第5話 世界を超えた焼き鳥

「――大事なお客様のことだ。少しくらい知っておいてもらわないとね」


 なお疑問符を浮かべるハルトに対し、ミトは滔々と話し始めた。

 この料亭みとりは、幽霊を相手にしている店。

 生者ではなく、死者に対して料理を振る舞う。

 多様な店が並ぶ異世界でも、この店は極めて特殊であるらしい。


「そもそも亡霊ゴーストというのは、普通の人には見えないんだ」


 街中を数百の霊体が闊歩していようと、常人はそのことに気づかない。

 しかし、極めて強い未練を持つ亡霊は例外らしい。

 そういった亡霊は、行き場を失った思念が肉体を現世に残そうとする。

 そのため敏感な人には見えるようになる。

 この料亭みとりに来る客の多くがそれなのだ。


 ここで、ハルトは疑問に思っていたことを尋ねた。


「未練というのは、何か分かるものなんですか?」

「分からない。本人ですら忘れていることが多いよ」


 多くの場合、亡霊は生きていた頃の記憶を失くしている。

 しかし、未練による呪縛は消えない。

 ゆえに、解決できない未練を抱えた亡霊は、現世に留まり続けるのだ。

 苦しみと虚無に苛まれながら、永遠に――


 それを踏まえた上で、ミトは力強く告げた。


「そんな亡霊を一人でも多く楽にしてあげたくてね。だから僕は、この店を開いたのさ」


 仮面の奥から覗く彼女の瞳には、強い意志が宿っていた。

 その気迫を目の当たりにし、ハルトは恐縮する。

 と、ここでミトが手をパンッと叩いた。


「さあ、立ち話はこれで終わり。お冷を運んでくれるかな?」

「あ、了解しました!」


 ハルトは慌ててコップを手に持つ。

 そしてカウンターの青年とテーブル席の二人に水を運んだ。

 青年は会釈を返しただけだったが、骸骨の二人組はハルトをまじまじと見つめてきた。


『そういや、見ない顔だな。新人さんかい?』

「あ……えっと」


 風化した髑髏と目が合う。

 一瞬、未知への恐怖で背筋が凍った。

 ただ、店員として客との対話は最低限のスキル。

 このくらいはこなさなければならない。


 気を強く持ち、ハルトはなんとか声を絞り出す。


「少しだけ、ここで働かせてもらっています」


 居候未満の身分であるため、そう答えるのが最適だろう。

 すると、二人はからかうような口調でミトに語りかけた。


『へへ、あれだけ雇う人は選ぶって言ってたのにな』

『それなのに、こんな若い子を迎え入れちゃって』

「こらこら、勝手に話を進めない。まだ試用中だよ」


 ミトは彼らに釘を刺す。

 冗談とはいえ、邪推は一刀両断しておきたいようだ。

 しかし、骸骨の二人は互いに顔を見合わせた。


『へっ、意地悪な言い方しちゃって。なぁ?』

『ああ。とっくに腹は決まってるくせに』


 二人の喉骨が盛大にカラカラと鳴った。

 どうやら爆笑しているらしい。

 そんな客を見て、ミトは困ったように苦笑した。


「まったく、今日も君たちは変わらないね」


 ただ、ハルトはしっかりと見ていた。

 雑談を交わしながらも、ミトが着実にお通しの準備をしていたことを。

 その手際の良さに、ハルトは驚きの声を漏らす。


「すごいですね。集中途切れないんですか?」

「ふふ、慣れたものさ」


 彼女はピースサインを返してきた。余裕の表情である。

 ハルトは感心しながらも、二人組に呼ばれたので注文を取りに行く。

 その時、ミトは用意していたお通しと酒瓶をハルトに渡した。


「ハルトくん、これも一緒に出してきてあげるかな」

「わかりました」


 渡されたのは、先ほどミトが堪能していた刺し身たち。

 今日のお通しとして使うつもりだったようだ。

 小皿に盛られた刺し身を、骸骨のテーブルに運んでいく。


「どうぞ、お通しです」

『おぉ!? なんだこりゃ』

『魚の切り身か?』

「刺し身ですね。じゃぱねぜ酒はおまけだそうです」


 どうやら、刺し身への馴染みがあまりないらしい。

 ただ、魚を生で食べる文化自体はあるようだ。

 二人は素早く料理の注文を終えると、いそいそと箸を取った。

 そして刺し身を慎重につまみ上げる。


 照明の光を受け、サーモンが色鮮やかに照り映えていた。


『いい色だ……宝石みてぇに輝いてやがる』

『食うのがもったいねえな』


 ゴクリと、どこから鳴ったのか分からない音が聞こえてくる。

 恐らく唾を飲んだのだろう。


 骨の状態で摂食ができるのか。

 そんな疑問を持ちながら、ハルトは二人が口に運ぶのを見届ける。

 刺し身が口内へ消えた瞬間――


「……え?」


 ハルトの眼に、二人の壮年男が映った。

 顔は浅黒く、蓄えられた髭が目を引く。

 無骨ながら血色もあり、思わず生者と見間違ってしまう。


 しかし、それも一瞬。

 二人が咀嚼を終えると、また骸骨の姿に戻った。

 そして驚いた様子でカタカタと骨を鳴らす。


『……うっ、おぉ……』

『……こ、これは』


 震える二人を見て、ハルトは目をこすった。

 先ほど見えた姿は目の錯覚だろうか。

 しかし、その答えを出す前に、骸骨たちが快哉を叫んだ。


『うますぎんだろ!』

『カッー! たまんねえ!』


 歓喜の声を上げ、刺し身をかきこんでいく。

 すると、骸骨はまた中年の男へと姿を変えた。

 どうやら、料理に触れると生きていた頃の姿に戻るらしい。


 ハルトの視線にも気づかず、骸骨の二人組は頬を綻ばせていた。

 彼らにとって、この料理は衝撃的だった。

 たっぷりと脂の乗ったサーモンが、舌の上で緩やかに解けていく。

 醤油によって倍増された旨味が、ジュワリと口内へ広がるのだ。


『お、こっちはマグロじゃねえか』

『お前、好きだもんなぁ』


 マグロの赤身。

 身がよく引き締まっており、タレと絡んで食欲がそそる。

 これがまた日本酒と絶妙にあうのだ。

 しかし、二人には気になることがあった。


『ミトさんよ、このピリピリするのはなんだ?』


 刺し身の上に添えられた、緑色の小さな山。

 これが絶妙に刺し身へ絡み、中毒性のある辛さを与えてくるのだ。


『ああ、それはワサビさ。じゃぱねぜの香辛料でね、魚の刺し身に添えて食べるんだ』

『へぇ……面白いじゃねえの』


 今までは、この香辛料なしでも最高の味だと思っていた。

 しかし、ワサビの味を知ってしまっては、もう戻れない。

 刺し身と出会うために生まれてきたかのような旨さだ。


 特にサーモンとの親和性は抜群で、さっぱりとした後味が効いて何切れでも食べられる。

 彼らはおまけの日本酒を噛みしめるように嚥下し、熱い息を吐いた。

 そして、とろんと陶酔したように小皿を見つめる。


『……ああ、こんなに酒とあう魚は初めてだ!』

『……特にこの、ワサビな。こんなすげえもんがあったなんて』

「ふふ、気に入ってもらえて何よりだ。ちなみにワサビを作ったのは彼だよ」


 ミトは誇らしげにハルトを指差した。

 すると二人は鋭い眼光を彼に向ける。

 座っていても伝わってくる威圧感。

 ハルトがたじろいだ瞬間、二人は彼の背をバンバンと叩いた。


『坊主、大したもんだな! うますぎて頬が落ちちまうぜ』

『はは、頬なんてねえだろッ!』

『それもそうか、ぎゃはははははは!』


 どうやら、褒められているらしい。

 前の世界では考えられない賞賛の嵐に、ハルトは戸惑ってしまう。

 ただ、自分はワサビの擦りおろしを手伝っただけ。

 そんなのは、料理人にとって仕事以前の作業。

 褒められるようなことではない。


 なのに――


「……あ、ありがとうございます」


 どうしようもなく、嬉しかった。

 料理で絶賛されることなど、前の世界では皆無だったから。

 ハルトは不思議な気持ちで、二人がお通しを食べるのを眺めていた。


「ハルトくん、そろそろおいで」

「……はっ」


 感動に駆られ、人の食べるところを間近で凝視してしまっていた。

 あまり好まれることではない。

 しまったと思いつつ、ハルトはミトの下へ戻った。

 そして自省の念を告げる。


「すみません、つい見とれてました」

「ん? 気にしなくていいよ。それこそお客によっては骨の髄まで見つめてても問題はない。要は桂樹・梅・掲酢さ」

「ケースバイケース?」

「それだよ」


 正確に言えばそれは日本語ではないのだが、なぜか伝来しているらしい。

 苦笑しながら、ハルトは仕事に戻る。


 その時、彼はチラリとカウンター席の青年を見た。

 彼はまだメニュー表に目を通していて、こちらを呼ぶ気配がない。

 ひとまずお通しの準備を続けながら、注文料理を作っていく。


 骸骨の二人が頼んだのはサンマの塩焼き定食。

 火入れは得意なので、ミトの横でサンマの調理を手伝う。

 そんな時でも、腰の抜けたような声が聞こえてきた。


『酒に、刺し身……ったく、俺は幸せもんだなぁ……』

『これがあるから料亭はやめらんねえ』


 お通しの時点で、満足度が100%を超えているように見える。

 ミトの弁では、料理で未練が消えた亡霊は、すぐに昇天するらしい。

 ただ、二人の身体には何の変化もない。

 気になったハルトはぼそりと呟く。


「そういえば……成仏、しませんね」

「彼らは多分、食べ物が未練で現世に留まってるわけじゃないんだろうね。常連だし」


 ミトは骸骨たちを一瞥する。

 どうやら、彼らは週に一度は来店するお得意様のようだ。

 今までに多くの料理を出してきたが、まるで昇天する気配がないらしい。


「それじゃあ、成仏させてあげられないんですか?」

「うん。ウチでどうにかできるのは、料理で未練が消える人だけだからね」


 亡霊が抱える未練の種類は、決して一つではない。

 志半ばで倒れた後悔。誰かへの怨嗟。

 満たされなかった欲の記憶。


 様々な要因がある中で、ミトが救済できるのは料理を未練とする人だけだ。

 むしろ、成仏させてあげられない人の方が多いことになる。


「でも、構わない。そもそも僕の店は亡霊専門のお店だ。どんな未練を抱えた人でも、大切なお客様だよ」

「……なるほど、確かに」


 その方針に、ハルトは全力で頷くことができた。

 それはきっと、彼女の意志がかつての誰かに似ていたからだ。

『料理に貴賎はなく、客を地位で選んではいけない』

 青臭い信念だと自分でも思う。バカにされても仕方なかったのかもしれない。


 しかし、一つだけ分かった。

 ミトの料理観は、自分と通じるところがある。

 もっと、この人の料理を見てみたい。素直にそう思った。


 しかし、それを可能にするには、試練を乗り越えなければならない。

 強く決意を固めたところで、ハルトの袖が引かれた。


「そういえば、ハルトくん。これは僕の見立てなんだけど――」

「なんでしょう?」

「もしかしてキミ、人と話すのが苦手?」

「うっ……」


 いきなり図星を突かれ、ハルトは言い澱む。

 自分の中では、確かにそういう認識はあった。

 しかし、表に出しているつもりはなかったのだ。


「……べ、別に、そんなことは」

「じゃあ、ちゃんと僕の目を見て話して欲しいなー」


 そう言って、ミトが恐ろしく近い距離まで顔を近づけてくる。


「…………ッ」


 その瞬間、無意識にハルトは目を逸らしてしまっていた。

 そこまでされて、ようやく気づく。

 人と話す際に、ほとんど目を見れていなかったことに。


「すみません……多分、苦手です」


 恐らく、入店の案内をした時もそうだったのだろう。

 厳密に言えば彼らは人ではないが、相手と向き合えないようでは接客以前の問題だ。

 落ち込みかけたところで、ミトはハルトの肩をポンと叩いた。


「大丈夫、単なる苦手意識だよ。キミはまだ若い。ゆっくり学んでいけばいいよ」

「ありがとうございます」

「それじゃあ、この刺し身――向こうのお客さんにも持って行ってあげてくれるかな」


 ミトはくいっと顎でカウンターの奥を示した。

 見れば、青年はメニューを元の場所に戻し、宙を眺めている。

 注文が決まったのかもしれない。


「彼は初めての来店だから、気を遣ってあげてね」

「わかりました。行ってきます」


 ハルトは大きく頷いた。

 青年の下へお通しを運び、同じ口上を述べる。

 そして、ぎこちない手つきで紙を取り出す。


「お待たせしました。ご注文は何にしましょう」

『…………』


 青年は何も言わない。

 ただ、こちらに虚ろな瞳を向けてくるだけ。

 感情なき表情。その不気味さに、思わず怖気づきそうになる。


 無論、その状態で目を合わせられているわけがない。

 だが、ここでハルトは思い出した。

 ミトの言葉を。彼女の指摘を。

 そして、そこに潜む真意を感じ取る。


 ハルトは覚悟を決め、しっかりと青年と目を合わせた。

 その上で、再び尋ねる。


「ご注文はお決まりになりましたか?」


 ハルトは青年の瞳の奥に、一筋の光があるように感じた。

 決して虚無で、虚空などではない。

 感情を持っている人だと確信できた。


『……書く』


 響いたのは、か細い声。

 一瞬、誰の声かわからなかった。

 しかし、青年がトントンとカウンターを叩いたことで、彼が発した言葉であると気づく。


 筆記具と紙を置くと、彼はさらさらと文字を書き始めた。

 それは、見たことのない文字。

 少なくとも、この店で使われている日本語ではない。


 書き終えたところで、青年は糸が切れたように動かなくなった。

 注文は以上ということだろう。


「それでは、失礼します」


 紙を持って、ハルトは厨房へ戻る。

 ミトは骸骨たちにサンマ定食を提供し、一休みしていた。

 彼女は帰ってきたハルトを朗らかに出迎える。


「やあ、どうだった?」

「こんなんでましたけど」


 注文を見せると、彼女は口元に手を当てた。


「うわ……ずいぶん昔に亡くなった人だね。じゃぱねぜ文化が流入する前だ」

「そうなんですか?」


 どうやらあの亡霊が使っている文字は、旧時代のものらしい。

 じゃぱねぜ文化が入ってくるよりもっと前。

 この世界が戦乱状態にあった頃に消滅した言語だそうだ。


 それでは料理を特定することすら困難だろう。

 八方塞がりかと思いきや、ミトがさらさらと文字の横に書きだした。


「え、翻訳できるんですか?」

「ふっ、古代文字の解読もできないで料理人は名乗れないよ」

「ハードルを遥か高みへ上げるのはやめてください」


 ツッコミを入れつつも、ハルトは彼女の教養に感服していた。

 しかし、当の彼女が浮かべる表情はどんどん険しくなっていく。

 彼女は翻訳を終えると、深刻そうに声をかけてきた。


「ハルトくん」

「なんでしょう」

「――キミは、この料理を作れるかい?」


 ミトに注文の紙を渡される。

 そこに書かれていた文字は、『イルミナ鶏の串焼き』。

 これが、あの青年の所望する料理らしい。

 しかし、ハルトは首を横に振る。


「聞いたことないですね」

「僕もだ」


 ミトの即答に、ハルトは思わず腰から崩れ落ちる。

 どう考えても、その料理はこの世界で生まれたものだ。

 出身であるはずのミトが知らないのに、自分が分かるはずもない。


「彼の郷土料理みたいなんだけど……ちょっと調べてくるね」

「え?」

「時間かかるから、適当に接客をお願いするよ!」

「ちょ、ミトさん!?」


 ミトはすさまじい早さで厨房の奥に引っ込んでしまった。

 私有スペースに向かったのだろう。

 ハルトはため息を吐いた。


 店内を無人にしておくわけにはいかない。

 それに、少し時間がかかるのであれば、その旨を伝えておく必要がある。

 ハルトは青年の下へ向かい、しっかりと目を見て頭を下げた。


「すみません、もう少しお待ち下さい」


 すると、青年はゆっくりと首肯した。

 待つ、という意思表示だろう。

 ハルトが居心地の悪さを感じていると、青年がボソリと呟いた。


『……勤めて、長いのか?』


 恐らく自分に言ったのだろう。

 先ほど骸骨たちにも伝えたのだが、ハルトは場をつなぐためもう一度答えた。


「いえ。今は、ここで試験的に雇ってもらっているんです」

『…………』


 しかし、返事はない。

 ハルトは肩透かしを食らった気がした。

 自分の言葉に問題があっただろうかと省みる。

 すると次の瞬間、青年は吐息と共に呟いた。


『……これは、うまかった。辛みがいい』


 彼が指差したのは、ワサビの乗った刺し身。

 よく見れば、既に8割がたを完食していた。

 ずいぶんとお気に召しているようである。

 ハルトは思わず確認していた。


「ほ、本当に、ですか?」

『……嘘、好まない』

「失礼しました。褒められるのが珍しかったもので」


 そう言うと、青年は緩やかに首を傾げた。

 そして意外そうにハルトへ尋ねてくる。


『……普段から、賞賛されている……のでは、ないのか?』

「いえ、なにぶん未熟なもので、怒られてばかりでしたよ」


 この世界に来るまでの記憶は曖昧だ。

 しかし、断片的に思い出す光景の中で、自分はいつも叱られていた。


『……意外だ』

「そうですか?」


 この青年が遠回しに褒めてくれていることは理解できた。

 胸が踊りそうになるが、ぐっと堪える。

 青年はしばらくの沈黙の後――ポツリと呟いた。


『……ここは、出してくれるだろうか』

「というと?」

『……もう一度、食べたい料理……さっき紙に書いた』


 それは、先ほどと変わらない無機質な声。

 しかし、その中には切実な想いが内包されている。そんな気がした。

 ハルトが耳を傾けていると、青年は淋しげに言葉を零した。


『だが、どこも、どの店も……俺を救っては、くれない……料理を、出してくれない』


 それは、感情に満ちた未練の声。

 料理を希求する純粋なSOS。

 その言葉を聞いたハルトは、無意識に呟いていた。


「――出しますよ」

『……なに?』


 疑いの目を向けてくる青年。

 しかし、ハルトは目を逸らさなかった。

 今の言葉は、自分の本音から出たものだ。訂正するはずもない。

 ハルトはしっかりと彼の瞳を覗き込み、断言した。


「どんな料理かさえ分かれば、俺が作ってみせます」

『……ふっ、心強い、言葉だ。いい戦士になる』


 戦士て。

 ハルトは思わず突っ込みそうになる自分を抑えた。

 言葉を受けて、青年は不思議そうにハルトを見上げる。

 だが、辛い現状を思ってか、青年は頭を抱えた。


『……しかし、ダメだ。思い出せない。味も、見た目も、どんなものだったのかも……』

「忘れてしまったんですね」


 亡霊はその記憶の多くを欠落してしまう。

 ミトの言った通りだ。


『覚えているのは、炎……身を焦がす、火の海だ』


 そう言って、青年は震え始めた。

 カタカタと、寒そうに。温もりを求めるかのように。

 それを見て、ハルトは彼の肩に手を添えようとした。

 だが、その指先は何にも触れることはなかった。


「…………ッ」


 透過。

 青年の半透明な身体は、物理的に触ることができなかったのだ。

 つまり、普通の手段で彼を癒やしてあげることはできない。

 ただ一つ、それを可能にできるのは――


「――ハルトくん」

「はい! ……それでは、一旦失礼します」


 青年にひと声かけて、厨房へと戻る。

 すると、彼女は分厚い本を両手で広げていた。


「彼は、成仏させてあげられる亡霊かもしれない」

「本当ですか!?」

「勘だけどね」


 未練が料理に由来するもの。

 ハルトも薄々感づいてはいたが、ミトも同意見だったらしい。


「イルミナというのは昔に滅びた国の名前でね。ハーブで栄えた国だったんだけど、戦火による滅亡で多くの料理が失伝してしまったんだ」

「……戦火による、滅亡」


 先ほど青年の言っていた言葉と重なる。

 彼は国が滅亡した時期に亡霊になってしまったらしい。

 また、料理が失伝したというのが厄介だ。


「作るのは難しそうですか?」

「いや、魔跡研究家がレシピを復元しているみたいだ。不完全で読み取れないけど、ここに『イルミナ鶏の串焼き』を示す記事がある」


 ミトが広げていた本は、昔に消滅した料理のリストらしい。

 そこには確かに、紙に書かれた文字列と同じものが踊っていた。

 しかし、肝心のレシピが読み取れない。

 ただ、その直下に描かれている絵に目が行く。

 それはハルトにとっては見慣れたもので、自然と料理名が口から出てくる。


「……焼き鳥、だよな」

「ヤキトリ?」

「ええ。見た目といい工程といい、酷似してます」


 ほとんど消えているものの、ミトが翻訳したレシピ部分に目を通す。

 料理が焼き鳥だと分かっていれば、文字が読み取れなくても一致しているか確認は可能。

 その結果、間違いなくこれがハーブを使った焼き鳥であることが分かった。

 ここに来て、ミトも得心がいったようだ。


「焼き鳥……そうだ! 確かじゃぱねぜ料理目録で見たことがある! 作ったことないけど!」


 ミトは声高らかに料理目録を開く。

 そして、焼き鳥を紹介するページを探し当てた。。


 ――【ヤキトリ】じゃぱねぜで食される居酒屋料理。木串に肉を刺して焼いたもの。串打ちには技術が求められ、極めることは非常に難しい。味付けが塩かタレかで外交問題が勃発する宗教料理でもある――


 書かれているのはそれだけ。

 一部情報が間違っている上に、どこにもレシピは書いていない。

 ハルトは魂の脱力と共に呟いた。


「……使えねぇ」

「し、失礼な! じゃぱねぜの料理文化を研究した貴重な一冊だというのに!」


 ともあれ、ミトもこの料理については知識がないことが分かった。

 焼き鳥は作るのが簡単な割に奥が深いので、ある種泥沼のような料理分野だ。

 だが、ハルトは経験から、この料理に自信を持っていた。


「それじゃあ、ハルト君に頼っていいかな?」

「ええ。焼き鳥なら作ったことあります」

「よかった……これで取った注文を出せない危機は救われる」


 料理も出せるし体裁も保たれる。

 安堵したミトは、緊張した声から一転。

 天へと突き抜けるような声で号令をかけた。


「経験者がいるなら百人力だ! ゼン・ハ・イゾルゲと言うし、さっそく手伝ってもらおう!」

「善は急げです」

「それだよ」


 にわかに厨房が騒がしくなる。

 こうして――亡霊を成仏させるための料理が始まった。

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