2-13 ゾフィーと料理と不穏な手紙 1
「ゾフィーリア様、おはようございます」
あくびを噛み殺しながら、階段を降りると、まるで待っていたかのように、クルカが丁寧なお辞儀でわたくしを迎えた。
「おはようございます。朝食の準備ですか?」
「はい。すぐにご用意いたします」
居心地のいい居室。手入れのいき届いたベッド。
そして隣で眠るシア様。
どれもが心地良く、ここに住み始めてからの一週間、
それもこれも、侯爵のご厚意と、侯爵の命によりこの家で家事をしているクルカのおかげです。
シア様やシン様だけでなく、わたくしやリリアもその仕事ぶりを甘受している次第です。
その反面、焦燥を覚えてもいます。
二方のご主人様のために、昨今何もしていないという事実に。
いえいえいえ。
全くないという訳ではありません。
侍従の真似事で、気を遣い過ぎてもご主人様は喜ばないので、主立ったことはしなくても良いということですが。
こう……なんと言いますか、シン様がソファに座っていれば、さりげなく隣に座って重くない程度に身体を寄せたり、目が合うと、にこやかに抱きつき、シア様の秘めやかな胸に顔を埋めたり、そうしたちょっとしたことの積み重ねです。
いえ……わかっているんです。わたくしの願望がほとんどなのは。
それでも、心地良さそうに目を細めるご主人様のためにはなっているかなーーなんて思ったりもします。
もちろん夜の伽も努めようと、褥で肌を擦り合わせたりもしました。
ですが、ご主人様は軽く額にキスをすると、頭を撫でてくるのです。
撫でられていると、安心感と恍惚に包まれながらすぐに寝入ってしまいます。
ご主人様は、外聞も考えた上で常に女性の姿なのですが、それが問題なのでしょうか。
愛情を育み、気持ちよくなっていただくのに性差は関係がないと思うのです。
ご主人様に限り。
そういった次第でして、だからこそ、わたくしは早めに起きたのです。
「少々お待ちください。只今朝食をお持ちしますので」
「あの、クルカさん。その件で……」
「どうされました?」
足早く調理場へ向かう調子とは真逆の、焦りなど微塵も感じさせない態度。
そんなクルカに正対して、頭を垂れます。
「料理を教えていただきたいのです」
そう、今後も踏まえての料理のスキルアップ。
旅の路上では素材不足の上、簡素な食事になってしまうのは仕方がないですが、作ることができる品数が多いに越したことはありません。
男は料理が上手い女から離れられないもの。
それはご主人様と奴隷を当てはめても同じはず。
ふふっ。そうでしょう。そうでしょう。
「料理をですか?」
意外そうに、眼鏡を押し上げるクルカ。
「ええ。難しいでしょうか?」
「滅相もございません。お客様のご要望に応えることこそ自分の存在意義です」
存在意義とまで断言されると、少し二の足を踏んでしまいます。
ですが、わたくしも似たようなものでしょうか。
まぁ、わたくしの方が我儘なところはありますが。
「そう言っていただけて幸いです。よろしければ、本日から見学しても?」
王宮に住んでいた頃から、料理とは無縁の生活でしたので、れっきとした熟達者から教わるのは、またとない機会です。
そういう訳で、特訓の日々が始まりました。
「何ですか、その包丁の使い方は。まるでヤクザな少年団の刃物使いですよ」
「煮物に塩を入れるのが早過ぎます。それでは身が締まってしまいます」
「小手先を利かすのではなく、味付けの材料、分量を身につけなさい。そうすればどんな品目でも落ち着いた味を出せるから。出したい味はそれで決まります」
いざ教わるとなると、厳しいクルカ。
どことなく毒舌が映えますが、教え方は丁寧かつ熱心です。
普段は怜悧な彼女も教える時には、少し素顔が出てくるようです。
こういう方こそ理想的な師と呼ぶべきなのでしょう。
そのおかげで、料理の腕は見る間に上がります。
掲示という目に見える指標により、数日後には自分が前よりもぐんと成長したことがわかります。
もちろん最初に示したクルカの掲示では、生活技能は卓越したものでした。
戦闘技能も高いようですが、それも侍従として持つべき能力とのこと。
「そうですね。では、本日の夕食はゾフィーリア様が食材を選び、振舞ってみてはいかがでしょうか」
それまでよりも忙しくも、清々しい日々が2週間ほど続いたときのことでした。
「普段より味が落ちたものでご主人様が落胆しないでしょうか?」
最近、クルカのおかげで舌が肥えたご主人様です。シン様もシア様も。
不安がよぎります。
「何をご心配されるのですか。高度なものを目指さなければ良いのです。技能は技術的な問題であり、美味しさには直結しないと教えたじゃありませんか。大丈夫です。自分の味覚と経験を頼りにするのです」
「はいっ。ありがとうございます、クルカさん」
断固たる彼女の保証に安心しながらも、本当の師弟のようだと、おかしみを覚えてしまいました。
師匠とお呼びした方がしっくりきそうです。
「では、行ってまいります」
「行ってらっしゃいませ、ゾフィーリア様」
深々とお辞儀する彼女を後にする。
メイドである体は寸分も崩れないところは流石です。
では。
さ、皆さんのために何を作りましょうか。
本日の夕食はシア様でしょうか。シン様でしょうか。
そんなことを考えながら、買い物に出掛けます。
籠を小脇にぶらさげて、大通りを闊歩して着いた先は、アウミネ通り広場。
わたくしは単純に東広場と呼んでいます。
侯都の東広場は市場で賑わってます。
木箱いっぱいに詰められた野菜や、商人によって遠くから運ばれ丁寧に陳列された果実。食肉にできる魔物の核。
様々な食品を眺めながら、どうするか思いを巡らします。
オルドアの漁港から空間保存で運ばれ、新鮮さを保つ魚介類にいささか魅力を感じますが、高めのお値段なので控えます。
クルカから渡された夕食の費用なら充分賄えるのですが、奇をてらうのは師匠の教えと反します。
やはり、定番家庭料理の野菜スープと歯応えのある肉料理、軽くクーペの入った堅焼きパンでしょうか。
堅実過ぎる気もしますが、品目よりも、それらを美味しく調理することが、わたくしの目標です。
食後の甘味も用意したくなりますが、そこはクルカに任せておきます。
そう考えて、食材に手を伸ばそうとした時でした。
「なぁ、これ安くなんねぇの?」
大きな男が赤々とした林檎を手に持ちながら、八百屋の女主人に聞きました。
聞くにしては、横柄な態度を隠す気もありません。
「すみません、うちは値引きはしてなくて……」
気圧された女主人は、目を合わせないように答えました。
「ああん? おめぇさっきその辺のガキに渡してたよな?」
男は睨むように目を細め、脅す。
「どうして俺には無理なんだ?」
厄介事を感じた人々が潮のように退いていきます。
隣の生鮮肉を扱っている店番も息を潜め、目立たぬようにしてます。
いよいよ不穏当な空気が満ち始めました。
「あれは……ただ、その……」
若く、たおやかな女主人は、言いあぐねています。
きっと、飢えた子供たちにそっと分けたのでしょう。
「言いにくいなら、こっちで話そうや。騒ぎにでもなったら迷惑だからな」
顎で、南へ抜ける道を指す男。
ああ。そういうことですか。
目的は果物ではないようです。
女主人は、整った顔立ちをしています。
彼女で遊ぶのか、金でも求めるのか。
男の腰には楕円を描く山刀、マチェットが揺れています。
「でも、店が……」
「問題ねぇよ。俺の知り合いが見てくれるってさ」
あざとく、男に従う人間が顔を出します。そんな気少しもないくせに。
警邏隊が周りに来ている様子もありませんし、来たところで男は彼女と話しているに過ぎません。
何ら彼を捕縛する理由はありません。
どうしたものでしょう。
正直、女主人はどうでもよかったりします。
ある日不幸が突然訪れることは、いくらでもあります。
善人であれ、悪人であれ、その機会は均等です。
定められた不幸のなか生きていくより、余程マシでしょう。
ですが、わたくしは買い物をしているのです。
そして、買い物は店主が居なくてはなりません。
「少しお待ちいただけるかしら?」
「なんだぁ?」
大きい身体の割に素早く振り向く男。
「ん~? ……ほぉ」
頭から足を舐めるような視線。
何に至ったのか、嫌な笑顔を浮かべました。
不快なものになぞられたそうな気持ちの悪さにわたくしは目をしかめます。
「そちらの店主に話がありますので、退いてくれますか?」
すぐに態度を表してしまいます。
いけませんね。直さないと。
「後から出てきて何言ってんだ。そうだな、この女に用があるのなら、一緒に来いや」
女主人に目をやると、強張らせて、首を横に振っています。
来るなということでしょうか。
「わかりました」
気にすることはないですのに。
むしろ配慮だと思って欲しいくらいです。
「ん? 奴隷じゃねぇか。へへ、遠慮はいらなそうだな」
わたくしの掲示を見たのでしょう。
種族の項目を隠していることには気にも留めず、奴隷であることのみ呟いています。
そういえば、わたくしも三方の身元を確かめておきましょう。
他人に興味がないからといっても、怠っていいものではありませんね。
男二人は、トラシントの四等冒険者のようです。
盗賊の間違いかと思うのですが、まぁそういう立場の人のようです。
トラシント冒険者の教育は行き届いてないのでしょうか。
いえ、他がどうかは知りませんが。
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