第十五幕「砂の吹く日に来る客」
それは、風の強い日だった。
クィンガーシュ山脈を越えて吹く乾いた風が、風車を強くまわす。
こんな日は、村の人通りも少なくなる。風が剥き出しの地面を撫で、砂を舞い上げるからだ。
人々は顔を覆い、うつむきがちに歩いていた。もしくは家に閉じこもって、風が収まるまでやりすごすのである。
かつては雄々しくあり、今では捨てられた名もなき砦。
すでに風化著しい城壁が、砂混じりの強風にさらされて悲鳴を上げている。風に吹かれるというより、まるで鑢に削られているかのようだった。
「クソッ、ついてねぇ。なんで俺が見張りの日に限って吹きやがるんだ」
ならず者の一人が、城壁の上を歩きながらぼやきをこぼす。
思えば、彼には以前からツキがなかった。
砦を気晴らしに出てみれば、行先で
挙句の果てにこの風だ。
「ちくしょう、忌々しい砂嵐め! 口ん中がざらざらとしやがるんだよ!」
無性に苛立ち、彼は唾を吐き捨てた。顔に覆いを巻いていても、風は容赦なく砂を滑り込ませてくる。
幸いにもここは水源に近く、水には困っていない。水筒をあおって口をゆすいでから、乱暴に歩き始めた。
「馬鹿らしい。こんな日に見張りを立てたところで、何もありゃしねぇよ!」
そもそも、彼らは銀行強盗団なのだ。
およそ新大陸で最高に難しいとされる犯罪、銀行破りを成し遂げた悪党の中の悪党である。こんなチンケな砦にこもってうだうだとしていてよいものではないはずだ。
そんなまったく関係のない考えが、腹立ちをいっそう強める。
「ケッ、やってられるかってんだ」
ついに我慢の限界に達し、彼は物陰に座り込み始めた。
砂風を避けるにはいいが、見張りとしての用を為してはいない。
周囲には砂が混じり、まだら模様に霞んだ景色が広がっている。そんなものを見回したところで、何も変わりはしまい――。
そんな楽観とともにサボりだした彼のことを、一匹の猫がじっと見つめていた。
◆
「へへへ……来たぜぇ。見てろ、これで取り返してやるからな」
「おっと、その手じゃあまだまだだな。ほら、また俺の勝ちだ」
「ちくしょうが! お前勝ちすぎだろ!」
クィンガーシュ山地の名物ともいえる砂風のなか、ならず者どもは砦の中で思い思いに過ごしていた。
さすがに内部は穏やかなものだ。いかに風化が進んでいるとはいえ、仮にも砦と呼ばれるだけはある。
この名もなき砦は、内部を数多くの小部屋に区切られていた。もしも攻撃を受けた場合を考え、少しでも防御力を高めるためだ。
ならず者たちには適当に部屋が割り与えられているものの、ほとんどが食堂に集まってカードなどに興じていた。
この食堂は、砦に暮らす者たちが利用することを考えて広く作られている。暇を持て余した者たちにとって、格好の暇つぶしの場所となっていた。
「おいてめぇら、なに揃ってうだうだやってんだよ」
「コリー、だがよぉ。こんな日にやることなんてありゃしねぇよ」
アイザックス一家の次男坊、コリーはそんな手下たちをじろりと睨みつけて回る。
彼らは顔を見合わせ、小さく嘆息した。
「チッ、つまらねぇなぁ。また賞金稼ぎでもこねぇかなぁ。したらまた括り付けてぶっ殺してやるのによぉ」
「砂の吹く日に、わざわざやってくるものかよ」
どかっと椅子にもたれかかり、苛々と煙草をふかし始めたコリーをみて、手下たちは小さく笑いあう。
どのみち彼らにコリーの機嫌を上向かせることはできない。気にせず、再び手元に熱中し始めた。
◆
多くの者が集まる食堂から、やや離れた位置。そこに、銀行強盗団のボスであるアントン・アイザックスの部屋があった。
「この砦を出る? どういうつもりだ、親父」
部屋の奥に備え付けられた立派な机――元は砦の指揮官のためのものだろう――に肘をついた
「どうもこうもねぇ、
それを聞くビル自身が、襲撃を受けた身である。
賞金稼ぎたちはどうやってかこの場所のことを嗅ぎ付け、続々と乗り込んできはじめていた。
彼自身は腕に覚えもあるが、手下までそうはいかない。現に、何人か殺られており、戦力はじりじりと減っている。
「それはそうかもしれないが。動くとして、あの数の
銃鉄兵はこの荒野で最強の兵器であるが、それだけに消費も馬鹿にならない。
銃鉄兵を手に入れた賞金稼ぎのなかには、すぐに金欠に陥り動かすこともままならなくなる者も、少なくはない。
それが一〇機もあっては、消費はさらに激しくなる。それこそが、彼らがこの砦を拠点とした理由のひとつであったはずだった。
そんな息子の問いかけに、アントンはゆっくりと首を横に振った。
「そも、そこが間違ってんだよ。何もぞろぞろ全部連れて歩くこたぁねぇ。適当なところで売っぱらっちまえばいいのよ」
「ふむ」
「一度、金に換えちまうんだ。そっから金だけ抱えて遠くまで逃げる。そうだな、ターナトかモッガのあたりにゃ土地が余ってたはずだ。そこらで牛でも仕入れて、後は悠々と暮らしゃあいい」
ビルは腕を組み、しばし思考する。やがて顔をあげたが、そこには未だ否定的な色合いが残っていた。
「だが俺たちは銀行強盗だ。いつ何時、また嗅ぎ付けられるとも知れない。力を手放すことはできない、親父」
「俺たちには、銀行丸ごとの金があるんだぞ。銃鉄兵だって、向こうで買い付けりゃあいいのよ」
彼らが手に入れた金は、死ぬまで飲んで騒ぎ続けるような人生を、数回は繰り返せるほどになる。
銃鉄兵は高額な買い物だが、それだって金さえあれば手に入る類のものだ。金の力は、不毛の荒野にだって奇跡を起こせる。
「どこに落ち着くかはともかく。動いたほうがよさそうなのは確かだな」
父親の話を聞き、ビルの考えが変わり始めてきた。そこで彼は、ある懸念へと至る。
「だが親父。
彼は小太りのいばり屋を思い出して、その端正な顔をゆがめた。
ライナス卿とは一緒に仕事をこなした間柄ではあるが、その能力がなければすでに銃で黙らせている程度には嫌っている。
それはアントンとて似たり寄ったりだ。彼はふむ、と一服を置いてからはたと手を打った。
「もちろん、奴とはここまでさ。……いや、そうだな。数多くの銃鉄兵を必要とするのは、むしろ奴のほうこそじゃねぇか」
何かを思いつき、にんまりと表情を緩めると。
「だったらいっそ分け前ってことで、銃鉄兵は
「……ああ、囮にするのか」
その意図に気付いたビルが目を見開き、アントンは笑みを深くした。
「賞金稼ぎどもが目印にしてるのは、銀行を襲えるだけの数がある銃鉄兵だ。何しろ、どうやったって目立って仕方ねぇからな」
「だったらせいぜい、自慢の銃鉄兵と共にいってもらう、か」
そうして方針を決め、二人は頷きあったのである。
◆
「……だぁれかいませんか? っと。いーませんねぇ? へへ、こいつぁ好都合だ」
その頃、城壁の上には“レイジー”ハリーが顔を出していた。
彼は左右を見回して周囲に人影がないことを確認すると、下に向かって合図を送る。それからいかにも難儀そうに城壁の上へと這い上がり、えっちらおっちら身を低くした。
壁の上はもろに砂風にさらされている、暢気に振る舞うには少々厄介な環境である。
そうして彼が警戒していると、少ししてヴィンセントが上がってきた。
彼は機敏に城壁の上に現れると、やはり同じように身を低くしてから物陰へと滑り込む。
「へへへ。ここまでは上出来だな、“ナイト”の旦那よぉ」
ハリーは砦の中を伺いながら、会心の笑みを浮かべていた。対照的に、ヴィンセントは表情を険しくしている。
「……いや、おかしいぞ。見張りが誰も、いないだって?」
彼は慎重に周囲を見回すが、そこには確かに誰もいなかった。
下調べの時には確かに、城壁の上に見張りを見かけたというのに。いかに砂風の強い日とは言え、不自然さがあった。
彼は口元の覆いをしっかりと巻き直すと、そのまま城壁の上を調べ始める。
間もなく、そこにあってはならないものを発見した。彼は無言でハリーを呼び寄せて。
「おっと旦那ぁ、早業だねぇ。もう殺っちまったのかい?」
「……いいや、僕じゃない」
「んあ?」
表情をこわばらせるヴィンセントを見て、さすがにハリーも何かがおかしいと気づいたようだった。
彼らの視線の先にあるのは、見張りと思しきならず者の死体。つまり、それが意味するところは――。
「僕が見つけた時には、すでにこの有様だった。まずいな、どうやら先を越されたらしい」
「なんだってぇ!? いったい、誰にだよ」
「わからない。ご同業か……誰にしろ。この仕事、どうやら敵は銀行強盗だけじゃなくなったようだ」
――彼ら以外の何者かが、すでに侵入を果たしているということだ。
ここを襲ったことからして、おそらくは賞金稼ぎだろう。だが、同業だからといって味方であるはずもなく。
むしろ限りなく敵対者に近い。
ひときわ強く風が吹き付け、ハリーは慌てて帽子を押さえた。
「ったく、見つからねぇようにさんざんっぱら苦労して回り込んだってのによぅ! 全部水の泡かよ!?」
彼はそのまま頭を抱える。
その苦労の源は、城壁のすぐ外にあった。
彼らがこの城壁に上るために足場にしたもの。彼らの銃鉄兵、シューティングスターとスクトゥムである。
この砦は険しい山の中にある。通常ならば、近づくためには真正面へと続く山道を使うしかない。
だがそれでは見つけてくれと言っているようなものだ。
そこで彼らは、以前から時間をかけて道なき山中を進んできた。そうして苦労の果てに、ごく近くまで銃鉄兵を持ち込んだのである。
後は、時機を待った。
この地方の名物、砦からの見晴らしが悪くなる砂風の日を待って行動を起こしたのである。
そんな周到な準備も、先客の存在によって水泡に帰さんとしていた。ハリーでなくとも頭に来るだろう。
「いいや、まだそうとは限らない」
首を振って懸念を振り払い、ヴィンセントは耳を澄ました。
砂混じりの風が荒れ狂い、低い唸りが満ちている。それ以外の音は、聞こえてこなかった。
「銃声はない、銃撃戦にはなっていないようだ。つまり、先客も密かに動いているらしい。ここから先は早いもの勝ちになる」
彼は懐中時計を取り出し、時を確認する。
もう一人の仲間であるクレーンとは、事前に刻限を示し合わせてあった。時が満ちれば、あちらはあちらで行動を起こす予定である。
「クレーンが始めるまでに、まだ余裕はある。ここで立ち止まることはない」
「へぇクソ。世の中楽なことなんてなんにもねぇな……」
そんなぼやきも、砂風に吹き飛ばされてかき消える。
彼らは無人の城壁を走り、下り階段を見つけて中庭へと忍び込んだ。
奥には銀行強盗団の銃鉄兵が並べられている。消耗を押さえるため、今は動きを止めていた。
見える範囲には、人は誰もいない。彼らは頷きあって走り出すと、素早く中庭を横切り近くの入り口に寄った。
銃を抜いてから、扉を少し開けて中の様子を覗き込む。
太陽明るい昼間だというのに、砦の中は薄暗かった。防御力を優先した壁は窓が少なく、外光がほとんど入らない造りになっている。
そのためランプなどの明かりが必要になるが、強盗団一味はそこまでまめな性格をしていなかったようだ。
入り口から見える範囲には、人影はない。
ヴィンセントがするりと通路に忍び込み、ハリーも周囲を見回しながら後に続いた。
扉一枚を隔てれば、途端に周囲に静けさが満ちる。
放棄されて長いとはいえ、もとは
「見つからないように、確認しながら進もう」
「ほいきた」
いったん銃を腰に戻し、代わりにナイフをいつでも抜けるように準備する。
それから二人は耳を澄ませ、人の気配を探った。静けさを確認し、足音を忍ばせながら進む。
長い通路は侵入者を阻むために曲がりくねっており、呆れるほど小部屋があった。その全てを確認していては、いつまでかかるかわからない。
いちおう扉が開いている部屋だけ確認していく。ヴィンセントが部屋の中を覗き込み、ハリーは周囲を警戒した。
そうして、何個目かの部屋を確認した時のことである。
「……! く、先客の仕業か」
部屋の中には、死体がひとつ転がっていた。ならず者の一人である。
周囲に争った形跡は少ない。忍び寄り、ナイフで一撃のもとに仕留めたのだろう。先客は、かなりの手練れのようであった。
「この様子では、かなり先を行かれているな」
「おいおい、このまま進んで大丈夫か? 逃げるなら今のうちだぜ」
「ひとまず退路を確認しながら動こう……ん?」
その時、ヴィンセントは死体の様子に違和感を覚え、目を止めた。
不自然にめくれ上がった上着の下に、ガンベルトが見える。しかしそこには銃弾が一発も残っていなかった。
彼の知る限り発砲音は聞こえず、銃撃戦は起こっていなかったにもかかわらず。
何かが引っかかると、彼の直感が告げていた。
「先客は、何が目的だ? ……いや、まずは追いついてからか」
漠然と嫌な予感を抱きながらも、彼らは再び先へと進む。
砦には多くの部屋があるものの、実際に使われているのはむしろ少数だった。
それでも時折、扉の開いた部屋があり。
そんな所には大抵、先客が残したならず者の死体が転がっている。先客も、着実に砦のなかを進んでいるようだった。
「! ハリー、生きている奴がいた」
突如としてヴィンセントが足を止め、曲がり角に身を隠した。声を潜めて、ハリーに警告する。
彼らはこの砦に入ってようやく、生きた人間と遭遇していた。
「先客は、ここまではきていないってことか」
「いいやぁ、見張りがわんさかいるじゃねぇか。ここに入ったらもう、派手なドンパチは避けれねぇよ」
そこにいたならず者は、一人ではなかった。
突き当たりは広い部屋になっており、真ん中にテーブルがひとつある。四人ほどのならず者が囲んでカードに興じていた。
部屋の奥には大きな鉄の扉がある。さらにその左右には、ならず者がライフル銃を片手にもたれかかっていた。
おそらく、この場にいるのは扉を警護している者たちだ。
「先客もここは後回しにしたか。見張り付きの場所……だったら何か大事なものがあるのだろう」
「例えば、奪った金とかねぇ?」
押さえた声で話しながら、ハリーがにんまりと笑みを浮かべる。
「先に言っておくがハリー。見つけてもちょろまかすなよ? 相手は
「あいあいわかってらいって。そいじゃまっとうに報奨金をもらうとして……」
そんなふうに彼らが様子をうかがっていると、突如として銃声がこだました。
一発だけではない。連続して鳴り響くたびに、砦は騒がしい気配に満ちてゆく。
ヴィンセントとハリーはぎくりとするものの、銃声は彼らの居場所とは関係のない方向から聞こえてきた。
見張りをしていたならず者どもが腰を浮かし、それぞれに銃を抜いて身構えている。
そこに、別のところからならず者が駆けこんできた。
「おい! お前らも気を付けろ! 向こうで見回りをしてた奴が殺られてた!」
「何ィッ!? クソッ! まさか
「だろうよ。どこだろうと入り込んできやがる! まったく忌々しいことだぜ!!」
「それで、どうするんだ」
「向こうで人を集めてる。なぁに、鼠はすぐに狩り出されるさ」
交わされる会話を通路の影で聞きながら、ヴィンセントとハリーは溜息をもらす。
「本格的に、まずいことになってきた」
「俺たちのせいじゃねぇってのによぅ」
この騒ぎは、彼らがヘマをしたわけではない。そもそも、これまで一人も殺していないのだから。
見つかったのは、先客の仕事であろう。
「仕方ない。ハリー、いったん隠れるぞ」
「うへぇ、この状況でかい。ぞっとしねぇなぁ」
二人は静かに素早くその場を離れると、適当な小部屋へと滑り込んだ。
それから、周囲の動きに耳を澄ませる。あれから、銃声は上がっていない。
ならず者たちはあちこちを探しているようだが、あいにく砦は相当に広かった。先客にしろ彼らにしろ、簡単には見つからない。
「本当に、先客のせいで計画が台無しになってばかりだ」
ヴィンセントたちが考えた計画も準備も、先客の存在によって狂わされっぱなしである。
そこで彼は、計画の続きを思い出して慌てて懐を探った。懐中時計を取り出し、時刻を確認する。
「まずいな、そろそろクレーンが動くころだ」
クレーンとは、事前に打ち合わせをしてある。
もしも刻限までに砦に何も変化が現れなければ、彼が外から攻撃を仕掛ける手はずになっていた。
「いやむしろだ、旦那。この状況なら、外向いてもらったほうがやりやすいんじゃねぇか?」
「それもそうか。外で騒ぎが起これば注意がそれる。だったら、そこから一気に動く」
先客の存在が気になるが、向こうからすればヴィンセントたちの行動こそ計算外のはずだ。
「そろそろ、僕たちの予定に合わせて動いてもらおうじゃないか」
二人は獰猛な笑みを浮かべ、銃を抜き時を待った。
やがて、始まりの鐘は鳴り響く。
砦の外から飛来した銃弾が、轟音と共に銃鉄兵に突き刺さったのであった。
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