第十一幕「魔術には息継ぎが必要である」


 カツ、カツと硬い音を鳴らしながら、机に銃弾が並べられてゆく。

 ただの弾丸プレーンブレット詠術弾スペルブレットがあり、さらに詠術弾は効果別に分けられていた。

 アレクサンドラはそれらをつまみあげると、ガンベルトに納めてゆく。弾丸を多めに、いくらかは詠術弾を差し込んだ。


 詠術士ウィザードでもある彼女は、いざとなれば硬貨コインを利用できる。

 そのため彼女のガンベルトには、硬貨を挟むコインホルダーがつけられていた。これさえあれば、即座に魔術を使うことができる。


 それから彼女はベルトから抜いて置いておいた回転弾倉式リボルバー拳銃を手に取った。

 刻印の施されていない、簡素な拳銃だ。荒野で比較的多く出回っている型であり、それだけに使い勝手がいい。

 彼女はシリンダーを外し銃身を分解すると、それぞれの清掃を始めた。


 弾丸を撃つほどに、銃身のなかには唱滓グラッジと呼ばれる唱薬キャストパウダーの燃えかすが残る。これを放っておくと、ごくまれに弾丸の動きを阻害して事故につながることもあった。

 射撃のあまり得意でない彼女が銃を撃つ場面、というのはそう多くはないのだが、必要な時が来れば失敗は許されない。

 銃を大事にしない魔銃使いスペルスリンガーは、長生きできないのだ――。


「くくく。これで面倒がきても撃ち倒せる」

「主よ、悪かった。少し脅しが過ぎたようだ」


 使い魔ファミリアである猫、ブラットリーはいきなり銃の整備を始めた彼女の横で、申し訳なさげに丸まっていた。

 過去のトラブルは彼女にとって、本当に思い出したくないものであったようだ。これから戦いに赴くのかというほどに、準備を整えている。


「さて、さすがに少し疲れたな……と」


 全てを終えたところで、彼女は椅子にもたれかかって大きく伸びをしていた。

 それからふと部屋を見回し、その隅にあるものを見つけだす。


「ほう。やはりなかなか、良い宿じゃないか」


 それは、区切りのためのカーテンと浅いバスタブを備えた、風呂場だった。

 安い宿だと粗末なたらいが置かれているだけというのも珍しくないが、ここは良い宿だけあって設備が整っている。

 珍しく、彼女は素直な笑みを浮かべていた。


「休める時には、できる限り英気を養っておかないとな」

「うむ、それがいい。しっかりと休める場所は、多くはないからな」


 一気に機嫌を良くした彼女は上着をひっかけると、宿の主人を呼びだす。気前よく追加料金を払い、たっぷりと水を持ってこさせた。

 荒野において水は貴重品だ。風呂など特に贅沢品で、入る機会はないに等しい。

 給金都市メタルタウンともなれば融通はきくものの、それなりに金がかかるものだった。


 そんな貴重な水を、遠慮なくバスタブへと移す。

 それから彼女は、銅貨をくるくると指先で回しながら鼻歌交じりに呪紋オーソワードを唱え始めた。


「銅を供に願う。汝陽ざしのごとく、我に温もりとひとときの憩いを与えよ」


 指先で弾いた銅貨が飛び込む、小さな水音が聞こえる。

 しばらく経つと、水中の銅貨から小さな泡が湧き上がってきた。銅貨を代償とした魔術反応により、熱が放たれているのだ。

 詠術士・アレクサンドラ謹製の風呂焚き魔術である。


 そうして銅貨がすっかりと消滅するころには、バスタブからしっかりと湯気が立ち上っていた。

 手を付けて温度を確かめたアレクサンドラは満足し、備え置きの粉石鹸をひっくり返す。少し混ぜれば、バスタブの中には泡が溢れ出した。

 荒野における入浴とは、基本的にそこで体を洗うことを指す。

 バスタブから溢れるほどに水を入れるのは、単にアレクサンドラの贅沢だった。


 それから部屋の一角を仕切るカーテンを引くと、彼女は服を脱ぎ始めた。

 シャツとズボンを棚に投げだし、下着を外す。年頃の少女らしい、滑らかな肢体が露わになる。


 それまで自己主張の激しい部分を押さえつけていたものを取り去ったことで、アレクサンドラは一息をついていた。

 解放感から、大きく伸びをする始末である。はしたないことこの上ないが、見ているとしても猫だけなので大丈夫である。

 そこで彼女は、カーテンの向こうに向かって声をかけた。


「そうだブラットリー、たまの風呂だしお前も一緒に洗ってやろう」

「遠慮する。私には必要ない!」


 返事は、机に爪を立てての全力拒否だった。いくら知性を有する使い魔であっても、嫌なものはそうそう変わりはしない。


「お前は本当に洗われるのが嫌いだな……。仕方ない、いつも通り拭くだけで勘弁してやろう」

「そのあたりで手を打とう。風呂は、絶対に、いやだ」


 ブラットリーはほとんどのことにおいて彼女の言葉に従うが、これだけは通ったためしがない。

 そうして少しだけ意趣返しを終えたアレクサンドラは、こんどこそカーテンの向こうに消えた。


「それじゃあ、後は頼むぞ」

「主よ、任された」


 バスタブにためた湯は、石鹸で泡立っている。彼女はゆっくりとそれをすくうと、身体の汚れを落としていった。

 荒事の中に生きてはいても、彼女は十八歳の少女である。埃と汗にまみれて荒野を進むのを、特別好いているわけではない。

 緊張を解いて無防備に入浴を楽しむさまは、まるでただの少女のようだった。


 部屋には、静かな水音だけが聞こえている。

 その間、当然ながら彼女は丸腰である。この荒野にあっては、たとえ宿でも危険極まりない状態といえよう。

 とはいえ、そこは詠術師たる彼女のこと。頼もしい使い魔であるブラットリーが、動物としての鋭敏な感覚によって周囲を警戒している。

 だからこそ彼女は安心していられるのだ。


 そうしてすっかりと身ぎれいになったところで、アレクサンドラは風呂からあがっていた。

 身体を拭い、シャツ一枚だけを羽織った楽な格好になると、ベッドに勢いよく倒れこんでゆく。


 賞金稼ぎバウンティハンターとして普段から厳しい環境にいる彼女は、気を抜くときはとことんまで抜くことにしている。

 何も抑えるものがない今、ここにいるのはどちらかというと怠惰なダメ人間だった。


「……眠い」


 一仕事を終えて、金は銀行に収めてきた。

 さらに質の良い宿をとり、身ぎれいにして横になっている。賞金稼ぎにとって、これ以上の娯楽はないだろう。

 気が緩んだところで一気に眠気に襲われた彼女は、もそもそと猫のようにまるまりながら清潔なシーツにくるまっていった。

 その枕元には、本物の猫ブラットリーも丸くなっている。

 アレクサンドラは、その背を一撫でした。早くも瞼の重みがどんどんと増している。


「おやすみ。ブラットリー……」

「おやすみ、主よ。次の仕事に向かうまで、ゆっくりと休んでくれ」


 ブラットリーは尻尾を揺らし、するりと彼女の頬を撫でた。

 ふっと笑みを浮かべ、彼女は目を閉じる。ほんの少し経つころには、呼吸は寝息となっていた。


 ◆


「今日は、どんなお話を聞かせてくれるの?」


 ――ベッドに横になった『アレクサンドラ・ウィットフォード』が、期待にあふれた瞳でを見上げていた。


「……そうね。今日は神々とこの世界の始まりについて、お話ししましょうね」


 彼女の母親は膝に乗せた本を開くと、その中から目的の物語を見つけ出した。一度、アレクサンドラの髪を撫でると、そっと物語を読み始めた。


「それはずっと、ずっと昔のこと。どのくらいかはもう、誰もわからない。それは世界が始まる前、まだそこにだけがいたころの話よ」


 彼女が眠りに入る前には、いつも母親が物語を読み聞かせてくれた。

 それはどこかの童話であったり、誰かの詩であったり。時折、教訓的な昔話も混じっていた。彼女はいつだって、それをとても楽しみにしていた。


「最初にあったのは、古き神々。古き神々は、ただそこにいるだけだった。そして自分たちだけで満足していたの。でもある時そこに、新たなものたちがやってきた」


 母親の声は優しく、語る物語はいつも興味深かった。時折興奮したアレクサンドラが、なかなか寝付かなくなることもあったが、それもご愛敬だ。


「新たにやってきたものたちもまた、神々と呼ばれるにふさわしい存在だったの。そうしてやってきたもの……外なる神々は、古き神々を追い出しにかかった」

「どうして? 神様どうし、仲良くしないの?」


 アレクサンドラの純真な問いかけに、母親の声が優しく揺れた。


「そうね……。そうすればよかったのにね。でも、外なる神々は、そうはしなかったの」


 声は聞こえても、母親の表情は見えない。

 見えない――見えるはずが、ない。なぜなら彼女の母親は、首から上がからだ。


「そうして戦いが、おこった。古き神々だって、いきなり出て行けなんて言われても、素直には従えないもの」

「うん……」


 虚ろな空白から、優しく語る声だけが明瞭に聞こえていた。

 アレクサンドラはそれをまったく疑問に思わず、ただ好奇心に光る瞳を向けるだけだった。シーツのはしを握りしめ、話の続きを待っていた。


「神々の戦いは、とても、とても長い間続いたの。それは、神々にとっても長い間。どんなに長いかなんて、私たちには想像もつかないほどの長さよ」


 はらりはらりと、頁をめくる音と共に話は進んだ。

 ほんの少し悲しい表情を見せていたアレクサンドラも、それにともなって真剣さを増していた。


「長く戦いが続く間に、神々は自分たちだけではなく数多くのしもべを生み出したの。馬や熊や鳥、魔獣モンスターたち。その中には私たち……人間もいた。ありとあらゆる命はその時に生み出されたものだと、言い伝えられているわ」

「本当に? だったら私たちは、戦わないといけないの?」


 シーツにうずもれ気味に、アレクサンドラが問い返す。

 未だ幼い少女にとって、ただ戦うためだけに生み出された命というものは、あまりにも恐ろしい考え方だった。


「これは、神話の時代の話よ。今はそんなことはない。私たちは戦ったりせずに、ここで暮らしているでしょう?」


 首のない母親は微笑んだのかもしれなかった。だがそれは、誰にも見えなかった。

 ただ優しくアレクサンドラを慰め、その髪を撫でると続きを話し始めた。


「神々と、多くのしもべたちの戦いもまた、長く続いた。あまりにも長く戦っているものだから、神々も傷つき多くの血を流したの。そうして流された血潮は神々の足元にたまっていって、ついに海になった」

「本当? でも、海は赤くないんでしょう?」

「そうね。この海ができた時は、もしかしたら赤かったのかもね。それとも、もしかしたら神々の血は赤くないのかもしれないわ」


 アレクサンドラは首をかしげる。


「そうしてそのまま、いつまでも続くかと思われた戦いだったけれど。果てしのない戦いにも、いずれ終わりがやって来た。勝利を手にしたのは、古き神々の陣営だったの。神々は外敵を倒し、自分たちの居場所を守り抜いたのね」

「よかった! 追い出されたり、しなかったのね!」

「ええ、たとえ神々であっても、悪いことはできないものね。そうして外なる神々は倒された。でも、神々というのは不死不滅の存在なのよ。死んだわけじゃなくて、眠りについたのね」


 私のように? とシーツにひっこんで見せるアレクサンドラに、くすりと笑う気配が届いた。

 母親の首から上はなくなっているのに、彼女は確かにそう感じていたのだ。


「広がる海原に身を横たえて、外なる神々は次々に眠りについたの。神々の身体はとてもとてもおおきくて。あんまりにも大きいから、それはと呼ばれるようになったの。こうして、世界に海と大地が出来上がったのよ」

「そうだったんだ! だったら私たちが歩き回って、外なる神様が起きたりしない?」


 母親の手が、不安そうな様子を見せる少女の髪をそっと撫でた。


「大丈夫よ、そんなことにはならないわ。それはね、古き神々が見張っているからなのよ。その時、勝利した古き神々も無傷ではすまなかったの。傷つき、眠りを必要としていた。でもアリーが心配したように、外なる神々が目を覚まして悪いことをしないようにしないといけなかったの」


 物語は佳境を越えた。頁をめくる音が聞こえるほどにアレクサンドラはシーツにうずもれ、だんだんと瞼を重くしていった。


「だから、古き神々は天に上り、大空になったのよ。父なる太陽ケイオサス妻たる月ルテンベーチ双子の星々ジンマイヤーとジンノーテ明けに流れるものテンマ……。それら古き神々は天動神と名を変えて、いまも地上の様子を見守ってくれているの」


 アレクサンドラは、ほっと息をついた。


「そうしてあらゆる神々が眠りにつかんとした時に。そこにはしもべとして生み出された、数多くの生き物が残されていたの。そこで天動神は、彼らに海と大地と大空……この世界で生きるように命じたのよ。こうして、世界には多くの命が広がっていった。魚は神々の血潮の中を泳ぎ、獣は大地を踏みしめて、鳥は大空を羽ばたいて、生きるようになったのよ」


 ぱたり、と本を閉じる音と共に物語は終わった。

 もうアレクサンドラはほとんど寝入っていた。首のない母親はそっとシーツを引き上げて、子供の寝相を整えた。


「今日は、ここまでね。おやすみなさい」

「……お母さん」

「どうしたの? アリー」


 寝入ったはずのアレクサンドラが、ふと目を開いた。母親が、あやすようにその髪を撫でた。


「首のないお母さんはもう、生きてはいないんだね」

「……そうね。アリーにもう本を読んであげられないのが、とても残念だわ」


 やはりそこに表情は存在しなかったが。髪を撫でる手の感触は、どこまでも優しさだけを残していた気がした。


 ◆


「……おはよう、主よ。よく眠れたようで何よりだ」


 アレクサンドラが目を開くと、そこには視界いっぱいに猫の顔があった。

 彼女はしばらくぼうっとした様子で猫を見つめていたが、その焦点が合うに従って意識を覚醒させていった。

 シーツにくるまったまま、もぞもぞと動き出す。

 そこから這い出すなり、隣にいたブラットリーの身体を抱え上げた。


「……母さんの、夢をみていた」


 首をかしげる猫を抱きしめ、撫でながら彼女は少しだけ夢見心地に話す。


「昔、寝がけに色々な物語を話してくれたんだ。それが面白くて、楽しくて。毎晩のようにせがんでいた」


 それは、単に娯楽というだけではない。

 アレクサンドラの母親が語った物語には、詠術師として必要な知識が数多く含まれていた。教育の一種とみてもいいだろう。

 彼女が詠術師として優秀でいられたのは、知識を楽しく教えてくれる母親の、両親の存在があってこそだった。


「ずっと、母さんの夢なんて見ていなかったのに。最近は珍しい」


 六年の時が過ぎて、彼女の記憶も少しずつ風化しつつある。ただし今回は、彼女にも思い当たるふしがあった。


「大方、どこかのわがままな商人がヒュドラのなんて持って来いとかいったからだろうな」

「ふむ。主よ、そういう割に機嫌がいいようだが」


 悪態をつきつつも、彼女は笑みを浮かべている。


「ああ。どんな形であっても……久しぶりに母さんの物語が聞けて、よかった。よし!」


 それから彼女はブラットリーを降ろすと、大きく伸びをした。

 すぐに、シャツを放り投げるように脱ぎ捨てて一糸まとわぬ姿になる。それから棚にかけていた下着をまとい、矯正下着コルセットを締めた。

 きっちりと服装を整え、ガンベルトを巻く。

 ベルトに刺さった弾丸を確かめ、コインホルダーの残りを数える。最後に、後ろ側に挿し込まれた銃を引き抜いた。


 彼女のガンベルトには、二挺の銃が挿し込まれている。

 ひとつはベルトの横側にある、飾りのないただの拳銃。もうひとつが後ろ側にある、金の装飾が入った拳銃だ。


 その銃把グリップに刻まれた装飾は、ウィットフォード家の紋章である。それは彼女が家から持ち出せた、数少ない遺産だった。

 その表面をすっと撫でると、彼女は表情に力を漲らせる。


「行こうかブラットリー、今日の稼ぎが待っている。今日はなんだか、よい獲物に出会えそうな気がするな」

「それはいい。また良い宿で休めるようにしないとな」


 一歩部屋を出れば、そこにいるのは一人と一匹の賞金稼ぎ。

 彼女たちは今日も銃と硬貨を手に、砂塵舞い散る荒野へと踏み出してゆくのだった。

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