第7話 戦のあと(一)

 ベレーム卿の書記が、マイエンヌ卿アモンの身元の記録と身体の状態を確認している。もし、虜囚となっている間に虐待などで怪我や障害を負わせてしまうと、その分身代金が減額される。その様な事実を明確にするため、捕虜は最初にその健康状態を検査し、記録されることになっている。

 

 この後は主君の所で一括して敵手と身代金交渉を行うか、さもなくば捕虜を捕えた本人が自分で留置・交渉を行うか、という流れになる。ジロワは考えあってアモン卿の身柄を自ら留置することを選んでいた。


 聞けば、知る人ぞ知るメーヌ伯の片腕たる豪の者とのこと。これほどの大物ならば、さぞやたっぷりと(身代金を)稼げよう、と他の騎士連中からは囃された。なるほど、こうして明るい所で見れば、なかなか貫禄も気品もある一廉の人物である。剣の技量の方は、昨晩自らの身をもって確認済みである。

 

 ベレーム卿とメーヌ伯の、夜戦に始まる戦いは、とりあえず終結していた。ベレーム側で捕虜となっていた者は、ジロワらが戦場へ向かう途上で解放していた。ジロワ勢の中の「ただ馬に乗れるだけ」だった者たちは、解放された者でまだ戦える者に馬を譲り、それらは最終の戦場にも赴いていた。


 最終的にベレーム側で捕虜となった者はおらず、メーヌ側で捕虜となったのはマイエンヌ卿アモンのみ。一旦は大敗必至の状態から、なんとか辛勝と強弁できなくもない状態となっているのは、僥倖ぎょうこうである。


 メーヌ勢が撤退し落ち着きを取り戻した所で、ベレーム卿はジロワにより解放された騎士たちから事と次第を報告された。混乱の中で、突然メーヌ勢が撤退した理由はベレーム卿の側では分かっていなかったのだ。


 すぐにジロワが召し出され、感極まり興奮したベレーム卿から手放しの称賛を受けた。ベレーム卿の子息タルヴァス卿が「なぜもっと早く駆けつけなかったのだ」と難癖なんくせを付け始めたが、アヴェスガルド司教までもがジロワを讃え始めたため、それきり口をつぐんでしまった。遅れてきたからこそ挟撃の形となったのである。文句を付ける筋ではない。


 こうしてベレーム卿陣営は、思いもよらぬ勝利に沸いた。が、実のところ、彼らはまだ何も結果を得ていなかった。

 ベレーム側の戦略目標は、メーヌ伯の圧力をね返し、アヴェスガルド司教をル・マンへ帰還させることである。そして、その橋頭保きょうとうほとするため、ル・マン北部近郊のバロン城を攻略しようとしていた。


 だが、現状ベレーム勢は攻略目標に到達すらしていない。夜襲による損耗を考えればこのまま攻城戦に突入することもできない。緒戦はなんとか撃退したものの、戦略面では目的をくじかれた格好だ。


 いずれにせよ、捕虜に関する通告などもあり、使者が立てられることとなった。一旦は浮き上がった気分も、昨晩の戦闘でのメーヌ勢の鮮やかな進退を思い返すと、陣営の空気は沈み再戦を躊躇ためらう気配が濃厚だ。一旦撤退することについての反対は、タルヴァス卿以外からは出なかった。


 そのタルヴァス卿も、アヴェスガルド司教が渋々ながら撤退を支持すると、途端におとなしくなる。ベレーム卿の上の子息たちから「口だけは勇ましいことよ」と、聞こえよがしに言われると頬を引きらせていたが。


 そうしたやり取りを、ジロワは半ば上の空で聞いていた。しょせん、どうなりと決めるのはベレーム家の主だった者たちである。


 野営に入って間もなく襲撃を受けているので、昨日早朝の行軍開始からほとんど休みなしに働き詰めである。体は泥の沼に浸かった様に重く、眠気で頭には霞がかかっていた。

 

 諸事の采配は、まだ活力の残っている若いワセリンに丸投げした。

 若さを浪費してきた自覚があるだけに、正直、他人のそれはうらやましい。

 いつまでも若いと思うな、とは色褪せた年寄の愚痴と軽んじていたが、分かったつもりでいても、いざなってみるまで真には理解できないことがある。幾世代も繰り返される、この愚かさは人の種の宿命らしい。まぁ、気付いていたとしてもどうしようもないし、そんなことは他にも数多あまたあるのだが。

 いや、女という生き物だけはそれに気付いているのかも知れんな。外見へのあの拘り様は……呆れて見ていたが、存外深い意味を持つものかもしれん。うむ、何を考えとるんだ儂は。

 ああ、意識の集中が続かない。思考が益体やくたいもない寄り道を繰り返す。今にも寝入ってしまいそうだ。遠目に、さしものル・グロやオルウェンらが、疲れ果てて船を漕いでいるのが見えた。

 

 

 

 一方のメーヌ伯エルベールである。メーヌ伯は城へ向けて帰還する傍ら置いてきた、物見たちからの報告でベレーム勢が引き返し始めていることを確認していた。


 こちらはこちらで本来の目的を果たせていない状態である。前述の通り、メーヌ側の戦略目標はベレーム卿の身柄拘束によるメーヌ北東国境状勢の安定であり、それにより対アンジュー伯戦略の中での後顧の憂いを除くこと、である。ベレーム卿を捕えられるならば、一時的に城の一つや二つ失っても痛くは無かった。

 一応、夜襲の効果で攻城軍は城まで至らずに撤退している。勝ち切れなかったが、侵略の撃退、という意味では成功であった。果たせなかったのはあくまで戦略的な目標である。作戦的には成功と評してもよかった。


「最善を得られなかったのは、仕方がない。次善、三善を目指すとするか。ラバル卿、使者を迎える用意を。そろそろ来るだろう」

「仰せのままに」

ラバル卿ギーが、一礼して采配のため立ち去る。


「どれ、ひとつベレーム卿を驚かせてやるか」

エルベール伯は北東、ベレーム卿のいるはずの方角を眺めて呟いた。


「エルベール様」

背後から、聞きなれた女性の声に名を呼ばれた。


「ジュリ、来ていたのか?」

振り返った先に居たのは、二歳になる息子ユーグを抱いた、妻ジュリであった。


 メーヌ領内の小領主の娘であった彼女を娶ったのは一昨年のことだった。

 

 父である先代伯爵には強く反対されていた。先代はブロワ伯家から嫁を迎える様、エルベールに強く圧力を掛けていたが、ポンルボイの件でそちらの話が進まなくなり、三年前に父が他界した翌年、ジュリを正妻として城に迎え入れた。

 身分的には愛妾の立場でもおかしくはなかったが、エルベールは彼女以外の女性とは関係を持たなかった。


「戦場になるかもしれない場所ぞ。女子供、ましてや世継ぎの子を連れてくるような所ではない」

よく家宰らが送り出したものだ。ル・マンに帰還したらただしておかねばなるまい。


「申し訳ございません。ですが……」

ジュリは目を伏せ、その声は消え入りそうに小さくなった。


わたくしもこの子も、殿のお側にしか居場所がございません。殿が戦に赴かれるのは、恐ろしゅうございます」


 当主の唯一の男児とその生母である。側妾や庶子ではない。一族の者といえど、我妻と子をおろそかにはさせない。そう事ある毎示してきたが、彼の目の届かないところや同席していないところでは何かがあっても不思議はない。有力な実家の後ろ盾が無い妻である。

 

 重要な外交的手札である、政略婚という手段が封じられた事を問題視する者もいる。同程度の出自の女たちからは妬みも受けているだろう。


 ユーグの幼い手が父親へ向けて伸ばされた。エルベール伯は妻と子を抱きしめる。

この世界と一族メーヌ伯家のうちに、我が妻と子の居場所を作ることができるのは自分だけだ。

勝たねばならない。戦って勝ち続けなければならない。あらゆるものに対して。

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