2 秘密の作戦会議

 二学期の授業は二日目から容赦なく始まった。


 夏休みに慣らされた身体には正直、厳しい。

 できればリハビリ期間が欲しいところだ。


 菊乃きくのは眠気との壮絶な戦いを経て、ようやく待望の昼休みを迎えることができた。


(予想はしてたけど、まさかここまで辛いとは……)


 菊乃がヘロヘロになっていると、お弁当を持った美穂子が昼食に誘ってきた。

「ね、菊ちゃん。お弁当はどこで食べる?」


「ごめん。今日はちょっと」

「なんかあるの?」


「ちょっとね。実は、どうしても観たい番組があるの」

「またぁ? だったら録画すればいいのに」


「アタシ、好きじゃないんだわ。予約録画は。だからスマホで観るの」


 美穂子は呆れたようにいう。

「そんなのどこで見るの?」


「へへ。それがね、いいトコ見つけたの」

 

 菊乃が見つけた良い場所というのは無人の理科室だった。

 理科室の奥には、実験に使う道具をしまう棚が並ぶ小部屋があるのだ。

 

 菊乃が美穂子を招き入れながら自慢する。

「ね? ここ超穴場なんだよ」


 ここは滅多に人が来ないので絶好の穴場になるのだ。


 美穂子が強張った笑顔でコメントする。

「そだね。けど、お弁当食べるには、ちょっと薬臭いかも?」


「大丈夫! さ、テレビ観ながらお・べ・ん・と!」


 菊乃は鼻歌を口にしながら昼食の準備を整えた。


 スマホを固定して放送を映しながら、お弁当を広げる。


 ちょうど弁当箱の半分ぐらいを空にしたところで、お目当ての俳優が登場したので菊乃は箸を止めて画面に集中した。


「やっぱ格好いいなぁ。ちっちゃい画面で見ても良いっ!」


 しばらくして『ガラガラッ』と、扉を開く音がした。


 その音は隣の部屋からだった。

 続いて誰かが入ってくる気配……。


 菊乃達のいる小部屋と理科室は壁で仕切られていないので良く分かるのだ。


「き、き、菊ちゃん。誰か来ちゃったよ」と、美穂子が焦る。

「静かにしてりゃ平気でしょ」


「でも、先生だったらヤバくない?」

「ごめん。じゃ、美穂子見てきて」


「えぇ? 私がぁ?」


 スマホの画面から目を離せない菊乃に頼まれて美穂子がしぶしぶ偵察に出る。


 美穂子は四つんばいの姿勢で、そろりそろりと前進して、隣の部屋をのぞき込んだ。


「え?!」


 隣の部屋を見てパニックになった美穂子が、元気すぎる赤ちゃんみたいな『高速はいはい』で戻ってきた。


「あ、あ、あれって、てんてん転校生だよ!」


「はい?」


 丁度お目当ての俳優の出番が終わったところだったので、仕方なく菊乃も隣の様子を伺ってみることにした。


 すると『ガラガラ~』と、再び扉が開く音がして、それと同時に「遅せぇぞ!」という低い声が聞こえた。

 また誰か隣に入ってきたらしい。


 相手に気付かれないように菊乃と美穂子は四つんばいのまま隣室に近づいて、目一杯に首を伸ばす。


 耳に入ってきたのは男子の声。

「悪いネ。女の子達をまくのに時間くっちゃったんダ」


 そう言いながら入り口の所に立っているのは、女子達が密かに『カッチー』と呼んでいる茶髪の転校生『田川勝春たがわかつはる』だった。


「フン。何が女の子達だ。喜んでいる場合か!」

 腕組みしながら文句を言ったのはノッポの転校生『後藤大志ごとうたいし』のようだ。


「しばらくは、こんな感じで集まる場所を転々としなくちゃね」

 ちょっと甲高いその声は可愛い系の転校生『岩田和成いわたかずなり』に違いない。


 菊乃は首をひねった。


(転校生三人組が勢ぞろい? こんな所で?)


 床に這いつくばったままで菊乃は、美穂子の顔を見て首を傾げてみせた。

 それを受けて美穂子も訳が分からないといった顔で首を振る。


 茶髪の田川勝春が机に腰掛けながら言う。

「柔道部の連中、今ンとこ動きはないネ。昨日、適当に尾行してみたけど手がかりは無かったヨ」


 それに続いてメガネのカズこと岩田和成が報告する。

「ボクも柔道部に関係ありそうな生徒にヒアリングしてみた。けど、成果は無かったよ。例の噂も出てこなかったし」


「フン。だったら潜入するしかないようだな。柔道部に」

 そう言ってノッポの後藤大志が頭を掻く。


 そんな大志の肩を茶髪の勝春が、ぽんと叩く。

「ソッカ。じゃ、とりあえず大志が柔道部に潜入だネ。勿論、部員として」


「え? 俺かよ?」と、大志が嫌そうな顔をする。


 メガネの少年カズも期待を込めた目で大志の顔を見上げる。

「ボクも大志が適任だと思う」


 二人の視線が後藤大志に集中する。

「俺が入部するのか? 勘弁してくれ。苦手なんだ。畳と汗の混じったあの独特の匂いが」


「けどサ。女臭いよりはいいんじゃない? 大志の場合」


 勝春にそう突っ込まれて大志が「まあな」と、苦笑いを浮かべる。


 三人の会話を盗み聞きして菊乃は混乱してしまった。

(柔道部って何それ? 何の話してんの?)


 そんな疑問と共に、ふいに鼻の奥に違和感が芽生えた。

 菊乃の脳裏に、さっきのお弁当が浮かぶ。


(まさか……さっきの『ひじき』が鼻に?)


 何ともいえないこのむず痒さ。ヤバイと思って菊乃はとっさに口を抑える。

 しかし、それが完全に裏目だった。


『ブシュン!』と、もの凄い勢いで空気が鼻から逃げ出した。


 その音に大志が反応する。

「な、なんだ!? 誰かいるのか?」


 勝春が首を竦める。

「アララ。誰かに聞かれちゃったみたいだネ」


 指先でメガネの位置を直しながらカズが言う。

「うん。大志のミスだね。こういう時は事前に誰も居ないか調べとくのが鉄則なんだけど」


 二人に咎められた大志がイライラを募らせる。

「俺のせいかよっ! 畜生、どこのどいつだ! 出てきやがれっ!」


 菊乃は、しまったという表情で考える。

(やだ、見つかっちゃった。でも、しょうがないか……)


 こんな姿勢では逃げることも出来ない。

 意を決して菊乃はすっくと立ち上がり、三人の前に姿をさらけ出した。


 そして三人の鋭い視線に負けないように、わざと胸を張った。

 ここは一発、逆切れだ!

「何よ! そっちが後から来て勝手にしゃべってたんでしょーが!」


 菊乃の剣幕にきょとんとする三人組。


 突如「ぷっ」と、勝春が吹き出した。

 それを合図に残る二人も大爆笑だ。


「なによ……何がおかしいのよ?」


 戸惑う菊乃のスカートを美穂子が下から引っ張る。

「菊ちゃん、鼻! 鼻に……」


「へ?」


 美穂子に手鏡を渡されて菊乃は自分の顔を映して見た。

「あ!?」


 右の鼻の穴から……黒い物が……ちょろん、と出てる。


 大志がバカみたいな大声で「は、は、鼻毛が!」と、笑っている。

 それも菊乃を指差しながら。


 菊乃は真っ赤になって上着の袖で鼻の下をゴシゴシこすった。

(最悪っ!)


 泣きたくなるのを必死で堪えて菊乃は三人を睨みつけた。

「笑うなっ! バカッ!」


 その迫力に押されて流石に三人は笑うのを止めた。


 嫌な空気が漂う。


 そこへ、ゆっくりと立ち上がった美穂子が何を思ったのか妙なことを言い出した。

「後藤君。柔道部入るんですね。がんばってくださいっ!」


 美穂子の一言に菊乃がげんなりする。

(美穂子。空気読めよ……)


 頑張ってと言われた大志もぽかんとしている。


 しらっとした空気の中、勝春が沈黙を破る。

「アレ? 君達、確か同じクラスだよネ?」


 勝春は菊乃と美穂子が同じクラスだということに気付いたらしい。

 菊乃と美穂子が頷くと勝春はニコッと笑顔で続ける。

「やっぱそうか。どうりで見覚えあると思ったヨ。まあ、オレって女子にしか興味ないからサ。それも可愛い子だけ」


 菊乃は内心(チャらい男だなぁ)と思ったが、美穂子は可愛い子と言われて嬉しそうだ。


 このまま話を逸らされそうな気がしたので、菊乃はさっきの疑問をぶつけてみることにした。

「ところで柔道部って何?」


 菊乃の質問に一瞬、三人の表情が強張った。

 そして顔を見合わせる。


 勝春が目配せをしてメガネのカズが頷く。

「うん。実はボク達、ある人から調査を頼まれてるんだ。柔道部の部員が、いかがわしいバイトをしてるんじゃないか、つまり高校生らしくない変な仕事をしてるんじゃないかってね」


 ノッポの大志がきっぱり言う。

「これは俺達の仕事だ。だから邪魔をするな!」


 その言い方に菊乃はカチンときた。先ほど指を差された恨みもある。

「へぇ、そうなの。じゃ、アタシも混ぜてもらおっかなぁ」


 それを聞いて大志が「な、なんだと?」と、目を剥く。


「だって面白そうじゃん。なんか探偵みたいで」


 菊乃の思わぬ反撃に勝春は、やれやれといった風に首を振った。

 カズはため息をつく。

 大志は呆れた表情で菊乃の顔をしげしげと眺めた。


 しばらく間を置いて勝春が諦めたような表情で口を開く。

「しょうがないネ。じゃあ事件解決まで手伝ってもらうとするかナ」


 それにカズも同意する。

「うん。ボクも同じこと考えてた。いいよね? 大志も」


「本気かよ……」と、大志だけは納得がいかない様子だ。


 なんでこんな流れになってしまったのかは菊乃にもよく分からなかった。


 だが、とりあえず菊乃と美穂子も成り行きで三人と一緒に柔道部を調査することになってしまった。


 そこで、一応、自己紹介などやってみる。


「オレは『カッチー』でいいヨ。なんか既にそういう風に呼ばれてるんだろ?」

「ボクは和成でいいよ。二人からは『カズ』って呼ばれてるけど」


 菊乃がふんふんと頷く。

「じゃあ、アタシ達は『カズ君』って呼ぶね」


 カズは菊乃の提案を快諾する。

「いいよ。カズ君で。で、大志のことはなんて呼ぶの?」


 そこで菊乃が提案する。

「じゃ『ゴッキー』でいいんじゃない?」


 菊乃の発想は単純だ。後藤だからゴッキー。


 しかし、大志が反対する。

「ふざけるな。『ゴキブリ』みたいだからやめろ。気分が悪い!」


「えぇ、いいじゃん。別に」


「ふん。勝手にしろ。で、そういうお前らは? 何て呼べばいいんだ」


 それまで黙っていた美穂子が急に口を開いた。

「私は美穂子でいいです。菊ちゃんは『菊ちゃん』のままでいいんじゃない」


 それを聞いて大志が吹き出す。

「ククッ、うちのバアちゃんと同じ……」


 ムッとして菊乃が大志を睨み付けるが大志は知らん顔だ。


(なにコイツ?)


 クールな男の子だと思っていただけに菊乃はゲンメツした。


 その時、昼休み終了の鐘が鳴ったので最後に勝春が締める。

「マ、そういうことで仲良くやろうヨ。それじゃ解散!」


 大志に名前を笑われたのは気に食わなかったが、カッチーとカズ君とは仲良くなれそうだな、と菊乃は思った。


 しかし、柔道部の問題が大事おおごとになってしまうとは、この時点の菊乃には予想できなかった……。

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