第三十一話 『四人姉弟』の時間の終わり
『四人姉弟』の時間の終わり-1
少ない街灯に凍結寸前の気温の中でも、我が愛車は快調だった。
信号が赤になる度に、踵を外に振ってペダルからシューズを外すのはなかなか恐ろしかった。
「ふぅ」
ペダルに靴を固定できるこのビンディングシューズというものは、桐花が装着している姿を見た時から憧れていたアイテムだ。
自転車は先程桐花のお父さんが持ってきてくれた。
俺と嗣乃の顔を見るまで、整備が終わっていたことを忘れていたらしい。
借り物らしいボロボロの軽トラに乗っていた我が愛車の姿は、前にも増して美しく見えた。
運動は本当に気を楽にしてくれる。
普段から少ない脳みそをフル稼働させている俺には言い休憩時間になった。
「もう走ってきたの? 誘ってよ」
我が家に戻ると、ベンチコートを着てカップアイスを食べる嗣乃がいた。
他人から見ればちぐはぐな光景だが、暖房をケチる三家でベンチコードは必須アイテムだ。
「お前は練習する必要ないだろ」
ビンディングペダルを買ったのは俺だけだ。
「そのダウン干すからクローゼットにかけないで。あんたが自転車にハマるなんてねぇ」
「チャリとオタクは結構相性いいぞ」
自転車はただ漕ぐ移動手段ではあるけど、知れば知るほどヲタの心を刺激する要素が多かった。
メカやらセッティングやら、移動手段としての優秀さやら。
タダでアキバに行けるから……なんて言ってた彼の気持ちが今なら分かる。
うちからは三百キロほどあるから無理だけど。
「……ん? アイスなら自分で取ってよ」
「え? いや、風呂入るから」
なんとなく、嗣乃の顔を見つめてしまった。
宜野の馬鹿野郎のお陰で余分な悩みが増えてしまった。
何が俺と嗣乃がお付き合いしているんじゃないかだ、ボケが。
あの余計な一言がボディーブローのように効き始めたのは、両親に続いて陽太郎の帰りが遅れるという連絡があってからだ。
二人で鍋を囲む間、一言も話せなかった。
まぁ一言も話せないことなんてよくあることなんだが、今日に限っては嫌な沈黙だった。
「ぶえっ!」
ばさっとフェイスタオルを頭に被せられ、そのままぐいぐいと頭や額の汗を拭かれた。
「うへぇ、顔冷たっ!」
頬を触る嗣乃の手が熱かった。
「明日はどっか行くの?」
「そうだなぁ。海沿い避けて暖かそうな道を走るか」
正直なところ、出発するかどうかも分からなかった。
「ふぅん。いい道見付けたら四人で行こうよ」
「んー……うん」
桐花を呼ぶ気満々か。
今日の桐花は格好良かったな。
明日からどう接して良いのか分からなくなるくらい綺麗だったな。
会話が途切れてしまった。
そうだ、こういう時は何を言うべきか決めてあった。
なんでもいいから、褒めたり感謝したりしてみようってことだ。
「あ、あの、さっきの鍋美味かったよ」
「は? 鍋のつゆ開発した人に感謝してよ」
「褒め甲斐のないこと言うなよ」
「つっきって満足してる時は黙ってばくばく食うから分かるよ」
「そ、そう?」
言われないと気づかないな。
美味しいと思ったら、次々と口に入れてしまう癖はあるかもしれない。
「せっかく気合入ってたのに鍋なんてクソテンプレなリクエストしやがって! てめーで作れやそれくらい! って不満はあるけど?」
俺にはあんなに上手く作れないっての。
「だったら明日は俺の鍋でいいか?」
嗣乃の体がびくっと跳ねた。
気に障ったことでも言ったか?
「あ、あぁ、明日のメニューはもう決まってるから。あたしの家でもう仕込み始めてるから期待してて。また牛だけど」
「あぁ、うん」
一応、会話らしい会話はできた。
ほんの少しフィルタがかかってしまっただけで、生まれてこの方ずっと一緒の嗣乃が違う人間に感じてしまうんだ。
宜野からの一言が強烈に効いているのは確かだった。
やはり俺達の関係は、第三者から見れば
嗣乃も普段とは違う気がした。
普段であれば、一も二も無く俺の態度の変化に突っかかってくるはずだ。
そうしないのは、俺に変な目で見られていると感じて警戒してしまっているのかもしれなかった。
それとも、明日何かがあるんだろうか。
気にはなるが、首を突っ込んじゃいけない。
陽太郎と嗣乃のスケジュールなんてまるで知らないし、知る気もなかった。
自分ができる以上の仕事に首を突っ込まないこと。
陽太郎と嗣乃、そして桐花にも誓ったことだ。
誰かが俺に助けを求めてくるまでは、口を開けて待っていることしかできないんだ。
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