リナだった頃の会長氏が。


「ちげーな」


 瀬野川が即座に否定した。


「あぁいう連中はこっちが何もしなかったらしなかったで、あっちから動き出しただろうよ。注目されたいがために面白半分に人を傷つけたり事件を起こしたりすんだよ。よたろーはそんな馬鹿のスパイラルからアイツらを救ってやったんだ。それが分かんねーほど馬鹿じゃねーだろ、つぐ!」


 馬鹿だなぁ、俺も。

 この件がうまくいけば、嗣乃は陽太郎をちゃんと見るようになると思っていた。

 俺のゲーム脳はどうしようもないな。


「あぁ、その、嗣乃、ごめん、俺、あの生徒会長に……」


 うるせぇブスなんて言葉をぶつけてしまったことを謝りたくなってしまった。


「いいの……今のあの人は、リナ先輩じゃない。あの人、好きになれない」


 なんだ、やっぱり兄妹は気が合うな。


「でも、あの人……つっきのこと、連れて行っちゃう」

「まだそんなこと言ってんのかよ? つっきーはオメーのもんじゃねーよ……ん? どした?」

「あの、人、つっきのこと、貰い受けたいって、わざわざ、あたしに言ってきて」

「ほ、ほほー! マジで! つっきーとありあえず一晩お相手お願いしていんじゃね!? 痛ててて! 肩咬むなよ!」


 あの人の相手をするなんて、絶対に無理だ。

 俺の下半身はあの人の視線を思い出すだけで過冷却状態だ。


「瀬野川、俺、まじで怖いんだよ、あの人が」

「ハァ? もったいねぇな。モテ期来てんのに」


 モテてないっての。

 会長氏が欲しいのは俺の悪知恵だけだ。


「駄目……あの人は駄目」

「だから、つっきーはオメーの物じゃねぇんだよ! まだ分かんねーのか? つっきーがあの女の色香に絆されても文句を言う権利なんてねぇんだよ! お前は所詮コイツん家の隣の隣に住んでる他人なんだよ! 他人!」


 瀬野川から容赦ない言葉が嗣乃に叩き込まれた。


「そんなに大事ならお前が奪えばいいだろ! それができねえならいい加減コイツを解放しろ!」


 瀬野川の言葉に首を横に振る嗣乃の真意が分からない。


「つぐ、つっきーの邪魔すんなよ! オメーの大好きな金髪は今どこで何やってんだよ? お前は何を隠してんだよ!? 桐花もつっきーから遠ざけるのか!? おい!」


 何を言っているんだ。

 桐花は自分から俺を遠ざけてるんだぞ。


「なぁつっきーよ、つぐが好きなら、落としちまえ」


 初めてかもしれない。

 嗣乃のことを考えて心臓が痛むのは。

 心配で心臓が痛んだことなんていくらでもあるけれど、これは明らかに違った。


「な……何言ってんだよ……?」

「フン。そりゃそうだよな。つっきーは金髪にベッタベタだもんなぁ。つぐが多江に感じてたような不安は桐花には一切ねーしよ!」

「ど、どういう意味だよ?」


 だから、期待を持たせないでくれ。

 本当にそれだけはやめてくれよ、瀬野川。


「もう一つバラしといてやるわ。おいつぐ、杜太が多江に惚れてるの知った途端に杜太の側に回っただろ。つっきーに多江を諦めるように吹き込んだだろ? 何やってんだよ!」


 何言ってんだ?


 嗣乃は何も言わなかった。

 瀬野川は吐き気を押さえるように、唾を飲み込んだ。


「つぐ……嗣乃、アタシはね、アンタがほんとに好き。こういう手のかかるところとかたまんない。つっきーとよたろーを馬鹿みたいに大事にしてるところもさ。でも、分かってんだよ。アンタは誰かに好きって言われる度に辛くなるのも」

「辛くなる……? 嗣乃が?」


 なんだそれは。どうして好意を向けられることが辛いんだ。


「つっきーも、つぐも、それからよたろーも。自分自身を見くびってんだよ。どうして好意を向けられるか分からないだろ?」


 分からない。

 笹井本会長が本気だったことを今知ったが、それでもあの人が俺に自分の身を捧げても良いという理由が分からなかった。


「アタシもそうだったから分かるよ。なっちに告白された時さ、なんでこんな完璧美少年がアタシごときを好きになってんのって。正直、すっごく気分悪かった。アタシの理想のなっちは、アタシなんか好きになっちゃいけないんだよ」


 同じだ。

 俺も毎日多江と会話している間、どうして多江が俺みたいな奴にあれだけ時間を割いてくれていたんだろうと思い続けていた。


「ど、どうやって勝ったんだよ、その感覚に?」

「なっちが、それもアタシだから構わないって言ってくれたんだよ。アタシはまだ自分のことあんまり好きじゃないけどさ、なっちに好かれてる自分は好きなんだよ」


 だったら、嗣乃は大丈夫じゃないか?

 陽太郎なら、ちゃんと嗣乃の気持をこじ開けてくれるはずだ。


「アンタも嗣乃も、自分の気持ちと戦えよ……戦ってみろよ。はぁ……悪い……アタシちょっと気分がちょっと、アレだわ。つぐ、アンタがアタシをいらないって言わない限り、アタシはずっと側にいるよ。だからさ、アンタ自身が違うと思う選択だけはすんなよ? あ、アタシ、なっちのところ行ってくるわ」

「し、白馬なら、野球場の整備してるから、手伝ってきてくれ」

「お、おう、知ってる!」


 瀬野川は嗣乃のに自分の顔を押しつけてから、窓から外へ出て行ってしまった。


 思いっきり嗣乃の唇にキスして行きやがって。

 どこまで嗣乃が好きなんだ。

 オーバーなスキンシップで嗣乃を励ましてくれて、しかも嗣乃のことを誰よりも理解してくれるのは瀬野川仁那だけだ。


 どうして嗣乃はせめて瀬野川と同じくらい、陽太郎と強く結ばれないんだろう。

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