21 黒幕は誰だ?

 翌日、朝一番にカズと勝春は校長室を訪問した。


 カズが、これまでに判明した事実について報告すると校長は頭を抱えた。

「何てことだ。信じられん。いったい誰がそんなことを……」


 そこでカズが冷静に提案する。

「いずれにせよジャケットを着て出歩かないように至急、通達を流してください」


「うむ。すぐに通達文を作って全生徒に連絡する」


 そこで勝春が口を挟む。

「でも、衣替えの前で良かったですヨ」


 それを聞いて「なぜかね?」と、校長が顔を顰める。


「勝春の言う通りです。今はまだ9月なのでジャケットを着るかどうかは任意でしょう? だから上着を着ていた生徒だけが標的になってしまいました。もしこれが全校生徒となると被害が何倍にもなっていたかもしれません」


「うむ。そうか、そうだな。この事件が解決するまでは上着の着用を禁止せねばならんな」


 そう言ってガックリうなだれる校長をカズが慰める。

「大丈夫ですよ。事件が解決するまでの辛抱です。今日、大志が黒幕との接触を図ります。これが成功すれば……」


「そうか。期待しておるよ」


 落ち込む校長を見て勝春とカズが顔を見合わせる。

 そして険しい顔つきで頷きあう。


 加美村学園の生徒だけを狙い撃ちするという卑劣な行為を許すわけにはいかない。 いよいよ黒幕との対決は近い……。


     *    *    *


 ホームルーム前に教室に戻ったカズと勝春は、菊乃と美穂子の姿を見て驚いた。


「森野さんも藤村さんも大丈夫なの?」

「そうだヨ。無理しない方がいいヨ」


 二人にそう言われて菊乃がゆっくりと首を振る。

「いいの。美穂子のこと心配だったし、事件のことも気になるから」


 美穂子は潤んだ瞳でカズに訴えかける。

「私は家にいるよりカズ君の顔見てた方が安心するから……」


「森野さん……」と、言いかけてからカズはハッとした。

「そうだ。それなら勝春に診てもらった方がいいかも。やはりPTSDのケアは専門的に……」


 大真面目にそう言うカズを見て美穂子が幻滅したような顔で尋ねる。

「PTAは関係ないよ……」


「いや、PTSD。心的外傷後ストレス障害だよ。つまり犯罪の被害にあった人が心に傷を負うことさ。だから藤村さんも勝春に……」


 おそらく美穂子が欲しかったのはそんな回答ではなかったのだろう。

 珍しく美穂子が厳しい視線をカズに向ける。

 が、カズはまるで気がついていない。


「もう、いい!」と、急に不機嫌になってしまった美穂子の態度にカズは「?」と、戸惑っている。


 そんな二人の温度差を感じながら菊乃は思った。

(ひょっとしたらカズ君て頭はいいけど女の子の気持ちとかには鈍感?)


 妙な雰囲気を嫌って勝春が話題を変える。

「まあいいじゃナイ。美穂子ちゃんも元気出てきたみたいだしサ。後は大志に任せようヨ」


 そう言われて菊乃は大志がいないことに疑問を持った。

「あれ? そういえばゴッキーは? 遅刻じゃないの?」


「ウン。ちょっとネ。今日は別行動」

「別行動? ひょっとして昨日の……」と、菊乃の表情が曇る。


「そうなんダ。今日は学校休んで単独行動なんだヨ」

「ゴッキーひとりで大丈夫かな」


 大志のことを本気で心配する菊乃を見てカズがきっぱりと言い切る。

「大丈夫だよ。大志の力を信じなよ」

「うん……」


 カズと勝春は大志のことを信頼しきっているようだが、菊乃にはどうしても気がかりだった。


 もしも大志に万が一のことがあったらどうしようという不安。

 そこに入り混じる複雑な思い。

 それは昨日聞かされた大志の女性アレルギーの件だった……。


      *    *    *


 十一時時半すぎにマンションを出た大志は、学校には寄らずに真っ直ぐ駅に向かった。


 反応の鈍い長髪男との待ち合わせは、昨日のT駅に十二時半。

 なので、まだ余裕がある。


 駅についてから大志は用を足そうと思って構内のトイレに入った。


 大志が男子用トイレに入ると奥のほうで他校の生徒が固まって立ち話をしていた。

 よく見ると、見たことがあるような加美村の生徒が他校の生徒に挟まれてモジモジしている。


 大志は大して気にも留めず便器の前に立ってチャックを下ろす。

 そこに他校の生徒の声が聞こえてくる。

「なあ。頼むよ目黒。金貸してくれよぉ」


 目黒と聞いて大志は思い出した。

(なんだ。あの失敬なフンドシ研究会か。それなら、なおさら関係ない)と大志はシカトを決め込んだ。


 一方、他校の生徒に挟まれて俯いていた目黒は大志の姿を発見して目を輝かせた。


 彼はしばし考えて大きく息を吸い込んだ。

 そして、きっぱりこう言った。

「はっきりいって、断る! このお金は古い史料を買うために有賀先生から預かった大切なものなんだ!」


 そう言いながらも目黒は(振り向いてくれないかなぁ)という風にチラチラと大志の様子を伺う。

 だが、肝心の大志は知らん顔だ。


 しかし、勢いでタンカを切ってしまった以上、もう引き下がれない。

 目黒は鼻の穴をふくらませて、いつもの決め台詞を言い放った。

「だから……な、なめないで頂きたいっ!」


「はぁ?」と、他校生の二人組が怪訝な顔をする。

「なめてんのかコラ!」


 大志は目黒達のやりとりにはまるで興味が無いといった風にチャックを上げると、ゆっくりと手洗い場に向かった。

 そして悠然と手を洗い始める。


 それを見て(あれ? おかしいな)といった感じで目黒が目を白黒させる。

 彼は大志に助けてもらうつもりだったのだ。


「おい目黒! ふざけんじゃねえぞ!」

「個室に押し込んでボコるぞ!」

 そういって二人組は交互に目黒の頭を小突く。


 目黒が「ひぃぃ」と、情けない悲鳴をあげる。


 その時、大志が蛇口をしめながら「うるせえぞ、タコ」と、不機嫌そうな声を出した。


 他校の生徒がそれに気付いて大志を睨んだ。

「なんだオマエ? やんのかコラ?」

「邪魔すんな! ぶっ飛ばすぞ!」


 彼等は大志に喧嘩腰で突っかかる。

 それを無視しながら大志は「アホか……」とハンドタオルで丁寧に手を拭いた。


 大志の一言を合図に二人組が「やろう!」と、一斉に拳を振り上げて大志に向かってきた。


 大志は手をフキフキしたまま、すっと右足を引くと、次の瞬間、豪快な弧を描いたハイキックを放った。


 そのダイナミックな蹴りを見せ付けられて、突っ込んできた二人組は急ブレーキ!

 そして勢い余って共に尻餅をついてしまった。


 大志の蹴りは、はじめから当てるつもりの無い威嚇にすぎなかった。

 が、二人組はすっかり戦意を喪失してしまったようだ。


 茫然とする二人組を見下ろしながら大志はポケットにハンドタオルをしまうと何事も無かったかのようにトイレを出て行った。


 信じられないといった顔つきで二人組が呟く。

「何なんだよ……あの蹴り」

「あんなの当たったら死ぬな。確実に……」


 そんな二人の間を目黒が「ごめんよ」とすり抜ける。


 そしてクルリと振り返って一言。

「加美村学園を、な、なめないで頂きたい!」


 言いたいことだけ言って目黒はトイレからそそくさと逃げ出した。


     *    *    *


 トイレでひと悶着あったものの、大志は予定より早く約束のT駅に到着した。


 T駅は改札がひとつしかない。

 それに構内は閑散としていた。


 構内の立ち食い蕎麦屋で腹ごしらえして、改札を出て長髪男を待つ。


「奴め。約束を忘れてるんじゃないだろうな」

 時計を見て大志が顔を顰める。

 約束の時間を五分過ぎている。


 大志は昨夜、控えた番号に電話をする。

 が、出ない。五回、六回と呼び出し音が鳴る。


 10回、11回……だんだんイライラしてくる。

 15回を越えたところで大志が(意地でも出させてやる!)と、思った時、背後からアホみたいに陽気な着信メロディが流れてくるのに気付いた。


 大志が振り返ると、向こうから昨日の長髪男が歩いてくるのが目に入った。


 長髪男は大志と目が合うと「……やあ」と、手を上げた。

 彼の首からぶら下がったスマホはずっと能天気なメロディを鳴らし続けている。


「で、出ろよっ!」と、思わず大志が突っ込む。

「……だって君の姿がみえたから」


「はぁ。調子狂うな、まったく」

 長髪男は大志の顔を見上げて何かを言わんとする。


「なんだ? 人の顔をジロジロ見て」

「……君。背ぇ高いね」


 昨日気付けよ、という言葉が出かかったが我慢して大志が尋ねる。

「そろそろ連絡があるんじゃないか?」

「……そろそろだね」


 まるで他人事のように長髪男は返事をする。

 そして寝グセ全開の頭をボリボリかきながら大あくびをした。


 まったくのマイペースだ。

 さすがの大志もこの手のタイプには手を焼いてしまう。


 気を取り直して大志が長髪男に念を押す。

「いいか。電話があっても俺と一緒だとは絶対に言うな」


「……え? 何で?」

「バカかお前は……もういい。とにかくいつも通りにやればいい。俺は適当に離れて見てるから」


 大志がそう言い聞かせていると長髪男のスマホがまた鳴り始めた。


 しかし、長髪男は電話に出ようとしない。

 イライラしながら大志が「なんで早く出ない?」と、長髪男を急かす。


 すると男はニカッと笑って答えた。

「……この曲、好きなんだ」


 ずっこけそうになるのを堪えながら大志は長髪男を小突いた。

 それでようやく男が電話に出る。


 もたもたとスローな動きで男はスマホを操作する。

 そしてスマホを耳にあてたまま、再び、ぼーっと立ち尽くす。

 しかもウンともスンとも言わないので相手の話を聞いているのかさえ怪しい。


 大志がイラつきながら見守る中、長髪男は電話を切る寸前に「……わかった。行く」と、一回だけ口を開いた。


「おい。場所は聞いたんだろうな。大丈夫か?」


 長髪男の反応の悪さに大志は心配になった。

 まるで小さな子供に『はじめてのおつかい』を頼むような心境だ。


「……じゃあ、行く」

 そう言って長髪男がとぼとぼと歩き出す。

 30mほど離れてその後を大志が追跡する。


 長髪男は、まるではじめて来た町を散策するようにのんびりと歩く。

 その分、見失う恐れはないものの大志はイライラを募らせていた。

(あのバカ、さっさと歩けよ……)


 十分あまり歩いただろうか。

 昨夜とは反対側の駅前商店街を抜け、団地がひとかたまりになっている場所に出た。


 両脇をコンクリに固められた川に沿って細い道を進み、小さな橋の上で長髪男は立ち止まった。

 大志は距離を置いて橋の手前で待機する。


 長髪男が橋の下を覗き込んだり、のんびり空を見上げたりしていると、やがて橋の向こう側からスーツ姿の中年男性が歩いてくるのが目に入った。


 大志の顔つきが変わった。

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