30 お互いに

 図書館で大志が騒ぎを起こした理由がわかったので、菊乃はホッとした。


 結果はともかく、大志が何の理由も無く、そんな酷いことをする人でなくて良かったという安堵感の方が大きかった。


 大抵の場合、好きな人がすることは何でも良い様に解釈したくなるものなのだ。


 階段を降りる際に大志が急に振り返った。

「おい。小銭持ってないか?」


 大志がいきなりそんな事を聞くので菊乃は動揺した。

「え、な、何で?」


「あいにく万札しかなくてな。アホの相手をしたら喉が渇いた」


 古風な大志はスマートフォンも電子マネーも使わない主義だった。

 なので、自動販売機で飲み物を買う時も現金なのだ。


。 そこで菊乃が気を利かせる。

「あ、じゃアタシがおごるよ。こないだのお礼もあるし」


 それを聞いて大志は「こないだのお礼?」と、首を傾げる。

 食事会のことは覚えていないらしい。


 食事会の代金を全部、大志に払わせてしまったこと。

 本人は忘れているようだ。


(マジで覚えてないの? やだ。それじゃお誕生日のプレゼントの口実が……)


 菊乃が返事をしないので大志は、そのままスタスタと先に歩き、菊乃がその後をちょこちょこついて行く。


 そんな具合で一階に降り、自動販売機コーナーに移動する。


 結局、菊乃は黙って小銭を出して、現金の投入口にお金を入れた。

「ね、何飲むの?」


 ところが大志は、菊乃の顔にすっと手を伸ばしてくる。


「え?」と、自動販売機を背にした菊乃が身体を固くする。


 大志は、飲みたいジュースを選んでボタンを押す。

 だが、その距離が近い!


 言葉で指示してくれればボタンを押すのに、無言でボタンを押すものだから、ちょうど大志の身体と自動販売機で菊乃を挟むような体勢になってしまったのだ。


「ちょちょちょ……」と、菊乃はドギマギする。


「すまん。助かった」と、大志は素の反応をみせる。

 そしてコーラを豪快に一気飲みする。


 菊乃は、大志の喉の動きを眺めながら、プレゼントの件をどう切り出そうか考えた。


 菊乃の視線に気付いた大志が少し戸惑ったような表情をみせる。

「な、なんだ?」


 そこで菊乃が気付いた。

(やだ……チャンスじゃん)


 しかし『二人きり』を意識しすぎてしまうと、かえって言葉に詰まってしまう。


 それは大志も同じようで、しばらく気まずいような、はにかむような微妙な空気が流れた。


 そして、お互いに何とかしなくてはという焦りで発した「あのさ」という言葉が被ってしまった。


「な、何よ?」

「そっちこそなんだ」


「先に言ってくれる?」

「お前が先に言え!」


「男の方からでしょ。こういう時は」

「な、何を根拠に……」


 菊乃が、あまりにきっぱりと「男が先」と言い切るものだから大志は思わず従ってしまう。


「仕方ないな。じゃ、先に言うが、その、なんだ。これを返してなかったことを思い出しただけだ」

 そう言って大志がポケットからハンカチを取り出す。


「何それ?」と、言いかけて見覚えのあるハンカチに菊乃が気付く。


 大志はハンカチを突き出して、顔を背ける。

「あ、洗ってあるからな! 一応」


 まるで、小学生の男の子が、女の子に話しかけるのを恥ずかしがっているような大志の態度だ。


(ハンカチひとつ返すのに何ムキになってるんだろ?)


 不思議に思いながらも菊乃がそれを受け取る。

 だが、ハンカチは妙に湿っていてフニャリとした触感だ。


「何かヘロヘロなんだけど……」と、菊乃が変な顔をする。


 大志は、ぎくりとしながら視線を反らす。

「あ、あ、洗ったんだが、時間が経ってしまった。それに、ずっとポケットに入っていたからな」


 普通はキレイな状態で返すところなのだろうが、あのマンションにはアイロンなど無いことは容易に想像できた。


「しょうがないわね。でも、いいよ。使ってくれたんだもんね」

 自分に返す為に大志がハンカチをずっと持っていてくれたということが分かって菊乃は少し嬉しくなった。


 大志が菊乃の顔を見ずに尋ねる。

「と、ところでそっちは? 何を言おうとしたんだ?」


「あ、それは……いいや。また今度で」

「何ぃ? 何だそれは!」


「もうすぐ昼休み終わっちゃうし」

 そう言ってから菊乃はくるりと大志に背を向けると、さっさと歩き出した。


「おい。待てよ! 気になるだろうが……」


 そんな大志の言葉を背に受けながら菊乃は聞こえないふりをした。


(もう少し引っ張ってやろっと!)


 何だか少しだけ自分のペースに引き込んだような気がして、菊乃は、こっそり笑みをもらした。


    *    *    *


 勝春は午後からの授業には出てこなかった。

 同じようにカズも教室には戻ってこなかった。


 そして六時間目が終わると同時に大志が菊乃と美穂子に声を掛けてきた。

「図書館に行くぞ。勝春が呼んでいる」


「え? カッチーが?」と、菊乃が大志を見上げる。


「うむ。どうやら確たる証拠をつかんだらしい」


 大志の説明に美穂子が目をぱちくりさせる。

「え? もう解決? 私達、何にもしてないよ?」


「もともと、ある程度のメドはついていたからな」

 当然だとでも言いたげな大志の口ぶりに、いつものことながら菊乃は置いてけぼりにされているような気がしてならなかった。


(なんでゴッキーたちはこんな簡単に事件を解決できるんだろ?)


 そんな疑問と釈然としない思いを抱いたまま、菊乃は黙って大志についていく。

 それは美穂子も同じだ。

 

 菊乃と美穂子は多くのクエッションを抱えたまま、図書館に向かった。


     *    *    *


 図書館の前では勝春が一人で待っていた。


 なぜかメガネをかけている勝春を見て美穂子が首を捻る。

「あれ? 勝春君て……目、悪かったっけ?」


「イヤ。そういうわけじゃないんだけどサ。この方が気分出るかナァ、なんてネ」

 そう言って勝春は「ドウ? 似合う?」と、顔の角度を変えてみせる。


 しかし大志は「ふざけ過ぎだ」と、渋い顔をする。


「いいジャン。カズの代わりに謎解きするんだからサ」


 それを聞いて美穂子が不安そうな顔を見せる。

「え? カズ君じゃないの? 勝春君で大丈夫?」


 確かに、いつもなら謎解き役はカズの出番と決まっていた。

 しかし、カズの姿は無い。


 勝春は軽くウィンクして胸を張る。

「任せてヨ! カズでなくても事件を解決することはできるヨ。今日はオレが名探偵サ」


 大志は顔を顰める。

「下らんな。探偵ごっこじゃないんだぞ」


「相変わらず硬いネ、大志は。ユーモアが無い」

「ユーモアだと? 余計なお世話だ」


 そんな二人のやりとりを聞いて菊乃は段々、不安になってきた。

 これから事件を解決しようというのに、まるで緊張感に欠けるような気がしたのだ。


 菊乃が指摘する。

「ね。ゴッキーもカッチーも止めなよ。早くしないと人が来ちゃうよ」


 勝春が「そだね。ごめんヨ」と、悪気がなさそうに謝る。


 大志は、わざとらしい咳払いをして「さっさと行くぞ」と、襟を正す。


 そして一向は勝春を先頭に図書館に入り、真っ直ぐに管理人室に向かった。

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