33 カズのピンチ!

 カズは祈った。

 

 特に神様を信じている訳ではない。

 だが、今はそれにすがるしかなかった。


 もしも神様が存在して奇跡の扉をちょっとでも開いてくれたなら、カズは一生、神を信じても良いと思った。


 イワンは右手でカズの右腕をガッチリ握って固定し、左手でカズのベルトに手をかける。


 それを阻止しようとカズがもがく。

 イワンの顔を引っかこうと左手を背中にまわすが、全然、効果は無い。


 ふと見ると近くに分厚い本がある。

 左手を伸ばして辛うじて指先に本を引っ掛ける。


 イワンがハァハァしながらカズの耳元で囁いた。

「大丈夫ダヨ……痛クシナイカラ」


 それを聞いてカズが身震いする。

 そして手繰り寄せた本を左手に握り、自らの背中に向かって振り下ろす。


 滅茶苦茶に振り回すと何発か手応えがあった。

 だが、イワンの力は緩まない。

 おまけにカズの足はイワンの足にガッシリ挟まれている。


「は、離せよっ!」

 カズは必死に上半身を捻ってもがいた。

 そして本の角をイワンの顔にグリグリ押し付ける。


 だが、イワンはタフだった。少しも効いていない。

 それどころかイワンは強引にカズの左腕を変な方向に捻った。


「痛ッ!」

 カズの左腕から力が抜けて最後の望みであった本が落ちた。


「クソッ!」

 これからイワンが何をしようとしているのか……想像したくもない。


 カズが弱ったところでイワンは、とうとうカズのズボンを脱がせにかかった。


『カチャカチャ』という金属音がして、カズのベルトがイワンの手によって引き抜かれてしまった。


(いよいよダメか……)

 カズが諦めかけたその時『ガチャガチャ』という音がして『バン』と誰かが部室のドアを開けた。


「あ! ここに居たんだ! オトコフスキー君たら!」


 その甲高い声を聞いてカズは我に返った。

 そしてもう一度、残された力を振り絞ってイワンの手から逃れようと試みた。


「うわぁあああ!」

 自分でも驚くほど大きな声を出した。


 それを聞いて部屋に入ってきた人間が「何何何? だ、誰!?」と、驚く。

 そして部屋の灯りを点ける。


 その声の主は目黒だった。

 が、今のカズにとっては神に見える。


 カズとイワンが重なっている姿を見て目黒が目を丸くする。

「ええっ? オ、オトコフスキー君、ズボンは?」


 それを聞いてイワンが「ヤメロ!!」と、叫ぶ。

 そして、パッとカズから離れると慌てて股間を手で隠す。


 下半身丸出しのマッチョな外国人少年が恥ずかしそうに股間を隠す姿にカズも驚いた。

「恥ズカシイダロー! 見ルナヨー!」


 イワンは顔を真っ赤にして本気で恥ずかしがっている。


 カズはその意外なリアクションに唖然とした。

 これがさっきまで人のズボンを下ろそうとしていた奴の反応なのか?


 目黒は目の前の光景が理解できずに混乱しているようだ。

「え? え? オトコフスキー君? な、何やってんの?」


「バカヤロー! 見ルンジャネーヨー!」

 イワンは股間を隠しながら目黒に向かって怒鳴る。


(とにかく今のうちだ!)と思ってカズは素早く立ち上がり、入り口に向かってダッシュした。


 目黒を押しのけてドアの向こうへ走る! 

 部室を出て全力で走る!

 ベルト無しのズボンが下がりそうになるが、構わず走る。

 決して後ろは振り返らない!


 カズに突き飛ばされた目黒はポカンと口を開けている。

 そしてカズの後姿を見送りながら呟く。

「あ、もしかして彼、入部したいんじゃないかな。ね、オトコフスキー君?」


「知ルカ! ボケ!」


「そっか。きっと照れくさかったんだな。なんだよ。入部したいならそう言ってくれればいいのに」


「コノ、間抜ケ! オ前ノセイデ『スパイ』ヲ逃ガシテシマッタジャナイカ!」

 イワンはパンツを履きながら文句を言った。


「ハハ……『ボケ』とか『間抜け』とか、オトコフスキー君は汚い日本語の使い方がまだ分かってないんだね」と、目黒が引きつった顔で言う。


「分カッテテ言ッテルンダヨ! コノ、アホタレ!」


 とりつくしまもないイワンの様子に目黒は引きつった愛想笑いを浮かべるしかなかった。


     *    *    *


 ドラッグストアで湿布を買ってきた菊乃に勝春が言う。

「菊ちゃん、任せたヨ。あいつ、自分の部屋で横になってるからサ」


「え? 任せるって?」

「だからサ。その湿布で手当てしてやってヨ」


「アタシが? でも……」


 女嫌いの大志のことだから自分が部屋に入っていったら怒るんじゃないかと菊乃は躊躇した。


 そんな菊乃の背中を勝春が押してくれる。

「早く冷やした方がいいヨ。急いで、菊ちゃん!」


「そ、そうだよね」


 勝春に促されて菊乃は思い切って大志の部屋に入る。


 大志はベッドで横たわっていた。


「あの……入るね」

 菊乃が恐る恐るそう言うと大志が慌てて上半身を起こす。

「な、なんだ? 何でお前が……」


 大志の顔を直接見てしまうと照れくさくなってしまうので菊乃はわざとぶっきらぼうに振舞った。


 まず、有無を言わさずズカズカと部屋の中に入り、ベッドの前にちょこんと座る。 


 そして、大志のズボンの裾を思い切りまくりあげて、痛む箇所も確かめずに『ペトッ』と湿布を貼り付ける。


「つ、冷てぇ!」と、大志が悲鳴を上げる。


「あ、ごめん」

「たわけ! そこじゃない」


「じゃ、どこ?」

「もっと上……この辺りだ。そうだな。ここを縦に一枚貼ってくれ」


「だったら最初からそう言えばいいのに」

「お前がいきなり貼ろうとするからだろうが!」


「はいはい、ここね」

「つ、冷た!」


「文句言わないの」


 冷たさもひと段落して大志が「ふぅ」と息をつく。


 それを見て菊乃が尋ねる。

「でもさ。ゴッキーがこんなに苦戦するなんて、イワン君て強いの?」


「ああ。強いな」

「イワン君て何者? そもそも何でゴッキー達にケンカ売ってきたの?」


「そ、それはだな……」

「ミステリー・ボーイズ。確かイワン君がそう言ってたよね?」


「そ、そうだったかな?」

「とぼけないで! 確かにそう言った。何なの? ミステリー・ボーイズって?」


 菊乃の質問責めに困った大志が「おーい! 勝春!」と、リビングの勝春に助けを呼ぶ。


 しばらくして勝春と美穂子が大志の部屋に入ってくる。


「何だヨ。ケガ人は大人しくしてなきゃ駄目ダロ?」


「勝春から説明してやってくれ。こいつ、どうやら感付いているらしい」


「こいつ?」と、自分のことをこいつ呼ばわりされて菊乃が顔を顰める。


 勝春は腕組みしながらベッドを見下ろしていたが、急に真顔になる。

 そして口を開いた。

「菊ちゃんも聞いちゃったんだよネ。イワンの言ったこと」


「うん。ミステリー・ボーイズって何のこと?」


 菊乃の質問に対して勝春は「ヤレヤレ」と首を振った。

 そして大志の顔を見ながら小さく頷いた。

「仕方ないネ。隠しておくのも、そろそろ限界かなって話してたんだヨ。三人で」


「隠すって何を?」と、美穂子が驚く。


 その素直すぎる反応に勝春が苦笑いを浮かべる。

「マ、美穂子ちゃんは気付いてなかったかもしれないんだけどサ。菊ちゃんは薄々、勘づいてたみたいだネ」


 勝春の言葉に菊乃が頷く。

「うん。だから説明してよ。ホントのこと」


「分かったヨ。じゃ、ぶっちゃけて話すけど。引かないでネ」


 菊乃と美穂子は心の準備をするように揃って息を飲む。


「実はサ。オレ達三人はこの学校に派遣されてきたんだ。任務でネ」


 意外な言葉に菊乃は戸惑った。

 ところが、ここでも美穂子の聞き間違い。

「え? 妊婦?」


 ガクッと他の三人がずっこける。一気に緊張感が失せる。

 大志が呆れたように言う。

「相変わらずお前は……耳鼻科に行った方がいいぞ」


「だって、ホントに『ニンプ』って聞こえたんだもん!」

「マァ、美穂子ちゃんも大志もそれぐらいにしてサ。本題から逸れちゃうから」


 二人をなだめて勝春が仕切り直す。

「で、説明を続けるヨ。あのネ。前にも言ったと思うんだけど、オレ達は校長の依頼を受けて学校内で発生するトラブルを解決してたんだヨ」


(それは前にも聞いた。でも、それだけじゃないはず……)


 菊乃はじっと勝春の顔を見る。そして次の言葉を待つ。


 菊乃の無言の圧力を受けて勝春はいつになく真面目な顔つきで説明を続ける。

「校長はオレ等が所属する組織に依頼した。で、オレ達が派遣されてきたんだヨ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る