32 ロシアからの刺客!? 

 菊乃がハッとする。

(ミステリー・ボーイズ!?)


 厳しい表情の大志と勝春。

 それに対して余裕を見せるイワン。


 ほんの数歩の距離で対峙する三人……。

 緊迫した空気が張り詰める。


 そこで大志が、おもむろに口を開く。

「何なら試してみるか?」


「イイネ。見セテクレヨ」


「ちょ、ちょっとまずいヨ」と、勝春が大志を制止しようとする。


 だが、大志は勝春を押し止め、一歩前に出た。

「お互いに了承していれば問題なかろう」


 やる気マンマンの大志を見て菊乃は焦った。

 すぐに周りに誰も居ないか確認する。

 幸い他の生徒の姿は無い。


「行くぞ!」と、大志はイワンに接近すると、左のハイキックを放った。


 だが、イワンはまったく構える気配がない。


『ズシッ!』という音がして大志の左ハイキックが決まった……かに思われた。


 だが、イワンは軽く首を傾げたような形で大志の左足を首で受け止めている。


「何っ?」と、大志が呻いた。


 手応えはあったはず……なのにイワンは倒れるどころか微動だにしない。

 そして次の瞬間、イワンが動いた! 

 と思った途端、大志の左足に激痛が走った。

 

 見ている者たちには何が起こったのか、まったく理解できない。

 

 イワンは大志の左足を自らの右脇に抱え、それを軸に身体を回転させながら大志を引き倒した。


「ドラゴン・スクリュー」と、勝春が呻いた。


 菊乃と美穂子が茫然としている間にも、イワンは寝技で大志を攻め立てる。


 イワンは大志の左足を自分の両足で挟み込み両手で捻り上げる。


「ぐっ!」と、大志が苦悶の表情を浮かべる。


 が、そこは大志も負けてはいない。

 すぐさま空いている右足を利用してイワンの顔面を攻撃する。


 さすがのイワンも顔面に何度もケリを入れられて体勢を崩す。


 大志はすかさず身体を反転させ、左足を引っこ抜いてイワンから離れる。

 そしてスックと立ち上がると次の攻撃に備えて構えをとる。


 一方のイワンは鼻血を出しながらゆっくりと立ち上がる。

「ナルホド。結構、ヤルジャナイカ」


「フン。貴様もな」


 お互いに戦闘体勢のまましばらく睨み合いが続く。


 菊乃がたまりかねて「やめてっ!」と、大きな声を出す。


 勝春も止めに入る。

「これ以上やったら人が集まってきちゃうヨ!」


「そうだな。今日のところは……」と、大志が珍しく肩で息をしている。


「ソウダネ。続キハ、マタ今度」と、イワンが右腕で鼻血を拭う。

 そして大志に背を向けると何事もなかったかのように階段方面へと歩き出した。

 

 恐ろしくタフな男だ。


 イワンの後ろ姿が見えなくなるまで大志はファイティング・ポースを取っていた。 

 

 しかし、イワンを見送った途端、緊張が解けたのか左膝をガクっと床に落とす。

「グッ……左足に力が入らない」


 菊乃は「大丈夫?」と、大志のそばに駆け寄り身体を支えようとする。

 しかし大志は「寄るな! 自力で立てる」と、菊乃の手を払いのけた。

 ひどくイライラしているように見える。


「でも……」

 心配そうな菊乃に向かって大志が「問題ない」と、無理に笑おうとする。

 しかし、足が痛むのかすぐに顔が歪む。


「参ったネ。凄い間接技だったヨ」と、勝春も大志の様子を見守る。

「ああ。恐らくあれはサンボだ」


「どおりで……やはりタダモノじゃないよネ」

「さすがに本場仕込みのサンボは強烈だな」


 二人の会話を聞いていた美穂子が場違いな一言。

「本場仕込みの散歩?」


 美穂子の聞き間違いは筋金入りだ。


「散歩じゃない。サンボだ! お前は、どんな耳をしている?」

 大志に一喝されて美穂子が口を尖らせる。

「だってホントに知らないんだもん。カズ君ならやさしく教えてくれるのに!」


「おい勝春。お前が代わりに説明してやってくれ」

「え? オレがかい? 弱ったネ。こりゃ」

 そう言いながら勝春が頭を掻く。


 そして勝春のつたない説明で、一応、サンボというのはロシア伝統の格闘技で関節技が豊富なことで有名ということは菊乃にも分かった。


 だが、なぜ転校生のイワンが大志たちを挑発してきたのかが分からない。


「ね。カッチー。ミステリー・ボーイズって何のこと?」


 菊乃の素朴な疑問に勝春と大志が黙って顔を見合わせる。


「いや。マァ……その」と、勝春が口ごもる。

「何か隠してない? ホントは何か秘密があるんでしょ?」


 菊乃のさらなる追求に大志が憮然として応える。

「お前等は知らなくていい!」


「何それ……人が心配してあげてんのに」

「余計なお世話だ」


「よく言うわよね。足、痛そうじゃない」

「ムッ、そ、それはだな……」


 大志と菊乃の言い争いがヒートアップしそうなところで勝春が止めに入る。

「ハイ、そこまで。それよかサ。早く足に湿布した方がいいんじゃない?」


「そうだな。いったん引き上げるか」と、珍しく大志が素直に従うところをみると、かなり痛むのかもしれない。


「オレ達は先に帰るからサ。悪いけど、菊ちゃんと美穂子ちゃんはドラッグストアで湿布しっぷ買ってきてくれないかな?」


「うん。分かった」と、菊乃も素直に言うことを聞く。


(また誤魔化されちゃった……でも何なんだろ。ミステリー・ボーイズって?)


 勝春の肩を借りながら大志が左足を引きずる姿は痛々しかった。

 

 あれほど圧倒的な強さを誇っていた大志と互角、いやそれ以上の強さをみせる謎の転校生イワン。


 そしてそのイワンが呟いた言葉『ミステリー・ボーイズ』とは何のことか?


(なんだろ。なんでこんな不安な気持ちになっちゃうんだろ?)


 菊乃は何か嫌な予感がしてならなかった。


     *    *    *


 その頃、単独行動を取っていたカズは、郷土史研究会の部室に潜入していた。


 狭い部室内には顧問の有賀先生のデスク、テーブルが一台、ソファがひとつあった。

 そのどれもが本や資料に埋もれていて、まるで泥棒に入られた直後のように散らかっている。


 そんな中でカズは、デスクにあるパソコンを熱心に調べていた。

 時間にして三十分あまり。

 

 誰か来ないかヒヤヒヤしながらの作業であったが、そのあたりはカズも手馴れたもので、目的はほぼ達成しつつあった。


「なるほどね。そういうことだったのか……」


 カズがそんな風に独り言を言いながら納得していると入り口のドアを誰かが開けようとした。


 鍵をかけておいたので誰かが鍵を開けようとすれば音で分かる。

 隠れようと思えば隠れられそうな箇所は幾つかあった。


 だが、相手が目黒なら、うまく丸め込めるし、仮に顧問の有賀先生が入ってきた場合はカズがつかんだ事実を突きつけるまでだ。


「さて。どっちが入ってくるかな」


 様子見で入り口を見る。ところが、カズは息を飲んだ。


 鍵を開けて部室に入ってきたのは目黒でも有賀でもない。

 とんだ誤算だった。


「イワン・オトコフスキー」


 思わずカズは敵の名前を口にしていた。そして混乱した。

 まさかイワンが直接、ここに現れるとは思っていなかったのだ。


 イワンはカズの姿を認めて怖い顔をする。

「オ前、ソコデ、何ヲ、シテイル?」


「言い訳しても無駄なようだね。逆に聞くけど、そちらこそ何でここに?」

「部員ニ、ナッタカラダ」


「へぇ。目黒君が言ってた新入部員ていうのは君だったのか」

「オ前モ『ミステリー・ボーイズ』ダナ?」


「まあね。けど、刺客の君が、まさか表立って黒幕と接触してたとはね。ボクの読みでは君は黒幕の正体を隠す為に秘密裏に妨害工作をするんじゃないかと……」


「小細工ハ、シナイ。邪魔者ハ、排除スル」

「なるほど。けど、ちょっとばかり遅かったね。君の出番は、もう無いよ」


「スパイニハ、オ仕置キガ必要ダ」

「ちょっと、ちょっと! 無駄な争いは止めようよ。こっちはもう真相を……」


 カズの言葉を無視してイワンが、ずいっと数歩前に進み出る。


 腕力に自身のないカズは思わず後ずさりする。

「き、君もプロだろ? だったらもう……って! ええっ?」


 カズは目をいた。

 なぜならイワンが突然、自らのベルトをゆるめ、ズボンを脱ぎ始めたからだ。


『カチャッ、カチャッ』というベルトの金属音を聞きながら、カズはマスターの警告を思い出していた。

「ま、まさか……」


 さすがにカズは焦った。

 イワンが何をしようとしているのか、もしマスターの言葉が事実なら……。


「ひ、ヒィィ!」

 必死で逃れようとするカズの腕をイワンが掴む。


 と同時にイワンはカズの腕を捻り上げ、簡単にカズのバックを取った。


 さらにイワンはカズの足に自分の足を絡ませてソファに押し倒した。

 

 ソファにうつ伏せにされたカズはパニックになっていた。

「ひ、ひぃっ、だ、誰かっ!」


 イワンのがっしりした身体が背中にはりついて離れない。

「き、気持ち悪っ!」


 カズがもがけばもがくほど、イワンの腕が、足が、カズの身体に絡みついてくる。


(もうダメだ……)

 カズは諦めて、ぎゅっと目を閉じた。

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