2-12 突然の日常
シアたちは、竜騎兵団基地から馬車に乗り、侯都の東主道アウミネ大道から南に曲がった通りにある家の前に立っていた。
「シンシア様、こちらが住まいになります。調度品、日用品はわたしが揃えてあります。足りないものがありましたら、お申し付けください」
「ありがとう、クルカ」
街に住むに当たり侯爵の下で働くメイドのクルカが、俺たちにあてがわれた。
世話役とお目付役両方を兼ねているのだろう。
「部屋を案内いたします。どうぞお入りくださいまし」
彼女自体は絵に描いたような貴族の家令だ。
シャープな顔だちに髪を後ろに束ね、ヘッドドレスを付け、メガネを上げる仕草は謹厳実直そのもの。
「一階は応接間、食堂、調理場、わたしの居室になります。二階は、3部屋ございます。シンシア様方の寝室はそちらになります」
「3部屋ね。どうする? 別々の部屋にする?」
「えっ」
ゾフィーは、慌てたようにシアを見上げた。
「あたしはそれでいいぞ」
リリアはむしろ一人の方がいいらしい。
「あー、えーと、リリアはいいとして……」
ジッと見つめるゾフィー。
「ゾフィーは私の部屋で一緒に寝ようね」
「はいっ!」
すっかり甘えん坊と化してしまったゾフィーをなんだかんだ甘やかしてしまうシアであった。
いや、俺だって断れるかというと、それは難しい話だろう。うん。
「お決まりのようですね。わたしはあまり踏み込まず最低限の世話をするということでよろしいでしょうか?」
「そうだね。それでお願いするわ」
食事の用意は嬉しいが、王様よろしく衣服の着脱まで手伝いはいらない。
適切な距離感を察してくれるクルカ。
さすがは侯爵城メイドだ。
●
窓を開け放つと、まだ頂点に到らない陽光が降り注ぐ。
南向きで、日を遮るものはない。
良好な立地だ。
通りを挟み並ぶ家屋もこの家とあまり変わらない。
この一帯は広い庭を持つほどでは無いが、そこそこ立派な家が並んでいる。
位の低い貴族や裕福な商家の住まいがこのレベルなんだろう。
『あ、向かいのおっさんが見てるよ』
ちょうど向かいの家の窓から男がこちらを眺めていた。
『おっさんは失礼だろ』
『思う分には自由よね』
『また自分勝手な事を……』
以前に俺に言うな思うなと言われた記憶がある。
『あっ。カーテン閉めた』
シアが気付いたからか、さっと遮られてしまった。
いつまでここにいるかわからない以上、ご近所さんとは平和に交流できればいいのだけど。
まぁ、俺ではなくシアが、ということになるが。
『そろそろ後ろで休みたいなー、シン』
口だけ出したいだけ出して、実際の活動は相方におまかせ。そんな勝手に動いてくれる楽さが染み付いてしまった。俺もシアも。
確かにそろそろ交代してもいいんだけど。
『俺だって、たまには自分の勝手で動きたい。でも、状況が状況だからな』
候都で落ち着いている限り、顔見知りが増えすぎている。
すると、シアが妙な提案をしてきた。
『じゃあさ、外見そのままで中身だけ交代しない?』
窓際の椅子に座りながら、聞いてきた。
『できるのか? そんなこと』
『できるできる。理屈で言うならそもそも掲示上は混交状態だし、魔力も共有してる。大丈夫でしょ』
『そうか? そうなのか?』
『とりあえずやってみよー』
取り返しのつかないことにならなければいいけど。
『身体を入れ替えるんじゃなくて、私の身体を乗っ取る感じ。今共有している目や耳の感覚を延ばして手足の感覚を拾って、意思を巡らすような感じで』
シアの誘導に従って、意識と魔力がゆっくりと移動させていく。
…………
『ほらできた』
「えっ、ほんとか?」
声が出た。なんだか久々な気がする。
「どうしたご主人?」
クルカに切ってもらった果物をもぐもぐと食べていたリリアが、首を傾げた。
「いや、ちょっとな」
慣れない声。
普段シアと話し聞こえているはずの声を自分が出すとなると、まるで違う。
「ご主人様。もしかしてご主人様ですか?」
ゾフィーが物凄く矛盾した表現をした。
思わず笑いそうになってしまった。実際シアが笑っている。
でも、その反応だと俺が話していることがわかったのだろう。
「たぶんあってるよ、ゾフィー。よくわかったね」
「ご主人様のことですから!」
嬉しそうに近づいてくるゾフィー。
「どういうこと?」
リリアはまだわかってないようだ。
改めて、俺とシアが入れ替わったことを説明する。
「しかし、ややこしいね。余計ややこしい。外見が入れ替わるだけじゃなくて、中身だけ交代するのもできるのか」
リリアが面倒そうに顔をしかめる。
まぁ、掲示上、同一人物なのに、外見と内面が4通りある相手だ。
接し方に迷うに違いない。
そんな俺も振る舞い方に迷う。
それはゾフィーとて同じ意見だった。
「確かに、少々困ってしまいます。わたくしはご主人様の外見がご主人様のときにご主人様と呼べばいいのでしょうか? 内面がご主人様のときにご主人様と呼べばいいのでしょうか?」
もう何を言っているのかわからない。
一体、俺とシアはゾフィーの中ではどうなっているのだろう。
「そうだな。まず、内面に準拠してくれ。わからないならそれはそれで問題は無いだろう」
「おお、そりゃ助かる」
「ちょっと、リリア?」
俺かシアかあまり気にしていないリリアにつっかかるゾフィー。
「二人とも、まだ続きがある。呼び名も変更。俺のときはシン。あっちのときはシアだ。その方がこっちはわかりやすい」
「えっと、あーっと。……では、シン様、とお呼びします」
ゾフィーがやけに頬を赤くして言った。
「めんどーだなぁ。ご主人じゃだめか?」
「それでもいいかな」
リリアはどっちだとしても、今のところ対応に変化はないし。
「さっすが。ご主人はわかってる」
「まったく、リリアも少しはシン様シア様に敬愛を示して欲しいですわ」
早くも順応しているゾフィーだった。
「とは言った手前すまないけど、人前では、呼び分けないように注意してくれ」
「はい! かしこまりました、シン様」
●
動いてみるとわかるが、男の身体とは勝手が違う。
背丈が一緒ではあるが、バランス感覚がかなり違う。
腰に重心がいきやすいし、肩の幅も違う。
そしてーー
やはり、ささやかな主張。
『人様の胸揉んで、貶めるのはやめてよ』
『やっぱ、やっときたいじゃん?』
『そうね。逆になったとき覚えてなさい……』
俺の大事なところを散々弄ばれる図が浮かんだ。
『すまない。言動には気をつける』
「クルカさん。図書館ってありますか?」
「北のミルローラ大道中程にございます。ここからでしたら、東アウミネ大道にでた後に中央まで行き、北に向かうのが確実かと」
「ありがとうございます。では、行って参ります」
他人と話すときは、シアに近い言葉遣いをしなくては。
いささか堅い口調だが、別人格だと疑われることもないだろう。
「行ってらっしゃいませ。シンシア様」
クルカは深々とお辞儀をした。
候都はずいぶんと洗練された都市だ。
賃乗り馬車が大道を整然と行き交い、渋滞もない。
街は区画ごとに、景観が統一され、水道もある。
要所には警官がおり、治安も安定している。
図書館への道のりでは、出店や店頭の売り込みも控えるようで、大きな商店がどっしりと構えている。
中央にある城の外周を回って北に向かう。
北に行くにつれて家が大きくなっているから、こっちは貴族の居住区になるんだろう。
千里眼で見た感じだと、南から東にかけて庶民の生活圏のようだ。
大規模な工房も見られる。
西は軍の基地や都市内農園や牧場がある。
おそらく、外縁部もそれぞれの区間が続いているのだろう。
千里眼でも都市全体の一部しか収められない。
本当に大きい街だ。
図書館は侯都の名に恥じない規模かつ、壮麗な佇まいだ。
「入館証、または身分証をお願い致します」
入ってすぐのカウンターで館員の女性に声を掛けられる。
掲示内容によっては顔パスなんだろうが、何しろ俺とシアはオルドア冒険者だ。保全のためなら、身元の保障は重要だ。
「こちらでよろしいでしょうか」
俺が掲げたのは、居住場所と共に与えられた、侯爵客人を示す発行証。
「失礼致しました」
目に見えて態度が改まる館員。
侯爵の権威様々である。
「いえ、気にすることはなくてよ。では」
「ありがとうございます。お気に召すままに、ご利用ください」
一礼して、先に進む。
『何? 気にすることはなくってよ、って。私のつもり? 言っておくけど、的外れだからね』
そんな……シアらしさの演出のつもりだったのに。
『どんならしさよ。そんなこと言ったことないわよ』
『そうか? こう、“私偉い” 的な鼻が伸びる場面だと高飛車に振る舞いたがる特徴を出したつもりだったけど』
『残念でした。私はもっと慎ましやかに高飛車になるの。だから、ああいう時は相手の名前をわざわざ聞いておくだけよ』
『むしろ相手に脅しをかける下劣じゃないか』
『顔は覚えてもらえるわよ?』
それは良い意味じゃないぞ……
図書館では、侯爵領で刊行されたものの他にも、大陸で書かれたもの様々な本が揃っている。
魔法で転写されたものや、手書きで写したものがあるが、農耕や畜産、諸々の生活の知識は多くが魔法によって写されたものだ。
経済性なんだろう。需要が高いものが量産されているということだ。
魔法書は収蔵されていない。
さすがに不特定多数に公開するほどの公共性は有していないようだ。
が、魔法や技能に関する概略書はあったりする。
本日は、俺に足りてない知識を得るために図書館に来た。
まぁ興味本位であることも否定しない。
気になった分野を一通り引き抜き、閲覧台で長々と読み耽る。
気がついたらすでに夕刻。
静かに読んでいた人々も目減りし、閉館間近になっていた。
まだ読みたいのはやまやまだが、また今度だな。
シアは絶賛爆睡中だ。
優しい俺は彼女をそっとしておき、クルカの作った夕食をおいしくいただきに帰路へついた。
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