37 近くて遠い唇

 

 もしもコーヒー1杯で何時間ファミレスで粘れるかの大会があったなら、間違いなく優勝は、おばさんコンビだろう。


 とにかく喋る。喋りまくる。

 しかも、話がたびたび脱線する。

 さらにそこから話が発展するので終わりがない。


 そんな具合でエンドレスで喋り続けるおばさん軍団が替わるがわる勝春のテーブルに顔を出しては、明らかに事件とは無関係な話題を振りまいていく。


 まさにお喋りの絨毯爆撃!

 これはもはや拷問だ。


 勝春の「じゃあボクはソロソロ」と、いう台詞が何度潰されたことか……。


 しかし、膨大な無駄話の中にS氏に繋がりそうな情報が幾つか含まれていた。

 

 容疑者は三人。

 おそらくこの三人を順にあたっていけばS氏に当たる可能性は高い。


 ただ、時間が無い。

 早く容疑者を特定しないと、さすがの勝春でも三人同時に仲良くなって口を割らせるのは難しい。


 できれば容疑者を一人に絞ってガセネタをTVで喋ってしまったことを認めさせたい。

 そして『嘘をついていました』とTVカメラの前で白状させることで、この事件がでっちあげであることを証明したいのだ。


(どうやってここから脱出しようかナ……)と勝春が思案していると、うまい具合にカズから電話がかかってきた。


「ちょっと失礼しますヨ」と、勝春がスマホを取り出して離席する。


「あらぁ」と残念そうな顔をするおばさん達から避難しながら勝春がわざと大きな声を出す。

「分かったヨ!」


『え? まだ何も言ってないけど』と、電話の向こうでカズが不審がる。

「えぇっ? マジで。そりゃ大変だネ。すぐ出るから待ってて!」


 勝春はオーバーに独り芝居しながら、そのままファミレスを出た。

 そしてダッシュする!


『ちょっと勝春? なにやってんだい?』

「脱出だヨ!」


 勝春はスマホを片手にしばらく走ってから身を隠す。

 そして息を切らせながら話を続ける。


「ごめんヨ。ちょっと監禁されちゃっててサ。ファミレスで」

『ファミレスで監禁? ああ、聞き込みにいって逆に捕まっちゃったんだね』


「まあネ。で、何か手掛かりは?」

『うん。残念ながら物的証拠は無かったんだけどね。突破口は見つかった』


「さすがカズだネ! で、オレに何か?」

『今、人事部で従業員のファイルを見てるんだけど、せっかくだからそっちの聞き込みで怪しい奴はいないかなって』


「人事部だって? それって個人情報ダロ。まずいんじゃない?」

『今回ばっかりはそうも言ってらんないでしょ。校長っていうか社長の了解も得てるし』


「ま、それもそうだネ。そっか。じゃあ今から言う三人の情報を頼むヨ」


 そこで勝春は容疑者三名のフルネームをカズに伝えた。

『了解。じゃあその三人の履歴書をコピーして持って帰るよ』


「OK。で、カズの方はどんな手掛かりを見つけたのサ?」

『詳しくは帰ってから話すよ』


「そう。じゃあオレも今から帰るヨ。それじゃ後で」


 この時、時間は土曜の午後四時。

 

 月曜の緊急職員会議までは約40時間。

 残された時間は少ない……。 


     *    *    *


 それにしても会話が無い。

 朝の九時から夕方までずっと二人きりだというのに……。


 別に大志が怒っているというわけではない。

 大志は大志で真剣に自分の任務に取り組んでいるだけなのだ。

 

 それは菊乃も分かっているつもりだ。

 が、さすがにこうも会話が無いと自信が無くなってくる。


「ね……夕飯どうする?」

 菊乃は菊乃で一生懸命、話しかけているつもりだった。

 

 しかし、大志から返ってくる言葉は、ややもすれば冷たく、生返事に過ぎない。


「ね。だから夕飯。気分転換に外行かない?」

 菊乃の提案に対して大志はPCの画面から目を離さずに答える。

「お前、パン買って来い」


「えぇ、やだ! お昼もお弁当だったでしょ」

「構わん。コロッケパンを三つ頼む」


 大志のつれない態度に菊乃がついに爆発した。

「いいわよっ! 買ってきてもいいけど三つともジャムパンにしてやるっ!」


「は? 何を怒ってるんだ?」

「もう付き合ってらんない。アタシ帰る!」


「それは構わんが……まだ結果が出てないぞ」

 大志はそう言って菊乃を見上げる。


 そのリアクションが腹立たしいやら呆れるやらで菊乃は大志を睨みつける。

「結果って……だから何なの?」


「カズと勝春が有力な情報を持ち帰ってきた時に手掛かり無しでは申し訳ないからな」

「そりゃそうだけど……」


 確かに大志の言うことは間違っていない。

 今は加美村学園が大ピンチなのだ。

 皆それを救うために必死で動いている。


 そんな中で大志の横顔に見とれたり、勝手に不安になったりしている菊乃の方が悪いに決まっている。


 だけど、こればっかりはしょうがないのだ。

 頭の中では捜査に集中するべきだとわかっている。

 なのに、視線は自然に引き寄せられ、胸は勝手に締め付けられてしまう。


「お、お、おいっ!」と、大志が慌てた様子で菊乃の顔を見上げる。


 それを見て、菊乃は自分が泣いていることに気付いた。


 大志はなぜ菊乃が泣いているのか、さっぱり理解できずにあたふたしている。


「ご、ゴメン」と、菊乃が泣き顔を見せまいと大志に背中を向ける。


「な、泣く意味が分からん……が、その、なんだ」と、言って大志が口ごもる。


 恐らく、こういう場面で女の子にどのような言葉をかければ良いのか分からないのだろう。


 菊乃は次の言葉を待った。

(次に何て言ってくれるの?)


「何と言って良いのか……俺。不器用なもんで……その」


 菊乃は半分だけ振り返ってチラリと様子を伺う。

 恥ずかしがっている大志も悪くない。


「その、なんだ。とりあえず……ガンバレ」


(は?)


 唖然とした拍子に涙が止まってしまった。


 イラッとくるところを抑えて菊乃は大志に向かって尋ねる。

「頑張れって何を?」


「いや。ま、つまり泣くなってことだ」

「泣いちゃいけないの?」


「そういうわけではない。ただ、俺の前で泣くな」

「それって命令?」


「いや、強制ではない」


 菊乃はじっと大志の目を見つめた。


 目が合うこと数秒……先に大志が目を逸らした。

 菊乃の強い視線に耐えられなかったのかもしれない。


 大志は苦し紛れに言葉を発する。

「目の前で泣かれるのは苦手だ……というより困る」

「じゃあ、違う場所で泣けばいいのね?」


「違う。そうじゃない。お前に……泣いて欲しくない」

「俺の前で泣くなって言うんなら……ホントにそう思うなら……キスして!」


「なっ!」


 大志が驚愕する顔を見届けてから菊乃は、ちょこんと大志の前に正座した。

 そして、ぎゅっと目をつぶる。


(これは賭け……これでも手を出してこなければホントに……)


 1秒、2秒……時が息を潜めて事の成り行きを見守っている。


 3秒、4秒……この沈黙には様々な思いが凝縮している。


 5秒、6秒……張りつめた空気が痛い。


 7秒、8秒、9秒……なんで? 


 なんで来ないの? アタシはこんなに……。

 

 目を開けるわけにもいかず、菊乃は焦った。

 そしてその焦りが菊乃を思いきった行動に駆り立てた。


(もぅっ!)

 薄目を開けてみる。


 無防備な大志に向かって唇を寄せる。

(やだ。届かな……)


 あともう少し! というところで菊乃はバランスを崩してしまった。

 その拍子に思わず大志の首に両手を回してしまう。


「危な……」と、大志が菊乃の肩をつかむ。


 あっという間に唇の距離がぐっと縮まる。

 

 息をしてしまうと吐息が触れてしまいそうだ。


(今度こそ……)

 菊乃は静かに目を閉じようとした。


 と、その時……。


「タダイマッ! 何とかなりそうだヨ!」と、威勢の良い勝春の声が響いてきた。


「うわっ!」と、大志が慌てて菊乃の肩を押し返す。


「え?」と、菊乃は茫然とするしかなかった。


「アレ? どうかしたノ?」

 リビングに入ってきた勝春が二人の様子を眺めている。


 菊乃は心で泣いた。

(カッチーってば……あと五分遅く帰ってきてよぉ)


 気まずい空気に気付いた勝春がバツの悪そうな顔を見せる。

「アレ? まずかったカナ?」


 大志が狼狽しながら答える。

「ふ、ふざけるな。何もまずいことなど無い!」


「いやサ。なんか菊ちゃんオレのこと睨んでるし……」


「き、気のせいだろう! 俺達は地道に調査してただけだからな。うん!」

「ヘェ、そうなんダ。で、ヒットした? ブログとか」


「むぅ。怪しいのは何件かあったが確信を持てるほどのものは……」

 大志と勝春の会話を黙って聞きながら菊乃は行き場の無い怒りを必死に抑えた。


(もう少しだったのに……カッチーのバカ……)


「とりあえず怪しいと思われるブログを何件か拾ってブックマークしておいた。見るか?」

「そうだネ。一応、こっちも三人までは絞ったんだヨ」


「お、そうか。さすがだな」

 そう言って大志はPCの画面を披露する。


 そこに表示された膨大な情報量に勝春が顔を顰める。

「ウエッ、何だこれ? こんなにあるのカイ?」


「それだけ食品の偽装が多いってことだ。実に嘆かわしい」

「この中でサ。日本代表の試合観に行ったって奴いないかナ?」


「日本代表ってサッカーか? 確かあったような……な?」

 大志が菊乃の顔をチラリと見る。

 が、菊乃は「知らない」と、そっぽ向く。


「ちっ。確か青っぽいHPで……これだったか……いや。こっちか」

 大志と勝春が熱心にPCを覗き込んでいる様子を横目に菊乃はため息をついた。


 勝春がHPを斜め読みして首を振る。

「これは違うネ。じゃ車好きか釣りが趣味の奴っていないかナ」

「車か。それならこれはどうだ……」


 しばらくして今度はカズと美穂子が引き上げてきた。

「お、皆やってるね」と、カズがリビングに入ってきた。

 そして妙な雰囲気に気付く。


 カズは大志の側に寄ってきてこっそり尋ねる。

「何かあったの? 藤村さん怒ってるみたいだけど……」


「さあな。それより、そっちはどうだ?」

 大志に言われてカズが答える。

「あ、工場の方ね。うん。何とかなりそうだよ」


「さすがだネ!」と、勝春がにっこり笑う。


「森野さんのおかげでね。貴重な証拠がつかめそうだよ」

「証拠が見つかったのか?」と、大志も目を輝かせる。


「物的証拠って訳じゃないんだけどね。明日、証人になってくれそうな人と会ってくるよ」

「エ? 証人?」と、勝春が拍子抜けしたような顔をする。


「言っとくけどただの証人じゃないよ」と、カズは自信あり気に言う。

「証人ネ……昼間にパートのおばちゃん達に会ったけどサ。どうかナ」


「カズがそう言うんなら勝算があるんだろうよ」

 やはり大志はカズを信用している。


「まあね。明日、アシムとハマドに会ってくるよ」


 カズの言葉を聞いて勝春が聞き返す。

「アシム? ハマド? て、外人かヨ!」


 それには答えずカズは美穂子と顔を見合わせて笑った。

 そして勝春と大志にお願いする。


「勝春と大志は今晩中に告発者を突き止めて欲しい。で、何とか明日中に吐かせてよ」


「了解だヨ!」と、勝春が親指を立ててOKする。


「やってみよう」と、大志は再びPCに目を移す。


クライアントである校長がクビになってしまうまで残り時間は36時間だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る