第二十七幕「因縁は荒野を越えて」


 乾き、命を拒む荒野を越えて、揺らめく陽炎がやってくる。一歩ごとに砂を蹴り、たちは街へとやってきた。

 彼らは街につくなり酒場に飛び込み、カウンターに並ぶとそろって声を上げた。


「水」

「お前ら、酒場ここにきていうことがそれか」


 とはいえ店主も、砂にまみれいかにも乾ききった旅人を邪険にするような真似はしなかった。

 汲み置きのぬるい水を出せば、二人して一息に飲み干す。彼らは注文と礼を兼ねて棒銅貨をばらまき、空いたグラスに次は酒が注がれた。


「さて、ちょうどよく頭も冷えた」


 無言で再びグラスを空にして、ヴィンセントは深く息をつく。

 冷えたどころか、彼の腹の底はぐらぐらと煮えたぎるようだったが、表情には出さなかった。必要なのは感情の発露ではない、遂行の手段だ。彼らは、すぐさま次の一手を打たねばならない。


 この街に帰り着くのとて、容易い道のりではなかった。荒野は人間に対してどこまでも過酷だ。ここまでたどり着けたのは、半ば以上は執念の賜物といってよい。怒りの炎が、彼らの脚を動かし続けた。


 なげやりに出されたグラスを睨みながら、アレクサンドラは思考を回す。


「問題は単純シンプルだ。見つけて、取り返して、殺す。それだけのこと」


 仕事の途中で横やりを入れ、あまつさえ彼女の弟子を攫ってゆくとは。賊にはこの世からいなくなってもらう、それは彼女の中での決定事項であった。

 そうすると、当面の問題となるのが。


「ここに戻るだけでだいぶ時間を食った。今から追いかけるよりも、新たに探し出す手段が必要だな」


 いまさら襲撃地点に取って返したところで、大した収穫は得られないだろう。賊の痕跡など、荒野の風と砂がとうに覆い隠してしまっている。

 彼女たちは、数少ない手持ちのカードの中から勝機エースを掴まねばならなかった。


「確実とは言えないが、方法はある」

「ふむ?」


 ヴィンセントはグラスを睨みつけていた視線を、ようやくはがす。


「耳ざとい知人がいる。あいつなら、きっと有益な情報ネタをもっているだろう」


 頷くと、アレクサンドラもグラスを一気に飲み干した。

 度の強い酒精が喉を焼き、補充したばかりの水分を奪ってゆく。しかし、今はこの熱が心地よい。


情報収集そちらは任せる。数日後に落ち合おう」

「君はどうするつもりだい?」

「賊が何ものかは知らないが、銃鉄兵ガンメタルまで持ちだして喧嘩を売ってきたんだ。ならば、こちらも銃鉄兵で応じるのが礼儀だろう」

「そうだが。まさか……?」


 ヴィンセントは訝しげな表情を浮かべた。アレクサンドラが所有している銃鉄兵というのは、例の金色しかないはずだ。

 だがあれは彼女の切り札、おいそれと使えるものではない。ならばまた、どこかからかっぱらってくるつもりなのか。

 疑問が表情に出ていたのだろう、彼女は苦笑と共に首を横に振った。


「違う、使うのはお前の銃鉄兵だ。私は師匠のところに行って、一足先に銀騎士シルバーナイトを受け取ってくる」

「あれを? だが聞いていた期日よりもかなり早くないか。仕上がっているものかな」


 彼は納得するとともに、軽い驚きを浮かべた。アレクサンドラは首肯する。


「完璧とはいかないかもしれないな。だが、今使わずしていつ使う?」


 肩をすくめ、ヴィンセントは小さく笑った。


「その通りだな、新たに僕の相棒になるんだからね。わかった、そちらは頼んだよ」


 そうして二人は空のグラスを置くと、酒場を出ていった。方針が決まった以上、一歩たりとも足踏み留まることはない。

 破壊された鉄動馬の代わりに砂馬を駆り、アレクサンドラは再び荒野へと飛び出していった。


「……主よ」


 体力自慢の砂馬が、力強く街道をかける。

 道中、それまでは外套コートの内側におさまっていた猫が、ひょっこりと首を出してきた。


「たしかに銃鉄兵が必要な状況だろう。しかし、なぜ銀騎士を? 慌てて取りに行くほどとも思えないが」

「いや、銀騎士でなくてはならない」


 ブラットリーは、訝しげに主の横顔を見つめる。

 銃鉄兵が必要なだけならば、その辺で奪ってくればいい。それが彼らのいつものやり方だったのである。


「賊は、気まぐれに現れたわけではない」


 アレクサンドラは目を細め、あの時の戦いを思い出していた。


「あの機体は、お前が乗っ取れなかった。つまりすでに『使い魔』によって操られていて……詠術士と戦うためにあったんだ。そんなものに、偶然で出くわすものか」


 戦いの中で、ブラットリーを通じて味わった衝撃。銃鉄兵の中に潜む何者かから受けた強烈な拒絶を思い出して、彼女は口元を歪めた。


「加えて気に食わないのが、賊がエリザベスだけを連れ去ったことだ。詠術士が、詠術士を狙うだと。嫌な符合を感じる」


 彼女の心の奥底から、何かが警告を発している。詠術士を狙う存在がいる、それだけでも十分に警戒する必要があった。


「詠術士を敵に回すことになる、か」

「対詠術士戦を考えた場合に、銀騎士ほど適したものはない」


 詠術士の力を最大限に発揮するために生み出された、詠術士のための剣。それが銀騎士である。たとえ未完成であろうとも、その力はその辺の銃鉄兵など及びもつかない。


「次は逃さない。決してな」


 アレクサンドラは険しい表情のまま、砂馬に鞭を入れ道を急ぐのであった。


 ◆


 ヴィンセントもまた馬を飛ばし、第十三給金都市サーティーンスへとやってきていた。

 彼の焦りになどまるで無頓着な街の空気の中を、足早に横切ってゆく。向かう先は大通りからそれた裏手、そのまま殴り込みでも書けるかのような勢いで、彼はジョンストン個人新聞社ウィスパーズの扉をくぐった。


 社長であるロミー・ジョンストンは、いつもと同じようにカウンターの内側で記事を編集していた。

 彼女は挨拶の一つもない無粋な客に眉をしかめたが、すぐにその正体がヴィンセントであることに気付いて、意外そうな表情を浮かべていた。


「あら、クリスじゃない。最近ちょくちょく来てくれるのは嬉しいけど。どうも、穏やかな雰囲気じゃないね」


 軽口のひとつも出てこない。今の彼は、彼女の知る今までのヴィンセントとは別人のような気配を纏っていた。


「ロミー。ひとつ、おりいって仕事を頼みたい」


 彼は勝手に席につくと、意外に静かな調子で話し始める。


「探してほしいものと、追ってほしいものがある」

「ええ、それはいいけど……一体何があったの?」

「仕事の最中に、銃鉄兵で襲われた。しかも目的は横やりだけじゃない、一緒に仕事をしていた……僕の妹が連れ去られた」


 淡々と説明する口調が、むしろ彼の怒りの深さを浮き彫りにしている。

 彼の様子がおかしかった原因を知って、ロミーは驚くより先に呆れた。他人の仕事に横やりを入れるのは、賞金稼ぎからは非常に嫌われることだ。当然のこと、仕事を邪魔されて喜ぶ者などいない。

 さらに血の気の多い賞金稼ぎのこと、それはしばしば銃撃戦で決着がつく。

 ヴィンセントほどの達人を相手にするには、確かに銃鉄兵くらいは必要だろう。


 返す言葉に迷い、彼女の表情が揺らめくのを見てヴィンセントは小さく肩をすくめた。


「どういう理由かはわからないし、実のところどうでもいいんだ。見つけ出し、報いを受けさせるだけだからね。そこで、君の力を貸してほしい。できるだけ早く、奴らの正体が知りたい」


 力の籠もった視線を受け、彼女は難しい表情を浮かべた。


「わかったよ。依頼を受けるのは問題ない。で、どんな奴だった?」


 ヴィンセントはしばしの間考え込み。やがて真剣な表情で、彼女を見つめた。


「突然襲い掛かられて、一息にやられた。その場で得られた情報は、ゼロに等しい」

「そんな。何とか探してみるけど、相手の手がかりがないと、すぐにとはいかないよ」


 いかに腕利きとはいえ、できることには限度がある。そこはいかに報酬を積まれようとも難しい部分だった。

 その程度のことはヴィンセントにだってわかっている。だから、彼は言葉を続けた。


「実をいうと、当てがないわけではないんだ。君にはある商会を追ってほしい。僕に依頼を持ってきた……ギディオン商会と、会頭トラヴィスについてだ」

「理由を、聞いても?」


 ロミーは表情を引き締めた。商会を相手に立ち回るのは、いかに彼女の腕をもってしても危険な仕事になる。

 商売人ならば誰しも腹を探られることを嫌う。それだけに守りは固く、下手をすれば返り討ちにあいかねないのだ。やるとしても空ぶりだけは避けばならない。彼女としては、根拠の部分は重要であった。


「やつらは銃鉄兵まで投入しながら、僕たちには目もくれず妹だけを連れ去った。襲撃することだけが狙いなんじゃない、最初から妹を攫っていくつもりだったんだ」


 コツ、コツと指が机をたたく。苛立ちを内に押し込めながら、彼は無理やりに笑みを浮かべた。狙うべき獲物を見定めた、狩人の笑みを。


「妹を狙っていただって? おかしいじゃないか。そもそもどうして、彼女がいることを知っている。僕があの場所で仕事をしていて、しかも妹を連れてきているなんて知っているのは、誰だ? 依頼人であるトラヴィス、彼しか心当たりがない。あとは奴の居場所がわかれば。きっとそこに、エリザベスイライザもいる」

「……はぁ。そういうこと。じゃあ、仕方ないね」


 ロミーは吐息と共に椅子に背を投げ出した。ヴィンセントは本気で、とてつもなく怒っている。彼が退くことは、決してないだろう。彼女も覚悟を決める必要があった。


「本当、無茶をいってくれるね。でも、その期待は裏切らないようにするよ。……商会の鼻を明かす機会なんて、そうあることでもないでしょうしね」


 彼女は頭の中で、すでに仕事の算段を始めていた。自身のもつ情報網をどのように駆使すれば求めるネタが手に入るか。速度と精度を求められる仕事でこそ、実力を問われる。


「三日、待ちなさいな。探してあげる、あなたの妹の居場所をね」


 ジョンストン個人新聞社を仕切る女社長は、不敵な笑みと共に告げたのである。


 ◆


「さぁ、これでどう?」


 あれから、たった三日後のこと。

 ジョンストン個人新聞社を訪れたヴィンセントは、驚きの表情を浮かべながらロミーの差し出した資料を読んでいた。

 唐突な依頼、商会という困難な相手。にもかかわらず、ジョンストン個人新聞社の仕事は完璧であると言っても良かった。


「頼んでおきながら……本当に驚いたよ。」

「まぁ、あなたがあまりにも怒っていたからね。ちょっと気合を入れたのよ」


 ヴィンセントは、思わず苦笑を浮かべる。先日の彼には、確かに余裕がなかった。

 激情のままで動く仕事はしくじりやすい。賞金稼ぎならば、一度は覚えのある言葉だ。


「すまなかった。この礼は、しっかりと払わせてもらうよ。これからも頼りにさせてもらいたいからね」

「それは嬉しい言葉ね」


 彼はあらためて資料をじっくりと読み込んでゆく。そこには、商会が扱う品といった基本的なことから、その仕入れ先、主な卸先などが細かく書かれている。

 ヴィンセントは、心の中でことが終わった後、ロミーに追加報酬を渡すことを決めていた。

 これほどの精度で情報を集められる者など、新大陸広しといえどそうはいない。


 そうしてしばらくの間資料を睨んでいたヴィンセントだったが、そのうちに奇妙な項目に目を止めていた。


「火山の街……?」


 手堅く、かつ広く商品を扱うギディオン商会の仕事の中で、異質さを放っている項目。それが、火山の街『マギナ』での商いである。


「いや、これは……商っているというよりは、投資といったほうがいいな」


 ただ商品を運び込むだけであれば、辺鄙な場所であろうとも理解はできる。しかしギディオン商会がマギナへとおこなっていることは、明らかにその範疇を逸脱していた。

 要塞でも築くつもりかというほどの大量の物資、銃鉄兵の部品類に金属。数日をおかずになにがしかの物がいきかっており、しかもそれはここ最近になるほど頻度が増している。


「……軍隊なみの銃鉄兵が出入りしている? 火山の麓を拓くつもりか。農業には向いていないだろう、有望な鉱脈でもあったのか……」


 鉱脈とは穏やかではない。なぜなら、鉱石――金属というものは魔術の対価となる、この世界における力そのものであるからだ。

 金属の流通は銀行ザ・バンク、あるいはメタルメジャーが厳格に管理しており、他社の参入を寸毫たりとも許してはいない。

 万が一にも鉱脈をもって銀行に敵対するようなことをしでかせば。

 間をおかずして、新大陸の大地を傾かせるほどの軍勢が送り込まれるであろうことは想像に難くなかった。


「目的が分からない。だが、ここはな」

「でしょう? 他に見るべきところはなかったけれど、それだけが明らかに奇妙よ」


 ヴィンセントは険しい表情のまま考え込んでいた。

 攫われた妹、依頼主の不審な行動。両者の間に明確な線は見えていない。だが、彼には他に辿るべきものがないのも事実であった。


「賭けに、なるな」


 未だ見ぬを信じて賭け金をあげるのは賞金稼ぎではなく、賭事師ギャンブラーの領分だ。賞金稼ぎとしての彼の本分は、入念な準備を整えてから確実な成功を狙うものである。


「だが。最近はそれも怪しくなってきたな……」


 思えば、ここしばらくの仕事は何かあるたびに招かれざる客が乱入してきている気がする。その大半は、詠術士のせいであるような気もするが。

 彼は、口の端を笑みの形に持ち上げた。たまには、運を信じてみるのもいいかもしれない。


「いくの?」

「ああ。どのみち今もっとも怪しいのは、このギディオン商会だ。そんな奴らが熱を上げているところならば、当たって損はないだろう」


 そうして、ヴィンセントはジョンストン個人新聞社を後にした。

 目指すは、火の街『マギナ』。そこにはギディオン商会の総力が結集されていると言っても過言ではない。


「対するこちらは、銃鉄兵にも事欠いている有様か。本当に、以前ならば決して挑まない無謀なヤマだ」


 それでも、彼に諦めるという選択肢はない。諦めるには、奪われたものが多すぎる。

 そんな彼の頭上から、声が降ってきた。


「何もないか。そうかもしれないが、少なくとも私とこいつはいるのだがな」


 聞き覚えのある声を耳に、ヴィンセントはバネ仕掛けのような勢いで顔を上げ。

 そこに、白銀の輝きを目にしたのである――。



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