第2話 桜の樹の下には

 美術準備室を出て、鍵をかける。

 「その鍵はどうすんだ?」

 玲子が訊ねる。

 「お隣の美術部部員さんに一時返却するわ」

 冬子がノックをする。

 「どうぞ」

 美術部の部室内には、部員らしき人物が一人だけたたずんでいた。

 「黒部部長から預かっていた美術準備室の鍵を返しに来ました」

 「あなたが例の。わかりました、お預かりします」

 「失礼ですが、美術部の部員の方ですよね」

 「はい、そうですが。あぁ、僕は、美術部2年の滝野たきのといいます」

 「初めまして。1年の紫月冬子と申します。こちらは、同級生の朱嶺玲子です。少し、お訊きしたいことがあるのですが、今回のの噂について、部長さんはどのようなことを話していましたか?」

 「ユウレイ絵画って、例の2枚の絵画のことか?」

 玲子が小声で耳打ちする。

 「そうよ。最近、その名前で噂になっているのだけれど、レイレイは聞いたことなかった?」

 「初耳だ」

 「ユウレイ絵画についてですか……。部長は最初、ユウレイ絵画を部員たちに見せて、この少年を知らないか、とか、これを描いたのは誰だ、とか。そんなことを訊いて回っていましたね」

 「それはいつ頃の話ですか?」

 「先週の、4月2日ですね」

 「部長さんは、自分のコンクール用の絵が無くなったことについては、話をしていましたか?」

 「あぁ、無くなった絵というのは、コンクール用の絵だったんですか。それは初めて聞きました」

 「絵が無くなったこと自体はご存知だったのですか?」

 「えぇ、噂で聞きました」

 「なるほど。ありがとうございました。失礼致します」

 冬子は納得の表情を浮かべて、美術部の部室を出た。扉をゆっくりと閉め、玲子の方へと向き直る。

 「それでは、改めて、水縞公園に向かいましょうか」

 「……なぁ、ユウレイ絵画の噂って、具体的にはどんな風に伝わってんだ?」

 玲子は部室棟の廊下を進みながら冬子に訊ねた。薄暗い廊下には、二人の足音と会話だけが響いている。

 「私が聞いたのは、地縛霊が悪戯いたずらで残した絵だとか、昔自殺した生徒の怨霊が部長に描かせたとか、部長を恨む生霊の仕業だとか……多種多様な内容で、どうやら、全学年に広まっているようね」

 「ふぅん、霊の類ねぇ……他人事ではないが。まぁ、あの美術準備室にはしなかったな。現実的に考えるなら……部長に対する嫌がらせとか?」

 「そうね。現に、コンクール用の絵が無くなっているのは、レイレイの説を補強しているわね」

 「ん……その顔は、そうじゃないって言ってるな?」

 階段を2階から1階へと降りながら、玲子は冬子の顔を横目に言った。

 「フフ、ご明察」

 部室棟内は勧誘活動が禁止されていることもあり、冬子の愛する静寂が支配していたが、一足棟外へ出ると、部員たちの勧誘が喧騒けんそうとなって両耳をつんざいた。

 「あぁ、騒がしいわね。悩ましいわ、この騒音」

 冬子は人混みをき分けながら悪態をいた。

 「そうか? 活気があっていいじゃないか」

 「……レイレイ、それで13枚目よ」

 冬子は恨めし気に玲子の手に握られた勧誘ビラを見た。

 「どこも魅力的だなぁ。バレー部に、チア部に、拳法部まであるぞ!」

 「そう。レイレイが楽しそうで何よりだわ」

 「まぁ、アタシが入るのは都市伝説研究部だけどな」

 部活勧誘の黒山を抜け、ようやく裏門へと辿り着く。

 「公園へはこっちが近いのか?」

 「そういうことよ」

 本当は、早く騒音から逃れたくて裏門を選んだのだが、冬子は黙ってそう応えた。

 裏門の守衛に一礼し、門の外に出ると、桜並木の間を二人は歩いた。

 「桜がきれいだ」

 桜に見惚みとれて玲子がつぶやいた。器用に舞い散る花弁を数枚つかむ。

 「どんなもんよ」

 「流石ね、レイレイ。私にもその運動神経を少し分けてもらいたいわ」

 「トーコも一緒に鍛えるか?」

 「心から遠慮しておくわ」

 「それは残念だ」

 玲子は掴んだ花弁を風に舞わせると、両手を頭の後ろで組んだ。

 「桜の樹といえば、根本に死体が埋まってるもんだと、どっかで聞いたことがあるんだけど、あの話はどうしてそうなったんだ」

 「レイレイ、実にいい質問ね」

 冬子は眼を爛々らんらんと輝かせた。

 「端的に言えば、梶井基次郎の短編に、『櫻の樹の下には屍体したいが埋まつてゐる!』、というフレーズがあったのが事の起こりよ」

 「なんだ、小説が元なのか。てっきり、そういう事件でもあったのかと思ってたよ」

 「そう、問題はそこにあるわ。明らかにフィクションが元であるとわかっているこの話が、何故こうも広く伝播でんぱしたのか。レイレイのように、小説の一節に由来することを知らないというのもあるかもしれない。けれど、私には、桜の樹の下には死体が埋まっている、という呪文には、人をその気にさせる、真に迫る何かがあるとしか思えないの」

 「トーコらしい解釈だな。好きだぜ、そういうの」

 「フフ。さて、着いたわ」

 公園の外周には柵が巡らされており、柵の途切れている入口から公園内へと入る。

 遊具はブランコが二つあるだけで、あとはベンチがいくつか点在していた。

 「これだな、部長が言っていた青いベンチってのは」

 玲子が目当てのベンチを見つけ、続いて側にある大木に目をった。腕を組んで、空を仰ぐ。そこには、満開の桜があった。

 「でかい木だなぁ。あの絵にあった木は桜だったんだな」

 「折角だし、例の絵と同じ構図で写真を撮ってみましょう」

 「おっ、それはいいな。この辺に立てばいいか?」

 玲子が青いベンチの前に立ち、冬子が撮影係となった。

 「なるほど。やっぱり、このブランコに」

 冬子はブランコの一つに腰を下ろしてスマホを構えた。スマホの画面を通して見た風景が、あの絵の構図と完全に重なった。

 冬子は、玲子のVサインに微笑しつつ、スマホのシャッターを切った。

 「できれば、この公園に詳しい人に話を伺いたいわね」

 「あの爺さんに訊いてみるか」

 「そうね。昔のことも知っているかもしれないわ」

 冬子たちは、公園の端にある、青いベンチとは別のベンチに鎮座していた老人に声を掛けた。

 「こんにちは。柳國やなぐに高校1年の紫月冬子と申します。こちらは同級生の朱嶺玲子です。少し、この公園についてお伺いしたいことがあるのですが……」

 「なんだね」

 老人は、柔和にゅうわな笑みを作って応えた。

 「この公園にはよくいらっしゃるのですか?」

 「そうじゃなぁ。かれこれ20年以上は通っておるな」

 「その杖はどこでお買い求めに?」

 「なんじゃ、公園の話ではなかったのか。これは、駅前の百貨店で買った物じゃよ」

 老人は杖の先で地面を2度叩くと、快活に笑った。

 「すみません、私の祖父が杖の蒐集しゅうしゅうっていまして、少し気になったものですから。本題なのですが、この絵の少年に見覚えはないでしょうか?」

 冬子はファブレットを鞄から取り出すと、撮影しておいたユウレイ絵画の画像を老人に見せた。

 「はて、見たような気がするのう」

 老人は真っ白な顎鬚あごひげいじりながら頭をかしげた。

 老人の座るベンチの真上でも、桜が妖艶ようえんに咲き乱れていた。桜の雨が冬子の持つファブレットに舞い落ちた時だった。

 「そうじゃ、10年近く前じゃったかな。毎日のようにこの子はこの公園に遊びに来ておった」

 老人は当時を懐かしむように両目をつむった。

 「その子は一人で遊んでいたのですか?」

 「いいや、いつも二人で遊んでおった。この絵の少年はよく歌を唄っておった。もう一人の少年はよく絵を描いておった。そうそう、ベンチが空いておるのに、ブランコに座って描いておったわ」

 「10年近く前と仰いましたが、その子たちは、いつ頃から公園に来なくなったのですか?」

 「いつ頃だったか、二人の少年がこの公園で遊ぶようになってから、数か月経ってからじゃった。絵の少年だけが、この公園に来なくなった」

 「どうして?」

 沈黙を守っていた玲子が訊ねた。

 「交通事故に遭ったんじゃ。絵の少年が公園を出たあたりで、大きな音がした。やがて、救急車やパトカーのサイレンがやかましく鳴った。それはもう大騒ぎじゃった」

 「絵の少年だけが来なくなった、ということは、もう一人の少年は?」

 「相も変わらず、毎日この公園に来ておった。一人で、いつものように、あのブランコに座って絵を描いておった。わしはその光景を見て、いつも歌を唄っておったあの少年は、幽霊だったんじゃないかと思ったくらいじゃ」

 「いろいろとお応え頂き、有難うございました。失礼致します」

 二人は深々と頭を下げ、水縞公園を後にした。

 「いよいよ都市伝説っぽくなってきたな。既に亡くなっている少年が描かれた絵画か……。なんで、そんな物が美術準備室に……」

 「あぁ、このまま謎が解けなければいい。そうすれば立派な都市伝説に……」

 冬子は胸を押さえ、舞台女優のように大袈裟に言った。

 「けれど、解かなければ、都市研発足の道を断たれることになる」

 「そうだな」

 玲子が素っ気なく反応する。

 「わかっているわ。私が追い求めるのは、の都市伝説。ユウレイ絵画の噂、これは

 「そうこなくっちゃな」

 玲子は指を鳴らして片目を瞑った。

 「あとやるべきことは情報収集よ」

 「夜一よいちの出番か」

 「そうね。彼に、この絵の少年について、具体的には、この公園付近で起こった交通事故について調べてもらいましょう」

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