2-10 古びた魔法書
「昨日の教訓を生かすため、明日の演習にはバードン少将のご厚意により、第2師団の歩兵大隊が協力してくれることになった」
竜騎兵団副団長グノーシャ大佐が、整列した各中隊の前で、美しくも鋭い声を発している。
歩兵大隊と演習することになってしまった竜騎兵団112中隊と113中隊。
新たに111中隊、124中隊も加わっている。
ゆっくりと歩きながらグノーシャは話を続ける。
「歩兵大隊の増員として、歩兵直協を行う124中隊。対して、111、112、113中隊は、第一大隊として敵の配置、竜騎兵での突入点の模索、観測所の設置が目的だ。これは数日間に及ぶ。準備を怠るな」
思い出したように言い加える。
「もちろん、偵察は自分の足でだ。たとえ敵の制空下でも、トラシント竜騎兵なら一騎だけで大隊を食ってしまうからな」
ずいぶんと無茶なことを言っている。鬼教官のようなもの言いだ。
「それはグノーシャ大佐だけですよ」
さすがにグノーシャの大言に隣の参謀少佐が、困ったように間に入った。
グノーシャは男前な笑みを浮かべ、
「冗談だ。そもそも蛮勇は許さん。空と己と敵を知る者だけが単騎で天を駆けられる。研鑽に努めろ」
片手を振り、終わりを示すと、敬礼の号令が下される。
本格的な訓練を行うようだ。
『昨日とは桁違いに厳しそうなんだけど……』
また巻き込まれるのかと戦々恐々とするシア。
しかし、お目付け役の軍曹が告げたのは、予想とは逆のことだった。
「本日はお休みくださいシンシアさん。それと、明日からの演習に参加することもありません」
「そうですか。わかりました。連絡ありがとうございます」
口調には出ていないが、心中胸を撫で下ろしているシアだった。
「それと、グノーシャ大佐がお呼びです。あちらへ」
竜巣に走っていく兵たちを見送り、竜を呼び寄せているグノーシャに近づく。
「昨日の奮戦は聞かせてもらった。自信家の奴らには良い薬になっただろう。礼を言う」
「私としてもいい経験でした。ですが、部外者が良かったのですか?」
結局俺たちは他国の人間だ。
演習に参加させるのは少し風通しが良すぎる気もする。
「ゼイフリッド竜騎兵団は決して無名では無い。トラシントの建国の礎として、護国の要として、各国に知らしめす部隊だ。心配は無用だ」
規模も編成も筒抜けで、いいものかと思っていたけど、構わないらしい。
装備や技術の優劣がそんなにないからか。
結局、兵力とは個々人の技能が指標で、掲示としてそれを見せなければいいのかもしれない。
「ああ、伝えることがある。明日、ゼイフリッド様と会見する」
「会見?」
「そうだ。できれば正装が望ましいが、用意できなければいい」
一応、ヴェッセル伯に貰った仕立てのいいダークスーツがあったな。
男性向けだけど。
『背丈は一緒だから着れないこともないけど』
『とりあえず、それでいこう』
保存空間の肥やしにするにはもったいないし。
『でも、ちょっち気が進まないなぁ』
シアは納得しかねているが。
「明日、昼過ぎの14刻に迎えに行く。それまでに、自室に居るように」
そう言って、グノーシャが竜の鞍に足を掛けようとしたところで、シアが、思い出したように、あっ、と声を上げた。
「どうした?」
「あ、あの、魔法書の閲覧は可能ですか?」
「魔法書?」
今は遠いどこかにいるのだろう伍長曰く、軍が所蔵している魔法書はそれなりにある。風魔法なり、通信技術に関する魔法なり知れるなら良いが……
「はい。後学のために、できるだけ学びたいと思いまして」
「それは難しい話だな」
さすがに、厳しいだろうな。
開示すれば、どの程度技術の汎用化がなされているか公になってしまう。
「あー、しかし。あれか。あれがあるな」
そう思った時、グノーシャが何か思いついたように、顔を上げた。
「軍所持の教範は持ち出せない。が、私物がある。それを解読してみろ」
解読という言葉が引っかかるが、一応何か見せてもらえるらしい。
「本日中に持って来させる。明日返してもらうがいいな?」
「はい。ご懇意、感謝いたします」
「言ってみるものね」
「大佐相手にしたたかだねぇ、ご主人」
リリアはそんなリスクは踏みたくないし、踏めないタイプだな。
「私の上官ってわけでもないし」
そこらへんの感覚はやっぱり、シアらしい。
たとえ、上官でなくとも、実力に裏打ちされた迫力というものがある。
俺だったら、たじたじしそうだ。
「ご主人様、見てください、小さな竜ですよ」
興味津々のゾフィーがシアの腕に取り付いて、指をさした。
「へぇー、子竜って、もわもわしているのね」
おそらく、基地内で繁殖させているのだろう、柵で囲まれた広範な敷地内で幼竜が小さな足取りで母竜を追いかけている。
幼竜は硬い鱗ではなく、フサフサの毛に覆われている。
尖ったヒヨコのようだ。
三人は、のんびりと、教練を受ける新兵や、せわしなく司令部に向かう士官の邪魔にならないように歩き回っている。
時間はあるし、駐屯地は厳重区画を除いて自由に見て良いと言われている。
せっかくだから見学も兼ねて散歩をしている。
候都内の駐屯地は竜騎兵団と歩兵師団が置かれている。
加えて、竜騎兵団司令部があり、その下に独立して補給や装備管理を担う部門が置かれている。
諸会計は侯都内の4つの主道の一つ、南にあるカザネス通り沿いにあるという兵站管理本部に届け出る形式だ。
手元のパンフレットにはそうあった。
パンフレットは暇な部署があったのか、全部手書きだ。
魔法で量産されたわけでもなさそうで、判読不明な文字や誤字、インクで塗り潰して書き直した箇所もあった。
そんな感じなので、並記されている地図もなんというかアーティスティックだ。
「物々しいですわね」
歩き着いた先は、レンガの塀に囲れた区画だった。
常時展開している妨害魔法があるのか、千里眼で視覚が増えない。
手元のパンフでは、特に何も記されていない。
「誰何」
入り口付近にいたら、わざわざ憲兵が近いてきた。
「第112中隊、シンシア少尉」
「失礼、掲示ではオルドアの冒険者だが?」
憲兵は目線はそのままに、手を振った。
門の脇にある小屋から数人出てくる。
あ、これはいかん。
『面倒になる前にお暇した方がいいな』
『そうね』
こういう時は、正直に答えたほうがいい。
「このパンフレットに従い、ここまできました。私は竜騎兵団に世話になってます。必要ならば、確認して構いません」
「拝見させてもらう」
憲兵がパンフレットを覗き込み、顔を上げると、地図を指で叩き、ここは厳重区画指定だと言った。
「ここにはもう近づくな」
幸い、何事もなく解放された。
『なんだか嫌な感じね。何やってるのかしら』
『まあ、そう言うな。憲兵だって仕事をしているだけだろ』
むしろ、竜騎兵団での扱いが丁重なのだ。
あっちでは正にお客様だ。
腰を折られた形で、帰路についた三人。
まだ昼の鐘は鳴らない。
●
隊舎の自室で昼を待っていると、グノーシャが魔法書を持ってきた。
「件のものを持ってきた。これで良ければ、読んでくれ」
テーブルに置いていくと、返答も待たず、いなくなった。
『忙しそうよね。彼女』
『まぁ、そういう性分だし、仕事もそれを求めているように見えるな』
『どうだろうねぇ。本当はのびのびしたいときもあるわよ』
確かに、誰だってそういう時間は欲しいだろうな。
そんなことを話しながら、シア、ゾフィー、リリアの三人は魔法書をテーブルに置いて囲んだ。
よほど古いのか魔法書の表紙は文字が見えない。
「よっと。さ、どんなもんかな」
自分の顔よりも大きい本をひょいと掴むリリア。
「リリア、ご主人様が借りたものを聞きもせずに見るのよしなさい」
即座にたしなめるゾフィー。板についたものだ。
「まぁいいじゃないかな。お先どうぞ」
「その懐の広さに感謝さね」
遠慮なくリリアが魔法書を開く。
開くと顔どころか肩まで隠れてしまう。
「むぅー」
ゾフィーが不満そうに唸る。
「もー、ゾフィーったら……ほれ」
「ああ、ご主人様っぁ」
シアが抱き寄せると嬉しそう喘ぐ。
そういうのは男が女をうやむやに誤魔化す方法だぞ、シア。
『主人として必要なことをしているだけよ』
そう言いながら、ゾフィーの髪を梳かす手はそのままだ。
リリアが魔法書に手を添えるとページの表面から燐光が放たれる。
「んー、あー、あたしは無理だ。ぜんっぜんわからん」
早々に読解の匙を投げた。
「さっぱりだな。基本属性すらわかんないや」
「じゃ、ゾフィー読んでみる?」
「いいんですか?」
ゾフィーが瞬いた。
リリアになんだかんだ文句を言ったのは自分も読みたかったからだろう。
「どうぞどうぞ。私は最後でいいよ」
ゾフィーの白い指先を辿るように、ページがほのかに光る。
目を瞑り、わかることを口にしていく。
「これは、空間魔法……なのでしょうか。でも……近いもの、だと思います。あと、もう少しーー」
数十ページに及びながら、魔力を流していく。
光が一段と増し、魔法が発現する。
と、思ったとき。
ふわりと、ゾフィーのいつもの大鎌が現れた。
リリアが首を傾げた。
「んー? なんなんよ、それ」
それはまさしく、ゾフィーが使っている大鎌だった。
『シン、わかった?』
『いや、さっぱり』
別物なら物体錬成の魔法かもしれないが、同じように見える。
「ゾフィー、それは模倣品なの?」
シアが俺と同じ結論に至った。
物をコピーする魔法。
が、推測は異なるようだ。
「いえ、これは以前より使っているものです。わたくしの魔族として持つ固有の武器そのままですね」
「じゃ、どうして」
「大鎌に魔法が付与されてるように感じます。ご主人様、少しお待ちください」
ゾフィーが何もない中空で鎌を振った。
すると、何もない空中が歪んだ。気がした。
「なんとなくなんですが、おそらく、空間を裂きました」
空間を裂くとは、どういうことなのか。
ゾフィーは返す刃で、鎌を大旋回させる。
唸りながら、シアとリリアの頭上で弧を描く大鎌。
「なるほど、そういうことね」
シアが相槌を打った。
大鎌は空間を無視したのだ。
この手狭な部屋で、大きく振り回せるはずがないのだ。
これをどのように使えばよいかは後にして、ゾフィーは出てきた鎌をそのままに、魔法書を読み進める。
難なくと言ってしまえば語弊があるかもしれないが、それでも古文書の類を読む者としては、物凄い速さで、魔力を流していき、魔法が形成されていく。
魔族としての才能なのか、空間魔法を得意とするゾフィーだからか。
そして彼女が持ち上げた鎌から手を離すと、鎌が浮いたというよりは、何もないところに固定された。
「これもなんとなくなのですが、鎌がある空間を止めました」
何も持たない手で、糸を引くように動かすと、対応して鎌が動く。
「これって空間魔法なの? ゾフィー」
「そうなりますね。対象を別の空間に保管したり、空間と空間を移動する従来の空間魔法とは異なる空間魔法。わたくしは聞いたことがありません。とにかく、続きを読みます」
空間の“裏”ともいうべき魔力に還元される抽象的な空間を用いるのではなく、表に存在する空間を変容させる魔法。わかりづらいがそういうことだろう。
リリアには難しいのも頷ける。
リリアは気になるようだが、待つのに飽きて、ベッドに寝転び昼寝を始めた。
ゾフィーはさらに魔法書を読み進めていき、試行を繰り返し、魔力の半分を消費したところで読み終えた。
「魔法書の最初には、空間操作の基本実行手順が書いてあります。所感としては、熟達者向けの発展魔法書のようです」
これが誰でも使うようなありふれた魔法ではないことは確かなことだ。
ゾフィーの説明によると、魔法書から得られた魔法は、
空間を一時的にないことにする空間断絶法。
空間と慣れた物体を結びつけ、自由に扱う遊空間術。
この二つは先ほどゾフィーが試したものだ。
加えて、空間を引き延ばしたり、縮める延縮法があるという。
が、それは難しく、効果を知ることしかできなかった。
これらの魔法はつまり、時空そのものを操ることになるのだろう。
物凄い所業な気もするが、どうしてグノーシャが持っていたのだろうか。
誰も読めない古い書なので、放置されてたのか。
おそらくある程度の空間魔法は共有されているが、それ以上に利用はされていないのだろう。
物の保存と短時間の移動。
どんなときにも便利なこの2つを使いこなすことが大事だということか。
「最後のものは全く読めませんでした」
ゾフィーが残念そうに魔法書をシアに渡した。
最後にかなりのページを割いた部分でゾフィーはギブアップした。
「空間魔法か魔力操作の技術が足りなかったのかな」
まぁ、他がわかれば、それだけで常人の域は超えているんだろう。
さすがはゾフィーというところか。
『シア、侯爵との会見まで時間がない。読むならさっさと読み進めよう』
『私ならさくっと読めるわよ』
それは頼もしいことで。
魔力操作が熟達していることを傘にものすごいスピードで読み上げる。
もちろん、魔力の流し込みに俺もサポートしている。
その方が、魔法の共有にも都合がいい。
ものの一刻。予定ではギリギリで読み終える。
それはどれも魔法が発現しなかったからだが。
しかし、最後のもののみ、意地か何かで発現させた。
「時空刀、ね」
シアの手には魔刃と似たような剣が握られていた。
異なるのは赤色ではなく青白い発光があるぐらい。
ゾフィーが読解できなかった部分は、魔刃の練成に空間魔法の構成を組み込んだものだった。
時空刀
その効果はわからない。使ってみてもいないから、なんとも言えないが、魔刃と変わらないように感じなくもない。
「時間だ。準備はいいか?」
シアが慣れないスーツに袖を通していると、グノーシャが呼びに来た。
一応男装の麗人に見れなくもない。
馬子にも衣装という感が大部分だが。
『言わないでよ』
『言ってはいない』
『思わないでよ』
そんな無茶な。
魔法書の効果の内実に後ろ髪を引かれながら、侯爵の元へ向かう。
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