第二十二幕「湖畔の街、ヒャグザ」

 諸々の手配をすませたアレクサンドラジョン・ダーレルとヴィンセントは、第九給金都市ナインスメタルシティを離れていた。再び荒野を越えて、次の街へと向かう。


 鉄動馬の手綱を握り、アレクサンドラは顔を上げた。


「ヒャグザ?」

「ああ、街道からは外れた場所さ。ここからは少し距離がある。近くに湖がある、豊かな街なんだ」


 それは荒野のように殺風景な場所ではないのだろう。落ち着いて暮らすには良い街であるように思えた。


「そこにお前の家族が、詠術士ウィザードの卵がいるというわけか」


 ヴィンセントは頷く。彼がアレクサンドラを家に招こうとしているのは、単なる気まぐれではない。


「先に言っておくが……詠術士としての君は信頼している。だがあまり変なことは教えてくれるなよ」

「わかっている。ことを伝えるだけだ」

「それが不安なんだけどね……」


 しれっと頷くアレクサンドラを前に、ヴィンセントは溜息をこらえきれないでいたのであった。


 ◆


 旅路は続く。やがて道のまわりは緑に囲まれはじめ、荒れ果てた大地はその割合を減らしていった。

 給金都市同士をつなぐ街道からは逸れるものの、ヒャグザへの道は比較的しっかりとしたものであった。二人はそう苦労することもなく、目的地へと辿りつく。


 ヒャグザは、ヴィンセントが語ったとおりに緑豊かな街であった。

 給金都市のようなにぎやかさ、忙しさはここにはない。誰も彼もが穏やかに、ゆっくりと動いている。森と湖から得られる豊富な資源が、この街に余裕を与えている。


 二人は鉄動馬オートホースを揺らし、街はずれへと進路をとった。

 山間から街に入り、反対側まで通り抜けた先には湖が広がっている。ただの湖というには規模が大きく、反対側は水平線の向こうに隠れるほどの広さがある。


「さぁ、そろそろだ」


 湖のほとりにそって進むことしばらく。やがて、一軒の屋敷がひっそりと佇んでいるのが彼らの目に入った。

 ヴィンセントが鉄動馬を止めるのを見て、アレクサンドラも倣う。彼の先導で屋敷に入ろうとしたところで、彼らに声をかける者が現れた。


「まぁ、坊ちゃん! お帰りになられるのならば、先に便りをくれればよかったのに!」


 ヴィンセントが苦笑とともに振り向いてみれば、そこには水汲みの桶を抱えた恰幅の良い女性がいた。彼女はしばらく目を丸くしていたが、笑顔へと変じるや幅のある体を揺らしながらヴィンセントへと突進する。


「はは。ただいま、マーサ。しかし何度も言っているだろう、坊ちゃんは止めてくれと。今は客人もいるんだ」


 ヴィンセントは腕を突き出して彼女の突進を止めてから、背後を指し示す。アレクサンドラが小さく会釈するのを見て、マーサはさらに上機嫌になったようだった。


「あらあら、まぁまぁ! 坊ちゃんがお友達を招かれるなんて、珍しいこともあるものですねぇ。こうしてはいられない、少しお待ちくださいね、すぐにお嬢様をお呼びしてきますから!」

「……マーサ、だから止めてくれと……ああもう、いってしまった」


 自身の重量を無視したような軽やかな動きで屋敷へと駆け込んでいった女性の背へと、ヴィンセントは深いため息を投げかける。


「使用人か。やる気があっていいじゃないか」

「茶化さないでくれ。マーサは僕たちが小さい頃からずっと、うちに仕えてくれていたんだ。おかげでどうにも、未だに子ども扱いが抜けきってくれない」


 肩をすくめて歩き出すヴィンセントをぼんやりと眺め、アレクサンドラは目を細める。

 かつて両親を殺される前までは、彼女の家にも数多くの使用人がいた。皆勤勉で、令嬢であるアレクサンドラを可愛がりよく世話をしてくれたものだった。しかしそれも、家の没落に伴って全員が散り散りになってしまった。

 その後のことは、放浪の旅に出たアレクサンドラには知る由もない。それでも皆有能な者たちであったから、いずれ苦労なく新たな職についたことだろう。

 その時、外套の懐から使い魔の猫ブラットリーが顔を出し、肩へと飛び乗った。


「主よ、昔の思い出に浸っている時ではないぞ」

「わかっている。少しだけだ」


 彼女は過ぎりかけた想いを、首を振って追い出した。彼女がいるべき場所は、過去ではなく現在と、未来にある。

 彼女はブラットリーを一撫でしてから、ヴィンセントの後を追った。


 ヴィンセント家の屋敷は、旧大陸の貴族たちのそれに比べればいくらか簡素な装いをしていた。

 そもそも旧大陸における貴族の屋敷とは、家の格を表す要素のひとつである。それを簡素にとどめようというものは、まずいなかったのだが。

 発展途上の新大陸にある屋敷としては、これでも十分に豪勢といえよう。賞金稼ぎバウンティハンターとしてのヴィンセントの活躍ぶりがうかがえる。


「イライザ、いま帰ったよ!」


 彼が呼びかければ、応じるようにぱたぱたと足音が響いてきた。すぐに、奥から一人の少女が駆け寄ってくる。

 ふわふわとした髪が勢いにあわせて跳ね、背で揺れている。ヴィンセントを幼くして、活発さを多分に注ぎ込んだようなその少女は、まっすぐにヴィンセントの腕の中へと飛び込んでいった。


「兄さん、お帰りなさい! 今回は早かったのね!」

「ああ、ちょっと色々とあってね。エリザベスイライザにも話したいことがあって、帰ってきたんだ」


 腕の中で不思議そうに首を傾けた妹を放し、彼は背後の人物を紹介する。


「それと、客人がいるんだ。こちら、ジョン・ダーレル」

「よろしく」


 アレクサンドラが小さく挨拶をすると、少女はびっくりしたように目を丸くした。

 さもありなん、アレクサンドラは埃まみれの外套をひっかけ、帽子を目深に被っている。さらに腰にはガンベルトがあり、肩には何故か猫がくつろいでいるのだ。

 賞金稼ぎとは胡散臭い人物が多いといわれるが、中でも随一の部類に入るだろう。


 しかしそこはさすがヴィンセントの妹。少女はすぐに姿勢を正し、優雅に一礼する。


「お初にお目にかかります! 私はエリザベス・ヴィンセント。留守がちな兄に代わり、このヴィンセント家を取り仕切っています!」

「ジョン・ダーレルだ。しばらく世話になる、よろしく」


 無頼で通すアレクサンドラに対して、エリザベスのふるまいにはある種の高度な教育が見て取れる。


「旧大陸の、貴族式か。屋敷はこちらで用意したもののようだが、やはりそういう家系なのだな」

「まぁ、とうに没落しているけどね」


 アレクサンドラのつぶやきを耳に、ヴィンセントは何でもないように肩をすくめた。

 没落貴族など、珍しくもないものだ。旧大陸には腐るほどいて、そういった輩が新大陸に大挙して流れ込んだのも、そう昔の話ではない。

 エリザベスは、そんなアレクサンドラをじっと見つめていた。


「もしかして、あなたも……?」

「イライザ」


 それを、ヴィンセントがやんわりと遮った。


「あっ、ごめんなさい。変なことを聞いてしまって」

「気にするな。確かに、私も似たようなものだ。だからこそ来たようなものだしな。とはいえこれではっきりした。お前が詠術士の技である、使い魔ファミリアを持っていた理由がな」


 ヴィンセントの使い魔である梟のドリーは、今はエリザベスの肩に止まっている。周囲の注目などそ知らぬふりで、翼の毛づくろいに熱心な様子だった。

 その時、奥からマーサがドスドスと体を揺らしてやってくる。


「皆様、お茶の準備ができましたよ。さあさ、坊ちゃんもそのようなところで話し込んでいないで。お客様も長旅でお疲れでしょうに」

「ふふ、期待していてくださいね! マーサの作ったお菓子はおいしいのよ」

「そうか。ならば遠慮なく」


 楽しげなエリザベスを先頭に、一行は屋敷のテラスへと移動する。そこにはマーサが用意したのであろう、茶器と菓子類が用意されていた。

 ヴィンセントとアレクサンドラはさっと埃を払うと席につく。

 そう礼儀にうるさい場でもない。めいめいに茶と菓子を楽しみ始めた。


「ねぇ、兄さん。今度はどれくらいいるの?」

「そうだな。今度は少し長くいようかと思っている」

「そうなんだ! じゃあ、また銃の扱いを教えてよ!」

「……イライザ。確かに護身の方法は教えたが、あんまり銃の練習などしてもな」


 キラキラと期待のこもった眼差しで見つめられるも、ヴィンセントは渋った。

 使用人と暮らすうえで最低限必要な護身術として銃の扱いを教えたが、彼の妹がこうも興味を示すとは予想外であった。


「いいじゃないか、ヴィンセント。お前ほどの腕があれば、良い教師になるだろう」

「君ね、無責任な。何も、イライザが銃に通じる必要なんて……」

「そんなことはないわ。確かにこの街は穏やかだけれど、いつ何が起こるかわからないもの!」

「ううむ……」


 旗色が悪いと感じたヴィンセントは、話をそらしにかかる。


「それよりもだ、イライザ。僕よりもこちらのジョンに教えを乞うといい」

「ダーレルさんに? どうして?」

「彼は僕の客ではあるが、おまえにも関係してるからさ」


 エリザベスは不思議そうに何度か瞬いた後、何かに気付いてアレクサンドラに振り返った。


「もしかして……詠術士なの?」

「ご名答」


 アレクサンドラは、カップを戻すとうなづいて見せる。エリザベスの好奇の瞳が、しっかりと彼女を捉えた。


「僕も、イライザもある程度は魔術を知っている。だがほとんどが独学だ、どうしても抜けは多い。そこにきて彼は、かなり魔術に詳しい。実際に見せてもらったしね。……」


 兄の言葉を聞いたエリザベスの視線に、尊敬が上乗せされる。


「そこで彼に、おまえの教師についてもらおうと思う。彼から魔術について学ぶのはどうだ? イライザ」

「私も道半ばの身の上だが、伝えられることもあるだろう」


 エリザベスは一も二もなく頷く。


「はい! ダーレルさん、よろしくお願いします!」

「ジョンでいい。期間の問題もある、全てを教えるとはいかない。だが報酬が出る以上、手は抜かないと約束しよう」


 アレクサンドラはゆっくりと手を伸ばし、それをエリザベスががっしりと掴んだ。

 彼女が嬉しそうにぶんぶんと手を振っていると、マーサが菓子の追加を抱えてやってくる。


「まぁまぁ、イライザ様に教師をつけてくださるなんて、さすがは坊ちゃんでございます。これは先生を歓迎いたしませんとねぇ、今夜の夕食は腕によりをかけますとも。あっ、その前に先生のお部屋をご用意しないといけませんね。では少し失礼いたしまして」


 側に控えて彼らの会話を聞いていたマーサは、ほくほくとした笑顔を浮かべながら猛然と動き出していた。

 恰幅の良い後姿は、あっという間に廊下の向こうに消える。


「あー、なんだ。支度は彼女に任せるといい、ジョン。それではイライザのことを頼むよ」

「承った。ヴィンセント、お前は報酬を用意しておいてくれればいい」

「……こんな時までいわなくとも、わかっているとも」


 額を抑えて椅子に沈み込んだヴィンセントをよそに、エリザベスはこれからの生活に思いを馳せて舞い上がっている。

 アレクサンドラはそんな二人を見て、小さく笑ってカップを傾けたのだった。


 こうして彼女は、ヴィンセント家に厄介になることとなったのである。


 ◆


 アレクサンドラがやってきた翌日。さっそく、第一回目の授業が開かれる。教師はアレクサンドラ、生徒はエリザベス一人の個人授業だ。


 ここヴィンセント邸では普段、エリザベスとマーサが二人だけで暮らしている。

 そのため使っていない部屋の方が多く、空き部屋には困らないのだ。マーサは素晴らしい手際でもってそのうち一室を整理し、即席の教室を用意していた。


 古ぼけた黒板があるだけで、後は本人たちがいるだけの簡素な形式の授業である。そこに、エリザベスが一冊の古ぼけた書物を抱えてやってきた。


教本テキストか。なるほど、これで基礎を修めたんだな。あとは君の実力を知りたい。いくらか魔術を見せてくれ」

「はい、先生!」


 目を通したアレクサンドラが頷くと、エリザベスはうきうきとした様子で硬貨を手に取った。


「銅を供に願う。空よ震え、伝えよ……」


 透き通った声が、呪紋オーソワードを紡ぎ出してゆく。エリザベスの手の中の硬貨が溶けるように消え去り、確かな魔術をこの世界に放った。

 彼女の魔術をいくらか見て、アレクサンドラは小さく拍手を送る。


「呪紋詠唱の発音がいい。発動が正確になる、確かに君は詠術士に向いているな。あとは、呪紋自体が少々教科書通りすぎるきらいがあるが、身についているなら問題はない」

「はい! 幼い頃に、お母さんから教えてもらったんです!」


 誉められたことで、エリザベスは嬉しそうにはしゃぐ。

 アレクサンドラは、わずかに目を細めた。エリザベスに魔術を教えた母親がその後、どうなったかを考える必要はない。この家には彼ら兄妹だけと使用人だけが暮らしている。それが全てだ。


「……私も昔、父と母に魔術を習った」


 ぽつりと呟いた言葉をとらえ、エリザベスははっとした表情になった。

 アレクサンドラは視界の裏に、かつての景色を思い出す。机の上に寝そべっていた使い魔ブラットリーが身を起こすのを片手で押さえた。


「発音は、私も特に厳しく教えられた。呪紋と対価こそが、魔術の根幹だ。これを誤ることは未熟の証であると」

「はい……はい! 私もです!」


 エリザベスは、ふと気づく。アレクサンドラはあまり表情の変わらない人物であるが、その瞳は驚くほど表情豊かであることに。

 視線のなかには、確かに優しい気配があった。


「今の私は見ての通りの根無し草だが、この技を、いずれ誰かに伝えて残したいと思っている。あの時の父と母と、同じように。せっかく受け継いだ技術が私とともになくなるかもしれないのは、心残りだからな」


 瞬きと共に表情を戻したアレクサンドラが、しっかりとエリザベスを捉えた。


「まずは手始めに、君にだな」


 それから、確かに笑みを浮かべたのを見て。エリザベスも華が咲くように微笑んだ。


「はい、よろしくお願いいたします!」


 ◆


「……ジョンのやつ、なかなかどうしてしっかりと教師じゃないか。ちょっと心配だったけど、これなら任せられそうかな」


 その頃、部屋の外で会話を聞いていたヴィンセントが、そっとその場を離れていった。

 アレクサンドラジョン・ダーレルの詠術士としての腕前こそ疑ってはいないが、これまでに目にしたあまたの無茶が脳裏をよぎる。

 とんでもない方向に走り出すようなら彼が口を挟まねばならないと考えていたが、先ほどの会話を聞く限りでは大丈夫そうに思えた。何より彼は、そう感じた自分の直感を信じることにした。


「さて、銀騎士シルバーナイトの支払いにジョンへの報酬。さすがにちょっと、たくわえが心配だ」


 ヴィンセントの足取りは、そのまま屋敷の外へと向かう。


「あら坊ちゃん。お帰りになったばかりなのに、またお出かけですか?」

「ああ、マーサ。彼はちゃんと教師をしてくれるのだから、報酬を用意してこないとね。稼ぐために、仕事のあたりだけでもつけてくるよ」

「ご夕食は皆でとりますから、夕刻までにはお戻りくださいね」

「わかった。ではいってくる」


 使用人の礼に見送られながら、ヴィンセントは街中向けて鉄動馬を走らせていくのだった。


 ◆


「……報告を」


 暗闇の中に、数多くの気配だけがある。光射さぬ闇の底で、それらは確かにさざめきあっていた。


「先日のを加え、成長は最終段階に入りました」

「あと一歩で、至ることかないましょう」

「しかし、それだけに次はより強力なが必要になると」


 場に満ちる、大地そのものが唸るかのような低い振動。その中で、囁き声は確かな意味を成す。


「獣か」

「智慧なき獣では、至れませぬ」

「やはり、人」

「やはり……詠術士」


 囁きが消える。闇の中の何者かは、次の言葉を待っていた。それらの造物主による、絶対の言葉を。


黄金きんの、巨兵を」


 果たして、託宣は下された。それらは高揚し、造物主の求めるものを探る。


「クリストファー・ヴィンセント。詠術士であった両親を失い、家は没落。その後、幼い妹を抱え新大陸に渡ってきた」

「その後は年若くして賞金稼ぎとして名をはせ」

「仕事を任せるには有能な男。詠術士としては少々小粒かと思われた」

「だが、だがしかし。あの黄金の銃鉄兵ガンメタル

「あのようなものが、この新大陸にあろうとは」

「あれは旧き巨兵。原初の銃鉄兵に連なるモノ。旧大陸でも、古い家系にしかありえぬモノ」

「ひとかどの詠術士にしか操れぬモノ」


 囁きと唸りが混ざり合う空間に、意思の流れが満ちる。やがてひとつの声が、流れ至る先を指し示した。


「奴は札を伏せていた……あれを従えるならば値する。神の栄誉に値する」

「御意」


 気配は蠢き、その場から去ってゆく。それらはただ忠実に、造物主の求めるものを得るべく動き出したのである。


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