第二十九幕「頭なく心なき人形たちの演劇」
アレクサンドラとヴィンセントは、警戒しながら館の地下へと続く階段を進んでゆく。
猫のブラットリーもひげをピクピクと動かして周囲の様子を探り続けていた。幸いにも下りる途中で何者かと出会うこともなく。
やがて、階段は唐突に途切れた。その先には濃い闇がわだかまっている。
アレクサンドラがブラットリーに目配せする。猫は周囲の様子を探り、近くに誰もいないことを確かめた。
安全を確認し、彼女は懐から小さな
「地下には洞窟か。広そうだな」
「上の館は見せかけだけ、こちらが本命というわけだ。……しかし、やけに蒸し暑い」
光の先には、剥き出しの土や岩が見える。山の内部へと続く洞窟だ。ただ自然のままということはなく、天井や壁には梁や柱が打たれ補強されていた。歩きやすいようにするためだろう、床は最も手をかけて整備されている。明らかに金がかかった内装だ。
「
しゃがみこんで床を調べていたアレクサンドラが立ち上がる。少し注意すれば、つい最近に人が出入りした痕跡がいくらでも見つかった。間違いなく、この先には商会の人間が大勢いることだろう。
ヴィンセントは銃を抜き、いつでも撃てるように備えていた。アレクサンドラがブラットリーを一撫でする。一本道であり、どちらかから人が来れば接触は避けられそうにない。ならば何よりも先手を取ることが重要だ。獣の鋭敏な感覚を持つ使い魔は、彼らにとってどんな灯火よりも心強い味方であった。
進むほどに洞窟の様子に変化が現れだした。補強のための柱だけでなく、煉瓦を使った壁が現れる。そこにはすでに洞窟としての面影はなく、何かしらの施設のようになっていた。
通路に分かれ道が現れ始め、さらにところどころに扉もある。行き先に迷うが、粉鉱灯のぼんやりとした明かりだけでは通路の先までは見通せそうになかった。
「どうしたものかな」
「全てとはいかないが、見てみるしかないだろう」
二人は頷きあい、手近な扉に手をかける。ちゃんと油を挿されているのだろう、扉は軋みひとつ上げずに開いた。
ヴィンセントが素早く中に踏み込み、周囲を調べる。あちこちに銃を向けるが、部屋の中に人の姿はなかった。小さく安堵し、アレクサンドラを招き入れる。
この部屋は、荷物置き場になっているようだった。運び込まれた品々が所狭しと並べられている。
「倉庫か。先ほど運び込まれていた荷物は、ないようだが」
積まれている荷物は、食料の缶詰が多くを占めていた。ヴィンセントはひとつ手に取って調べてみる。保存食として一般的に流通している、ごく普通の商品だった。火山に保存するようなものではないという点を除けば、怪しいものではない。
次の部屋へと進んだ二人は、そこで感嘆の声を漏らした。
「ほう、これはこれは。ギディオン商会は、ずいぶんと儲かっているらしいな」
アレクサンドラが思わずといった様子で足を止める。
そこにあったのは大量の金属だ。硬貨ではない、精錬された延べ棒がぎっちりと積み上げられていたのである。鉄に銀、なかでも金が多い。その一角に粉鉱灯を向ければ、眩い輝きが返ってくるほどだ。
「ここは金庫の代わりなのか? それにしては不用心だな。鍵すらかかっていなかったし」
「何だか知らないが、ここの連中にとって、これはただの荷物なのだろうさ」
積み上げられた金の延べ棒を、そっと撫でる。指先に冷たい感触を覚え、アレクサンドラは知らず笑みを浮かべていた。
「先にひとつ言っておくが。我々は物取りではないからな? わきまえてくれよ」
「ううむ。そうだな。ううむ、まったくもってその通りだ」
「失敬しながら言っても、説得力がない」
こっそりと金の延べ棒を一本、懐に収めながら、アレクサンドラは悪びれもせずにいる。
「なぁに、ちょっとした行きがけの駄賃さ」
「君は……。とにかく、先を急ごう」
名残惜し気な彼女を引きずるようにして、次の部屋へと向かうのであった。
◆
次の部屋は、倉庫ではなかった。物が多いのは似ているが、用途が異なる。
ずいぶんと使われていないのであろう、内部には埃と黴の臭いが漂っていた。アレクサンドラはその中に、わずかな腐敗臭を感じて目を細める。
「ここはいったい何のための場所なんだろう。わかるかい?」
部屋の中には、様々な器具が所狭しと並べられている。高価な硝子製のシャーレやフラスコ、毒々しい色合いの液体が入った試験管に、用途も名称も不明な謎の道具たち。
部屋の主は、隙間を残すまいという偏屈な考えでも持っているのか。空いた場所にはここぞとばかりに紙束が積まれていた。
そのうち一枚をのぞき込んだヴィンセントは、すぐに頭痛を覚えてそれを手放した。
紙は狂気すらにじむ勢いで、文字と数式で埋め尽くされていたのだ。書いた人間の性格を代弁するかのように歪な文字が、ことさらに内容の理解を阻む。もしかして暗号の代わりに、あえて奇妙な書き方をしているのかもしれない。
「商品研究にしては、ずいぶんと偏屈なことだ」
ヴィンセントは肩をすくめる。彼は、商会の商売自体にはあまり興味がない。この場所は外れだと思って、次の場所に向かうためにアレクサンドラを促そうとした。
だが、同じように周りを調べて回っていた彼女は、部屋の一角で足を止めていた。そこには大掛かりな装置が並んでいる。硝子でできた円筒形の容器が、何かしらの機械に接続されていた。
しばし呆然とした様子で立ち尽くしていた彼女が、唐突につぶやいた。
「ここはおそらく、
「む。わかるのかい」
「ああ。錬金術師とは
ヴィンセントは、わずかに訝しんだ。この部屋の持ち主についていくらかの興味を覚えなくもなかったが、それが重要なこととは思えない。外れであったのだから次の場所を探したいのだが、彼女は意外な饒舌さで部屋の説明を続けていた。
「魔術の行使に必須になるのが、
「ああ。昔、少しだけ聞きかじったことがあるな。確か
「そうだ。代償となる金属を調べつくした錬金術師たちは、最終的に詠術士でなくとも魔術を行使する方法を見つけ出した」
アレクサンドラは腰に提げた銃を抜くと、明かりにかざしてみせる。銃身を鈍い輝きがなぞっていった。
「皮肉にも、それが後に詠術士たちの特権を脅かす存在になるのだが……。歴史の話だ」
「ギディオン商会は、錬金術師たちにここで何かを研究させていた。もしかしたら火山の近くにあるのもそのためかもね。しかし、それが何か気になるのかい?」
アレクサンドラの話は興味深くはあったが、どうにも目的が見えなかった。何事も直球で話す彼女にしては珍しいことだ。さらに珍しいことに、彼女はしばし考え込んでいた。次に発するべき言葉を慎重に選んでいるようである。
「研究……そうだ、研究だ。錬金術師自体は、別に特別な存在ではない。広義では
彼女は壁に並んだ装置を指さした。硝子製の円筒は埃にまみれ、くすんで中までは見えない。ヴィンセントは疑問をぬぐえないまま、装置を調べだした。表面をこすり汚れを取ると中を覗きこむ。
「……!! こ、これはいったい!?」
円筒の中に入っていたもの。それは、小さな生き物の死骸であった。すでに身体は腐り落ち、骨だけが残されている。
彼は嫌悪とともに、いいしれぬ違和感を覚え白骨死体を見つめた。最初は何か小さな獣の死体であると思われた。しかしよくよく見れば、手足のバランスは獣らしからぬものであり。
「……こいつらが挑んでいたのは、おそらく、生命の創造だ」
ヴィンセントは、ひどく曖昧な表情で振り向いた。驚きと戸惑いと、笑えない冗談を聞いた時の色合いが複雑に混じっている。
「まさか、そんな馬鹿なことを」
「錬金術師たちは、その研究の果てにとある真実を見出した。世界の理を語るものが呪紋ならば、世界を形作るものこそ金属であると。魔術と金属が織り成す最強の兵器、銃鉄兵の始祖であるゴーレムはその成果のひとつだ」
彼女は、視線を近くの壁に向けていた。
そこにはある印が描かれている。中央に巨大な目玉があり、それは大地に向けて巨大な根を張っていた。さらに左右からは腕を生やし、天に向けて挑むように構えている。ひどく奇妙で、不吉さを感じさせる図形だった。
「次に奴らが目指したもの、それが生命の創造だ。ただし……そのための手段が狂っていた。一部の錬金術師は生命の仕組みを知るためにと凄惨極まりない実験を繰り返し、そのため天空教会から禁術指定にされ追われていたはず」
ヴィンセントは、にわかに悪寒を覚えて周囲を見回した。壁にそってずらっと並べられ古びた硝子の円柱。この全てに、同じような死骸が入っているというのか。
「ギディオン商会は、人造生命を生み出していったいなにをするつもりなんだ……いや、ちょっと待て」
そこで彼は、アレクサンドラの説明に聞き逃せない一文があることに気づいた。ぎこちない動きで視線を向ける。アレクサンドラの不快げな表情が、彼の推測を裏付けるようであった。
「こいつらは……人造生命を作るために、凄惨な実験を繰り返したと、言ったね」
彼女は、答える代わりにじっと彼を見つめている。ヴィンセントは、全身に震えが走りそうになるのをぐっと抑え込んだ。
簡単な推測だ。人造生命を生み出すために非道を働いてきた輩が、生きた人間を欲する理由とは何か。いったい何のために使うつもりなのか。
「先を急ぐぞ」
ヴィンセントは切迫した様子で部屋の出口に向かい。瞬間、アレクサンドラに首根っこを押さえられ、物陰に抑え込まれた。
抗議を込めた視線を送るより先に、彼女が粉鉱灯を消し周囲は闇に包まれる。何かを悟ったヴィンセントも口をつぐみ、物陰にじっと潜んだ。
少し遅れて、闇の中で何かが動く気配があった。扉を開いて、何かが部屋に入ってくる。考えるまでもない、ギディオン商会の人間だろう。
奇妙なことに、それは明かりも持たずに部屋に入ってきた。二人からは、暗闇の中でそいつが何をしているのかまではわからない。しかしこれは好機であった。
静かに、ヴィンセントが動き出す。ほんの少し待ってから、アレクサンドラは物陰から出て粉鉱灯を灯した。
頼りない明かりの中に浮かび上がったのは、無表情を象った奇妙なマスクをかぶった男の姿であった。
そいつはアレクサンドラの存在に気づくと、素早く懐に手を入れて。
次の瞬間、背後に回り込んでいたヴィンセントが組み付いた。そのまま素早く腕を押さえ、喉元にナイフを突きつける。
「動くな。静かにするんだ」
脅され、仮面の男は動きを止めた。ゆっくりと懐から手を出し、何も持っていないことを示して見せる。
「お前に聞きたいことがある。ここに運び込んでいた特別な荷物についてだ。中身は何だ。いったいどこにもっていった?」
ヴィンセントの詰問に、仮面の男はしばし無言のままでいた。
そのうちに、どこからか不自然な音が聞こえてきた。いや、音ではなく声だ。喉元にナイフを突きつけられているはずの仮面の男が、低く笑っているのである。生殺与奪を握られているとは到底思えない、ふてぶてしい行動であった。
「まさか、本当は殺されないなんて思っているのか? それは思い違いという……」
ヴィンセントがさらなる脅しを加えようとした時のことだ。
突如として仮面の男がもがき暴れ始めた。ヴィンセントは取り押さえようとナイフを持つ手に力を入れ。それは、暴れる仮面の男の喉にあっさりと、深々と突き刺さった。
「こいつ……!?」
一瞬の驚愕の後に、ヴィンセントの脳裏を疑問が過る。彼のナイフは確かに、仮面の男の喉に刺さった。しかし手ごたえがおかしいのだ。肉を切った感触はまったくなく、何か綿のようなものをついたような、曖昧な感触だけが伝わってくる。
そうして考え込む暇など残されていなかった。突如として腕の中の抵抗が小さくなる。彼は仮面の男の首を押さえているはずなのに、いきなりそこから重さがなくなったのだ。
一瞬の戸惑いの後、彼は気づく。その腕の中には、男の仮面と頭だけがあり、胴から下が無くなっていることに。
「なっ!?」
いかなヴィンセントとて、瞬間的な動揺は避けられなかった。その隙をついて、頭を失った男が走る。獣じみた身のこなしで、逆にヴィンセントに組み付き、押し倒した。
頭のない男が、腕を振り上げる。男の手は奇妙なことに、爪が刃物のように鋭利に飛び出していた。それをヴィンセントの喉元めがけて振り下ろし――。
銃声が鳴り響く。頭のない男は衝撃をうけたようにビクリと震え、振り下ろされた腕は軌道をそらして床に刺さった。
「死ね」
唱煙の上がる銃を片手に、アレクサンドラが構えていた。
彼女は躊躇なく、二発目、三発目を頭のない男のどてっぱらに撃ち込む。そのたびに男は痙攣を起こし、やがて力を失った。のしかかる男を蹴り飛ばし、ヴィンセントが起き上がる。
「すまない、助かったよ。どういうことなんだこいつは。自分の首を外して逃げ出すなんて、蜥蜴にだって無理な芸当だよ」
「よく見ろ、ヴィンセント。その首は、つくりものだ」
撃った分の弾を補充しながら、アレクサンドラはつぶやく。
ヴィンセントが首を持ち上げて見れば、その中身には肉ではなく綿が詰まっていた。男たちの仮面は表情を隠すためのものではない、この頭が偽物であること自体を隠すためのものだったのだ。
「……
自ら頭を捨て去った男を見ても冷静に対処してみせたアレクサンドラに、彼は引っ掛かりを覚えていた。しかし、彼女の視線は倒れた男にくぎ付けになったまま。
「頭のない、男には。昔、出会ったことがある」
彼女の視線のあまりの険しさに、ヴィンセントはそれ以上問いかけることを諦めた。荒野に暮らすあらゆる人間には過去がある。えてしてその多くが苦く、戦うべきものであるのだ。
賞金稼ぎは、仕事仲間の過去を詮索しない。彼はそこでも、不文律に忠実であった。
「お前なのか。トラヴィス・ギディオン。お前たちが、『頭のない男』なのか……?」
倒れ伏した奇妙な男は、彼女の記憶に残る怪人の姿とひどく似通っていた。そもそも頭部のない人型をした何ものかが、そう多くいるとは思えない。会長であるトラヴィスについていた、仮面の護衛たち。その全てが、これと同様に頭のない男であるとしたら。
彼女の目つきが険しさを増す。彼女たちは攫われたエリザベスを追ってここまでやって来た。しかしそれだけではなく、アレクサンドラにとって大きな目的が現れたようである。
思考は、そう長くはなかった。今は考え込んでいられる余裕はない。
「ヴィンセント、今の銃声で私たちの存在は完全にばれただろう」
「仕方がない。銃以外で止まるような相手ではなかったしね」
ひとまず、ここにとどまっている理由はなかった。彼らは死体をその場に残し、移動すべく部屋から出て。
そこに待ち構えていた、大量の仮面の男たちに囲まれていた。
「なるほどあれは、偵察だったわけだ」
全員が銃を手に、いつでも二人を蜂の巣に変えてしまえる態勢だった。さしもの二人であっても囲まれていては抵抗は難しい。
ゆっくりと手を上げ、無抵抗を示す。
「これはこれは、意外なお客様ですな」
そこに、聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。彼らが手を上げたまま振り返ってみれば。そこにいたのは、ギディオン商会の会長である、トラヴィス・ギディオンその人であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます