第5話 マイエンヌ卿アモン

「新手だ! あるじ殿!」

 ル・グロから声が掛かった。馬蹄の音が近づいて来る。


 メーヌ勢の最後の一隊(恐らくエルベール伯の本陣だろう)が追撃に移り始めたのが、伝わってくる振動と喊声かんせいで感じられたが、その中から分離してこちらに向かってくる一隊があるのにル・グロが気が付いた。相対している敵もそのことに気が付き、先ほどまでの暗黙の了解はご破算となった。戦力バランスが傾き事情が変わる。


 やれやれ、毎度のことながら、うまくいかないものだな、儂の人生は。

 騎馬突撃を防ぐために歩兵が槍衾やりぶすまを立てる。が、敵味方が近接しているせいもあってか、さすがに騎兵突撃は行わなかった。下馬した騎士が、大剣をかつぎながら前に歩み出てくる。


われはマイエンヌの領主シニョール、騎士アモンなり。我が敵手たる者の名はなんと?」

 大音声が響く。


「これなるはクルスローの領主、アルノーの子ジロワなり」

 ジロワが応えたが、マイエンヌ卿は首をひねった。


「クルスロー? ……まぁ、どこでもよいわ。ちと急いでおるのでな、さっさと片づけさせてもらおう。かかれっ!」


 増援を得、先ほどまでと顔付の変わった敵勢が襲い掛かって来る。

ル・グロが歯を剥き出しにして獰猛な笑みを浮かべ、雄叫びを上げながら斧を振り回して迎え撃った。たちまち、乱戦が再開する。


 ジロワの目の前に、先ほど名乗りを上げたマイエンヌ卿アモンが、槍兵を撥ね飛ばしつつ、悠々と歩み寄って来た。


「なかなかの偉丈夫いじょうふのようだが……いかんせん、寄る年波にはてぬな。無駄な手間を掛けさせるな、降伏せい」

「若造、とは言えん歳の様だが、見る目の方はわらわほどにも育っておらんな。お前の器量で儂を組み伏せる事が可能か、試してみるがいい」

「……じじいめがっ!」


 フランク風の大剣が、なかなかの剣速で撃ち込まれてきた。左腕の楯で受け止めたジロワだが、その打撃の重さに、こりゃ手こずりそうだ、と内心で舌打ちしていた。


 続けざま、数合打ち込まれる。なんとか打ち返そうと隙を窺うも、機会はなかなか掴めなかった。使い慣れた剣ではなく、戦斧であることも不利に働いていた。

 戦斧は、その重さから打撃力はあるが攻撃速度では幾分落ちる。眼前の敵の様な、回転の速い相手では防戦一方になってしまう。楯が割られる前に一撃なりと撃ち込めれば……よし、やってみるか。


 左下から上へ向けて切り上げてきたマイエンヌ卿の大剣を、ジロワは楯を斜めに傾けて受け、そのまま上へ撥ね上げた。剣は上方へ逸れ、マイエンヌ卿も態勢を崩す。


 ここだ!


 ジロワは右手の戦斧を、マイエンヌ卿のがら空きになるはずの腹部目掛けて振るった。鎖帷子を断ち切る所までいかずとも、戦斧の打撃を受ければ戦い続けることはできまい。これでいけるか!?


 だが、ここでマイエンヌ卿は剣を撥ね返された勢いに逆らわず、むしろそれに乗じて体を高速で回転させ、剣先を地面に突き立ててジロワの戦斧の柄を受け止めた。斧はマイエンヌ卿の腹に届かず、柄には剣の刃が食い込んでいた。


小癪こしゃくな手妻を見せてくれるわ、御老体」

「クルクルとよく廻る割には、随分と馬鹿でかい栗鼠りすじゃな、若造」


 口角を釣り上げ、凶悪な面相で両者は睨み合う。噛み合った互いの武器を引き剥がし、やや距離をおく。

マイエンヌ卿が大剣を下手に構え直す。ジロワも、かなり状態の危うくなってきた楯を前面に立てて備えた。


 それは、まったく予備動作のない斬撃だった。


 双方仕切り直した直後、ジロワが息を吐いた瞬間、マイエンヌ卿の姿が一瞬霞んだ様にぶれ、ほぼ同時に強い衝撃が楯を襲った。


 ジロワ側から見て、右手上に切り上がった剣先を視覚に捉えて、やっと斬撃を受けたことを理解した。だが、理解したところから思考が進むよりも早く、振り上げられていた剣がそのまま振り下ろされてきた。再び楯に強い衝撃が走る。


 いかん!


 マイエンヌ卿は明らかに楯の破壊を狙ってきている。そんなことを考え付くのも、普通ではないが(楯はそう簡単には破壊されない)、しかし、彼の斬撃は正確に、楯に最大の衝撃を与える打点で繰り出されているので、その意図は明確だ。

 実際、正確で強力な斬撃を浴び、ジロワの楯は鉄のたがが歪んで分解寸前である。


 ならば。


 マイエンヌ卿が再び剣を斬り上げてきた。楯はもう限界だ。斬り上がった剣が振り下ろされてくる。ジロワは楯を引いてこれを躱し、剣が空を切る。マイエンヌ卿は態勢をやや崩したが、充分ではない。ええぃ、ままよ!


 ジロワは渾身の力で、上段からマイエンヌ卿の頭を目掛け、戦斧を打ち込んだ。


 だが、やはり体の崩しが不足していた。マイエンヌ卿はなんとか身を引くことができ、今度は、ジロワの実質最期の一撃である戦斧が空を切った。さらに、空振りした戦斧は地面の岩に当たり、斧頭の下の柄の部分から折れ飛んだ。先ほどマイエンヌ卿に剣で受けられた時に、柄に切れ込みが入っていたせいだろう。右腕は激しく痺れており、柄だけになった斧の残骸すら取り落としてしまった。


 万事休す!


 ジロワは、次に襲ってくるであろう、マイエンヌ卿の斬撃を覚悟し、暗闇の中だというのに意識は空白に満たされた。


 だが、その斬撃は、やって来なかった。


 マイエンヌ卿を見ると、ジロワの戦斧を避けた際の姿勢のまま固まっている。

 なんだ?どうした?何をしている?

 やがて、マイエンヌ卿の体はゆっくりと崩れ落ち、地面に倒れ伏した。


 何が起きた!?


 ジロワは周囲を見回したが、暗がりを通して感じられるのは、戸惑いと気まずさを湛えた沈黙であった。周囲の戦闘は中断している様だ。


 近くで戦いを見守っていたらしきオルウェンが歩み寄り、何かを拾い上げた。斧頭だ。先ほど折れ飛んだ物だろう。まさか……。


 オルウェンは、斧頭を持ち上げ、自分の額に打ち当てる仕草をして見せた。

 

 やはり、そうか。

 

 斧頭はマイエンヌ卿の額を直撃したのだ。兜の鼻当ネイザル(鼻を護る様に兜の額部分から下へ細長く伸びた部分)に当たったので、傷を負ってはいないが、その衝撃は失神するのに充分だった様だ。


 気まずい。


 双方とも、いささかも恥じるべきところはなく正々堂々の戦いであった。ただ不運(幸運)な事故があっただけだ。それでも、直前までは、明らかにジロワが不利であったのは確かである。


 これを勝った、といっていいのか?


 周囲の敵兵も、釈然としないのだろう。だが現在の状態、敵手の前で気絶して伸びている姿からいえば、ジロワ以上にマイエンヌ卿が勝ったとは言い難いのも明らかだ。後ろめたくはあるが……。ジロワが勝利の宣告と降伏勧告に取り掛かろうとした、その時。


「マイエンヌ卿の武者振り天晴れなれど、こたび主の御心は、クルスローのジロワ卿を勝者に選ばれた! この勝敗は奇跡の成せるものなり! 者共、恐懼してこれを受け入れよ!」


ル・グロの大音声が強引に流れを作り出し、戦場は収束に向かい始めた。


 ジロワは、安堵の溜息を洩らしつつ、やれやれ、とかぶりを振る。ル・グロの奴め、神様に責任を押し付けおった……。


 そこからは、徐々に後始末が加速された。この場の戦いは収束したといっても、戦局全体はまだ継続中(のはず)である。


 捕虜を縛り上げて見張りを付ける。身代金目的になりそうにない雑兵は、皆殺しにされるのも珍しくはないが、今回は見た事を他人に話さず、戦場を離脱して戻らないことを誓約させた上、追い払った。


 存外の幸運により、一旦は目の前の危機を回避している。だが、依然敵地で孤立している状況には変わりない。すでに敵味方とも、本隊は追撃戦で遠ざかっている。ワセリンら、先に逃した者たちは無事であるのか、我ら自身はどこを辿って逃れるか……まだ全ての問題が片付いた訳ではない。最悪、退却中に敵と出くわして元の木阿弥、ということもあり得る。


 そんな中、新たな馬蹄の響きの接近で、一同に緊張が走る。

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