2-11 侯爵居城にて
ゼイフリッド侯の居城は、侯都の中心にそびえている。
周囲には水堀が巡らされ、可動式の橋が架けられている。
夜間や必要な場合は橋は渡れないようだ。
日中は役人や商人、軍人に貴族が出入りしている。
水堀は街の四方の水道に繋がり、川の上流から水を得、川の下流へと流されていく。
「竜騎兵団副団長グノーシャだ。ゼイフリッド様の召喚の命により、参上した」
門番の横で待っていたらしい執事然とした壮年の男性が、取り次ぎ役のグノーシャに恭しく応じた。
「お待ちしておりました。グノーシャ殿。それにシンシア殿」
城へは、ゾフィーもリリアも呼ばれていない。
代表として、主人であるシンシア、つまりシアに嚆矢が当てられた。
「ようこそ、我が城へ」
謁見の間ではなく、応接間に通されると、小太りな侯爵が大仰に手を広げた。
カイゼル髭を生やし、どこか愛嬌のある口元をしている。
「ゼイフリッド様。シンシア殿をお連れしました」
「ありがとう。わざわざ君の手を煩わせてしまったな。大方、サイラスの腰が重くて、任されたのだろう?」
「閣下は多忙の身ですので」
「多忙か。謹厳実直が過ぎるやつだ。身体を壊さなければいいが。まぁ、とにかく、わたしとしてはグノーシャが来てくれて良かったよ。両親は息災かね?」
「おかげさまで。ゼイフリッド様」
侯爵への取り次ぎをおいそれと任せられる相手は少ないだろう。
となれば、団長か副団長が出ることになるわけだ。
「叔父で構わんよ。グノーシャ」
「ご容赦を。これでも栄えある竜騎兵団副団長を務めております」
「真面目に育ったものだ。目下問題は、貰い手がいないことか」
「それこそご容赦を。わたしは竜が恋人ですから」
どうやら侯爵とグノーシャは親戚のようだ。
竜が恋人云々は、もちろん比喩だろう。
もしかしたら、そういう趣向もあるのかもしれないが。
『下衆の勘繰りってやつね』
『いや、すまん。さすがによろしくない想像だった』
下衆というよりは変態の思考だな。
『なんだ、わかっているじゃない。自分が変態だって』
『断固否定する』
『まぁ、本人が一番自覚ないことはあるものね』
自覚しないものと自覚したくないものは別物だと常々思うのです……
「さて、シンシア殿。祝宴を開くわけにもいかないが、これは、ささやかなわたしの気持ちだ。少し待ち給え」
そうして身軽な動きで部屋から出て行くと、すぐに戻ってきた。
本人が運び、テーブルに置かれたのは、紅茶と菓子だった。
「いや、恥ずかしいが、これはわたし自ら作り、淹れたものだ。どうか味をみてくれないか?」
「恐れ入ります。ありがたくいただきます」
さすがに侯爵手ずからのものとあっては、恐縮しないわけにはいかない。
シアはそっと手にとって口に運んだ。
「あ、おいしいーーです」
本当においしいようだった。
「そうかそうか。誰かのために作った菓子をおいしそうに食べる顔は日々の活力になる」
「ゼイフリッド様。菓子を作る余裕があるのなら、一つでも書類の決裁をしていただけないかと愚考します。特に竜騎兵団の増備申請など」
親戚の娘らしい率直さで、分かり易すぎる要望。
グノーシャらしさなんだろうな。
「もちろん公務を疎かにしているわけではないぞ、グノーシャ。客人をもてなすのも公務。そうであろう?」
そんなグノーシャに微笑みを浮かべ、応えるゼイフリッド侯爵。
そんな二人のやりとりは、確かに主従以上の仲の良さがあった。
「シンシア殿。本題に入るが、良いかな?」
談笑から、少し真剣味を帯びた表情に切り替えるゼイフリッド侯爵。
雰囲気が変わったことを感じたシアはゆっくりと頷いた。
「ゼイフリッド様。周囲魔力波無し。魔力捜索始めます」
「頼む」
グノーシャは立ち上がり、ゆっくりと部屋にある水晶のような端末に魔力を流しながら四隅を周る。
「異常ありません」
「ありがとう。座ってくれ」
「誰かに盗み聞きされる心配はないようだ。始めよう。率直に聞かせてもらうがシンシア殿、貴殿の奴隷、ゾフィー君は魔人だね?」
『知っているみたいね』
『そのようだな』
「ええ。そうです。ですが、なぜご存知なのでしょう」
「疑問に答えよう。ヴェッセル伯爵に会っただろう。告発があったのだよ」
「失礼ながら、ヴェッセル伯爵は告発をするようには」
人の良いヴェッセル伯爵は、ゾフィーにも理解を示していた、と思いたい。
嘘の可能性があるが。
「そうだとも。ヴェッセル伯爵は人徳がある。わざわざ早馬で連絡したのは、ヴェッセル伯爵の息子だよ。彼としても、危機感があったからだろう。理解してもらいたい」
「そうでしたか。確かに人類からすればそういった危惧もあると思います」
「そう思ってくれれば助かる。それと、もう一人の奴隷リリアは、元トラシント公国情報部員だね?」
それはもうグノーシャやサイラスに知られている。
「そうです」
「魔人と元情報部員。この二人の主人である貴殿はただの、と言っては語弊があるが、オルドアの冒険者だ。あやしくないといえば嘘になる」
『本人としてもどうしてこうなったかわからないのもあるけどね』
『そこが困ったところだ』
「現在、わたしの領地を含め、トラシント公国全土でごたついていてな。こちらの不安は排除しておきたい」
何か心配事があるようだ。
それはオムイナ男爵や公国情報部のような暗躍と関係あるのだろうか。
「国に関わることだ。済まないが、事が落ち着くまで、街に住んでもらいたい」
「その期間はわかるのですか?」
「重ねて済まない。それについてもわからないし、話せない。不自由はさせないからそれで納得してもらえないかね?」
『どうしよ、シン』
『まぁいいんじゃないか。ここらで、様子見も悪くないはず』
のんびり過ごせるなら満足できるだろう。
オルドア王国のベーレン少佐から頼まれたトラシント首都まで行くだけのおつかいは、まだ猶予は長い。
それに彼が俺たちに期待していることは、ゼイフレッド侯爵が危惧している問題と関係がおそらくある。
『じゃいっか』
「わかりました。わがままは申し上げるかもしれませんが、私たちが住むことで、一つ不安を除くことができるのなら、喜んで」
「そうか。ありがとう。協力はするから、遠慮なくわがままを言ってくれ」
せっかくだし、この街が堪能できるなら味わおう。
大きい街だ。飽きるのは結構先だろう。
●
第1刻。
暗く、要所に歩哨が辺りを魔法で照らして周る中、一人の人物が歩いていた。
「誰だ!」
歩哨が機敏にその影を見つけた。
「し、失礼しました。サイラス閣下」
「いや、構わんよ。ご苦労。続けたまえ」
竜騎兵団団長サイラス中将は基地内の片隅にある建築物を目指していた。
そこは鉄柵に囲まれ、窓が一つもないレンガの建物だった。
「お疲れ様です。閣下」
衛兵に片手で応え、正面から入ると、そこは木箱を積んだ倉庫だった。
サイラスは奥へと進み、白いバッテンが描かれた地面に立ち、緑色の発光と共に、魔法が編み上げられる。
すると、彼はその下に作られた地下室へと転移した。
その印の上でのみ移動することができる部屋だ。
その部屋にも衛兵が詰めている。
衛兵の敬礼に対し、同じように片手で応え、隣の部屋に入る。
そこは夜間にも関わらず、働く人々で活気があった。
「首尾はどうだ?」
「滞りなく、閣下」
やけに物静かに近づいた男が、サイラスにかしずいた。
サイラスは立ったまま、彼と話し続ける。
そもそもこの忙しい部屋には、彼が落ち着く場所も用意されていない。
「各駐屯地には?」
「はい。既に査察官として師団司令部に常駐しております。定期通信では問題ないとのこと」
「領外への派遣はどうなっている?」
「南西部へは教導という名目で、各部隊が大手を振れております。トラシント本領軍や北方領軍は渋っております。さすがに本領軍はピリピリしているようです。ですが、北方は性分でしょう。あそこは極端に異分子を嫌う傾向がありますから」
サイラスは、予想通りだが、嬉しくない報告を聞いて、疲れを感じさせる息を吐いた。
「難しい、か」
「はい。目下再交渉中ですが、あまり期待しない方が良いと思われます」
「交渉官は呼び戻して構わん。疑われてしまう前に。代わりに、隠密に長けた者を潜入させる。狼煙代わりにはなるだろう」
「それは危険では?」
「そこまで探りは入れさせなくていい。できれば、準備をしてもらいたいが、できないなら、連絡を絶やさなければいい」
「承知しました。すぐにでも、選出いたします」
「物資の流通と各商会の動きはどうだ?」
「荷馬車の通行量、商会の提出する財務諸表共に異常なものはありません」
「そうか。なら良い。鍵は掌中にある。ならば、堀を埋め、時を待つだけだ。ご苦労。続けてくれ」
「御意」
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