第六幕「荒野の主、かくありき」
四頭だての砂馬車が、大地を蹴立てて走る。
荒野に生きる砂馬は大きな身体と、それに見合った強靭さを持った種である。速力と持久力を兼ね備えた旅の頼もしい友として、特に長距離の輸送に好んで用いられてきた。
しかし今はそんな頼もしさも見る影なく。砂馬たちは息を荒げ泡を飛ばし、心の臓も破れよとばかりに激走していた。
もはや限界を超えているのが明らかな砂馬たちだったが、御者は無情にもさらに鞭をいれる。
どうやったところで、今以上に速度が上がることなどない。むしろ徒に砂馬たちを疲弊させることにしかならないだろう。
だが彼には鞭を止めることなど、できそうにはなかった。
理由は、すぐ近くにある。
何かをこすり合わせるような音が追いかけてきて、彼は表情を恐怖に染めた。芯から湧き上がってくる震えを歯を食いしばって耐えながら、ゆっくりと振り返る。
そこには、荒れ狂う濁流があった。
いや、それは正確ではない。そこにあったのは、まるで濁流のようにうねる何者かの姿である。
鱗に覆われた表皮が、ぎらぎらと日の光を反射し水面のように見えている。その正体は、波打つように蠢く巨大な九本の首。
その先端ががぱりと開き、擦過音のような鳴き声を放つ。
死の先触れ、荒野の支配者――
蛇に似た首を九つ束ね、根元には
しかも恐るべきことに、巨獣は全力をだした馬車に追いつかんばかりの速度で走っている。それを支えているのは、それぞれが大木のように巨大な六本の足だ。
筋肉に満ち満ちたそれが波打つたび、ヒュドラの巨体を強力に前進させているのである。
巨獣は着実に、馬車との距離を詰めてくる。砂馬車へと破滅を届けに、やってくる。
御者はその事実を直視できずに眼を閉じ、震えながら祈った。
◆
「……あー。ありゃもう、ダメだな!」
「砂馬の息も上がっている。長くはあるまい」
荒野を望む小高い丘陵の上、“バッファロー”ジョーは帽子を外し祈りをささげていた。その横で、弟のダンが望遠鏡を覗き込んだままつぶやく。
「なぜ、こんなところに砂馬車がいる! この道にヒュドラがいると、知らなかったのか!?」
「さぁな。耳が遠いか不運な奴が、いたってことだろう」
焦りを露わにするヴィンセントとは対照的に、兄弟の反応はどこまでも冷ややかだった。
彼らの情のほどはともかくとして、かの
そのうえ、もはや命運尽きそうなところに出くわすことも、である。
彼らの中で、最も早く決断を下したのはヴィンセントだった。
「助けに、行くぞ」
「正気か? 間に合わないだろう」
間髪入れず、
「正気か、だと!? ジョン! 君こそ何を見ていた! 彼らは窮地にあるんだ。あれを倒すのは、僕たちの役目だろう!!」
「役目じゃない、仕事だ。お前こそ、その熱くなった頭で思い出せ。こちらの切り札はそこのデカブツだぞ」
彼女は、背後にたたずむストロングホーンズを指し示し、それからくるりと指を返す。
「で? あれだけ活きのいいヒュドラに、どうやって当てる気だ」
ヴィンセントは両方を見比べて一瞬、言葉に詰まった。そこに、ジョーの気のないぼやきが届く。
「あの砂馬車に食いつきゃあ、しばらくは足が止まるな。任せときな、狙えるぜ」
「…………ッ!!」
賞金稼ぎは、自らの稼ぎにしか興味がない。人助けと狩りの成功を天秤にかけることは、しない。
ぐっと拳を握りしめ、ヴィンセントは決然と、動き出した。
「やり方は、変わっていない。僕たちが前衛で足止めし、君たちが止めを刺す。なにか問題が、あるかい?」
「大ありだ。貴重な先制攻撃の機会を潰す気か」
「議論している時間はない」
「やれやれ。で、言ったからには勝算があるんだろうな?」
アレクサンドラの問いには答えず、ヴィンセントは高々と腕を振り上げた。間をおかず、彼の手に一羽の『梟』が舞い降りる。
訝しげな表情を浮かべる一同のなかにあって、アレクサンドラだけがさっと表情を変えた。
「昼間に、梟だと? まさか、お前」
「そのまさかよ、坊や」
梟がくるりと首を巡らせて、艶めかしい声音で喋った。周囲の耳にも届く、『人の言葉』。人語を操る知性ある獣、それは――確信を得るには、十分だった。
「ジョン。賭けの時、君の仕掛けを見破った種を明かそう……僕も、同じだからだ。踊るぞ、『ドリー』!」
「望みのままに、
ヴィンセントの言葉に応じ、鋭く飛び立った
ぼやけるように、染み込むように機体の中へと消えいった直後、
頭部の左右に突き出た飾りが展開した。それはまるで、羽根のような意匠となって広がる。
「賞金獣を狩る! 砂馬車も助ける! これだけの
言うなり、ヴィンセントは
残された四人のうち、スカウト・ボーイはしばし迷ったように視線を彷徨わせていたが、やがてワールウインドに駆け上がる。
「んじゃ、俺もがんばってくんわ」
摩擦音を残して、ワールウインドが走り出した。後には、アレクサンドラとバッファロー
“バッファロー”ジョーは筋肉の盛り上がりとともに、器用に肩をすくめた。
「ほーん。あいつ、意外に情熱家だな! もちっと慎重かと思ったが。見かけによらんものだ!」
「どうする兄貴。少し手順が狂った」
ヴィンセントはやることに変わりはないと言っていたが、それは正しくない。前衛と後衛の連携を欠いては、彼らの作戦は成り立たなくなる。
ジョーが腕を組み目を細めたところで、アレクサンドラが口を開いた。
「バッファロー兄弟。ひとつ、確認したいことがある」
◆
丘陵に一直線の土煙を描き、鉄動馬が走る。それに並んで、鋼の巨人が巨大な足跡を穿っていった。
「ドリー!! 奴の興味を、なんとかしてこちらに惹きたい!」
『銃撃をくわえます……が、まだ距離が』
シューティングスターから、女性の声が返ってくる。使い魔である、ドリーのものだ。
連続して響く銃声は、虚しく大気を震わせるだけに終わる。銃鉄兵の持つ拳銃は人の使うそれに比べ巨大であり、射程も長い。それでも限度というものがあった。
六発を撃ちきり、シューティングスターが弾の装填をはじめるのを見たヴィンセントは、悔しげに振り返る
「近寄れさえすれば……っ!! すまない、ボーイ! そちらは間に合うかっ!?」
「さすがにちょっと、厳しいって!」
ワールウインドが彼らを追い越して疾走する。車輪を用いる分、速度に優れているが、それでも遠く。
彼は歯噛みした。もはや幾ばくの猶予もない。今のまま走っても、ヒュドラが砂馬車に食いつくほうが早いだろう。
その時。彼らの頭上を、衝撃波を伴い高速で通り過ぎる影があった。
◆
「くっだらねぇ質問だぜ! しっかたねぇ、見せてやらあ。俺様たちバッファロー兄弟が
「了解だ、兄貴」
「いっくぜぇ、スタンピード・フォーメーショォォン!!」
ジョーが腕を突き出し、高らかに指を弾く。
すぐさま、命令を認識したストロングホーン・キャリアーが、重量級の躯体を揺らして動き出した。拳を固めると、前かがみに腕をつく。熊か象か、四足動物のような姿勢をとって四肢を踏ん張った。
矮躯のストロングホーン・ガンナーが、その背中へと駆け上がる。
キャリアーの背中にある留め具に脚部をかみ合わせて固定する。さらにキャリアーの背中から持ち上がった小腕が、ガンナーの胴体を強固につかんだ。
固定が終われば、ガンナーは背負った大砲を展開し始める。馬鹿太い砲身が天に突き出し、壮絶に存在を主張していた。
最後にガンナーのひょろりとした腕が砲身をつかんで固定し、支柱としての機能を得る。
二機の銃鉄兵を、ひとつに。
そうしてようやく、『
「なるほど、こうやって撃つわけか。確かにこれは、巨体を必要とするわけだ。しかし燃費が悪いだろうに、よくやる……」
傍で見ていたアレクサンドラがまったく呆れを隠さずにつぶやくが、当の“バッファロー”ジョーは上機嫌で馬鹿笑いを上げていた。
「ハッハァーッ!! 俺様たちのストロングホーン・スペシャルの威力!! 目ん玉ひん剥いて、よぉく見とけよォ!!」
「『
ダンの静かな指示を受け、ガンナーの腰から小型の腕が起き上がる。それは
砲弾を装填し終え、全ての準備を整えたストロング・ホーンズが甲高く蒸気を噴き上げる。
それを聞いた“バッファロー”ジョーは、指をなめると天を指し、一拍を置いて笑みを深めた。
「風、わずか! 方位よし! 距離、角度やや下げぇ!」
「修正よし。捉えた」
「ヒィッハァァァーッ!! 轟けぇストロングホォォォォォン・スペッシャァァル!!」
瞬間、莫大な量の
発生する強烈な反動により、重量級の躯体を誇るキャリアーの四肢が、地面をかき分け後退する。
同時にガンナーの手足胴体が、部位ごとに動いて衝撃を分散させた。ガンナーは、機体そのものが
ここまでやらなければ、ストロングホーン・スペシャルの出鱈目な反動に耐えることができないのだ。
そうして発射された砲弾は、音を置き去りに空を翔けた。
それは、のこのこと走るシューティングスターを一瞬で追い越し、荒野を越え、ヒュドラの頭上すら越えて、その背後へと着弾した。
地面に突き刺さった砲弾は、その破壊的な運動エネルギーによって地揺れを引き起こし、土煙を噴き上げる。
それで、終わりではなかった。呪紋を刻まれた砲弾は、着弾と共に自らを代償として魔術反応を引き起こす。
刻まれた呪紋は、『汝、炎掲げ普くを滅ぼさん――』。
理の言葉に導かれ、砲弾を構成していた金属は、己のすべてを捧げ爆炎と化した。
爆発が、大地を揺るがす。抉りとった地面を広範囲にばらまきながら、衝撃が広がってゆく。それは見る間に爆風と化して、巨獣に背後から襲い掛かった。
荒れ狂う暴風を浴びて、さすがのヒュドラも動揺に足が止まった。
すぐに九本の首を伸ばし、警戒心を湛えて周囲を見回す。小さな獲物にかまっている場合ではない。先ほどの攻撃は、巨獣であっても無視しえないほどの威力を有していたのだから。
その隙に、小さな獲物は半ば爆風に吹き飛ばされながら、転がるように逃げ去っていた。
◆
兄弟の隣でストロングホーン・スペシャルの発射を眺めていたアレクサンドラは、耳を塞いでいた手を放し、ついでに長く息を吐いた。
「一発で成功か、さすがだ。……しかし、馬鹿みたいに高い詠術弾を使う」
「出費の分、威力は保証つきだ」
「俺たちは、大物狙いの専門家だからな!!」
ダンがぼそりと呟き、ジョーは腕を振り上げてポーズをとる。
彼女は色々と面倒くさくなって、同意もそこそこに鉄動馬にまたがった。
「それは存分に思い知った。では、私もゆくとしよう。ここからは事前の手筈通りに進める」
「おーう。へっ、次は外れ弾なんて、撃たせるんじゃあねぇぜ?」
「わかっている。私も儲けにならない行動は嫌いだ。特に金がかかるヤツはな」
「おいおい。俺たちゃあ、この一発分丸損なんだぜ!?」
「そこはまぁ、私の金ではないからな」
軽口を残して、彼女は鉄動馬の手綱を弾いた。
◆
馬鹿げた威力の砲撃を目の当たりにして、動きが止まっていたのはヴィンセントたちも同様であった。
彼は砲撃のやってきた方向――背後を振り返って、丘の上に立ち上る砲煙を確認して、思わず噴き出す。
「……ふっ。なんだかんだ言いながら、彼らもやってくれるじゃないか」
「いやそれにしたって乱暴すぎじゃない? 上手くいったようだからいいけどさー」
スカウト・ボーイと顔を見合わせぼやいていると、背後から駆け寄ってくる者たちがいる。
鉄動馬に乗ったアレクサンドラと、カラミティホークだ。
「ここからは、打ち合わせ通りにやるぞ」
「いきなりこれほど大胆にやるなんて、少し意地が悪いんじゃないか?」
ヴィンセントの軽口が出迎えるが、返ってきたのは帽子の下から覗く、アレクサンドラの冷たい視線だった。
「やるなら、確実にやれ。お前のやり方では、賞金も命も逃していた」
「……君の言うとおりだ、すまない。この失態は、ここから取り返すとしよう」
あのまま走っても、ヴィンセントは間に合わなかっただろう。彼は神妙な顔で頷くと、馬首を返した。
アレクサンドラが続き、二騎は並んで走り出した。
「ドリー! これで慌てる必要はなくなった! あとは確実に、奴を狩る!!」
「ブラットリー、稼いでこい」
それぞれの主の命を受け、二機の銃鉄兵が巨獣に向かって駆け出した。ワールウインドだけは一機別れ、大きく回り込むように走り出してゆく。
こうして、戦いは巨獣と巨人のものとなったのである。
遥か遠くから降り注いできた砲撃を警戒していたヒュドラは、土煙を蹴立てて突撃してくる二体の巨人にも気付いていた。
擦過音のような鳴き声を上げて威嚇する。九本の旋律がわずかな差をともなって、死の音色を奏でだした。およそ荒野に生きて、この音色を恐れない者などいない。聞けば絶対の死を約束する、破滅の声だ。
しかし、鋼の巨人に宿った使い魔にとって、そんなものはただの雑音でしかなかった。彼らにとって優先すべきは、主命を遂行することのみ。
ゆえに腰の銃を取り、巨獣へと向けた。
それは銃鉄兵のために作られた、大型の回転弾倉式拳銃である。もはや銃というより砲と呼ぶべき代物であるが、慣例的に銃と呼び続けられている。
彼我の距離が有効射程を割ったところで、二機の銃鉄兵が銃撃をはじめた。
激しい銃声が響くたび、銃弾が巨獣に届けられる。それは強靭なヒュドラの表皮に食い込み、血と火花を散らした。
そこで、鉄動馬を走らせながら戦いの様子を見ていたアレクサンドラが首をかしげた。
「……おかしい。なぜ、ブラットリーが撃つと当たるんだ?」
『主の代わりに、いつも私が撃っているからだ』
使い魔のすげない返事に、彼女は天を仰ぐ。
明らかな攻撃を受けたことで、ヒュドラは完全に巨人を敵と定めていた。
荒野の主は、敵対者を赦さない。巨体をたわめるや、勢いよく駆け出してゆく。
見る間に、銃鉄兵との距離が縮まっていった。ヒュドラは一歩一歩の大きさもさることながら、九本もある首が動きに合わせて波打つことで、効率よく加速することができる。
「やはり、速いな! ボーイ、頼む!!」
「おまかし!」
その時、ヒュドラの背後に回り込んでいたワールウインドが、追いすがってきた。
足に装着された車輪が、回転数をさらに上げる。そうして加速によって両腕を地面から離し、一輪走行に移っていた。
当然、そんなことをすればバランスが崩れるが、ワールウインドにはスカウト・ボーイが乗っている。彼は自らのバランス感覚をもとに機体へ巧みな指示を与えることで、その曲劇的な動きを可能としていた。
走りながら、伸ばした両腕の車輪が折りたたまれてゆく。その下からは手が現れ、腰に携えた銃を抜いた。
二丁の拳銃を構えたワールウインドは、ヒュドラに並走しながら一気に銃撃を加える。
傷を負って怒りを覚えたヒュドラが狙いをワールウインドへと向けるが、その頃にはすかさず離脱にかかっている。腕の車輪を展開して全力走行に入れば、簡単に追いつかれるものではない。
「ようし、いい調子だ。攻撃を足に集中しよう。動きを止めれば、兄弟がなんとかする!」
「了解だ」
ワールウインドが攪乱し、カラミティホークとシューティングスターが銃撃を加え続ける。戦闘は、まるで一方的なものであるかのように見えた。
しかし、この程度で倒せるならば、ヒュドラに十万ダレルもの賞金が懸けられることはない。
「大して効いていない、か」
戦闘を遠巻きに眺めていたアレクサンドラは、望遠鏡を片手に呻いた。
ヒュドラの表皮は極めて強靭であり、一発二発の銃弾では貫けない。さらに首が自在に動いて攻撃を受け止め、被害を散らしていたのである。
おかげで何十発もの銃弾を撃ち込んでいるのに、ヒュドラは大した傷を受けていなかった。そのうえ――。
「いや、もっと悪い。あれを見ろ、ジョン。……再生している」
彼女の隣に鉄動馬を並べて、ヴィンセントが嘆息した。慌てて望遠鏡を覗き込んだアレクサンドラは、そこに絶望を見る。
銃鉄兵の撃った銃弾は、確かにヒュドラに傷を負わせはした。しかしその傷は、わずかな時の間に消えてしまうのである。極めて高い再生能力、それこそがヒュドラが恐れられる所以であった。
「これでは埒が明かない。銃鉄兵の弾代だって、安くはないのだぞ」
文句をつけるところが間違っている気もするが、ともかく愚痴って事態が解決することはない。
その時、ヴィンセントは腕を組んで何かを考えていた。ややあって、彼は決断する。
「手はある。ジョン、力を貸してもらえるか」
「構わないが、何をするつもりだ」
「切り札を出す。近寄りさえすれば、奴の足を止められる。だから、できるだけ奴の注意を惹いてほしい」
アレクサンドラは、ヒュドラを囲む銃鉄兵の戦いぶりに目をやる。また一発銃声が上がり、弾が無為に消費された。彼女は無言で、口の端をゆがめる。
「いいだろう。だが、そう長くはもたないぞ」
「わかっている。では、先ほどの失態を取り戻すとしよう」
そう言ってヴィンセントは、不敵な笑みを浮かべた。
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