第二十五幕「旅は道連れ情けなし」


 荒野を駆ける、乾いた風。クリストファー・ヴィンセントが漏らした溜息が、その中に微かな湿り気を添える。


「どうして、こんなことになるかな……」


 そうして彼は、何度目になるかわからない愚痴を、もう一度吐き出していた。

 首を巡らせれば、彼に憂鬱を与えている原因がすぐ横にいる。彼女はもう一騎の鉄動馬オートホースの上で、同乗者にもたれかかってくつろいでいる様子だった。


「先生、あそこを飛んでいるのは何なのですか? なんだか集まっていますね」

「屍喰鳥だな。この荒野で息絶えた獣の死骸を食べる、掃除屋どもだ。おおかたあの下で、何かが野垂れ死んでいるのだろう」


 その原因とは、鉄動馬の手綱を握るアレクサンドラジョン・ダーレルのこと――ではない。彼女の前に腰かけ乗っているエリザベス・ヴィンセント、つまりは彼の妹が原因なのであった。


 アレクサンドラと二人乗りになっている彼女は、好奇心も丸出しに何かにつけて質問を投げかけている。アレクサンドラもまだ教師気分が続いているのか律儀に答えるものだから、道中ずっとこの調子であった。


 確かにエリザベスは賞金稼ぎバウンティハンターとしてはまったくの新人であり教えることは必要なのだが、それでも限度というものはあろう。これではまるでただのである。


「……エリザベスイライザ。僕たちは行楽ピクニックに向かうわけじゃないんだぞ。そんな、遊びのつもりでは困る」

「わかっていますよ、兄さん。私も、こうして仕事を受けたからには誠心誠意取り組むつもりですから」


 そういって、彼女は胸をはった。ヴィンセントから見ると大変に疑わしいところなのだが、彼女自身は大変に説得力があるつもりのようである。


「だからこそ、今のうちに色々なことを学んでおかないと」

「そうだな、詠術士ウィザードにとっては冷静な分析能力こそが武器になる。そのためには知識を高めるのが必要なことだ」

「君も、甘やかさないでくれよ……」


 などと出発してよりこちら、ずっとこの調子だ。アレクサンドラも諌めることはしないし、むしろエリザベスの味方であるように思える。

 出発直前のがまだ尾を曳いているのかと、ヴィンセントは頭を抱えずにはいられなかった。


「それで、目的地まではまだ遠いのですか?」

「ああ。今日も途中で野宿になるだろう。そろそろ静かに、体力を温存しておきなさい」

「はい、先生」

「どうして僕のいうことよりも素直に聞くかな……」


 呆れつつも、彼もあまり強くは出れないでいた。

 このエリザベスのはしゃぎぶりを見るに、ヒャグザの街での暮らしは彼女にとってどこか退屈なものであったのだろう。彼としては、大事な妹をわざわざ危険に連れ出したくはなかったのだが、さりとて気持ちがわからないでもない。

 結果として、苦笑を浮かべるにとどまっているのである。


「明日の夜には、依頼にあった街につく。そうすれば嫌でも忙しくなるだろうしね」


 彼の言葉に、エリザベスはさらに意気を高めているようだった。

 そんな彼女を支えつつ、アレクサンドラは先日の出来事を思い出していた。


「依頼人か……」


 ◆


 彼らは出発する前に、揃って依頼人のもとを訪れていた。

 この依頼の主である商人、トラヴィスは毎度のごとく、街で最も上質な宿に部屋を借りていた。訪れてきた三人を、彼は快く迎えいれる。


「これはこれはヴィンセント様、それにお連れの方も。お待ちしておりましたよ」


 老商人は常のごとくにこやかな表情を浮かべていた。二度目ともなればアレクサンドラも細かいことは言わない。外套すらとらずに、さっそく壁にもたれかかっていた。

 視線を巡らせれば、部屋の壁際には不気味な仮面をかぶった護衛たちが並んでいる。以前にも見た光景だ。


「久しぶりだな。またあんたからの依頼だったか」

「おお、あなた様にはヒュドラ退治の時にもお世話になりましたな」


 そんな彼女でも依頼人のことは気にしていた様子で、いちおうの挨拶は交わしていた。

 トラヴィスの向かいに座ったヴィンセントが頷く。


「今回の依頼に万全を期すべく、助っ人として頼んできたんだ」

「なるほど。ヒュドラ退治も完全に成し遂げていただきましたことですし、我々に否やはありません。……して、失礼ながらそちらのレディは? その、あまり賞金稼ぎには見えないのですが」

「ああ……えっと……」


 トラヴィスの疑惑の視線の先にいるのは、果たしてエリザベスであった。

 町娘にしか見えない簡素なドレスを身に着け、その上にガンベルトだけを無理やり乗せた姿。賞金稼ぎに決まった服装などないが、このいでたちは少々そぐわないものだ。彼の疑問もむべなるかな。


 そこでヴィンセントが一瞬、説明に詰まっていると、それまでは後ろに控えていたエリザベスが一歩前へと出た。笑顔を浮かべ、優雅に一礼する。


「初めまして、トラヴィス様。兄がいつもお世話になっておりますわ」


 彼女は、軽くとはいえ貴族としてのふるまいを教えられている。丁寧なふるまいは、賞金稼ぎとしてはさほど必要性のない能力ではあるが。


「ああ、お身内のかたでしたか。いずれにせよ、仕事をしていただけるのでしたらこちらに文句はありません。いつも通り、人選はお任せいたしておりますから」

「ええ、はい。それについてはご安心ください」


 ヴィンセントは歯切れ悪く、あいまいに応じる。


「よろしくお願いしますよ。……ほう、コインホルダーをお持ちと。お身内に詠術士がいらっしゃるとは、大変に心強くございますな」


 老商人の観察眼もなかなかのものである。所持品からすばやく技能を判断する、その知識は侮れない。


 その時、アレクサンドラはふと奇妙な気配を感じた。トラヴィスがエリザベスのことを詠術士だといった時に、部屋の空気に変化を感じていた。

 彼女は帽子をわずかに持ち上げると、周囲の様子をうかがう。


 ゆっくりと部屋の中を巡った彼女の視線は、やがて壁際にたたずむ男たちへと向かった。

 相変わらず不気味な仮面をつけ、微動だにしない商人の護衛たち。だがしかし、この時ばかりはいつもと違っていた。


「……?」


 交渉はヴィンセントに任せ、後ろから眺めるだけだったからこそ、その変化がわかる。

 男たちはエリザベスへと注目していた。仮面をつけているため視線がよくみえない。だがその時、アレクサンドラはそれを確信していた。


 賞金稼ぎとしては異質な様子を見せるエリザベスについて、何か思うところでもあったのか。だとしてもただの護衛が考えるようなことではないはずだ。

 他に彼女に特徴となることは――詠術士であるからか。


 この依頼人との打ち合わせは、アレクサンドラの記憶に奇妙な違和感を残し続けたのであった。


 ◆


「……先生?」


 呼ばれて気づくと、腕の中にいたエリザベスが彼女のことを見上げていた。

 周囲の景色はどこまでも荒野が広がっているが、記憶にあるものとは違いがあった。どうやら彼女はしばらくの間ぼうっとしていたようだった。


「ああ、すまない。少し考え事をしていた。どうかしたのか?」

「はい。その、依頼にあった賞金獣についてもっと詳しく教えてほしいのです。『砂錆蠍』というのは、どのような獣なんですの?」


 アレクサンドラはふむ、と言いおいてから記憶を探る。


「大きさは、そうだな。ちょうぞイライザと同じ5フィートくらいだ。すばしっこく獰猛な肉食獣で、旅人たちにとっての天敵のひとつとされる」

「まぁ、強いのですか?」


 そこに、アレクサンドラの説明を引き継いでヴィンセントが割り込んできた。


「単体でもいくらか厄介ではあるが、銃があれば勝てなくはない相手だな。ただしこいつの最も厄介なところは、群れを作るところにある」


 街道をゆく商人であれば、自衛のために銃を携行するのは当然である。荒野にはいったいどんな危険が潜んでいるかわからないからだ。ちょっとした不用心でも、ツケは自分の命で支払うことになるとなれば、なおさら。

 そういった商人たちにとって、厄介なのがこういう群れを作る存在であった。

 数の差は、戦力の差を容易にひっくり返しうる。群れの規模によっては、隊商を組んでも危険を免れないのである。


 話を聞いていたエリザベスは、そこで首をかしげた。


「それならば、銃鉄兵ガンメタルを使って倒してしまうのが、一番良いと思うのですけど」

「それは。あってもいいんだが、砂錆蠍は少し厄介な習性を持っていてね」


 この依頼は、しばらく銃鉄兵を使えないことを前提として請け負ってきたものだ。それが銃鉄兵を必要とするようなものならば、意味がないのではないか?

 その疑問に答えたのは、アレクサンドラだった。


「奴らは存外に聡く、大型の敵に出会うと砂に潜って逃げる。確かに銃鉄兵の火力があれば一撃で蹴散らせるだろう。だがその前に、大半に逃げられることになってしまう。だから砂錆蠍を駆除するには、地道に人数を集めるのが一番とされている」


 それから彼女は、ため息を漏らす。


「わかってはいるが正直、面倒な相手だ」

「だからこそ報酬も高いんだ。贅沢はいけないよ」


 ヴィンセントがたしなめるが、彼女は軽く肩をすくめて返した。

 その時、また何かを考えこんでいたエリザベスが顔を上げる。


「そのような厄介な賞金獣リワードを相手に、私たちだけで大丈夫なのですか?」

「そこは抜かりない」


 そういって、アレクサンドラは鉄動馬に括り付けた荷袋をたたいた。

 じゃらりと音を立てる袋に詰まっているのは銃弾――それも、その全てが爆裂魔術を刻み込まれた詠術弾スペル・ブレットである。


「銃鉄兵がなくとも、我々にはこいつ詠術弾こいつがある。群れを相手にするならば、吹っ飛ばしてやればいい。まぁ、金がかかるところが難点なのだがな」

「まだそんなことを言っているのかい。十分な報酬がある仕事なんだ、ケチってどうする」

「払いは少なく、儲けは大きく。獣相手では、銃弾を奪うわけにもいかないからな」

「また君はそんなことを……」


 ヴィンセントが呆れて額を抑えていると、くすくすと小さな笑い声が聞こえてきた。振り向いてみれば、出所はエリザベスである。


「兄さん、楽しそうね」

「えっ? やめてくれよ、冗談じゃない」


 アレクサンドラと仕事をした回数は多くないにもかかわらず、毎回のように彼女のとんでもない行動に振り回されてきた。いったいどうしてそれが楽しそうに見えるのか、彼は心外だとばかりにぶんぶんと首を横に振る。


「兄さんはすごい賞金稼ぎで、何度も大きな仕事を成し遂げてきて。大丈夫なのはわかってたけど、でも、いままで外でどんなふうに過ごしてきたのかはわからなかったから」


 それも、妹の視点から見ればまた違った意味にとらえられるらしい。彼女はくすくすと、楽しそうに笑うばかりだ。


「こうやって一緒にいると、いろいろな発見があって嬉しいの」


 アレクサンドラは、やはり意に介せず。エリザベスの誤解を解くものはいない。

 やはり、調子が狂う。ヴィンセントは、もう何度目になるかもわからない溜息を、そっと漏らしたのであった。


 ◆


 それから依頼のあった街道沿いの街に入った一行は、一晩の休息をとった。

 明けて翌日。彼らは目的の場所――賞金獣の狩場へと、足を踏み入れてゆく。


「砂錆蠍は、砂地を好んで住み着く。やつらは砂の中を泳ぐ能力に長けているからな」

「まぁ、ここはその狩場の真っただ中ということだ。そろそろ、襲い掛かってくるだろうな」


 荒野を貫く街道。その多くは、とりわけ不毛な場所にある。

 襲われる心配の少ないところというのは、こういった獣の少ないところなのだ。しかしある種の獣たちは、そのような不毛の地にも適応し、こうして商人に襲い掛かってくる。


「で、どういう手筈で行く?」


 うんざりするような砂の広がる光景を見回し、アレクサンドラが問いかけた。


「奴らがどこに潜んでいるかなんてわからないからね。引っかかってくれることを祈るしかないさ」

「お前にしては適当だな」

「こういう手合いは、事前に仕掛けづらい。せいぜい、出会った時に確実に倒せるようにしておくだけさ」

「兄さん、そんなことで大丈夫なの!?」


 のんきに鉄動馬を進める一行のなかにあって、エリザベスだけが緊張を隠せないでいる。いつなんどき獣に襲われるかわからない場所で軽口をたたき合う二人を、信じられない思いで見ていた。

 この余裕の差は、やはり経験の差からきている。くぐってきた戦場の数が違うのである。

 もうひとつ、彼らの余裕を支える要因があった。


「忘れているかもしれないが、こちらには不意打ちに強い隠し玉があるからな」


 アレクサンドラの肩に乗った猫が、にゃあと一声鳴いた。

 猫だけではない、上空にはヴィンセントの使い魔ファミリアである、梟のドリーも飛んでいる。


 直後、猫が緊張を見せた。ひくひくとひげを動かし、砂地の一点を睨む。まるでそこに何かがいるかのように。


「主よ」

「お客さんか、心得た」


 警告が聞こえるや、賞金稼ぎたちは瞬時に戦闘態勢に入っていた。銃を抜き放ち、油断なく構える。直前までの暢気さは影も形もない。

 エリザベスも銃を手にするが、不安の色は隠せていなかった。


「イライザ、ようく見ておくんだ。賞金を稼ぐということは、こういうことだ」


 彼女の後ろで、アレクサンドラが銃を構えた。

 その先には何もない砂があるだけ。だが、直後にそれらが盛り上がり、次々に獣の姿が現れた。

 砂錆蠍だ。その姿は、巨大な蠍である。しかしその四肢が


 使い魔からの知らせによりそれを察知していたアレクサンドラは、間髪入れず銃を撃つ。

 唱薬が咆え、飛び出した銃弾はまっすぐに飛翔し――密集した砂錆蠍にはまったく当たらず、ただ砂を噴き上げて終わった。


「イライザ。こうはならないように、ちゃんと銃の練習をしておくように」

「えっ? あ、はい……」

「ううむ。君に生身の戦闘を頼んだのは、すこし間違いだったかもしれないね」


 アレクサンドラは優秀な賞金稼ぎである。が、銃の腕はからっきしだ。

 直前までは頼りがいのある先生であったはずの彼女の意外な欠点に、エリザベスは表情を曇らせる。


 そうして砂錆蠍は、銃弾のことなど無視して獲物に襲い掛かろうとし。直後に、砂を噴き上げ爆発が起こった。


「問題ないさ。多少狙いが粗かろうとも、周りごと吹っ飛ばしてしまえばいいだけのこと」

「そのための詠術弾ではあるけど、当たって損はないだろうに」


 言いつつ、ヴィンセントも銃を撃つ。

 そちらは見事、砂錆蠍に突き刺さり周囲を巻き込んで爆発を起こしていた。


「わ、私も頑張りますわ!」


 二人が戦いを始めたのをみて、エリザベスも銃を構えた。

 彼らの周囲には、続々と砂錆蠍が現れつつある。まだまだ、仕事は始まったばかりである――。


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