第3話 キミに逢えて

 1週間近くが経過した。

 水縞公園での調査以降、冬子は一度、美術準備室を訪ねたのみで、ユウレイ絵画のことなど忘れ去ってしまったかのように振る舞っていた。

 「こっちの噂も一苦労だが、例の、ユウレイ絵画の件はいいのか?」

 玲子はおにぎりを頬張ほおばりながら訊ねた。

 冬子が卵焼きを口に運ぶ手を止め応える。

 「そうね、今日の放課後には一件落着の予定よ。夜一の調査報告は今日の午後1時……」

 その時、冬子のスマホが振動した。メールの内容を確認する。

 「時間ピッタリ。漸く鍵がそろったわ。これで都市研も部として正式に活動できるわね」

 冬子は両手を合わせ、胸を躍らせた。

 「なんだ、ご馳走ちそう様か。じゃあ、その卵焼きもーらいっ」

 「あっ、ちょっと!」

 冬子の弁当箱に入っていた最後の卵焼きは、吸い込まれるようにして玲子の口へと収まった。

 「なんだ、随分と甘いなぁ。アタシは出汁だしのきいたやつの方が……」

 「レイレイ、食べ物の恨みとなれば、末代までたたることになるけれど、覚悟はいいかしら……?」

 冬子は玲子の両頬をつまむと、思い切り両側に引っ張った。

 「ご、ごみん……わらとやないのら」

 「百回謝ったら許してあげるわ。できなければ、夏頃に一週間蚊に刺され続ける呪いをかけてあげるわ」


 冬子たちは午後の授業を終えて、美術準備室に来ていた。

 入口の扉が開かれ、黒部部長が暗い顔をして入室する。

 「調査にはまだ時間がかかりそうかい? 実は、また……」

 「ユウレイ絵画が現れましたか?」

 「そ、そうなんだ。今度は……」

 「棚丘たなおか公園東にある噴水の絵が無くなったのですか?」

 「な、何故それを……」

 「それは部長さん、あなたが一番よくご存知なのでは?」

 「どうして……」

 冬子はファブレットを取り出すと、画面を黒部部長の方へと向け、地図上の点滅している箇所を指差した。

 「ここは部長さんの家ですよね」

 「そ、それがどうしたんだ?」

 「噴水の絵は今、この点滅する場所、つまり、部長さんの家にあります」

 「だから、どうしてそんなことが……」

 「部長さんのサインの入った絵画全てに、GPS装置を取り付けさせていただきました。勿論、依頼を完遂次第、取り外すのでご安心下さい」

 「まさか、そんなことをする1年がいるとは……。GPS装置のそれぞれが異なる信号を発信しているから、どの絵がどこにあるのか把握できたってことか」

 「その通りです。ユウレイ絵画の噂が、部長さんの狂言である可能性と、部長さんに対する嫌がらせである可能性の両方を考慮して、このような処置を執らせていただきました。部長さんをだますような真似をして申し訳ありません」

 「いや、騙していたのは俺の方なんだ。俺こそ、君たちには申し訳ないことをした。ただ、俺は、あの絵の少年が誰なのか、それが知りたくして仕方がなかったんだ……」

 「ん……? 黒部部長の狂言だったんなら、ユウレイ絵画は自分で準備したんじゃないのか?」

 「レイレイ、それだと、何故、狂言を演じてまで私たちに依頼をしたのか。その目的が不明だわ」

 「全て、白状する。2枚目、そして、昨日準備した3枚目のユウレイ絵画は俺が描いたものだ。それから、俺の作品が無くなったというのも全て、俺の自演だ。ただ、1枚目のユウレイ絵画がこの美術準備室に現れたというのは本当なんだ。信じてくれ。俺は、確かにこの少年を知っているはずなんだ……だが、どうしても思い出せなかった。俺は、ユウレイ絵画の噂をでっち上げることで、この絵画を置き去った犯人をあぶり出せるんじゃないかと考えた。だが、ろくに情報は集まらなかった。そこで、職員室で顧問を探している君を見掛けて、協力を仰ぐことに決めた。君なら、見つけてくれるんじゃないかという、妙な確信があった。第六感というやつかもしれない。ただ、君との約束を果たすためには、美術部の顧問を説得する必要があった」

 「だから、急遽きゅうきょ、コンクール用の絵が無くなったことにしたのですね?」

 「そうだ。流石、君は察しがいい。コンクール用の絵が無くなったと聞けば、その捜索に協力してくれる君たちの願いにも耳を傾けてくれると思ったんだ」

 「そろそろね……」

 冬子は、廊下から響いてくる足音に耳をませた。一歩一歩、こちらに近づいてくる。

 美術準備室の扉がノックされた。

 「どうぞ」

 「……失礼します」

 一人の男性が入口に姿を現した。

 「部長さんはご存知ないかもしれませんが、こちらは、椎橋しいばし先生です」

 「初めまして、新任教師の椎橋と言います。今回は、黒部君に迷惑を掛けてしまった。本当に申し訳ない」

 椎橋先生は、黒部部長に向かって頭を下げた。

 「な、何がなんだか……」

 「今、ユウレイ絵画と呼ばれて騒ぎになっているあの絵は、僕がここに置いていってしまったものなんだ」

 「それは、本当ですか?」

 「あぁ、本当だ。僕は驚いたよ。まさか、黒部君、君がこの高校に通っているなんて思わなかった。黒部君は、椎橋周平しゅうへいという子を覚えているかい?」

 「シイバシ、シュウヘイ……?」

 黒部部長は、小刻みに震える右手を、おもむろに顔の前にかざした。

 「シュウ……ヘイ……」

 「僕は、周平の兄として、君に感謝の言葉を伝えるために、入学式の日、この部屋を訪ねた。しかし、中には誰もいなかった。作業机の上には、一枚の風景画が置いてあった。それは、見覚えのある作風だった。僕は、何故か懐かしさを覚えて、その作品を手に取り眺めた。その時だった。僕が、をこの作業机に置いたのは。その後、ケータイに緊急の用が入ったために、僕は慌ててこの部屋を後にした」

 「それで、例の絵画が忽然こつぜんと美術準備室に現れたわけか」

 玲子は独り言のように呟いた。

 「……周平は、本当に君の絵を大事にしていた。あの絵は勿論、君から貰った絵は全て、病室に大事に飾っていた。退院したらまた、君に絵を描いてもらうんだと、何度も話していた……」

 椎橋先生は、目の端に涙をめていた。

 「部長さん!?」

 突如、黒部部長は部屋を飛び出していった。

 「一体、どうしたんだ?」

 玲子が動揺する。

 「椎橋先生、本日は有難うございました。例の絵画は、私が責任をもってお返し致します。レイレイ、ついてきてもらえるかしら」

 「おう、勿論だ」

 冬子たちは美術準備室を出ると、黒部部長の後を追った。部長の影は、廊下の途中で姿を消した。

 「なんだ、トイレか。そんなに慌てなくても……いや、そんな様子じゃなかったか」

 「軽率だった……先週の様子を見ておきながら、無理矢理その記憶を引き出すような真似を……でも、私は……」

 「おい、どうしたんだトーコ? 青い顔して」

 「あの絵の少年の記憶は、部長さんにとって、思い出してはいけないものだったのよ。思い出したくない過去だった……」

 男子トイレからは、男のすすり泣く声がいつまでも木霊こだましていた。

 

 翌日の放課後。冬子は教室で呆然ぼうぜんと本を読んでいた。

 「まだ落ち込んでんのか? 気にすんなって。きっと、もう立ち直ってるさ」

 玲子はでるように冬子の頭を2度叩いた。

 「…………」

 「参ったな……」

 その時、教室の扉を開く者があった。

 「部長さん……」

 冬子は席を立つと、黒部部長の元へ歩み寄った。

 「私は、取り返しのつかないことを……」

 「ありがとう。君たちのおかげで、全てを思い出すことができた……」

 黒部部長は、冬子の言葉を遮るようにして語り出した。

 「あれは、俺が小学2年生くらいの時だった。友達がいなかった俺は、いつも独りで絵を描いていた。ある日、一人の男の子が俺に声を掛けてきた。それが、シュウヘイだった」

 黒部部長は、ゆっくりと、一つ一つ言葉をつむいだ。

 「シュウヘイは、父親のような舞台俳優になると言っていた。その真似なのか、よく大仰おおぎょうな振りを付けて歌を唄っていた。俺は気紛きまぐれに、シュウヘイの肖像画を描くこともあった。例の絵も、そのうちの1枚だった。何気ない日々が続いた。あの日は、突然、やってきた……」

 黒部部長は、声を震わせていた。

 「俺の目の前で、シュウヘイは車にかれたんだ。そのことを、10年もの間、俺は完全に忘れていたのに……昨日、全て思い出した。シュウヘイは手を振っていた。また明日、と言っていた。シュウヘイの笑顔も服装も、シュウヘイを轢いた車の色も、音も、においも、全部思い出した」

 夕暮れのあかね色が、教室内に静かに差し込んでいた。

 「俺は、シュウヘイがまた公園にやって来る日を待った。毎日、毎日、公園のブランコに座って、同じような絵を描き続けた。絵の中に、シュウヘイの姿はなかった」

 「部長さん、私は……」

 「俺は、思い出せて良かったと思ってる。昨日はかなり、取り乱したが……シュウヘイと過ごしたあの日々は、忘れたくなかったんだ。俺には、その記憶を封印したまま死ぬことの方が、ずっと恐ろしかった」

 黒部部長は、右手を前に差し出した。

 「紫月さん、朱嶺さん。君たちには、心から感謝している。都市伝説研究部の発足、おめでとう」

 「……はい、ありがとうございます」

 冬子たちは黒部部長と握手を交わした。

 こうして、都市伝説研究部最初の依頼、「ユウレイ絵画の噂」は幕を閉じた。

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