第二十四幕「秘密の向こう側を、撃て」

 ヴィンセントは家の前に鉄動馬オートホースを止めると、中には入らず裏手へと向かう。


「ジョン。まさか君が真面目に銃の練習をするとは……ね……?」


 木に向かって銃を構えた人影を見つけ、彼は気軽に呼びかけようとして。その声が尻すぼみに小さくなってゆく。すぐに、間違いに気づいたのだ。

 ヴィンセントはてっきり、そこにはアレクサンドラジョン・ダーレルがいて銃を練習しているとばかり考えていた。しかし、実際には。


「銅を供に願う。風よ、矢に手を添え、我が敵の心へと運ばん!」


 淡い光を後に残し、銅貨が宙に溶けて消える。生み出された光は拳銃にまとわりつき、やがて銃声と共に飛翔した。

 放たれた銃弾が、木の幹に描かれた標的へと突き刺さる。それは、幾重にも描かれた円のうち最も内側を、正確に穿っていた。


「うん、成功ね。今日もいい調子!」


 結果に満足し、は拳銃を片手に満足げな笑みを浮かべる。

 その時になってようやく、唖然と動きを止めていたヴィンセントから悲鳴のような声が上がった。


「……いっ、エリザベスイライザ! ここでいったい何をしているんだ!?」


 そう、銃の練習をしていたのはアレクサンドラではない。彼の妹である、エリザベスだったのだ。

 彼女は振り向き、ひきつった表情を浮かべた兄を見て、首を傾げた。


「あら、兄さん。帰っていたのね。マーサとは会わなかったの?」


 兄が帰ってきたときはだいたい使用人であるマーサが先に気付いて、彼女のことを呼びに来るものだった。いきなりこちらに来るのは珍しいものである。

 しかしヴィンセントにとって、そんなことはどうでもよい。


「さっき着いたばかりだからね……それより、なぜお前が銃の練習なんてしているんだ」

「なぜって。魔術の復習のためによ」


 何を当然のことを聞くのか、とばかりに答える妹に、ヴィンセントはついに頭を抱え始めた。


「魔術を使いたいだけなら、別に銃を持ち出す必要はないだろう!」

「そんなことはないわ。だって、今使っているのは銃弾の狙いを正確にする魔術だもの」


 ついに、ヴィンセントは天を仰いだ。


「いったい何を教えているんだ、ジョン・ダーレル……もっと普通の魔術だっていろいろあるだろうに!」


 彼がアレクサンドラに妹の教師役を依頼したのは、決して妹を銃の名手にするためなどではない。

 幼い頃、新大陸に投げ出されたヴィンセントは生きるために賞金稼ぎに身をやつした。そこに後悔はない。彼は戦いに関する才能をいかんなく発揮し、十分な稼ぎを得てきたのだから。


 だが彼の心の奥底には、かつて失った生活への憧憬が残っていた。

 ゆえに妹には教師をつけ、魔術への知識を深めようとしたのである。正しい魔術の知識を深め詠術士ウィザードとなることは、貴族としてのたしなみでもあった。


「先生はいろいろなことを教えてくださるの。矢避けを応用した弾除けの魔術ですとか、お風呂を温める呪紋とか。今だって、魔術を使いながら銃を撃つ練習をしていたところなの」


 楽しげに話すエリザベスと対照的に、ヴィンセントはひたすらに苦々しい様子になってゆく。

 現状はこのうえなく、期待とは真逆のことをやらかしてくれていた。


「まったく、ジョンの奴め。詳しいのはいいが、どうしてまたこう、アイツは!」


 これは一言文句を言わねば気が済まない。彼は怒りに燃えて周囲を見回す。


「イライザ、ジョンは今どこにいる!?」

「ええと。いつもなら湖畔の散歩に出て、そろそろ戻ってくる頃だと思うけど……」


 突然盛り上がり始めた兄を見て、エリザベスはやや後ずさりながらも素直に答えた。

 彼女は、自分が魔術の復習――という名の銃の練習――をしている間、アレクサンドラが散歩に出ていることを知っている。


 それを聞いたヴィンセントは、すぐさま身をひるがえして家の中に駆け込んでいった。

 驚いたマーサが問いかけるより先に、彼はアレクサンドラの部屋へと駆け込む。


「いない。まだ出ているのか」


 部屋には誰もいなかった。使い魔の猫もだ。

 ならば散歩から帰ってくるのを待ち受けるかと考えていた時、彼の耳がを捉えた。


「これは、水音? なるほど、シャワーか!」


 ヴィンセント邸の裏庭の一角にはシャワールームが設置されている。簡素なつくりのものだが、散歩の後に身を清めるのは気分がいいことだろう。


 急いで裏庭へと飛び出してみれば、シャワールームとして使っている小屋の横に、果たして一匹の猫がいた。

 使い魔ファミリアのいるところ主あり。確信を得たヴィンセントは足早に近づいてゆく。

 彼の接近に気付いたブラットリーが、髭を揺らして顔を上げた。


「む。何を慌てているのだ、ヴィンセント。今、主は取り込み中で……」

「わかってる。その主に話があるんだ、そこにいるな!?」

「なっ!? 待て、今は……」


 有無を言わさず扉に手をかけたヴィンセントに、ブラットリーが慌てて止めに入る。

 今までのヴィンセントの言動からして、こうも無理やりな行動に出るとは思っていなかったのだ。それは、致命的な遅れであった。

「ジョン! そこにいるのだろう! 君がイライザに教えた魔術だが……」


 ヴィンセントは、勢いよく、シャワールームの扉をあけ放ち。

 そして、動きを止めた。


「…………」


 彼の前には、ジョン・ダーレルがいた。そのはずだ。驚いた様子で彼を見つめるのは、間違いなくジョン本人である。

 しかし。水滴を流し柔らかな曲線を描くその身体は、明らかに男性のそれではなく――。


「なっ……えっ!? ジョン、君は……!」

「ブラットリー、銃」


 狼狽し、後退るヴィンセントに対し、静かなつぶやきが武器を求めた。応じて猫が駆け、すばやく銃を咥えると主へと投げ渡し。

 アレクサンドラは器用に銃を掴むと、迷わず撃鉄を起こした。

 銃口が自分へと向くのを見たヴィンセントは、驚きから復帰するとともに慌てて両手を上げる。


「待て! ちょっ、話し合……」


 横っ飛びに体を投げ出すのと同時、銃声が走る。ほんの寸前まで彼がいた場所を銃弾が走り抜け、地面にあたって小さな土煙を上げた。

 この距離ならば、腕の良しあしは関係ない。

 の殺意が本物であることを確かめ、ヴィンセントは盛大に顔を引きつらせた。


「ブラットリー。詠術弾スペル・ブレットをあるだけ持ってこい」

「承知」


 本気すぎた。このままでは、確実に戦争が起こる。


「それはまずい! ま、待て。待ってくれジョン! ちょっと、ちょっと話し合いを! まずは落ち着いて、平和的解決を模索するんだ!!」

「遺言は、それだけか」


 にべもない言葉とともに、アレクサンドラが弾を籠め終わる。

 キリキリと回転弾倉シリンダーが回る音が聞こえて、ヴィンセントはさらに泡を食った。もはや一刻の猶予もない。


「悪かった! 全面的に僕が悪かった! 謝る、謝るからまずは銃をしまってくれ! 償いについては、これから交渉しよう!」


 返ってきたのは、銃声ではなく沈黙であった。

 ヴィンセントは固唾をのんで、両手を上げたままじっと彼女の反応を待つ。


「……少し、待っていろ」


 そうして彼は肺の底から息を吐き出すと、その場にへたり込んだのだった。


 ◆


 しばらくして、体をぬぐい服を着たアレクサンドラが、シャワールームから出てきた。

 助かったのだ、ヴィンセントは一瞬気を抜きかけて。直後に銃を顎へと押し当てられ、再び両手を上げた。


 危機はいまだ去ってはいない。


「しゃ、謝罪の交渉をしたい。誠意をもって話し合えば、きっと争いは避けられるはずだ」

「そうか。だが、見たのだろう? ならば生かしてはおく理由がない」


 色々と反論のしようがない。状況は絶望的に不利であったが、彼は必死だった。


「見た。確かにそれは、事実だ。だが故意ではなく事故であり誤解もあって……」


 撃鉄を起こす振動が伝わってきて、彼は急いで口を閉じる。

 そのまま、アレクサンドラは険しい目つきでヴィンセントを睨んでいたが、やがて銃口をそらすと撃鉄を落とした。


「ふん。すこし、油断しすぎたようだな」

「主よ、面目ない」


 ヴィンセントを止めきれなかったブラットリーが、彼女の肩の上でしおれていた。彼女はその背を撫でる。


「いいさブラットリー。どうやら教師ごっこに興じすぎたらしい」


 今度こそ解放されたヴィンセントがその場にへたり込む。

 賞金首を相手にした時よりも、はるかに消耗している。ある意味で先日の砦での戦いよりも、緊張を強いられる戦いであった。


「ジョン……まぁその。少し、話しておきたいことがあるんだが」

「アレクサンドラだ」


 唐突に返ってきた名前に、ヴィンセントはいぶかしげな表情を浮かべる。


「アレクサンドラ・ウィットフォード。それが私の名だ。だが、イライザの前ではジョンのままでいいだろう」

「あ、ああ。わかった。もちろんそうしよう」


 そうしてヴィンセントは、ジョン・ダーレル改めアレクサンドラ・ウィットフォードの姿を、しっかりと眺める。


 これまでにも見慣れた、普段通りの服装だ。しかし、そうと意識して見れば確かに違和感がある。

 明らかにシャツは内側から強く押し上げられているし、そもそも閉じられきっていない胸元から深い谷間がのぞいていた。

 普段は外套を纏っており、そうでなくともさらしで抑えているが、今回ばかりは急ぐあまり忘れていたらしい。


 いまだ乾ききっていない髪が、肌に張り付いている。

 精悍な少年のように見えていた面持ちが急に柔らかさを増したような気がして、彼はふと息を呑んだ。

 すぐに頭を振って気を取り直す。


「しかし騙されたな。完全に、男性だと思っていたよ」

「そう見せていたからな」


 外套と帽子をつけ粗雑にふるまっていれば、確かに女性には見えなかっただろう。

 そもそもアレクサンドラの行動は尖りすぎていて、女性的な雰囲気とは無縁だったことも影響している。


「つまりその恰好は、面倒避けってことかい?」

「その通りだ。荒野には馬鹿が多すぎるからな」


 思い起こせばこれまで、彼女は不自然なほど常に帽子をかぶり外套もあまり脱がなかった。その理由は、今や明らかである。

 逆にそれを隠したまま平然と野宿や戦闘をこなしていたのだから、いっそ神経の太さを賞賛すべきだろうか。


 ようやく冷静さを取り戻し始めたヴィンセントが、長くため息を漏らす。


「……はぁ。まったくとんでもない奴を、家に招いてしまったものだよ」

「ほう?」


 つい本音が漏れ出でたが、直後一人と一匹に睨まれて、彼はもういちど両手を上げて降参を示したのであった。


 ◆


 太陽はゆっくりと地平に沈み、時は夜へと移る。


 ヴィンセント家の夕食の席では、一家三人と客人がそろって席についていた。

 アレクサンドラは完全にいつも通りの装いを整えており、素知らぬ顔で食事をほおばっている。それを見たヴィンセントは、思わず天を仰ぎそうになった。やはり、彼女の神経の太さは並大抵のものではない。


「ねぇ、兄さん。それで、相談というのは、何?」


 あらかたの食事が終わったところで、エリザベスが尋ねてきた。ヴィンセントが夕食前に話したことである。


「えーと。そうだな、その。……次の、仕事を決めてきたんだ。また少し長い仕事になると思う」

「出かけるの?」


 エリザベスは眉をさげる。アレクサンドラはじっとグラスを傾けているが、内容には興味をもっているようだった。


「なかなかに良い仕事をまわしてもらってね。何かと入り用な時だ、ここはひとつ稼いでおかないといけない。そこで悪いんだが……ジョン。君にも仕事を手伝ってほしいんだ」


 指名を受けて、アレクサンドラが顔を上げる。


「すると、イライザへの講義はどうするんだ」

「この仕事の間は中止だ。君だって報酬のない仕事は嫌だろう? この仕事は必ず、成功させておきたいからね」

「なるほど。依頼人クライアントの要望には応えよう。イライザ、そういうことだが構わないな?」


 二人の視線を受けて、エリザベスは睫毛を伏せる。そうして、考えていたのはわずかな時間。

 すぐに、彼女は決意に満ちた表情とともに顔をあげた。


「兄さん。その仕事、私も一緒にいきます」

「なっ!? 何を」

「お嬢様! それは……」


 彼女の唐突な言葉に、泡を食ったのは家族である二人だ。それぞれに驚きと共に彼女を諌めようとしたが、先んじるようにエリザベスが口を開いた。


「私、前から思っていたの。兄さんにばかり苦労をかけて、私は何もしないままでいていいのかって」

「そんなこと、僕はできるからやっているだけさ。何も問題はないよ」


 しかし彼女は首を横に振る。


「以前の私なら、そんな力はなかったのかもしれない。でも、今は違うの」

「お嬢様、坊ちゃんのお仕事は危険も多くございますよ。気軽についてゆくようなものではありません」

「そうだ。賞金稼ぎは過酷な仕事だ。少し詠術を修めているだけのお前では無理だ」

「ええ、ジョン先生にも言われたわ。だから、そのための魔術も教わった」

「いったい何を教えているんだ!?」


 ヴィンセントが振り返れば、アレクサンドラが涼しげな様子で答える。


「もちろん魔術だ。生徒の希望通り、実用性の高いものを選んで教えたがね」

「だいたい君の仕業か!!」


 彼は、完全に頭を抱えていた。確かに普通の魔術とは毛色が違うと思っていたが、これほどとは。


「だとしても。ジョン、君も止めてくれ!」

「ふむ。実技試験にはちょうどいいか」

「そういう問題ではない! さっきのをまだ根に持っているのか、君は!?」


 アレクサンドラは当てにならない。やはり自分の言葉で止めるべきだと振り返ったヴィンセントの前に、エリザベスが立ちはだかった。


「兄さん、お願い。無理はしないわ。魔術は教わっているし、銃だって使える。我が家の稼ぎですもの、一家の皆で当たるべきよ」


 強い意志に満ちたエリザベスの表情を見て、ヴィンセントは溜息を止められずにいる。


「その頑固さはいったい、誰に似たんだい」

「意思を貫くのはいいことだな」

「この短い間に、本当に余計なことを教えてくれたようだね!!」

「なるほど、教え方がよかったのだろう」


 の勢いが強すぎて、ヴィンセントには到底あらがうすべがない。結局、彼はがっくりと椅子に沈み込み。


「なんてツイていない日だ……誰か助けてくれ」


 真剣に、天に向かって祈りを捧げたのであった。


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