第十九幕「黄金の輝きは、金庫から現れる」
衝撃走り、土煙に包まれる大混乱のただなかを、一匹の猫が駆け抜けてゆく。
目指す先には、砦の中庭に着弾した何ものかの影。濃く立ち込める土煙をまったく苦にした様子もなく、猫はまっすぐに辿りついた。
砂霞む中にたたずむ、
その根元で、猫ブラットリーは、表面のある一点をじっと見上げていた。そこに描かれているのは、ウィットフォード家の紋章である。
「久しいな……参るぞ」
髭を揺らし、ブラットリーは身軽に駆けあがってゆく。そうして、迷わずに紋章の中心へと飛び込んでいった。
◆
「なんだ……こいつ。動き、出すのかよ!?」
空間に満ちる鼓動が、急速に高まってゆく。
呼応するように金色の光が激しく走り、すぐにそれは沸き立つ大地によって覆い隠された。
着弾の衝撃により吹き飛ばされていたならず者たちは、響く奇妙な鼓動に急かされ、よろよろと起き上がっていた。
コリーは目を凝らし、すぐ近くで動き始めた何ものかの正体を見極めんとしている。
「こいつは、銃鉄兵なのか。いや、待て……なんだ。で、でかいぞ」
唖然と、見上げる。彼だけではない。それを目にした、全ての者が息を呑んだ。
低い軋みを響かせながら影は動き、立ち上がる。
屹立する、巨大な人型の影。
それは、間違いなく銃鉄兵であった。しかし、だからこそ。銃鉄兵としては桁外れな巨大さが、恐るべき異常を伝えてくる。
いまだ土煙収まらぬなか、その正確な大きさは判然としない。目測で、通常の銃鉄兵の三倍は下回らないだろうと思われた。
「おいおい、冗談きついぜ! いったいどこのどいつが、こんな馬鹿げた代物を……!」
言いながら、コリーは徐々に後退っていた。それは、周りのならず者どもも同様だ。
なぜなら、これほどまでに巨大な銃鉄兵が歩きだせば、何が起こるか――。
その巨大な銃鉄兵は、足元などまるで気にせず脚を持ち上げた。そのまま前に出して、降ろす。
ただ一歩を踏み出した、それだけで大地を衝撃が駆け抜けた。砲撃が叩きこまれたように土煙が吹きあがり、振動がならず者どもの尻を浮かせる。
「こんなもん、命がいくつあっても足らねぇぞ!!」
あまりにも馬鹿げて、圧倒的な、何ものか。
通常の銃鉄兵同士ですら、足元にいるのは自殺行為と言われる。それが、これほど大きく重い機体の近くとなればなおさらだ。
ならず者どもの顔から、血の気が引いていった。
「賤民風情が、図体ばかり大きいからと調子に乗りおって、この銀騎士に逆らうか!!
対照的に、顔を怒りで染めた
――撃ち、穿ち、破壊せよ。
単純で絶対的な破壊の言葉を受けて、ならず者の銃鉄兵は一斉に動きだした。
機械に恐怖心はない。ただ主命に忠実に、銃を構えて一斉に撃ち放つ。もはや正確な狙いすら必要ない、どこに撃っても当たりそうなほどに、相手は巨大なのだから。
巨大な銃鉄兵の全身に、銃撃が浴びせかけられる。
スクトゥムを盾ごと破壊した銃弾の嵐をまともにくらいながらも、巨大な銃鉄兵は小動ともしなかった。
恐るべき頑丈さである。
「小癪な。だが図体なりにのろまなようだ。頑丈さが自慢のようだが、いつまでも無事とはいくまい」
彼の表情から怒りがひき、代わりに嗜虐的な笑みが浮かぶ。
この巨大な銃鉄兵は、間違いなく極めて高度な魔術の産物ではあるが、それだけでは脅威足りえない。
たとえどれほど頑丈であろうとも、いつかは壊れるものなのだ。
ならず者の銃鉄兵たちは、命令を忠実に実行する。銃を再装填し、再び攻撃を加えようとして。
今度は、それに先んじて巨大な銃鉄兵が、動き出した。
それは大きく腕を振り上げると、ならず者の銃鉄兵に対して、なんの工夫もなく拳を突き出したのである。
銃鉄兵同士の戦いにおいてほとんど意味がないと言われる、直接打撃。だがそれも、同じ大きさなればこその話だった。
図体の割に異様な速さで振るわれた拳が、ならず者の銃鉄兵を、捉える。
圧倒的な重さを持つ鋼の拳が、真正面から胴体を打ち据え。鈍くどこか間のぬけた音を残して、ならず者の銃鉄兵らしきものが砂塵の彼方へと姿を消した。
らしき、と表現したのはそれが、一撃を受けただけで陶器のように割れ砕け、形を歪めていたからだ。
「なん……。うっそだろぉ……反則じゃねぇか」
もはや、ならず者たちは唖然とするばかりだった。
何よりも先に、ただ馬鹿馬鹿しいという思いがやってくる。
一方的。あまりに一方的だった。それはまるで、生身の人間と銃鉄兵が戦っているかのような光景だ。
荒野に生きる者なら、誰だって知っている。人が、生身で銃鉄兵に勝つことは、決してあり得ない。
そして彼らは気付いた。つまりこれも、同じことなのだと。
銀騎士が、
それは、配下に戦法の変更を命じた。
ならず者の銃鉄兵が、銃を構えたまま走り出す。攻撃を受けないよう、距離を取ろうとして。
土煙の中に、黄金の光が走った。
ぼやけた景色の中で、黄金の光を放つ照眼だけがはっきりと見える。
巨大な銃鉄兵が、猛然と動き出す。有象無象の抵抗などまったく歯牙にもかけず。その身に秘めた圧倒的な力を振るう。
一歩で距離を詰め、拳を突き出す。あっさりとならず者の銃鉄兵の速度を上回り、鈍い打撃音が次々と響いた。
そのたびに銃鉄兵が屑鉄と化してゆく。
ならず者の銃鉄兵は、走りながら銃撃し応戦する。そこに向けて、蹴りが繰り出された。
より強力な遠心力をまとった蹴りを受けた機体は、瞬く間に森の向こうまで吹っ飛んでゆく。
たかが七、八機の銃鉄兵など何ほどのものか。
暴虐なる破壊の嵐が吹き抜けた後。その場に動く銃鉄兵は、たったの二体だけとなっていたのである。
「ばっ……馬鹿な! なんだ……いったいなんなのだ!? 私の、私の
ライナス卿が、じりじりと後退る。
意味の分からない出来事が、目前で起こっていた。
これはもはや戦いなどとは呼ばない。鼠を掃うかのごとき――作業だ。
彼は手足の戦慄を、歯を食いしばって耐えようとしたが。眼前に恐ろしく重たい足音が突き刺さり、その努力を放棄した。
恐る恐る顔を上げてみれば、見上げることすら困難な高みから、黄金に輝く双眸が彼のことを見下ろしている。
「私は認めぬぞぉぉぉぉ!! 下郎ごときがぁぁぁぁ!!」
彼の叫びに呼応して、銀騎士が前に出る。
古びていながらも、俊敏で力に満ちた動き。片手には銃を、片手には剣を抜き放ち、巨大な敵へと立ち向かう。
そんな奮闘も虚しく。巨大な銃鉄兵は、無感情に拳を振り下ろした。
銀騎士が。あらゆる銃鉄兵を統べる、支配者たる存在が。
抵抗すら許されず、巨大な拳の一撃を受け、頭のてっぺんからめしゃりと潰されたのである。
◆
気付けば、砦には風音だけが残っていた。
ならず者どもは戦闘の余波を受け全員が吹っ飛んでいる。さらに、その銃鉄兵は全て破壊されてしまっていた。
たった一機の巨大な銃鉄兵の前に、銀行強盗団は壊滅したのである。
そんな呆気ない幕切れを目にして、ヴィンセントとハリーは、言葉もなくへたり込んでいた。
開いた口に砂が入り込んでくるが、それすらしばらく気付かないまま。やがて突然咳込み、彼らは正気を取り戻す。
「ゲホッ、ペッ! うぇっ。ああちくしょう。なんなんだよ、どうなってんだよこりゃあ!」
「……銃鉄兵にあんな大きさは必要ない。異常な……。それに、突然現れて。いや、君が喚び出したんだ。そうなんだろう、ジョン・ダーレル!!」
ヴィンセントが、ゆっくりと振り返る。
二人とは違い、
「さぁてね。まぁ、そう遠からずだ」
「誤魔化すな、ジョン。君が……その、銃から黄金を撃った。そうしたら空中に呪紋が現れたのだから。いったいどんな……」
「ヴィンセント」
アレクサンドラが名を呼び、その言葉を遮った。ヴィンセントは気付き、唇を引き結ぶ。
「……そうだな、すまない。賞金稼ぎに、詮索は無用だったね」
ここで彼女を問い詰め答えを得たところで、それで何かがあるわけではない。必要なのは、彼女の切り札が彼らの窮地を救いだしたという、事実だけである。
力なく座り込むヴィンセントの前に、手が差し出された。
彼が顔を上げれば、アレクサンドラが手を出している。彼はその手を見つめ、しばらく迷い。そのうちに、思い切ってその手を掴んだ。
掌に伝わる、奇妙に柔らかな感触。
一瞬、ヴィンセントの脳裏を疑問が過ぎるが、それを直後の言葉が吹っ飛ばした。
「何を勘違いしているんだ。約束通り、一〇万ダレルを払え。まぁ、二人いるのだから、一人五万ダレルずつだな」
「あっ。うげぇっ! クソ、本当に取り立てるのかよ、お前!!」
「当然だろう」
ハリーがぎょっとして立ち上がった後、すぐに再びへたり込んだ。
アレクサンドラは涼しげな顔で切って捨て、それから一応とばかりにヴィンセントを引っ張る。立ち上がった彼は、なぜかとても疲れた表情を見せていた。
「……………………今すぐには、持ち合わせがない。この件を片付けてからで頼む」
「それは仕方ないな。バックレるなよ、逃がしはしない」
彼は長い長い溜息を吐き出し、それでもなんとか頷くことに成功する。
「こうしちゃあいられねぇ。銀行強盗どもをふんじばらないと! 大損じゃねぇか!」
それから彼とハリーは顔を見合わせ、飛び出していったのだった。
◆
賞金稼ぎたちは手分けして、中庭のあちこちに転がっているならず者どもを縛り上げていった。
その中には、賞金首の筆頭であるアントン・アイザックスと、その息子であるビルとコリーの姿もある。
あれだけ巨大な銃鉄兵が存分に暴れまわったのだ、巻き込まれて死んでいてもおかしくはなかったが、なかなかどいつも悪運強いようである。
逃げられなれないようにならず者どもを入念に縛り上げてから、ハリーは手配書片手にその顔を確認していった。
「ええと、賞金額の高い奴から数えていって…………。ようし!
必死だった。
その間、アレクサンドラは少し離れたところで、破壊された銀騎士を調べていた。
それは重要な部位である頭部を粉々に破壊されており、手足もひしゃげたひどい姿である。一応、うっすらとでも形をとどめているのは、さすが銀騎士であると誉めるべきところだろうか。
調べるまでもなく、それが完全に破壊されていることを確かめて、彼女は重い息を吐いた。
「……これを壊してしまうのは、少し惜しかったかもな」
腕を組みながらぼやけば、足元から不満げな声が返ってくる。いつの間にか、そこにはブラットリーが寄り添っていた。
「主よ。なるべく早く終わらせるためだ。それとも、もっと長く戦ったほうが良かったか」
「それはだめだ、足が出る。……いたしかたあるまい。だが残骸でも金になるだろう」
彼女は前向きに考えて頷き、足元にいた猫は面倒くさそうに尻尾をまるめていた。
そこにヴィンセントがやってくる。彼女の隣に並び、残骸を見上げた。
「これが銀騎士か。古びた見かけにかかわらず、恐ろしい敵だった。そういえば、これの
「む。そういえば見かけなかったな」
彼女が首を振る。その興味は徹底して、金になるものにしか向かない。彼は呆れて黙り込んだものの、すぐに何かに気付いて周辺を調べ始めた。
「死体が、ない。巻き込まれたわけではないのか。……おい! お前たち、こいつの
問いかけられ、縛り上げられたアントンが面倒くさそうに答えた。
「知るかよ。俺ぁ、お前らが一緒に吹っ飛ばしちまったとばかり思ってたぜ」
普通に考えれば、そうだろう。巻き込まれただけのアントンたちとは違い、銀騎士は直接狙われたのである。
しかしヴィンセントは目つきを鋭くし、もういちど周囲を入念に調べあげた。
そうしてついには、砦の外へと向かう足跡を発見したのである。
「やはり、生きている! 銀騎士を扱えるのは、
「なんだと。手配書で目立っていたのはそこのアイザックス一家だ。そいつなぞ、見つけたところで安いぞ」
アレクサンドラの言うとおり、金のためならばこいつを追いかける必要などない。だが、ヴィンセントの目的はそればかりではなく。
「詠術士は強力な存在だ。君を見ていると特にそう思う。だとしたら、こいつは野放しにしてはおけない。いつどこで、また同じような事件を起こすかもしれないんだ」
「銀騎士はとにかく高価だ、現代では廃れるくらいにな。二度とは手に入るまい。気にしなくともよいのではないか」
「詠術士ならば、
「そのほうが、賞金が上がるかもしれないな……」
その時である。風音に、低い唸りが混じりだした。
ヴィンセントは慌てて耳を澄ませ、その源に辿りつく。それは、銀騎士を破壊した後動きを止めていた、巨大な銃鉄兵からだった。
躯体の中心から、地鳴りのような音が響いてくる。
やがてそれは、全身を身震いさせるように動かし始めて。見る間に、全身いたるところから崩壊を始めた。
「お、おい……どういうことだ!?」
全員の動揺の先で、巨人の崩壊は続く。腕が落ち、足が崩れ、頭が風に吹かれ消える。
その巨体を構成していた要素がどんどんと剥がれ落ちてゆき。やがて雪崩のように、一斉に地面へと落ちた。
再び、土煙が巻き起こる。
巻き込まれた者たちの悲鳴が混じる中、中心部から金色の光が漏れ出した。
土煙の覆いの中に、金の光を循環させる何かが垣間見える。
それは素早く、小さくまとまると、天へと向かって飛翔した。まるで砲撃が放たれたかのように一直線に空へと上がったそれは、あっという間に雲間に姿を消す。
誰もが唖然とした面持ちで、それを見送った。
「本当に、一体何なんだ……」
砂に霞む空の向こうを見つめていたヴィンセントに、声がかかる。
「仕方ないな。行くぞ、ヴィンセント」
彼は、意外そうな表情で振り向いた。アレクサンドラは先ほどまで行くのを渋っていたはずである。
「ごくわずかであっても、賞金は増やしておかないとな。主にお前たちのために」
納得を得るとともに、彼はとてつもなく渋い表情を浮かべたのであった。
◆
黄金の軌跡を残し、巨大な銃鉄兵が雲間へと消えたころ。
ライナス卿は、名もなき砦の周囲に広がる森の中をひた走っていた。お世辞にも足が速いとは言えない。
踏み出すたびに恰幅の良い腹が揺れ、けひゅうけひゅうと呻きが漏れる。
森の中に開けた場所についた時、彼はもはや息も絶え絶えの様子であった。
「嘘だ、私の! 私の
一度足を止めてしまえば疲労がどっと押し寄せ、すぐには動き出せそうにない。
彼は、こらえきれない怒りも露わに地面を殴りつけた。
そこに、そっと猟犬が寄り添い、鼻先をすりつけた。ライナス卿がこうして逃げおおせたのは、この使い魔のおかげである。
とっさの機転で、銀騎士が破壊される直前に分離した使い魔が、そのまま主を連れて逃げ出したのだ。使い魔にとっては、あらゆる場面で主の身命が優先される。
だが、ライナス卿は己の使い魔を殴りつけた。
「……貴様が! 銀騎士を……我が家の誇りを! むざむざと壊されおってぇ! なんたる失態か!! そもそも、あのような下賤のものに敗れるなどと……!!」
猟犬が、許しを請うように伏せた。ずっと昔から、主が癇癪を起すたびにこうして凌ぐのが常である。
そこに向けてひたすらに罵声を浴びせ続けていたライナス卿だったが、やがて息を荒げて黙り込んだ。単に、体力の限界である。
「………………!!」
その時、猟犬が何かに気付いて顔を上げた。すぐに立ち上がると、主の前に立ち低く唸る。
異常を感じたライナス卿が、その先へと目をやると。さくり、さくりと砂を踏みしめて。彼らの前に、一人の男が現れた。
荒野に生きる荒くれが、上等な仕立ての服を着ていることなど少ないが。それでも、その男はひどい風貌をしていた。
帽子を目深に被り、襤褸けた外套でその身をくるむ。さらに顔面には襤褸布が巻きつけられており、表情は杳として知れなかった。
「貴様……アイザックスの手下ではないな。ならば
「御名答ダ」
低い声で答え、男――クレーンは微かに襤褸布を歪ませた。笑っているのだろう。
ライナス卿は疲れた体に鞭打って身構えた。賞金稼ぎが狙うものは、賞金首。つまりは、彼の命なのだから。
「……賞金が欲しいのなら、砦に向かえばいい。い、今ならアイザックス一家があちらにいる。そちらのほうが、はるかに儲かるぞ」
「イイや、関係ナい。私ガ興味アルのは、オ前の首だけダ。ココデ、もライうけル」
クレーンが淡々と答えると、ライナス卿はなぜか表情を笑みの形にゆがめた。
「くくく。はたして、首を狙うのはどちらかな……」
ほぼ同時に、軽やかな足音を残して影が疾駆する。
話している間に死角へと滑り込んだ猟犬が、生来の敏捷性を生かしてクレーンへと飛びかかった。
鍛えられた身体能力と、使い魔としての高い知性。それらを動員し、正確に喉元を狙って食らいつく。
猟犬の牙がクレーンの首元へと食い込み、ブチブチと何かがちぎれる音が響いた。
「賞金稼ぎめ! ベラベラと話しおって、うすのろがっ!!」
ライナス卿は勝ち誇った笑みを浮かべ。腰の銃を抜き放つや、クレーンの脳天を撃ち抜く。
帽子が宙を舞い、クレーンは襤褸布を散らしながら、大きくのけぞった。
「首を失うのは、どちらの側だったかな。くははははっ……!」
高笑いを上げるライナス卿の目前で、賞金稼ぎの体が傾き倒れてゆく。
額に穴を開けられて生きている人間などいない。この時ライナス卿は、勝利を確信していた。
だが、クレーンの躯体は。傾きながらも宙に手を伸ばし――急に意志の力に満ちて、喉に食らいついたままの猟犬の首をつかんだ。
およそ死に瀕した人間とは思えない、強烈な膂力だ。猟犬は身をよじるが、まったく逃れることができず。
やがてライナス卿が呆気にとられて見ている中、もがく猟犬の首からゴキりという音が鳴り響いた。
猟犬の四肢から、急に力が抜け落ちてゆく。
同時に、ライナス卿の心底から、急激な喪失感が湧き上がってきた。
「はっ……くは、き、きさ……ま……何故だ。脳天、を……!!」
胸を抑えてうずくまる彼の前で、クレーンは不自然な体勢のまま笑い声を漏らす。
彼はなおさらに腕に力を籠め。自らの喉に食らいついたままの猟犬を、力任せに引きはがした。
その瞬間、ライナス卿は目撃した。
剥がれたのは、猟犬だけではない。そのまま、クレーンの首ごと、ちぎれ落ちたのだ。
だらりと力の抜けた犬の死骸と、自らの頭部を無造作に放り捨てて。首のない賞金稼ぎが、幽鬼のごとき足取りで近づいてくる。
ライナス卿は、直前の喪失感を上回る恐怖心によって支配された。
彼は力の入らない身体を叱咤して、必死に後退る。目の前の異常な存在から少しでも距離をとるべく、みじめに、無様に這い回る。
直後、彼は腹部に強烈な熱を感じて動きを止めた。
彼がゆっくりと顔を上げれば。賞金稼ぎの手に、唱煙たなびく拳銃が握られているのが目に入る。
「残念ダッタな、
ライナス卿は、それに何かを言い返そうとして。代わりに口から血塊を吐き出した。
自らの血に染まった手を震えながら伸ばし、何かを掴もうとして。やがて力を失い、崩れ落ちる。
「キキキ……。コレで、我が主もオ喜びになられるダロウ。ソレに」
事切れた詠術士を前に、クレーンはどこから発しているのかも不明な笑い声を上げ続ける。
「ヨイ土産話モ、デキた。黄金ノ光残す銃鉄兵……アレは、おそらく……」
そうして彼は。外套の下から、肉厚の刃物を取り出していた。
◆
「これは……いったい、どういうことだ」
足跡をたどり追ってきたアレクサンドラとヴィンセントは、その先に一人の男と猟犬の死体を発見する。
おそらくは銀騎士の主であろう、男。
死んでいること自体は、そこまで不思議ではない。だが、問題はその死にざまにあった。
「なんとむごい……殺すにしても、ここまでやる必要はないだろう!」
自らの血をまき散らした、男の死体は。首から上がなくなっていたのである。
獣の仕業とは考えにくかった。首から上だけを喰らう獣など、聞いたこともない。
かといって、人の仕業にするには不自然である。そこにいったいどのような必要性があって、このような蛮行に及んだのか。
憤慨するヴィンセントを他所に、アレクサンドラは無表情で死体を睨み続けていた。
「……頭のない男、か」
「そんなことは見ればわかる! ……くそっ。しかし、これではどうしようもない。なんということだ」
銀行強盗団はひっとらえ、協力者であった詠術士は目の前で死体になっている。事件は解決したはずだ。だが、ヴィンセントの心中にはどこかしっくりとこない部分が残っている。
そうして憤慨していた彼は、気づけずにいた。
「ここに、いたんだな……頭のない男。ついに尻尾を掴んだぞ」
すぐ隣で、アレクサンドラが無邪気なまでに楽しそうな笑みを浮かべていたことに。
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