少年、初めて己の立場に悩む-2

 部活間の紛争は、夏の終わりに必ず発生する風物詩なんだそうだ。


 職員室隣の小会議室は嫌な空気に支配されていた。

 隅っこでしまむら丸出しのジャージを着た依子先生以外は。


 女子バスケ部、女子バドミントン部の代表二名。

 互いに口を真一文字に引き結び、机を挟んで対峙していた。


 小会議室は以前教頭先生と話し合った大会議室とは違い、いくつかの長机とパイプ椅子が置かれただけの空間だった。


 机の隅っこには部活動の統括が本職ではない杜太と多江、そして条辺先輩が座っていた。

 案の定、条辺先輩の意識はどこかに飛んでいた。


 とにかく杜太の隣に座り、ノートを奪った。

 さすが杜太だ。しっかりメモしてくれていた。


 今回のケースは練習場所の取り合いだった。

 体育館の一階はバスケットコートを四面分も取れる床面積を誇る。

 二階も半分は床張りで、残りはトレーニング室と武道場だ。

 ただ、二階部分は天井が低くてバスケットゴールがないのだ。


 紛争の元は女子バドミントン部からの依頼だった。

 今年の高校総体の全国大会に団体出場を果たしたことを手土産に、一階での練習時間を拡大したいという交渉を持ちかけたのだ。

 バドミントンは空気の流れが重要らしく、一階の空気の流れで練習するのが実践的なんだそうだ。


「え? 依ちゃんまた一年連れてきたの? どうせなら瀞井陽太郎君連れて来てよ」


 あら、バスケ部の上級生にまでご指名か。


「あ? コイツはその従兄弟だから我慢しとけ」


 言わないでくれよ。

 比べられるから。


「あ、安佐手……です」

「そうかあさて君、こんど従兄弟紹介してね!」


 濁音足りてねぇよ。

 自分の声が尻すぼみだったのが悪いんだけど。


「議論と関係のない話はしないでくださいませんか? 曜日をひっくり返してもらえれば充分なんです!」


 うひぃ、怖い。

 この人がバド部の代表さんか。

 曜日をひっくり返すってのはどういう意味だろう。


「つ、月人、ここ」


 杜太が指し示してくれたメモを読むと、一階の練習日は月水金日がバスケ部で火木土がバドミントン部に割り振られていた。

 それはそれとして、いつ休むのこの人達?


「へぇ、従兄弟か……言われないと分かんないねぇ」


 女子バスケ部の人は陽気な人に見えるが、俺のセンサーは危険を知らせていた。

 馴れ馴れしく接して仲良くなったと見せかけてから、自分の要求を通そうとするタイプに見えた。


「関係ない話しないでよ!」

「もうこの話し合い自体必要ないでしょ? 今の練習の仕方で総体行けたんでしょ!」


 無茶苦茶言うなぁ、バスケ部さん。

 より上の順位を狙うためだよ。


「へぇ、バスケ部は現状維持が大事なんだ。これで向上心がどっちにあるかは分かったでしょ先生?」


 人の揚げ足取ったことにテンション上げすぎだろう。

 バド部さんも怖いな。


「は? 生徒間で話せ」


 さすが依子先生。

 塩対応もいいところだ。


「バド部は二階にコートで練習も試合もできるでしょ! うちら二階じゃ基礎練しかできないの!」


 それは二理も三理もあるな。

 バド部は最低限試合形式の練習ができるが、バスケ部はできることが限られてしまう。


「基礎をおろそかにしてるから全国行けないんじゃないですかぁ?」


 嫌味で混ぜっ返すのはやめてくれ。


 杜太のメモによると、女子バスケ部も昨年はあと一勝で全国というところまで行っているようだ。練習場所を妥協したくはないだろう。


 それに対してバド部は総体一回戦敗退、個人も一回戦全滅。

 もっと上位を狙いたい気持ちはよく分かる。


「杜太、体育館めちゃくちゃでかいのになんで女バドさんは女バスに退いて欲しいっていってんだよ?」

「あーあのぉ、どうして女子バスケ部と女子バド部の交渉なんですか……?」


 俺の質問をそのまましてくれたのは嬉しいけれど、それすら知らないでここにいたのかよ。


「え? 肝心なこと伝わってないよ依ちゃん!」

「んあ? ああ、ごめーんね! 塔子m説明したってよ」


 焦点が合っていなかった条辺先輩の両眼が一瞬光を取り戻したが、すぐにあらぬ方向を向いてしまった。

 バスケ部さんがため息を吐いた。

 依子先生と条辺先輩のキャラには慣れっこか。


「なんでか知らないけどさ、女子のバスケコートにのさばる感じでバドミントンコートがあるのよ」

「バドミントンコートにバスケットコートがのさばってるんでしょうが! ポールを立てる位置の関係で譲れないのよ」


 なるほど、再配置も不可能ってことか。

 そもそも、体育館を使う全部活の再配置はかなり難しそうだ。


「ん?」


 なんだ、すげぇアイディアが書いてあるじゃないか。


「杜太、これ提案してねーの?」

「ああーこれ、多江ちゃんが考えたんだけどぉ……」

「提案って何!? もうさっさとそれに決めちまおうぜ!」


 条辺先輩が息を吹き返した。


「どんな提案? 早く教えてよ! そこの多江ちゃんって子!」


 バド部の部長さんが食いついた。

 現状維持を希望するバスケ部の部長さんは、多江をぎっとにらみつけていた。


「え? あ、あたしのアイデア、ですか?」

「そうよ! うちの練習日が減るなら許さないけど」


 バスケ部さんは多江が一番防御力が低いと判断したな。


「あ、あのー代わって説明しますとー」


 はぁ? という顔で女バスさんが杜太を見るが、珍しく杜太は怯まなかった。


「えっとぉ、曜日ではなくて、完全に交互にするのは、いかかですか?」

「え! それ全然同意!」


 事実上一階での練習日数が増えるのだから、バド部さんは賛成だろう。


「それじゃぁウチが割食うじゃん! なんなの!?」


 何が「なんなの?」だ。

 ただ人を追い詰めるだけの雑言を吐きやがって。


「え……えぇとぉ」


 杜太が言葉に詰まった。

 多江は完全に下を向いてしまっていた。


「そこの多江ちゃんさ、自分の提案男子に言わせんなよ。ちょっと顔が可愛いのは認めるけどさ、姫にでもなったつもり?」


 その態度はまずいよ、バスケ部さん。


 依子先生がこちらを見ていた。

 先生の制止が入ってしまったら、話し合いは強制終了だ。


「あ……あの、ちょっと、いいですか?」

「なぁに? あさってくん?」


 やはり多江以外には牙を隠すか。でも、僕の名字を崩壊させないで。


「あの、この話し合いの趣旨は、女子バスケ部さんの救済なのは、理解してますか?」


 権力の傘に守られていれば、俺の口も動くらしい。


「はぁ? 何言ってんの?」

「へぇ、分かってんのはつっきーだけだったみたいねぇ」


 先に説明しておいてよ先生。


「だから何が言いたいのよ!」


 怖ぇ。でも怯んでる場合じゃない。

 この会話には目的がある。双方納得できる結論を出すことだ。


「あの、今日この場で結論が出なかったら、もう異議申し立ては終わりなんです。ここで物別れに終わってしまったら、実績が上のバドミントン部の意見が全部通っちゃうんです」

「は、はぁ?」


 バスケ部さんが狼狽していた。


「だから、話し合いに協力してもらえませんか?」


 言い方がきつくなってしまった。

 でも、ここで物別れに終わって恨まれ続けるのは困る。


「だ、だから協力してんでしょ! あたしはそこの多江って子に質問してんの!」

「そ、その!」


 杜太が突然大きい声を出した。

 夢中で多江を擁護しようとしているんだろうか。


「うるさいな! 一年坊になんの判断ができるのよ!」

「何一年生にすごんでるの!? 品がなさ過ぎるんだけど!」


 まずい。

 バスケ部さんにバド部さんまで怒りをぶつけ始めた。

 罵り合いは議論を空転させてしまうだけだ。


 一応、バスケ部の練習場所には一つだけアテがある。

 それを提案したらより怒りが大きくなるかもしれないが、選択肢がなかった。


「と、杜太、外のバスケットコートは使えないのか?」


 ヘタレだな、俺も。

 自分で言えば良いのに、どうして杜太に耳打ちをしているんだ。


「あ、あのぉ、ええとぉ、中庭のぉ、移動式の、バスケゴールにぃ、ネットを付けるんで、そ、そこを使ってもらえますか?」


 杜太、頼りになる奴!

 そういえばゴールネットがついていなかったっけ。


「バッカじゃないの!? ボールが傷だらけになるんだけど!? 雨の日とかどうすんのよ!」

「や、野外用のボールは夏休み明けに補充しますから、しばらくは新品が使えます」


 多江が震える唇でなんとか言葉を絞り出した。


「はぁ? 生徒用のボールなんて六号かも分かんないのに!」

「せ、先生! 生徒用のボール補充分を六号のバスケットボールにしてもいいですか?」


 どうせ生徒用のボールが全部使われていることなんてないから良いだろう。


「構わねーよ。来年の球技大会がもしバスケになったら拠出しろ。それから古いボールは選別して外で使え」

「ちょ、ちょっと、そんなゴネ得にしてもいいの自治会さん!?」


 バド部さんが狼狽していた。

 しかしなんだよ、ゴネ得って。


「その、ゴネてくれないと困るんです」

「は、はぁ?」

「えと、俺……僕たちは、言ってくれないと分からないんですよ。何も言ってこないのは、今に満足してるって判断するしかないんです」

「で、でもさ、こんなこと他の部が知ったら殺到しちゃうよ?」


 何の心配をしているんだ、バド部さんは。


「それは、全国か県決勝まで行ったような実績がなかったら、断ります」

「え? ちょっと君、みなっちゃんの真似ならやめた方がいいよ?」

「や、山丹先輩の真似なんてできませんよ」


 俺にあの山丹先輩の真似なんて無理に決まってる。

 豆腐レベルのメンタルを凍らせて水分抜いてカッチカチの高野豆腐みたいにしているんだぞ。

 お、我ながらうまい表現だ。


「ほーらすげぇだろ! 自治会のファルケンボーグこと安佐手月人は!」


 また依子先生は分かりにくいネタを使う。


「ふぁ、ふぁるけん……?」


 皆一様に首をかしげていた。

 プロ野球に興味がなければ合体ロボみたいな名前だと思ってしまうだろう。

 あまりパっとしなかったピッチャーに例えられてもなぁ。


「もう! こんなバッカみたいな話し合いいらないの! 現状維持でいいの! そんなにバスケ部が邪魔なの? さっさと練習に戻りたいのになんでアタシばっかりこんなことしないといけないのよ!?」


 代表で来ているのに、『アタシばっかり』なんて言うべきじゃないと思うんだけど。


「なんとか言ってよ! 絶対納得してやんないから!」


 納得する気はないのに言えってどういうことだよ。


 あー、うっぜぇ。


「あー、うっぜぇ」


 え!? 心の声出ちゃった!?

 と、思ったが、言ったのは条辺先輩だった。


「はぁ!? ダメ子何調子に乗ってんの!?」

「あぁん!? 調子狂ってるからうぜぇっつってんだよ! どう乗れってんだよこのクッソみてぇな調子によぉ!」


 うわ、目が据わってらっしゃる。


「はぁ!? 大体二年のくせになんで一年に全部やらせようとしてんの!?」

「もう結論出てるからだけどぉ? 全国行けなかった奴が何ゴネてんだよ」


 まずい。条辺先輩はバスケ部をひねり潰す気だ。


「は、はぁ!? あ、後一勝と一回戦負けと何が違うっての!?」

「おい全国行ったバド部。コイツに言ってやれよ。この全国行けねーザコがってよ!」

「え!?」


 バスケ部の先輩は食って掛かると思ったが、もう涙目で暴れるような気力を失っていた。


「でぇてぇよぉ、湊がいねぇの見計らって申し立てに来ただろ!?」


 え、図星?

 バスケ部さんが固まっていた。

 山丹先輩の御威光凄すぎやしないか?


「おい、答えろよ! じゃー持ち越してやろうか明日に。湊の意見に従うか?」

「だ、ダメ子、もういいって! あ、そうだ! 外コート使えない日は私達が、二階を使うから」

「はぇ……?」


 バスケ部さんが呆けた声を出した。

 一番の敵が自分の味方をしてくれたのだから、そんな声も漏れてしまうか。


「はい決まり! とーた清書!」

「へ? は、はいぃー!」


 杜太は俺からノートを奪い取ると、シャープペンを走らせた。

 条辺先輩が恐ろしかった。バド部から譲歩を引き出してしまうとは。


 方法はどうあれ、話し合いは終わった。

 依子先生がバド部とバスケ部に握手をさせ、やっと形として収まった。

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