第37話 もう一人のジゼル(四)
「とまぁ、この様な次第でして。ジロワ様と出会えましたのは、不幸中の幸いと申しますか、いやでも、ちょっとこれは別の意味で困った事になったというか……」
森の中でジロワたちと鉢合わせするまでの経緯を語り終えたモンフォール卿ユーグの妹君、ジゼル・ド・モンフォール嬢は、眉を寄せ頭を抱えて唸っている。
風変りだが、面白い娘だ。
活き活きとして、しぶとく強靭。
同じ名の、あの娘とはほんとうに正反対である。
ところで、先ほどからこの娘は一体何を困っているのだろうか?
「実はこの数年、妾にもそろそろ良き殿方を見つけて嫁がせねばならぬ、と兄が奔走しておりまして。ですが、なにぶん妾はこの様に落ち着きがないものですからなかなかお話もまとまらず」
うん?
「兄からは、乾坤一擲の勝負をかけるのでお前は決して馬脚を露にしてはならん、と申し渡されていたのですが」
「すっかり
振り返ったジゼル嬢は、森の縁をかすめる陽光の輝きを背に苦笑してみせた。
なるほど、モンフォール卿が熱心にジロワを誘ったのはそのためであったのか。目当ての獲物は、ベレーム卿ではなくジロワであったのだ。
婚約者を喪った直後の男に、真正面から縁談を持ち込むのはどうにも無神経だ。
そこで、領地に招いて自然に出会いの場を作ろうと企てたのだろう。
モンフォール卿ユーグは、友誼を結ぶに悪い相手ではない。この娘も、風変りで跳ねっ返りではあるものの好ましく無い訳ではない。
だが。
今、ジロワの心を縛るのは亡き
ジロワはおもむろに切り出した。
「ジゼル殿……」
自分は現在、亡きエウーゴン卿の娘ジゼル・ダショフール嬢の仇を取らんと誓いを立てている身である。
貴女は素晴らしい貴婦人で、その様な事情がなければきっと求婚していたであろうが、復讐の誓いに身を捧げている今の自分には残念ながらその選択はない云々……。
ジロワが切々と語る間、ジゼル・ド・モンフォールは感情を露にすることなく、じっと伏し目がちに聞いていた。
そして、ジロワの話が一区切りついたところで、
「お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「なんなりと」
「では……」
彼女の瞳がジロワの双眸を捉える。
「
……いいや。違う。
「何を……仰りたいのでしょうかな? 確かにあの方は穏やかな暮らしを望む貴婦人でした。自身の復讐を誰かに託そうとするような方ではありません。……ですが、だからといって、いや、なおのこと、その様な女性を害した者を許すわけにはまいりません! 復讐は空しい、などというご助言は遠慮願いたい。某は既に誓いを立てております。もはや止め立ては無用のこと。神かけてこの復讐は果たさねばなりませぬ」
「誓い、でございますか」
「
「妾は愚かな娘に過ぎず、神学の
ジロワとて神学者ではない。
「もし、僭越ながら妾がかの姫であったならば……妾は愛した
「それは……かの姫もそのような事を望む人ではありませんでした」
「それがお分かりならば……なぜ復讐を?」
なぜ、だと? 反発する感情がジロワの胸中に湧き上がるものの、反論は言葉にならない。感情が暴発する。
「なぜも何もない! 彼女を手にかけた者をのうのうとのさばらせておくなど、許せません! 彼奴に報いを与えねば正義はどこにあるというのか!」
心の内に秘めていた澱を吐き出し終えた後にジロワが見たのは、悲し気に眼を伏せるミステルの娘だった。
「……申し訳ない、ご婦人を相手にとんだ様を……貴女に当たるのは全くの筋違いでございました」
「いいえ、お気になさらず……許せない、と仰いましたね?」
「え? ええ」
「それは、エウーゴン卿の姫君ではなく貴方様ご自身の想いではございませんか?」
「……そう、ですね」
では、と娘は顔を上げる。その目には強い光が宿っていた。
「お認め下さい。この復讐は、エウーゴン卿の姫君のためではなく、『貴方様』が下手人を許せないためであるのだと。かの姫のためではなく、貴方様ご自身の望みであるのだと」
「そ……うかもしれません」
それが何の違いになるのか? 徒に言葉遊びをしているようで面食らう。
「そうであるならば……『貴方様がご自身の望みを遂げる』ためならば、妾、ジゼル・ド・モンフォールも是非ともその一助となりたく、お力添えいたしたく存じます」
「なんと? それは、……」
「妾はルーアンを拠点として商会を経営しております。商人は情報が大事。各地へ広く遣わしております配下の者どもは、常日頃より情報収集を心掛けさせております。手掛かりを探すにはうってつけでございましょう。また、公都ルーアンにおいてもほうぼうに伝手がございます。きっとお役に立てることでしょう」
急な展開にジロワはとまどう。
「それは、ありがたいことでございます。是非ともよろしくお願いしたい」
ジロワの返答を聞くや、ジゼル・ド・モンフォールは畳みかけた。
そして、彼女はチェックメイトを宣告する。
「つきましては……」
「妾を妻としてお迎えくださいませ。きっと貴方様のご家中もしっかり取り仕切って貴方様が大望に集中できますよう、ご助力申し上げます」
なんと、そうなるのか。 ジロワは呆気にとられる。
が、事態は既に決着していた。
女性の口からこの様な申し出をさせておいて、よもや拒否などなさいませぬよね? と、ダメ押しまでなされては騎士たるもの逃げようがない。
この日、モンフォール卿の妹君ジゼル・ド・モンフォールは、首尾よく
報せを受けて領主館から急きょ駆け付けたモンフォール卿は村に到着して下馬するやいなや、妹君からジロワとの婚約を報告されて目を白黒させた。
もちろん、否などありはしないのだが。
釈然としないままで、持参金は弾んでほしいだの、早速教会に行かなくてはだの、立て板に水を流す様に妹君が一方的に今後の段取りなど語る中、ただひたすら頷くしかなかった。お前が誘拐された件は、一体どこへ行ってしまったのだ?
戸惑いつつも照れた様に立ち尽くすジロワに、この婚約を我が事のように喜ぶベレーム卿は、ルーアンで仕入れたばかりの名馬を引き出物に贈る、とか言い出す有様。
あまりの転変に目を白黒させている
まずは、いったんお館へ客人をお迎えしてはどうか、と。
振り回されっぱなしだったところ、次にやるべきことが明らかとなってモンフォール卿も調子を取り戻した。
さあさあ、急ぎ我が館へ参られよ。ご両所を迎えるべく宴の用意は準備万端整っておりますぞ、お楽しみになさってくだされ!
実は妹君の誘拐騒動でそれどころではなかったのだが、そんなことはわざわざ言う必要もあるまい。
いろいろと先走っていた妹君の方も、これには異見の出しようもなく、大人しく従うのだった。
館に着いた後はやれ湯浴みだの酒宴だのと大騒ぎである。
積年の心配事(妹君)が解決したモンフォール卿は上機嫌で度を越して呑み過ぎ、早々に酔いつぶれてしまった。
通常、女主人でもなければ女性は宴に同席しないものであったが、今夜の主役の一人、ということもあって特別にジゼル嬢も宴席に就いていた。
そのジゼル嬢のもとへ、給仕の少年が小走りに近付いて何やら耳打ちする。ジゼル嬢は、軽く頷きを返すと宴席に断りを宣べて中座した。
外から微かに馬の嘶きが聞こえてきたので新たな来客でもあったのだろうか? 緊迫した様子はなかったこともあり、ジロワは特に気に留めなかった。
そして彼女とは別に、ジロワの娘婿ワセリンも宴席を立とうとしていた。こちらは飲みすぎたのか、小用だろう。周囲に笑い掛けながらふらふらと広間を出て行く。
だが、ワセリンは出て行っていくばくも経たずに戻ってきた。
しかもその様子は何かがあったようで、目尻を吊り上げながらジロワ目掛けて寄ってきた。
「
ワセリンの言を聞くや、ジロワもやにわに周囲に中座の断りを入れて席を立つ。
ワセリンに連れられて行った先は、館の裏手の勝手口であった。
そこには、ジゼル嬢の姿もある。
そしてその向こう、見知らぬ少女と並んでジゼル嬢の前に立っていたのは……。
「オルウェン! お主、無事であったか!」
行方が知れなくなっていたクルスローの森番との再会は、ジロワに安堵とともに戸惑いをもたらした。
オルウェンが負傷した際の経緯を聞くと、何らかの敵対者が存在したは確かだ。
だが、それがジロワらが目指す仇敵であったと断定するのは早計である。全く無関係の危険な輩を刺激した可能性もあった。この世に悪党や後ろ暗い企みをする者など、掃いて捨てるほどいるのだから。
ただ、オルウェンはエウーゴン卿親娘の下手人を追うという目的をもって行動していたのであるから、少なくとも何らかの引っ掛かりを掴んだのだとも考えられる。
是非とも何があったのかを聞きたいところであったのだが……。
残念ながら、ジロワの顔を見ていきなりオルウェンが記憶を取り戻す、という理想的な展開にはならなかった。
ジロワに仕える森番であったこと、クルスローに妻子がいること、そして現在身を寄せている先の
オルウェンをクルスローへ連れ帰ることについての問題は何もない。
慣れ親しんだ土地へ連れて行き家族と会えば記憶を取り戻す助けとなるかもしれない。そう話がまとまるのは自然ななりゆきであった。
自分に妻子がいると聞いた当初、オルウェンは茫然としていた。が、すぐに気を取り直すと、奥方様に願いがある、と言い出した。
まだ正式に結婚した訳ではないので「奥方様」という言い方は正しくなかったのだが、ジゼル嬢のツボを衝いたらしい。彼女は内容を聞きもしないうちから上機嫌で「妾にできることなら」との言質を与えた。
「されば」
オルウェンが願い出たのは、ジゼル嬢付きの小間使いである孤児ジャンヌを養子としたい、というものであった。
意識を回復した後のオルウェンの介抱を献身的に務めていたらしい。
そうした相手であればオルウェンの妻アナも否とは言うまい。
「ちょっと待って! 私があなたの養女になったら、お嬢様のお世話はどうなるの?」
ジャンヌが悲鳴を上げるのを、オルウェンがなだめた。
「変わらんさ。今まで通り
「……分からないわ。それじゃ何のために私を養女にするの?」
「女主人殿に仕えることには変わりがないが、これからはお前にも家族と
「家族……帰る所……」
「儂が新しい家族じゃ、不満か?」
ジャンヌはオルウェンに抱きつき、首を振りながら嗚咽した。森番は彼女の小刻みに震える体を両手で優しく包み込んでいる。
その様子を見ていたワセリンが、ジロワに呟いた。
「あの森番が、本当は喋れるということは聞いていましたが、あれほど話すところもあれほど優し気な振る舞いをするところも見たことがありません……本当に同一人物なのでしょうか?」
「うむ、まぁ……。儂にも、分からん」
記憶を失ったことで、ああまで振る舞いが変わるものなのだろうか? ジロワにもなんとも言い様がないことだ。クルスローに戻ったら早速
それはそれとして、もしこのままオルウェンの記憶が戻らなかったとしたら……?
アナは、そして二人の間の子らは、どうなるのだろう?
アナはクルスローの領主館に引き取られた孤児である。召使とはいえジロワにとっては養女のようなもの。
そしてオルウェンが記憶を失うことになった原因は、ジロワにある。
何が出来るか今の段階では不明であるが、オルウェン一家の行く末には責任を持たざるをえない。
まずは、クルスローへの帰還、それからだ。
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