第25話 宴の夜(三)

 宴席を退く際に降り始めた雨は次第に強くなってきた。


 濡れながら宿舎に戻ったベレーム卿とジロワを、身形みなりの良い一人の使者が迎える。


「夜分失礼ながら、さるやんごとなき方より、ご両所をお招きするよう命じられております。ご同道くださいますよう」

 ジロワに無言で問われたベレーム卿は即断した。

「参ろう」

 

 使者は二人を案内し、外には出ずに回廊を抜けてゆく。

 ジロワらが宿舎としたのは、宮殿に付属する建物である。

 同じ宮殿内の奥深くへと進む一行。ジロワにも、呼び出しを掛けてきた者がいかなる存在か、おおよそあたりがついてきた。

 ベレーム卿がジロワに耳打ちする。

「ここが山場かもしれん、気を引き締められよ。……あの使者は公爵の侍従よ。見覚えがある」

 

 廊下に沿っていくつか扉の並ぶ中の一つ、両脇に衛士が立つところで案内の使者は立ち止まる。目でこちらです、と示し、戸を控えめに叩いて口上を述べる。

「お連れいたしました」

「よい。入れ」

 中から入室を許す声が聞こえ、衛士が引いた両開きの扉を、使者に先導されて室内へと踏み入れる。


 それほど広い部屋ではなかった。重厚な装飾を施された室内の、奥正面には二人の人物が居る。

 寛いだ服装の一方は着座し、僧服姿のもう一人はその傍らに佇立していた。

 ベレーム卿が片膝をついて頭を垂れるのに合わせ、ジロワも同様の拝礼を取る。

 案内してきた使者が一礼して退出すると、着座している人物が口を開いた。

「久しいな、ベレーム」

「公爵閣下におかれましてはご機嫌麗しゅう、祝着至極に存じます」

「相変わらず、堅苦しいのう」

 着座した人物、当代ノルマンディー公爵リシャール二世が苦笑を漏らす。

「これは非公式の会見にございます。もそっとお寛ぎなされませ」

 公爵の脇に佇立するルーアン大司教ロベールが言葉を掛ける。

「隣のもの、噂のクルスロー卿か?」

「は、然様さようにございます。ジロワ殿、公爵閣下にござる」

 ベレーム卿に促され、ジロワも口を開く。

「お初に御目文字おめもじいたします。アルノーの子、クルスロー卿ジロワにございます。誉れ高き公爵閣下にお目通り叶い、恐悦至極にございます」

「おう、どれほどの田舎武者が、と思っていたがうまい口をききよるわ」

「一時はブリヨンヌ伯の下に仕えられていた由」

 大司教が補足する。

「ほう。多少は礼儀の心得もあるか。見た目は武骨な暴れ者にしか見えんが。どうじゃ? ベレーム」

「お言葉ながら。クルスロー卿は戦に臨んでは勇猛無比なれど、平時に在っては秩序と信仰に篤き高潔な騎士でございます。決して私利私欲で乱暴狼藉を働くような人物ではございません」

 それは、言い過ぎだ。と、傍らでジロワが内心苦笑する。

「ん? クルスローよ、ベレームはああ言っておるが。お主、欲はないのか?」

「誠に情けなきことながら、拙者既に齢五十に至り、既に欲を燃やす気力がございませぬ。今はただ安寧と亡き婚約者親娘の慰霊を願うのみにございます」

「その様な惰弱なことで領主が務まると思うのか?」

「恐れながら、平穏を望むがゆえにこそ、これを乱そうとする者とは断固戦う所存。安寧を望むは惰弱には非ず、守り抜くことの覚悟にございます」

「ふむ、守るための戦い、か……」

 ジロワの返答を吟味する様に宙空を見据える公爵に、大司教が語りかける。

「かのシャルル大帝の御代に騎士と封建の制が生まれましたのも、外敵たる野蛮人の侵略からの『護り』のためでございました。私めには、これぞ騎士領主たるものの原点と云えるのではないか、そう思えましたが。いかがでしょう?」

「……ふむ、両名とも大義であった」

 なにか納得がいったのか、唐突に私的な謁見は終わりを告げた。退出を促されたベレーム卿とジロワは挨拶もそこそこにそそくさと出て行った。




「いかがでしたか、兄上?」

 大司教が問えば、公爵が応える。

「そなたはどう思った? ロベール」

「そうですね……かの御仁について悪い噂は聞きません。まぁ、今回の戦以前にはまるで無名の人物でしたからね。小さいながらも領地経営は順調なようです。いざという時の戦力として考えると厭戦傾向が気になるところですが……ノルマンディーの安定を優先する見地からは、悪くない候補といえましょう」

「悪くない、か」

「いかにも」

「ふむ。贅沢ばかり言っても始まらぬな。では、その方向で。後は任せてよいか? あちらへの報告も、な。余はこれより時課(定められた時間に行う祈祷)でな」

「承りました。では早速」

「うむ、ご苦労」

 公爵が謁見に用いた部屋を出ると、大司教は別の棟にある人物の元へ向かった。


 リシャール二世はキリスト教への傾倒が厚く、『善良公』と渾名されていたのは既述の通りだ。


 だが、本来の仕事である政治向きを大司教に丸投げして祈り三昧、受けた大司教は祈りを疎かにして政務に奔走する。なんとも本末転倒である。


 もともと聖なる道に向いていたのは兄公爵の方であった。


 ロベールは赤子のうちから周囲によって教会入りすることが決められていた。

 これが逆だったなら、お互い幸せになっただろうか?


 ああ、また詮無いこと考えてしまった、と大司教は苦笑に紛らわせる。強制された人生の選択ではあるけれど、これを不満に思ったことはなかった。

 当時は司教聖職者といっても必ずしも信仰に篤いふさわしい人物が、神への奉仕に明け暮れていたとは限らない。むしろ、聖書を読めない『戦う司教』などという存在もあったくらいで、俗世領主とさして違いの無い場合すらあった。

 有力一族のポスト確保のため、私設修道院の修道院長や私領の教会付司祭などの任命が領主によって行われたことで、聖職者の質の低下が起きた。これも後の叙任権闘争の遠因の一つに挙げられている。




 宮殿北の一帯を占める広い区画の一室にその人物は起居していた。


 その居室に至る扉にも両脇に衛士が立って守衛していたが、大司教の姿を認めるや慇懃に礼を取りつつ扉を開いて控えた。


 室内には何本かの燭台が置かれ、暗闇を照らしている。

 部屋の主たる人物は、窓辺に据えられた長椅子に横たわり、強くなった雨に濡れる庭のスズランを眺めていた。高齢の貴婦人であることが見て取れる。


「母上、お体が冷えますよ」

「大丈夫よ。ご苦労様、ロベール。首尾はいかが?」

「特に人物の問題は無さそうです。だがまぁ、幾分手を打っておく必要があるので正式な指名は数日後に行う予定です」

「あら、そう?」

「ええ。兄上と私で人物を見定めてからと抑えていたため、クレポー卿、ヴィリーズ卿、ジーファー卿いずれもかの人に確固たる支持の言質を与えていません。一方、ブリヨンヌ伯らは早々に彼らへの支持を表明しています。このまま継承指名を行うと、かの人物をブリヨンヌ伯寄りの位置に置くことになりかねません。クレポー卿らには早々にかの人らに接近させ、天秤を水平に戻しておきませんと」

「そうね。それがよいでしょう。そこまで見えているのであれば……あとはお願いね、ロベール」

「はい、母上。お任せを」


 公爵リシャール二世と大司教ロベールの母、先代公爵リシャール一世の治世を支えたグンノール妃は、瞼を閉じて寝息のように呟く。

「……すべては公爵家ノルマンディーの繁栄と安定のために」


 その後、公爵の娘アデリーザの嫁ぎ先であるブルゴーニュ自由伯と、シャロン司教との紛争勃発への備え、公爵の妹アワイズの嫁ぎ先であると同時に公爵の妃の実家であるブルターニュ公家への政治干渉の件など討議し、方針を確認していく。


「シャロン司教と戦になった際にはリシャール(公子。現公爵の長男)を援軍として出しましょう。次期公爵として箔を付けるのにはよい機会。万一の事が無いよう、充分な兵力を用意して。今から備えを怠りなく」

「アワイズは、いくら寡婦で心細いとはいえ兄を頼り過ぎだし、公爵リシャールの方も干渉し過ぎ。これではブルターニュの群臣が不満を抱く恐れがあるわね。アラン(ブルターニュ公。グンノールの孫にあたる)が孤立するようでは逆効果よ。控えさせなさい」


 次々と、指示が下される。


 先代公爵健在の折からノルマンディーの統治に関わった太公妃は、現在でも政策決定の中枢であり続けていた。


 その太公妃が了承したことで、ジロワのエウーゴン領継承はほぼ決定となる。


 雨はいつの間にか止んでいた。

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