9 もう一人のターゲット
カズと美穂子は、もう一人のターゲットである『
カズは、適当に距離をとりながら近すぎず遠すぎず、微妙に距離を変えながらターゲットを追跡した。
美穂子は息を切らせながらカズについていくのがやっとだ。
「大丈夫? 森野さん」
「ん……まぁ、なんとか」
「だいぶ息切れしてるみたいだけど?」
「ん、平気。私、カズ君についていくから……どこまでも!」
最後の『どこまでも!』には美穂子の気持ちが込められていたが、声が小さすぎてカズの耳には届かなかったようだ。
「え? 何か言った?」
きょとんとするカズの愛らしい表情に美穂子は萌えてしまう。
「ん……何でもない」
自分なりのアピールを軽くスルーされて美穂子は少し凹んだ。
しかし、今の美穂子にとってはカズと二人きりというだけでも大変なことだ。
堀のあとをカズが追いかけ、カズの三歩後ろを美穂子が追いかける。
そんな具合で駅に到着した。
堀達郎は電車で移動して二つ隣の駅に降りた。
その足で彼は駅前のロータリーをスタスタと歩く。
どこかに寄り道する風でもなく、まっすぐに目的地に向かっているようにみえた。
そして最終的に彼が到着したのは駅前のコーヒーショップだった。
ワンテンポ置いてカズと美穂子も店に入る。
「向こうは多分、ボク達のこと知らないけど、制服だから気付かれるかもしれない。だから少し離れていよう」
「うん」
カズと美穂子は堀達郎のテーブルから三つ離れた席を確保した。
そして窓際の席に陣取るターゲットを監視する。
(カズ君と二人きり。これが調査じゃでなきゃもっといいのに)
美穂子の中では調査なんかは既にどうでもいいことになり始めていた。
カズは時折、店の入り口をちらっと見ながらターゲットの様子を観察している。
美穂子は、そんなカズの表情や仕草をずっと見ていた。
(カズ君の目ってなんでキラキラしてるんだろ。たぶんメガネ外したらもっとカッコイイんだろうなぁ……)
しかし、どんなに見つめたところでカズが美穂子の熱い視線に気付く気配はまったく無い。それでも恋する乙女はポジティブだ。
(何かに夢中になってる男の子ってステキ……)
しばらく堀達郎を観察していると、やがて「堀クン」と、ターゲットのテーブルに近づく女性が現れた。見るからにギャルっぽいその女は堀のテーブルに座る。
熱心にノートに書き込みをしていた堀が手を止めて顔を上げる。
「あれがそうか……」
カズが堀達郎のテーブルを注視する。
しばらく観察してみたが普通のカップルという雰囲気ではないように感じられた。
女が一方的にしゃべって男は我慢して聞いているような具合だ。
カズがぽつりと呟く。
「あの二人。話、合うのかな?」
「あんま楽しそうにみえないね……」
「ボクには堀先輩が無理やりつき合わされてるように見えるんだけど」
「そうだね。なんかあの派手な女の人と堀先輩、世界が全然違うような気がする」
「森野さん。それ、当たってると思うよ。あの二人は明らかにミスマッチだよ」
森野さんと言われて美穂子は軽いショックを受けた。
(……美穂子って呼んで欲しいのになぁ)
せっかく二人きりでいるのに楽しくおしゃべりをするどころか、さっきからカズは別なテーブルの方ばかり気にしている。それが美穂子には不満だった。
調査だから仕方ないことは分かる。
(でも……もう少し私を見て欲しいな……)
「あ。トイレに行くみたいだな。そうだ。森野さん。トイレに行って、あの子の様子を探ってきてくれないかな?」
「私が? 私にできるかな?」
「彼女がトイレで何してたか、それを後で教えて欲しいんだ」
「トイレで何してたかなんて……」
美穂子が少し変な顔をしたのでカズが慌てる。
「べ、別に変な意味でじゃないよ。彼女、スマホを持ってトイレに向かったから誰かに電話するんじゃないかって思っただけだから」
カズのお願いを断るわけにはいかない。
美穂子は少し
女子トイレは左手に洗面台、右手に個室が二つという造りになっていた。
美穂子が入った時、片方の個室は扉が閉まっていた。
だが、中から話し声が漏れてくる。
カズの言葉を思い出して美穂子は、彼女が何を話しているか聞き取ろうと聞き耳を立てる。
『でしょ、でしょ。うん。うん。だからさ。お願いっ……今月、同伴のノルマきついんだ』
重要だと思われる言葉を拾って美穂子は頭の中で繰り返した。
(ドーハン、ノルマ、キツイ……)
やがてカチカチッという音がして、すぐにタバコの匂いが漂ってきた。
(あ、タバコ吸ってる!)
禁煙のプレートを見ながら美穂子は確信した。
(この子は悪い女に違いない! 堀先輩はダマされてる……)
急いで席に戻った美穂子は興奮気味に報告する。
「あの子、トイレでタバコ吸ってたんだよ!」
「そ、そうなんだ。ところで電話は? 何か話してなかった?」
「そうそう。それがね。あれ……なんだっけ? あ、そうだ。よく聞き取れなかったんだけど、ドーバンの車がキツイって」
「は? 何だいそれ?」
「さあ。ドーバンって名前のちっちゃい車なのかなぁ。乗ると狭くてキツイのかも。で、それを誰かにお願いしてたみたい」
カズは、しばし考えてから尋ねる。
「それってさ。もしかして同伴のノルマがきついってことじゃない?」
「……そうかもしんない」
「そっか。何となくそんな感じがしたんだよね。やっぱりそっち系か……」
「そっちってどっち?」
「いや、その、森野さん。君ってちょっと……」
トホホといった感じでカズが苦笑いを浮かべる。
が、美穂子は全然、気にしていない。それどころか少し喜んでいる。
(カズ君、そういう表情も可愛い)
そうこうしている内に、堀達郎の彼女はトイレから出て、いったん席に戻ると「バイバイ」と、荷物を持って席を離れようとした。
それを見たカズは、素早くスマホを取り出してカメラを美穂子に向けた。
「え? やだ。そんな急に」と、美穂子が焦る。
好きな人に、いきなりカメラを向けられて焦らない女の子はいない。
どんな表情をすればいいのか、髪は変じゃないか、ちょっとでもキレイに撮られたいけど困る……。
ところが、カズは美穂子ではなく、堀先輩の彼女がテーブルに近づくタイミングを計って彼女を撮影した。
『カシャッ』という音に反応した堀の彼女が視線をカズに向ける。
が、それと同時にカズは手首を返してカメラを美穂子に向けたので、彼女はチラッと目を向けただけでスタスタと行ってしまった。
ガッカリするやらホッとするやらで美穂子は複雑な心境になってしまった。
(私を撮りたかったんじゃないんだ……なんか慌てて損した)
カズはスマホに収めた写真を確認してから電話をかける仕草をみせた。
そして、席を立とうとする。
それを見て美穂子も慌てて立ち上がろうとする。
しかし、カズはそれを制した。
「森野さんはこのまま帰っていいから」
「なんで? 私も……」
「ダメだよ。彼女が水商売系って分かったからには、そうはいかない。制服のままお店まで尾行するわけにはいかないでしょ?」
「でも、カズ君だって制服……」
そういう美穂子の言葉を無視してカズがスマホで通話を始める。
「あ、勝春? そっちはどう?」
どうやら勝春と繋がったらしい。カズは歩き出しながら勝春に応援を要請した。
「そういうわけで頼むよ。着替えたらすぐに来て欲しい。じゃ、駅についたらまた連絡する」
堀先輩の彼女を見失わないようにカズは店を出て歩く速度を上げる。
その後を美穂子が追いかけてくる。
必死で追いかけてくる美穂子を見てカズが歩きながら困ったような顔をみせた。
「だから森野さんはここまででいいって……」
「やだ! ついていく!」
堀先輩の彼女は駅に向かってテクテク歩いている。
遠ざかる彼女の後姿と美穂子の必死な顔を見比べてカズは少し焦った。
そして一瞬、目を閉じてから立ち止まり、美穂子の両肩に手を乗せて言った。
「君を危険な目にあわせたくないんだ」
「え!」
美穂子は息を飲んだ。
カズの手の平が美穂子の両肩をしっかりと握っている。
その力強さ、ぬくもり……。
頭が真っ白になった美穂子が人形みたいにコクンと頷くのを見て、カズは駅に向かって走り出した。
(カズ君……)
カズに置いてきぼりにされたというのに美穂子はまったく気にならなかった。
アタマの中でカズの言葉が何度も繰り返される。
(私のことを心配してくれてる……)
駅前のロータリーでぼんやり立ちつくすその時の美穂子は、どこからどう見ても怪しい女子高校生にしか見えなかった……。
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