第36話 もう一人のジゼル(三)

  翌々日の朝、男たちは娘を小屋から引き出した。

 黒髪の男が開口一番、

「△△△の、倍額払うというのは、間違いないな?」

と、問うてきた。


 そんなこと、念を押したからって気休めにしかならないのに、と思いつつ娘は自信たっぷりに答える。この流れを止めてはいけない。

「もちろんよ」

「俺たちを追わない、罪に問わない、という事も約束しろ」

「そちらが約束を守る限りにおいては、ね」

 ふん、と鼻を鳴らした黒髪の男は、そいつが、といって赤毛の男を指さして続けた。

「お前を実家まで送ってゆく。金を受け取ったら解放してやる。変な気は起こすな。俺たちは少し離れた所からお前たちを監視しているからな」

 ふうん、思ったよりも妾は信用されていないんだ、一方でこの赤毛の男はそれなにに信用されているか、または裏切る度胸すらないと馬鹿にされているのだ、と娘は思った。


 恐らく、黒髪と金髪の男は実際に娘たちの跡をつけては来ない。


 彼らは元の雇い主のところに、何食わぬ顔で報酬を受け取りにゆくつもりだ。

 ただの商人に過ぎない元の雇い主のところなら、せいぜい用心棒としてごろつきがいる程度。裏切られてもこの二人で十分切り抜けられる、という見当か。


 一方、娘が約を違えたとしても、危険になるのは赤毛の男だけ。

 もし約束が守られたとしても、金を受け取った赤毛の男を、あらかじめ決めておいた待ち合わせ場所で待っていればいい。


 ここで娘も元の依頼主も、両方とも信用できないという場合ケースは想定しても意味がない。その様な状況であれば、そもそもこんな仕事を引き受けてはいけないのだ。


 元の依頼主からの報酬を一とする。


 娘が約束を違えた場合、赤毛の男の取り分がなくなるので黒髪と金髪の取り分は三分の一から二分の一へと五割り増しになる。

 娘が約束を守った場合、報酬の総額は三となり各人の取り分は三分の一から一づつへと三倍になる。

 黒髪と金髪は最低でも元の依頼主からの報酬を得、うまくすればその倍の報酬も手に入れられるのだ。


 ここで、娘は約束を守ったが、赤毛の男が受け取った金を持ち逃げした場合でも黒髪と金髪は二分の一づつの取り分を確保できている。

 赤毛の男は、最低でゼロ、(持ち逃げする甲斐性があれば)最高で元の六倍の二を得ることができる。


 これらは全て、元の依頼主と娘を比較した場合、後者の方が(裏切られる)危険が高い、という前提だ。

 そして、最大の危険を赤毛の男一人に負わせるやり方でもある。

 恐らく娘の実家へは、赤毛の男が使者として口上と要求を伝えに行ったのだろう。昨日は一日姿が見えなかった。

 これで娘の引き渡しと金の受け取りを赤毛の男だけが行えば、黒髪と金髪は娘の実家にその顔を晒さずに済む。


 主導権を握っている黒髪の男なら、これ位は計算していそうだ。だが。


 娘は両手を背後で縛られた状態のまま、赤毛の男に連れられて森小屋を出発した。


「よし、俺たちもゆくぞ」

 娘たちを見送った黒髪は金髪の方へ声を掛け、繋いである馬へ向かおうとする。


「ああ、そうだな……ツ!」


 シャラン――――


 背後から聞こえた剣の鞘走る音に、ギョッとした黒髪の男が振り向くと、その首筋に金髪の男が振るった刃が深々と食い込んだ。


「な……がッ!?」

 黒髪の男の右手が腰の剣の柄に伸びる。

 だが、その手が剣を抜き放つ前に、金髪の男がその右手ごと黒髪の男の胸板を蹴り飛ばし、黒髪の男の身体は木の枝に繋がれていた馬にぶつかる。

 馬は驚き暴れ、さらに黒髪の男がなんとかやみくもに抜き放った剣が、馬を繋いでいた手綱を断ち切ってしまった。

 自由を得た馬は駆け去り、黒髪の男は剣を握ったまま地面に倒れ伏す。

 もはや虫の息である。


 そんな死にかけの、地面に仰向けに横たわる男に、金髪の男は歩み寄って、やおら立て続けに剣を突き立てた。

 血走った眼で執拗に、くそっ! くそっ! と、繰り返し罵りながら。


「ちっ、くしょう! ざまぁ、みやがれ」


 既に生の気配が消えうせた死体に、大きく振りかぶって最後の一撃を加える。

「ひっ、ひははははぁ……ちぃくしょ、いつも偉ぶりやがって……ざまぁ……みろ」

 荒い息を吐きながら、狂気じみた哄笑を上げ続ける。


 金髪の男も常日頃、黒髪の男の下風に抑えつけられていることに対する不満をうっ積させていたのだ。


 そしてあの時、娘が彼に囁いたのは―――


 あなた方はこれを最後として、あとは稼いだ金で遊んで暮らすつもりでしょう?

 違うかしら? 

 もしそうだったら、あなたを生かしておく必要はなくなるわね。

 だって仲間が必要な仕事はもうしないんでしょう? 

 だとしたら、次はどうなるの? 

 黒髪の男が、赤毛の男を切り捨てる判断をしたなら、次はあなた。 

 二人きりになったときには気をつけなければね。特に金を受け取った後。

 何故って? 

 それはもちろん、自分の取り分を増やすために決まっているでしょう。

 金を手に入れれば、あとはあなたがいる必要なんてないんだから。

 どうすればいいか? そんなの、妾に聞くまでもないことでしょう? 


 娘が注いだ毒は金髪男を蝕んだ。


 いままではいい様に使われてきたが、最後は俺様がいただく。

 解放感と罪悪感に侵された金髪男の狂気の発露は、しかし長くは続かなかった。


 ドンッ!


 背中に受けた衝撃で、金髪男は前のめりに倒れ込む。

 俯せに倒れた金髪男の背に突き立つ手斧。


 その飛び来たった先を見れば、藪の中からさきほど出発したはずの赤毛の男と娘が顔を出していた。


 赤毛の男の眼は憎しみの爆発にギラついており、その右腕は手斧を放ったときのままで止まっているが、よく見れば手指が細かく震えているのが分かる。

 隣に屈んでいる娘の方は、その顔に後悔の念を滲ませていた。


 やり過ぎた。


 最終的には仲間割れを生じさせることが狙いではあった。

 だが、男たちが抱えていた闇は、娘の想像を超えて深かったのだ。


 破綻するのが早過ぎる。


 娘の狙いは金髪か赤毛の男と二人きりになった際、裏切らせて逃亡を手伝わせることだった。

 いつ何時、奴らの気が変わって娘を処分しようとするか知れない。機会があれば脱出すべきだ。そのための布石であったのだが。


 なってしまったものは、もう仕方がない。

 いまはただ、一刻も早く身の安全を確保することだ。

 やや興奮の治まってきた赤毛の男を促し、娘は縛られていた両手を解かせた。

「さあ、行きましょう」


 だが、一度狂いだした目算は更なる見込み違いの状況を生み出す。


 言葉少なに森の道を歩み始めた二人だったが、しばらくすると赤毛の男は独り言のようにぽつぽつと語りはじめた。


 三人が徒党を組み始めた当初はこんな風ではなかった。喜びも悲しみも、互いに分かち合う頼もしい仲間たちだった。


 だが、月日を重ねるうち、それぞれのわずかな能力の差が次第に三人の間に序列を形作っていった。


 黒髪の男が主導権を握るようになると不満を募らせた金髪の男は、やや愚鈍なところのある赤毛の男を虐げることで鬱憤を晴らす。


 赤毛の男は金髪に対してと同様、それを放置する黒髪の男の両方を恨んだ。


 こうして何年もかけてうっ積した相克により、三人の関係が極めて悪化していたところに舞い込んだのが今回の依頼だった。


 それなりに額の大きい今度の仕事の報酬を山分けし、それを最後としてそれぞれ別の途を歩むこととしよう、と黒髪の男が提案した。

 

 赤毛の男のつぶやきを聞きながら娘は考えた。

 黒髪の男はそろそろ潮時、と踏んだのだろう。

 判断自体は適切といえる。

 ただ、この娘が関係してしまったことが不運だったのだ。


 赤毛の男のつぶやきが、聞き取りにくくなっていた。

 アイツも、あの糞野郎も、みんな死んだ。生き残ったのは俺だけだ。

 最後に勝ったのは俺なんだ、と。


 娘は背筋を巨大なナメクジが滑り降りる様な冷たい予感に囚われた。


 ふいに赤毛の男が立ち止まる。

 ゆっくりと振り返った、その顔は狂気じみた全能感と、にじみ出る獣欲がない交ぜになっていた。 


「……おめ、亭主はいんかったの?」

 娘は顔を引きつらせながら後ずさる。

 恐れていた可能性の一つが芽を出した。


「……妾に何かしたら、無事では済まない。何も手に入らない」

 ニタリ。

「おいが、おめの亭主になればよかと」

 野卑た笑いを見せる赤毛の男の股間の辺りは、明らかに盛り上がっていた。

 後年振り返った際、この時赤毛の男は舌なめずりをした、と娘は思っていたのだが、実際にはしていなかったかもしれない。ただ、そういう気配は間違いなくあったのだ。

 この男の自分勝手な思い込みと願望による将来予想は、到底実現しそうもない。だが、それを今この男に理解させるのは困難だ。

 この差し迫った状態で、空虚な全能感に酔って冷静さを失ったこの男に対して道理を説くなど。


 ここで抜くしかない。


 男が距離を詰めてきた刹那、娘は唐突にしゃがみこんだ。

 一瞬、虚を突かれた男が立ち止まる。

 その隙をつき、娘がスカートの中から取り出した短剣を一閃する。


 だが。


 下からの突き気味に繰り出されたその刃は、赤毛の男の胸を逆袈裟に切り裂いたものの、与えた傷は浅かった。

 赤毛の男がすんでのところで体を反らし、刃をかわしたのだ。

 

 失敗した。この一撃で仕留めなければ、勝機は無かったのに。

 冷静さを欠いていたのは、妾の方でもあったのか。

 だが、あきらめない。

 娘は失敗を悔やみながら、それでも折れることはなかった。 

 

「こんぬぁあまぁ! だまくらかしよったなぁ!」

「何を言っている! そんな約束などしていない。話が違うというのはそちらこそ、じゃないの?」

 じりじりと後退する娘の背が、木の幹に当たった。しまった!

「しぇからしぃぃい!」

 戦斧を握る男の手に力が入り、娘の頭めがけて横なぎに打ち込んできた。

 ガツン!


 避ける、というよりも恐怖心で首を竦めただけなのかもしれない。

 斧は娘の頭上を通り越し、木の幹に突き立つ。

 食い込んだ刃を抜こうと男が手こずる間に娘は、その脇をすり抜けた。


 しかし、距離を稼ぐ間もなく男は力ずくで引き抜いた斧を振り返りざま叩きつけてくる。


 まともに受け止めては刀身が折れるのは明白。短剣に角度を付けて力を逸らす様に斧の一撃を滑らせ受け流した。


 だが、これもいつまで持つか……。


 再び真正面から対峙する形となった二人。


 上段から打ち下ろしてくるのか、横殴りに打ち払ってくるのか。

 先読みしてかわすしか、娘にできることは無さそうだった。

 だが、相手の癖など情報がなければ先読みもしようがない。後は賭け、だ。


 横。外れていたら終わり。

 男が初動を見せた瞬間、後ろへ飛び……速い!


 読みは当たったが回避が追いつかず、短剣を盾に辛うじて受け流す。


 このままでは……もう、もたない……。


 ここまでくると、さすがに娘も焦りを止められなかった。

 単純な力と速さの対峙。

 知恵で状況に変化を与えようにも、利用可能な材料がない。

 何か、状況を変える「何か」があれば……。


 ズザザッ!


 脇の藪から物音がしたのは突然のことだった。


 赤毛の男も娘も、驚きで体が硬直する。


 藪から姿を現したのは、二人の騎士。


 敵? 味方? 驚きから回復した娘は目まぐるしく計算を始める。

 騎士なるものが、おとぎ話の中のような高潔で無私な存在ではないと、簡単に頼っては痛い目を見る相手だと、とりわけこの娘にはよく分かっていたのだ。


 だが、この状況を変えるにはこれしかない。というよりも、既に盤面に現れてしまった以上、この駒騎士たちをないものとすることはできないのだ。

 ならば、利用するしかあるまい。

 今のこの状況を乗り切ったら、後のことはまた後で、だ。


「あぁ! そこな気高く勇敢なキリストの騎士様がた! このか弱き女をお救いくださいまし!」

 言い放つや、年嵩の方の騎士の背後に廻り込む。アーメン!



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