『四人姉弟』の時間の終わり-2

 俺の部屋の扉が開いていた。


「何してんだよ? いつ帰ってたんだよ?」


 陽太郎になら、いくら部屋を漁られても構わないんだが。


「エロマンガ借りに来た。風呂なら嗣乃の家だよ」


 冬になると、湯を張る風呂は家ごとにローテーションを組んでいる。

 こんなことをしているのも、他人から見れば異常に映るのかもしれない。


「お前らなぁ、二人きりだったのになんで違うことしてんだよ?」

「ん? どういう意味?」


 早く進展してくれよ。

 そして俺を置いてずっと先へ進んでくれ。


「お前らもういい加減にしてくれよ。宜野の馬鹿が俺と嗣乃が付き合ってると思ってたぞ。もっとそれらしくしろよ」

「へぇ、サンプルも面白い感覚してるね」

「キモヲタのもてあそび方が面白いってか?」


 だとしたらいじめ方が上手過ぎるぞ、宜野の野郎。


「違うって。あんなに実直っていうか、悪意がない人間って初めて見た気がしてさ。仲良く口喧嘩してるだけで『お付き合い』まで考えを発展させちゃうなんて」


 俺もそう思う。

 悪意はないんだ。


「宜野のことはどうでもいいんだよ。お前ら本当に大丈夫なのか? 事務的とか言われたぞ」

「自分で言い出してどうでもいいってなんだよ?」


 陽太郎は不敵に笑うだけだった。


「つっき……ちょっと、風呂を後回しにしてもらっていいかな?」

「は? いいけど」


 部屋を漁る手を止めた陽太郎が、そのままカーペットの上に寝転んでしまった。

 なんとなく求められている気がして、その横に寝転んだ。

 川の字には一本足りないな。


「相談していい?」

「なんの?」

「人生」

「はぁ?」


 ヲタを隠している中学生の妹か、お前は。


「嗣乃、どう思ってる?」


 甲子園球児並みのド直球だな。


「分からん」


 即答できてしまう自分が嫌だ。

 正直、本当に分からない。


「へぇ、変わったね」

「まぁ……うん」


 今まで嗣乃は『家族』という括りを逸脱しなかった。

 間違いなく『分からない』と表現する間柄ではなかったはずだ。


「でも、それ以上にはならねーから安心しろよ」

「俺に嗣乃を押し付けるんだ?」


 なんだその言い方は。

 いや、構うな。


「お前以外誰が嗣乃を押さえつけられるんだよ」

「つっき」


 言われてみれば、押さえつける自信は多少あるな。

 でも、それを正直に伝えることはできなかった。


「だとしてもお前の方が得意だろ。俺はあいつが暴れ疲れてからしか捕まらねぇよ」

「そうかな?」


 正直、自分が何を言っているか分からなかった。

 陽太郎も理解したふりをしてくれていそうだ。


「お前みたいに暴れる前に落ち着かすことなんてできねぇ」

「そっか。少し自信持てそうだよ」 

「お前、何が言いたいんだよ?」


 話の方向性がまるで定まらないな。


「別に。ちょっと聞いてみたくて。つっきはどれくらいみんなとこういう話をしてるの?」

「はい? まぁ、最近はそこそこしてるかもしれないけど」


 やたら相談される立場にあるのは間違いない。

 恋愛経験も何もない完全童貞なのに。


「杜太が多江のこと好きだったなんて、最近まで知らなかったよ」

「へ……?」

「有充と瀬野川のことも、結構後に知ったよ」


 そりゃ、瀬野川は自分のくだらない方便を事実にすべくお前を籠絡しようとしていたからな。


「多江がその、つっきとは、そういうつもりじゃなかったのも、知らなかったよ」


 過去をほじくり返して俺のSAN値を削らないでくれよ。


「みんなどうしてつっきにばっかり話して、俺には話してくれないのかな?」

「はぁ? みんなってなんだよ? 俺は自分のことについてはお前に全部話してるだろうが」

「そうは思えないけど?」


 こりゃ、相談じゃなくて愚痴や文句の類いだな。


「ならさ、つっきは今誰か好きな人いるの?」

「え? えと……いないな」


 陽太郎の疑いの視線が突き刺さった。


「俺は、嗣乃が好きだよ」

「うぇっ!?」


 変な声が出てしまった。

 ここまではっきり言われたのは始めてかもしれない。


「で、つっきは誰が好きなの?」


 なんだこの感情。

 好きだと言える相手がいないことが恥ずかしくなってきた。


「で、つっきは?」

「……いねぇ」


 なんだ、この格好悪さを表明するような気分は。

 陽太郎は誰と言っても受け止めてくれるのに、どうして俺はいないと言ってしまうんだ。

 そっか、本当にいないからか。


「ふーん。それを本音として認定しよう」

「いじめないでくれよ」


 陽太郎が息を大きく吸って吐いた。


「嗣乃のこと、好きだって思ったことはないの?」

「……ねぇよ」


 くそ、そろそろ逆襲してやろうかな。


「お前もないだろ」

「うぇっ!?」


 同じような反応しやがって。

 陽太郎の嗣乃への想いなんて、俺とそれほど変わらないのは分かっているんだよ。


「……おかしいんだよ、俺」

「おかしい?」


 やっと俺へのいじめから人生相談にシフトしたか。


「嗣乃が好きだよ。嗣乃のためならなんでもしたいし、ずっと一緒にいたいんだよ。それは事実なんだよ。でも、俺でいいのか分かんないんだよ。つっきが嗣乃に対して本気だったら……全然勝てる気がしないんだよ」

「なんだよ、それ」


 少し横を向くと、陽太郎の目尻から光る筋が通っていた。

 涙を流すほど悩んでいるのか。


「つっき、どうやったら嗣乃をその……女の子として扱えるかな?」


 少し体が震えてしまった。

 陽太郎に気付かれていないと良いけど。


「最近はなくなったけど、多江に抱きつかれるとその、背中に胸が当たったりしてさ、息が顔に当たったりして心臓が割れそうになるんだよ。瀬野川が俺の服とか髪の毛とか指摘してくれて、こんなのが彼氏だったら最高だよって言われたらクラっとくるよ。条辺先輩はいつも顔を近づけてくるからドキっとするし……でも、嗣乃には……」


 何を長いことぐちゃぐちゃと。


「……嗣乃にはドキっとしない代わりに、安心するんじゃねぇの?」

「やっぱりつっきも同じか。そうだよね」


 こちらを向いた陽太郎の顔は笑っていた。

 俺と同意見じゃ駄目なんだぞ、お前は。


「んー……まぁな」


 一瞬晴れた陽太郎の顔が曇った。


「違うの?」


 かかったな。

 俺の嘘を吐く時の癖らしい「んー」に。


「……落ち着くとかじゃなくて、当たり前ってか、家族なんだよ。そこはお前とは違うんだよ」


 嘘だよ。

 多分一緒だよ。でも、違うってことにしたい。


「え? あ、そ、そうかな?」

「ん……ゲホッ! そ、そうだよ。だからその、その気持ち忘れるなよ? 頼むから」


 危ない。今の『んー』は本当に口癖で出てしまった。


「ほ、ほら、四六時中心臓が跳ねるような相手といるんじゃ疲れるだろ」

「で、でも、ドキドキしないって、恋愛みたいなことになるのかな?」


 知るかよ。

 だから嘘を重ねるしかなかった。


「なるに決まってんだろ」


 知らない癖に知ったかぶるのは立派な嘘だ。

 陽太郎にこんなに嘘を吐くのは始めてかもれない。


 急に頭の中の整理が付かなくなってきた。


「とにかくその、嗣乃こそお前しかいないんだよ」


 部屋着はどこだ。

 そうだ、俺は風呂に入るために部屋着を撮りに来ただけなんだ。

 ここで陽太郎とこんな重たい話をするためじゃないんだ。


「ほ、本当に、嗣乃は俺を?」

「……そ、そうだよ!」


 陽太郎の視線はどこを見ている訳でもなく、ただ呆然としていた。


 頭の中に硬い石が無限に生まれて、頭蓋骨の中に詰まっていく。

 重くて、動かすと石同士がぶつかり合って軋んだ。

 とにかく、頭が重くてたまらない。


「俺、風呂入って来る」

「え? う、うん」



 逃げるように階段を降りると、ソファに体育座りをした嗣乃がむくれていた。


「二人だけで何の話してたの?」

「エロ話」


 相変わらず寂しがり屋だな。

 一応嘘ではないつもりだ。


「ふぅん。ちょいとここ座って」

「風呂入ってくるんだよ。甘えたいならよーに言え」


 代わりに少し荒く、嗣乃の頭を撫でる。


「……そんなんで機嫌が直ると思うなよ?」

「だから悪かったって」


 嗣乃の目が細くなった。


「……あんた、こういうこと他の子にしてないでしょうね?」

「んー……してねえよ」


 桐花にしてしまったことは何度かあるけど。


「どの女子も頭撫でられるの好きだと思うなよ?」

「俺がそんなことしたら社会的に抹殺されるっての」


 俺は今、兄としてヘソを曲げた妹の嗣乃をあやしているだけだ。

 桐花も似たようなもんだ。多分。


「よーは全然してくれないんだけど? なんなのあいつ」

「当たり前だろ。お前に嫌われたくねぇんだよ」

「はぁ?」


 分かってないな。

 嗣乃の頬を両手でぐいっと挟み、ぐにぐにと揉みほぐすように動かしてみる。


「こんなことよーがしてきたら、嫌われるリスク考えてねーのと一緒だからな」

「……されない方がいいってこと?」

「そうだよ。お前から手ぇ出せよ」


 複雑な顔しやがって。


「俺にこんなことされるのも嫌がれよ」

「はぁ? してくんないと寂しくて死ぬし」

「だから、そういう感覚を卒業しろっつってんだよ」


 嗣乃には悪いけれど、これが最後だ。

 俺はもう二度と、自分から嗣乃には触らない。


 嗣乃の顔から手を離そうとすると、手を強く掴まれた。


「痛えって」


 嗣乃の目が心配そうに俺を見ていた。


「つっき?」

「なんだよ?」

「……どこ、行くの?」


 咎めるような声だった。


「は? 風呂だけど」

「そうじゃなくて……どこ行っちゃうの?」


 子供がむずかるような声だった。


「だ……だから、どういう意味だよ?」

「ご、ごめん。なんか、あれ?」


 たまにバグるんだよな。

 こんな一人で何もできない俺がどこにいなくなるってんだ。

 いつも同じ場所にいて、前に踏み出せなくて途方に暮れてるってのに。


「家出でもしそうな顔してたか?」

「そうじゃなくて、つっきが、いなくなっちゃったって、あたしの頭の中が……目の前にいるのに」


 陽太郎も嗣乃も、どうしたんだ。


「な、なんだよ、ワームが俺に擬態してるとでも思ったか?」

「……そうかも」


 肯定するなよ。


「俺何型オルフェノクかな?」

「声豚型?」

「ありそうだな」

「……ごめん。なんか、束縛激しい親みたいで」


 みたいじゃなくてそのものだよ。

 また俺の手を掴もうと伸びてきた嗣乃の手をかわした。


「よー! 降りて来い。こいつ噛むもん欲しがってる」

「何よその言い方!」


 そのままの意味だ。踵を返してリビングの出口へと向かう。


「ちょっと、待ってって!」


 もう話は終わりだ。

 嗣乃が呼び止めるのを無視して玄関を出た。


 もう何も考えたくなかったのに、無意識に携帯の画面を見てしまう。

 何分か前に震えた気がした。


『明日は暇?』


 急に頭の中の石が消え失せた。

 頭で判断する前に、返事を書いていた。


『自転車に乗る』


 一緒に出かけてくれないかな。

 そんな淡い期待を抱いている自分が気持ち悪い。


『SPDの練習?』


 なんだ?

 スペシャル・ポリス・デカレン……の訳がないか。

 シマノ・ペダリング・ダイナミクスだ。

 要するに、ビンディング付きペダルのことだ。


『うん。あと、お勧めの道』


 返事がない。

 それだけで吐き気がこみ上げてきた。


 送られてきたURLをタップすると、マップアプリが起動した。

 あぁ、この場所は覚えている。

 前に行けなかったお寺だ。


『8時に行く』


 え? 八時にここに集合?

 というか、本当に一緒に行ってくれるんだろうか。


『迎えに行く』

『遠回り』


 我が家の近くの県道を走るのか。

 確かに、桐花の家に集合してたら遠回りだ。


『わかった』


 急展開だな。


 三兄弟だった俺達は、気がつけば金髪の自称姉を迎えて四姉弟になってしまっていた。

 でも、その解散時期は近い。


 陽太郎と嗣乃がいずれ解散を言い渡してくれる。

 早くそうなってくれ。

 そうしないと、俺はずっと嗣乃にどう接して良いか分からないままだ。

 そしてそのたびに、桐花に助けを請うことになってしまうんだ。

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