2-3 神にのみ為せる業
リリアが目を覚ますと、辺りは夜の帳が下りていた。
焚き火が煌々と燃えるから、彼女が起きたことはすぐにわかった。
「食べる?」
シアが、肉と野菜を煮込んだポトフのようなスープを器に入れて、リリアに渡した。
今はシアが表だ。彼女には一部見られたし、特に気にしていない。
そんなんでいいか疑問を覚えなくもないが。開き直りに近い。
『いいのよ。そんなんで。面倒でしょ』
シアもこんな調子だしなぁ。
寝ぼけ眼のリリアは、差し出された器を無言で受け取ると、片膝立てて、そこに腕を置きながら、スープをかき込んだ。
口に頬張って、モグモグと咀嚼し喉に通すあたりで、対面で食べるゾフィーに気付いた。
ゲホゲホと咳き込むリリア。
せわしないな。
「どうしてっ!」
ようやく嚥下しきったところで、 ようやく、我に返ったようだ。
「はい。お代わり」
シアが食べ終わった器をさっと取り、スープを盛る。
身構えようとしたリリアは、毒気が抜かれたように、器を受け取る。
「いや、だからっ!」
一口食べてから、再度声を上げた。
「いいじゃないですか。食べ終わってからで」
ジト目のゾフィーが体育座りで、鬱陶しそうな表情を浮かべる。
リリアが何か言いたそうにするが、黙って食べ始めた。
シア、ゾフィー、リリアがそれぞれ食べ終え、ゾフィーが食器を洗い終わると、紅茶を沸かし、それぞれのカップに注いだ。
「で、どういうことだよ?」
焦れたリリアが、聞いてくる。
「あなた。わからないんですの? 問いただすのは、ご主人様で、あなたは答えればいいんです。少しは大人しくしなさい」
相変わらずリリアを見る視線に棘がある。
まあまあと、シアが取りなしながら、リリアに尋ねた。
「まず、リリアちゃんは、状況は把握してる?」
シアがリリアをちゃん付けで呼んでいると、お隣に住む友人に喋っているように見える。
『そういう配慮よ』
反抗する気を無くすとか、そういうのか。
『まぁそうね。題して、うやむやに仲良くなろう作戦、かな』
いるよなぁ、いつの間にか馴染んでいる友人って。
ごり押しが多くて、面倒なタイプ。
『私は、控え目でおとなしい子よ』
『とてもそのようですね』
『まるで信じてないじゃない』
そりゃあね。
多少黙ったところで、リリアが冷めた笑みになる。
「少なくとも、死んではいないな」
「それで充分。そう、リリアちゃんは生かされたのよ」
「感謝はしないよ」
当然気付いているだろう。
食事の分を含めても生命量は完全には回復していない。
「ええ。聞きたいことがあるから、そうしただけだもの」
うやむやに友達になるつもりなのに、ドライだな。
「だろうねぇ」
細く息を吐き、口角がより上がる。
「あたしは、仕事をしくじった。そういうことだ」
男のように脚を組んで、頬杖をつく姿は、年相応には見えない。
侠客言葉というか、姐御のような喋りもそれを増長させる。
どこか達観しているような、諦観のようなものを感じる。
「さ、殺しなよ」
「喋る気はなさそうね」
何も言うことはないという態度だ。
「どうせあたしは実動課員だ。大したことは知らないよ」
『困ったわね』
『そうだな。口を割る気はなさそうだ』
継ぐ言葉をどうしようかと、間が空くと、ゾフィーが軽く頷いた。
「あなたの身上は、わかりました」
紅茶を一口、目を細める。
「ですが、気に食わないですね」
「何が気に食わないって? 亡国のお姫様」
ゾフィーのことを知っている。
よって、目的の推測はだいぶ定まってきた。
だが、問題は教唆した人物と背後にいる者たちは誰なのか。
「気に入りませんわね。その斜に構えた態度。忠誠を示しているつもりの頑固な姿勢。そして我慢ならないのは、どれも偽物なことです」
「ふーん」
ニヤニヤとゾフィーを見るリリア。
「殺せといいながら、殺される気はさらさらない。どう逃げ出すか算段しているのではないのですか?」
「そうだとしても、逃げられたからには情報を吐いた疑いで、処断がオチだな」
「では、当初の目的を果たせばよいのです。やはり敵ですね」
リリアの動きを封じるように、大鎌が首をもたげた。
「ゾフィー?」
「ご主人様。彼女は危険です。どうか命令を」
『さらに困ったわね』
『リリアが何も言わない場合、どうするか考えていなかったツケだな』
『そうだねぇ。うーんどうしよう?』
うやむやに友達作戦は失敗のようだ。
……そうだなぁ。
ゾフィーの言う通り、後顧の憂いを断つか。
いっそのこと、このまま泳がせてみるか。
他には――
『ちょっと失礼』
『あ、ちょっと』
魔力光に包まれながら、俺が表に出る。
「ご主人様」
「ゾフィー、武器を下ろして。何かしようとしても、誰かが近づいてもわかるから大丈夫」
「わかりました」
すんなり引っ込めるゾフィー。
ちょっと凶暴だけど、聞き分けはいいんだよな。
言ったことは本当で、随時魔力を飛ばして索敵をしている。
精度は緩めだが、大きな危険は察知できる。
「さっきの男の方のシンシアじゃん。同名の双子かと思ったけど、それはどんな仕組みなんだ?」
リリアは勘違いをしていたようだ。
雌雄で入れ替わる存在なんて他にはいないのだろう。
彼女は多少は驚きつつも、調子は崩さない。
質問には答えず、問いをする。
「聞こうじゃないか。リリア」
根本的な問題は、口を割れない理由だ。
そして――
「何を求める? リリアは何がしたくてこんな汚れ仕事をする?」
彼女が何を求めて、この仕事をしているのか。
ただの給金のためにするにしてはリスクが高い。
仕事をするその源泉を知らなければ、説得はできない。
そうでなければ、どんな言葉もかわされてしまう。
そんな真面目くさった俺の質問に渋面を浮かべるが、あっさり答えるリリア。
「また面倒な質問だね。……いいよ。教えてあげる。帰る家だよ。欲しいのは」
「故郷がないってことか?」
「故郷はないよ。あたしは、元々流浪の民。本当に踊って稼いでいたのさ。この外見も嘘じゃないってね」
少し、端が切れ、血が付いたベールをひらひらさせる。
「今じゃ、踊るよりも、この仕事の方が割が良くて。日銭のことを気にするよりも楽ってもんさ」
「家族は? 旅の仲間は?」
結果はあまりいいものじゃないだろう。が、引き出さなければならない。
「魔族に襲われて死んだよ。みんな結構戦えたんだけどな」
魔族か。
「そうでしたのね」
ゾフィーが反応した。
嫌な予感がする。
「では、魔族が憎いですか?」
「そうだね。憎いよ」
「そう」
ゾフィーはそれだけいって、立ち上がる。
『いいの?』
『大丈夫だ』
まずいといえば、まずいが、話の流れを変えられると思った。
ゾフィーを静観する。
大翼が風を巻き起こした。
「おまえ……魔人か?」
「見ての通りです」
「さぁ憎いのでしょう?」
どうするの、とでも問うように、リリアを挑発する。
表情を険しくし、徒手空拳で身構えるリリア。
ゾフィーとリリアが対峙した。
「あー、バカバカしい」
と、その直後、脱力するリリア。また座り直す。
「バカバカしい、ですって?」
眉を顰めるゾフィー。
「そうだよ。魔族が憎いって言った直後に、これ見よがしに魔人であることを教える。まるで、試されているようじゃないか」
「……賢明ですね」
図星だったようだ。
ゾフィーは、魔族が嫌いなら、自分もその範疇だろうと、彼女の差別観を試したのだろう。
それはあながち否定できないものかもしれないが、リリアは相手の意図を想像できるくらいには聡かった。
「その上、男になったり女になったりするおかしな奴が魔人の主人ときた。なかなかいい冗談じゃないか」
おかしな奴とは聞き捨てならないが、まぁ実際そんな気もする。
「まったく、おかしい。おかしい話だ」
タガが外れたのか、哄笑を上げる。
「はははっ! いいじゃないか。魔族を従える変な人間。常識に唾吐くようだ」
『成り行きなんだけどな』
『普通、そんな成り行きないのよ』
そんな内心の会話に関係無く、リリアは誰にというわけでもなく喋り続ける。
「そうだよ。魔族がいかに憎いとしても、人間も余程汚い奴がいる。あたしがそうだ。わかっているよ」
彼女は内にたまった心情を一気に吐き出していく。
笑い声が収まり、元の軽薄な表情に戻る。
「だから、魔族も人類も、誰もが似た者同士で、醜い存在だ。なら、いっそ壊して、作り直せばいいんだ。帰る家なんて作ればいい」
そうか。
それが彼女の本音。
自らを劣悪だと自認するからこそ、至った諦観と途方もない理想。
『壊して作り直すか』
『まるで神様のようね』
除け者の神様。
現在を全否定する悪神の所業。
それでも、それを欲する人間だって少なからずいる。
歴史は、そのために繰り返される。
そしてその歴史の連鎖は円環ではない。能率化と富の集束の結果として、文明は行き詰まった。
限りない上昇線を夢想して、管理された崩壊でガスを抜き、限界を目指した。
「じゃあ、確かめに行かないか。この世界の功罪を」
俺はリリアに手を差し伸べた。
そんな息苦しい世界はもう勘弁だった。
リリアに世界を変えられるかは別として、ただ単に現状を否定して、この世界がくだらない世界なのかを判断するためには、知るものが少なすぎる。
俺も、きっと彼女も。
だからここが、どんなところか知っていこうと思う。
それは単に俺の好奇心だ。
どこかゲームと思ってる節もあるだろう。
でも、前世でも同じだった。
「あたしを誘うってのか。いい冗談だ」
リリアが意外そうに笑い捨てる。
「冗談みたいな奴とは、リリアの言葉だぞ。だから、俺の冗談に付き合う気があるか?」
人から見て、可笑しく見えるならそれでいい。踊ってやろうじゃないか。
「ふん。阿呆らしい。混ざりたくなるじゃん」
「演者は多いほど盛り上がる。そうだろう?」
「そうだとも。じゃあ聞かせてもらうよ。開演はいつなんだ?」
「それを確かめようと言っているんだ」
「そりゃ仕方がないね。思った以上に。じゃ、せいぜい楽しみにさせてもらおうじゃない」
本音と皮肉の応酬。
彼女にとって安寧の地よりも、諧謔に塗れた野望の方が魅力的に見えたということは、彼女の目が教えていた。
生い立ちはおそらく事実だろう。
帰る家が欲しいというのも、嘘ではないだろう。
しかし、その目はどれも指してはいなかった気がする。
「契約が何にせよ、よろしく頼むよ」
リリアが右手を差し出した。
「ああ、よろしく頼む」
「約束の日まで」
約束の日。
それは彼女の信じる何かなんだろうか。
それとも、ただ冗談に付き合っただけなのか。
「私もよろしくね。リリアちゃん」
「よろしく。って、慣れないね、それ」
握手した手をそのままに、ちゃっかり出てくるシア。
「そっちもよろしく頼むよ」
リリアはゾフィーにも手を出すが、ゾフィーは素っ気なく手を握って、すぐに離した。
「ええ。よろしく」
なかなか二人が仲良くなるのは難しそうだ。
警戒心もあるだろうけど、そもそもゾフィーが人見知りなのかもしれない。
むしろ俺がないというか、過去を水に流しすぎなのか。
『さっきまで殺し殺されの関係だったはずだしね』
『でも、説得とは言えないが、こっち側に引き込むのが妥当だったんだ』
殺してしまえば、きっと次も殺す。それに慣れたくはない。
逃がしても、同様だ。次は殺すかもしれない。
金銭買収では心もとない。
なら、こうするのが一番だ。
相手を理解しようと、歩み寄る。
結局、うやむやに仲良くなろう作戦だったというわけだ。
「でも、いいのか? 一応寝返るってことになるだろ?」
結局、厄介事を背負うことになりそうなのは仕方がないんだろうな。
「あたしは構わんさ。どうせ雇い主は公都の穴蔵に篭ってる。会うことはないさ。それに、生きていられることに感謝しているし、強い奴は好きだからな」
顔を少し逸らしながら、そう言うリリア。
『なんだかんだ言って素直じゃないだけなのよね、たぶん』
『おそらく、シアが素直すぎるんじゃないか?』
『ありがとう。じゃこれからも言いたいこと言わせてもらうわね』
『褒めたわけじゃないんだ……』
『知ってるわよ』
シアにやり込められてしまった。
さて、その雇い主というのが、誰で、何のためにリリアが差し向けられたのか、聞こうじゃないか。
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