三兄弟、解散の予兆-2
衣替えの日を迎え、久々に袖を通したダサい生徒自治委員会ジャケットはクラスメイトの憐憫の視線を集めていた。
でも、今朝は冷え込んでいるので脱ぐ訳にもいかなかった。
最近の俺達三兄弟はジャージに自治会ジャケットという服装以外ばらばらだった。
家に帰っても、陽太郎と嗣乃がいないことが増えた。
夕飯時には帰ってくるのだが、家で仕事の話は禁止という嗣乃の提案に同意せざるを得ず、他愛のない話しかしなくなってしまった。
二人が理想の関係になる一歩を進められているのなら良いなと思う反面、良からぬ連中と仲良くなったりしていないかなどというオカンのような心配も首をもたげてきていた。
とはいえ、一つ覚えたことがある。
必要もないマイナス思考をするのは、暇をもてあました贅沢行為だ。
過去の過ちを悔やむのは今後の糧になるが、過去を悔やみ続けるのは無駄というものだ。
でも、最悪の事態を常に考えて対応していくのは必要なマイナス思考といえると思う。
マイナス思考から抜け出せないなら、せめて役に立つマイナス思考をすべきなんじゃないかという消極性の極致みたいな考え方だけど。
教室の引き戸が乱暴に開かれた。
「はい挨拶省略! ホームルームからぶっ通しで授業すんぞ!」
学園祭の準備のために時間を取ってくれるんだろう。
依子先生の手に握られたチョークがどんどん短くなっていく。
「あ、基本の言葉復習すっか。スタグフレーション説明しろ金髪」
隣の金髪が慌てて立ち上がり、便覧のページを懸命にめくった。
「見なくても説明できるだろ」
桐花が大人しく便覧を閉じ、すっと息を吸った。
「この後自習にしてやっから早くしろ」
嫌なタイミングで先生が促す。
もちろんわざとだ。
桐花と山丹先輩を贔屓するという宣言は授業中でも健在だった。
「全員便覧開くんじゃねぇ。記憶を掘り起こせ」
うぐ。これは明らかに便覧を桐花に見せようとした俺への牽制だ。
横からちょいちょい桐花を助けていたのはバレていたか。
「スタ、グフレーションは……」
質問はそんなに難しくない。
問題は緊張だ。
緊張は努力をして積み重ねてきた蓄積をいとも簡単に押し流してしまう厄介なものだ。
「意味は……停滞で……」
やっと桐花の口が動き始めた。
緊張で閉ざされた記憶の扉を開けることに成功したらしい。
「あーん? ババアには聞こえねーんだよ何歳年上だと思ってんだ!」
「す、スタグフレーションは!」
「それ正しい発音だとなんてーの?」
わざわざ口を挟んで桐花の発言の腰を折る。
「わ、分かりません」
「ふーんそう。続けて」
桐花が
「よし、合格点!」
正直何を言っているかは伝わってこなかったが、必要なキーワードが盛り込まれていたので合格となったようだ。
「よーしこれから黒板に書くもん書いたら自習な。学祭のこと話し合って良し!」
腰を下ろした桐花は苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
「どうした?」
「……いっつも当てられる」
「気のせいだろ」
全くもって気のせいじゃないけど。
桐花と他数名の声が小さい生徒へのヒット率は突出して高かった。
桐花のことだから、当てられた数を数えていそうだな。
「気のせいじゃない」
ふくれっ面のままで携帯をいじる姿は見ていて飽きない。
しかし、桐花はすぐに携帯をしまって顔を伏せてしまった。
今日のスケジュールを見て凹んだんだな。
「ゲネは絶対連れて行くからな」
「やだ」
「とりあえず嫌がってみるパターンは通用しないからな」
今日の放課後は演劇部のゲネプロという通し稽古が開催される予定だった。
もちろん宜野も出演する。
本人は別々の学校になって安心していたんだろうが、今後のためにも宜野に慣れてもらわないと困るんだ。
「一言くらい宜野と話せよ。向こう三年間の付き合いになりかねないんだぞ?」
「……やだ」
いつもながらグズってる時の妹っぽさが超可愛い。
俺の勝手な妹像だけど。
あぁ、俺超気持ち悪い!
「安佐手達ごめん、席変わってくんない?」
「ん? はいはい」
声をかけてきたのは学級委員カップルだ。
二人して目が悪いからよく席を貸している。
「きーりーか、ここ!」
学級委員カップルの席を乗っ取った嗣乃の馬鹿が自分の膝を叩いていた。
嗣乃の膝は嫌いじゃないらしく、桐花は素直にその膝に収まった。
「はい」
「はいってなんだよ?」
嗣乃の隣の席に座ると、机に尻を引っ掛けるように腰掛けた陽太郎が紙束を起こしてきた。
腰の掛け方で高身長というか足の長さをアピールしやがってこの糞イケメン野郎が!
「向井が探してた資料。去年の自治会のだよ」
「は!? こ、これどこにあったんだ!?」
「向井があれだけ大騒ぎして探してるから、山丹先輩達に覚えてる限りで作ってもらったんだよ」
「す、数字は!?」
早速俺から紙束を奪い取った桐花は興奮気味だった。
「依子先生が全体予算の数字ならあるって言ってたよ。内訳も探してみるけど期待するなってさ」
「う、うん!」
陽太郎が褒めてと言わんばかりに俺の顔を見ていた。
「助かったよ。数字はしかたないにしても……痛ぁ!」
「うっわすごい出た!」
なんで俺のニキビを潰すんだ嗣乃の馬鹿は!
「何すんだ馬鹿野郎!」
「うっはぁ今の超気持良かったぁ!」
そりゃそうだろうよ。
俺が丹念に育ていてた耳の下の特大ニキビだったのに!
「ブサメンがもっとブサメンになったらどうしてくれるんだこのクソ妹が!」
「いつからあたしが妹になったんじゃボケェ! あだぁ!」
嗣乃に鉄拳制裁をしてくれたのは野球部マネージャーさんだった。
「うるさいよアンタ達! 安佐手はこれ塗る!」
「え? あ、ありがとう」
ありがたく使わせてもらおう。
「なぁ自治会、今相談してもいいか?」
「ん? ああもちろん」
陽太郎に話しかけたのはチャラいダンス部員君だった。
一応和解はしてはいたが、俺としてはまだちょっと怖かった。
「桐花の髪の毛うまーい」
「た、食べないで!」
金髪を
「嗣乃てめーアタシの話聴きなさいよ! 野球部マネージャーチーム全員ボランティアしてやるって言ったんだから愚痴くらい聴けよ! 桐花も一緒に聴け!」
この子美人なのに結構口調きついのね。
愚痴ってことは恋愛がらみで間違いないだろう。なんとか傍受できないものか。
「あのな、部長が俺らのカフェを中央五階にのど真ん中で、しかも二部屋にしたいとか言いだしてよ、空いてるか分かるか?」
横で展開されるコントを無視してダン部のチャラ男がノイズを発し始めた。
傍受しにくいじゃないか。
「え? 五階に二教室? うーん……つっき、どう思う?」
「いいんでないの? 空いてれば」
変な要求だな。
高層階になればなるほど集客力は当然落ちるからどの部も嫌がるはずだ。
「先生、携帯いいですか?」
陽太郎が依子先生に声をかけた。
律儀だなぁ。
「あん? いいや、携帯解禁! ゲーム起動してる奴を密告したらジュースおごってやるわ」
うわぁ監視社会。
目立ったいじめがないこのクラスだからできることだな。
ダン部はパウンドケーキを提供するカフェを出すんだそうだ。
昨年は初出店にも関わらず、模擬店別の売り上げも集客もトップと書かれていた。
自ら売上を落とすようなことをしてどうするんだか。
今年は学校側も自治会も集客力に期待して、東校舎一階の物品管理室という空き教室を割り当てているはずだ。
その教室は昇降口に一番近いのだが、構造上の欠陥で地下のボイラー設備の余熱が部屋を暑くしてしまうのだ。
ちなみにその教室の隣も同じ欠陥があり、資料室になっている。
「五階なら一部屋は休憩所だから、そこをダンス部に管理をお願いするのはどう?」
携帯をいじって部屋の割当表を開く。
隣りに座る嗣乃のジャージのポケットから携帯を奪い、中央校舎五階のマップを表示させて突き合わせた。
「勝手に使わないでよ!」
「お前が仕事しねーから携帯に仕事させんだろが」
「ほうほう。我が携帯は持ち主に似て優秀だからな!」
そうだな。
求めた情報をちゃんと画面に表示してくれる分、持ち主よりも優秀だな。
「えっと……この五階の隅っこの待機所ってなんだっけ?」
「吹奏楽部の待機場所だよ。二時間ごとにマーチングをするんだってさ」
「なら休憩所をそこにして待機場所は物品管理室で良いんじゃないの?」
新校舎は全てエレベータがあるとはいえ、客優先だ。重たい楽器を抱えて上り下りするのはきついだろう。
「この二部屋でいい?」
「ああ、構わねぇよ」
言葉のチョイスがキザったらしい奴だな。
「あ、もう旗沼先輩から返事きたよ。つっきの案で良いって」
陽太郎はもう許可取りに動いてくれていたのか。
二年も授業は切り上げたのかな?
「おい、それは安佐手の携帯じゃねえだろ」
おっと、そうだった。
嗣乃の携帯で普通にこいつのチャットIDを登録しようとしてしまった。
「画面の写真だけ撮らせろ。汀、構わないか?」
「え? あ、どうぞ」
嗣乃もこいつの意外な紳士っぷりに驚いたらしい。
「よし、これで部長に確認する。恩に着るぜ」
その言い方格好いいと思っているのか?
腹の立つキャラだと思っていたけど、こういう姿勢は学ばないと。
嗣乃を女子として扱うという姿勢は。
「それでどうして五階にするの?」
陽太郎の疑問はもっともだ。
「さぁ? うちの部長はいちいち尖ったことしたがるからな。景色のきれいなカフェにしたいんだってよ」
大変な上司を持ったな、ダン部連中も。
仕事は大変だが、上司に恵まれている俺達自治会は結構幸せなのかも。
進めたい仕事が多いのに、ダンス部員君の背後には相談したい生徒の列ができていた。
俺達は学園祭実行委員会じゃないんだけど。
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