第18話 死体製造屋

「クルスロー卿と、お見受けします」


 背後から声を掛けてきた者を振り返り見れば、見知らぬ壮年の騎士だった。痩せているが身なりは悪くない。良家に仕えるそれなりの身分の立派な騎士だ。

 だが、その身にまとかげりは、一体、何であろうか?


第三の人物の制止により、やや落ち着きを取り戻したジロワが問う。

「……如何にも。 御貴殿は?」

「失礼仕りました。拙者は、ノルマンディー公子イエモア伯爵ロベールさまの近習にて、ファレーズの騎士フルベールと申します。エウーゴン家中より急使を受け、差し遣わされて参りました」


 エショフールへの距離はクルスローもファレーズも似たようなもので、若干ファレーズの方が遠いくらいだ。


 だが、かたやノルマンディー公家の藩屏・眷属として、かたや宮廷の大貴族として、周辺の領主たちは両家の急使に対して替え馬の提供に積極的に応じていた。

 馬を潰さんばかりの速度で酷使しても、潰れる前に替え馬が手に入るため、急使は限界に近い速度で駆け抜け、またフルベールも同様に急行することができた。事件発生の翌日遅くには、もうこの地へと到着していたという。


 現ノルマンディー公爵『善良公』リシャール二世には、亡くなった正妃との間に、三男三女があった。


 長男をリシャール、次男をロベールという。現状、リシャールが世継ぎとして有力であり、ロベールは、公領南東部の要衝ファレーズを治めるイエモア伯に封じられていた。三男ギョームはフェカン修道院で修道士となっている。


 娘たちはブルゴーニュ伯、フランドル伯に嫁ぎ、一人は早世した。


 また、後妻との間にも男子が二人あった。後にルーアン大司教となるモージェ、アルク伯となるギョーム・ド・タルーらである。


「それは御足労でございました。改めまして、クルスロー卿ジロワと申します」

「かの『眠らない番犬』を打ち破った英雄のご武名はかねてより。 この様な場でなければ一席設けて武勲談など伺いたいところですが……この度は、残念な次第でございました。胸中お察し申し上げます」

 ジロワはただ、黙って頷きを返すのみだった。

「……ところで、エウーゴン家中の者より聴取いたしましたところ、毒が仕込まれたのは酒席に供されたワインであるとか。 実物を検分いたしましたが……白ワインヴァン・ブランだというのに、匂いにも見た目にもまるで毒物混入の特徴が見られませんでした」

 ジロワは黙したまま、フルベールが言葉を繋ぐ。

「牢に罪人が居るというので、曳き出させて飲ませてみたところ、激しく悶絶したのち、すぐに息絶えました。 死体には紫の斑紋が……まさにエウーゴン卿ら同様に」

「罪人に飲ませた、と!? 斑紋……!?」

 その残忍な仕打ちもさることながら、なぜ被害者の体をこの騎士があらためることを許したのか? 何者だ、この人物は。


「これは……説明が必要ですな。 拙者、元はノルマンディー公爵に侍従としてお仕えしておりましたが、主に葬祭関係の仕置きを委ねられておりました者。 ロベール公子がイエモア伯に封じられました際、伯領の中心ファレーズ城のお膝元を故郷とする由縁で、公爵閣下の命によりイエモア伯附きとして派遣されましてございます」

「おお、公爵閣下の侍従を……」

「既に終わった話ではございますが、かって、ジゼル様とイエモア伯爵ロベールさまとの間には、縁談が持ち上がった事がございます。 あるじは、成就しなかったとはいえ、浅からぬ縁のあるお方の不幸、せめてもの慰みに行ってお前の技を役立てて差し上げろ、と送り出された次第」

「これは初耳、ジゼル殿とイエモア伯爵さまとの間にご縁談があったとは。 聞けば何ら不足のないお取合せ、成就しなかったのは不思議で仕方なし。 何故であろうか?」

 フルベールは、ややためらいを挟んでから答えた。

「過ぎた事ですし、詳しくは申せませんが……さる方面より、異議が上がりまして、最終的に公爵閣下のご裁定により」


 公子の婚姻に異議を立てることができ、なおかつ公爵自身がそれをれるとなると……その異議を立てたのはノルマンディー公爵家の一門、それも現公爵にかなりの影響力を持つ人物であり、ロベール公子が有力貴族と結びついて力を付けることを快く思わない人物となる。

 となれば、その異議を立てたのはロベール公子の実兄で公爵の世継ぎと目される、第一公子リシャール殿しか考えられない。

 なるほど、これは不用意には言及できない話だ。下手をすれば次期ノルマンディー公を敵に回してしまう。 


 同じ両親から生まれた兄弟であるが、君主の家にあっては、それ故にこそ最も強力な競争相手となるのだろう。

 潜在的に敵対の可能性のある競争相手に、有力貴族との関係構築をむざむざ許せるものではない。


「それはさておき、たまさか居合わせて拝見した先ほどのご様子では、クルスロー卿には何やらこの毒についてご存知の模様。 よろしければ、ご教示いただけませぬか?」

元ノルマンディー公家の葬祭侍従であった男は、追及の言葉を発した。


 先ほどのフルベールの説明で明らかになったことがある。


 ノルマンディー公家の葬祭関係を取り仕切った侍従であった、という。となれば、必定、遺体の扱いとしてエンバーミング死体防腐処置に精通している。

 エウーゴン卿ら被害者の遺体に処置を施したのは、おそらくこの男なのだろう。であれば死体の斑紋について気が付いているのも納得がいく。


 キリスト教会は火葬を禁じてきた。それは教義として、最期の審判の際に死者は復活するもの、とされていたため、遺体を損なうことを良しとしなかったためだ。

 このため、衛生上の必要からこの様な死体処置が必要となった。特に十字軍遠征で故郷から遠く離れた聖地で陣没した貴人の遺体を送還するため、この様な処置は必須だった。


 エンバーミングでは死体の損壊は最小限に留められる。(多くは頸の)血管を切開し、一方から薬品(防腐剤)を注ぎ、他方から血液を排出する。

 また、腹部に開けた小穴から内臓などを抜き取り、薬品を注ぐ。同時に損壊個所があれば整復を行い、体表の洗浄・消毒および化粧や装飾も行う。


 この他に、モス・テウトニクスという処置も存在した。『ドイツの慣習』という意味のこの方法では、遺体は一旦バラバラにされ、茹でて肉を骨から取り去る。

 そして骨だけにしたものを故郷へ持ち帰り埋葬するのだ。エンバーミングに比べて経済的で衛生的であった。


 イングランド貴族やフランス貴族はエンバーミングを好み、ドイツ貴族はモス・テウトニクスを好んだという。


 こうした処置を取り扱うのは、高度な薬品に対する知識を持つ技術者である。

 ノルマンディー公家ほどになれば、専門の役人がいてもおかしくはない。

 そうした高度な技能を有する人物を派遣するというのは、好意的な振る舞いといえるだろう。


 そしてもう一つ、ノルマンディー公家に近いブリヨンヌ伯爵家に仕えた事のあるジロワは、その当時聞き知った『噂』を思い出していた。


 ノルマンディー公家に仕える葬祭担当の侍従は、別名『死体製造屋』と云う、と。


 先に述べた通り、遺体の防腐処置を行う関係上、この職は薬品関係に高度の知識を有する。


 ところで、『薬』と『毒』は表裏一体の関係である。同じ薬品でも、使う相手や状態により薬にも毒にもなる。


 現代の認識では理解できないが、中世の薬商はおおっぴらに薬とならべて毒を商品として商っていた。


 薬品に精通する、ということは毒にも精通することになる。


 公爵家に不都合な人物を暗殺(毒殺)する役目を持つ者、それが『死体製造屋』の別名の由来だと。

 また、(動物の)死体と、薬品(革を柔らかく保つための処置である鞣しに使用するタンニンなど。当時では樹木から採取したものや、牛の小便などを用いた)の多用、という共通項から、『革鞣かわなめし職人』という別名もあったという。


 これがその『死体製造屋』と呼ばれた男なのか?


 だとすると、二コラの、秘儀の毒薬の件を話して良いものだろうか?


 しばし逡巡したものの、いまやこの復讐の誓いを果たすためには躊躇うことはない、何らかの手掛かりを得る期待を込めて、話そう。

 そう決断したジロワは、秘儀の毒とそれを扱う二コラのこと、そして二コラを我が仇として追うこと、願わくば追跡にご協力を願いたいと、念のためマルコの事には言及せずに明かした。


 この決断が、後の歴史に多大な影響を与える蝶のひと羽ばたきだということを、ジロワが知ることはなかった。


「なんと! そのような毒が、そしてそれを用いる者が……しかし、なぜエウーゴン卿をその手に掛けたのでしょう? エウーゴン卿の殺害を企む者、それで利を得られる者というのが、とんと浮かび申さぬ」

「あるいは……この身の幸運を妬んだ者の嫌がらせ、かも」

「それにしても、エウーゴン卿とジゼル殿、さらには卿の側近まで手に掛ける必要はありますまい。卿に対する嫌がらせとしては、やる事が大き過ぎる。やり過ぎです」

 二人の思考は半ば正しく、半ば外れた。動機は嫉妬による嫌がらせで当たっていたが、死者が出たのは実行者二コラの暴走の結果だった。

「とはいえ、くだんのこと、うけたまわりました。 復讐の実行に手をお貸しするまでは難しゅうございますが、何か耳に入ることがありましたら必ずお知らせいたしましょう」

「かたじけなく存ずる」


 ひとしきり話を終えて落ち着きを取り戻したジロワは、再びジゼルの遺骸の傍らに跪き、その顔を脳裏に焼き付けた。


『……わたくしの守護騎士となってくださいますか?』

 あの夜、ブルーベルの森で。この娘は淡く蒼い月光に包まれながら、濡れた瞳でそうジロワに求めたのだ。

『妾を、いつまでも、どこまでも守り通す、騎士様に』

 その望みはそのままジロワ自身のものとなり、その場で彼女への誓いを捧げたのだ。


 だが、誓いは果たされなかった。


 今一度、この復讐の誓いは、必ず。


 痛みと決意を魂に刻印し、ジロワは新たな道復讐へ踏み出すため、彼の姫君に別離を告げた。




 クルスロー卿主従について礼拝堂を出たフルベールは、休む間もなく仇の追跡に乗り出した彼らを城門で見送った。


 今この城で、ジロワらが出来ることは何もない。というよりも、今後は関りさえなくなる。

 正式に婚姻を済ませていない婚約者は何ら権利も義務も発生しておらず、相手がいなくなれば途端に無関係な他人となるのだ。


 城門前の広場には、つい先ほどファレーズから到着したイエモア伯配下の騎士の一群が旅装を解いている。


 ここより北のエウーゴン卿領地であるモントライユにも、現公爵の弟君であるルーアン大司教兼エヴルー伯爵ロベール猊下の手勢が派遣されている手筈だ。あるいは公都ルーアンからも応援が出ているかもしれない。


 現在、エウーゴン領には領主を始め采配を取るものが不在の状態だ。

 今後この地所がどの様な扱いになるか、現時点では不明である。

 相続人が不在のため、最有力者で主筋となるノルマンディー公により接収され、いずれかの騎士または騎士たちが封じられることになるのだろう。


 だが今この時点では、ここは領主不在で無防備な領地である。機に乗じた不心得な周辺領主や盗賊らの略奪を防ぎ治安を維持するため、各方面を統括する公家一門、東部のエヴルー伯、南東部のイエモア伯がそれぞれ手勢を派遣したのだ。


 フルベールの任務は、その技術により遺体の処置を行うことだったが、同時にイエモア伯の駐留部隊を差配することも含まれていた。


 しかし、今フルベールの胸中を占めているのは、先ほどの毒と毒使いの件だ。ただし、それはジロワらが期待していたものとは違う方向で、である。


 これは、急ぎ伯爵さまに報告しなければならぬ。


 フルベールは旅装を解いたばかりの、休息を取り始めた矢先の騎士を呼びつけて急ぎファレーズへと向かう使者を命じた。

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