第19話 混沌せる運命たち

「い、一体どういうつもりだ! 誰が娘まで殺せなどと命じたか!」


 案の定、タルヴァスは怒り狂っている。

 

 くだん事件しごとから七日が過ぎていた。

 再び行商人姿に扮してエショフールを脱出し、街道を避けて原野を突っ切ったニコラがベレームに帰還したのは、昨夜の事だ。

 あらかじめ、店を手下に見張らせていたのだろう、ニコラが帰還した気配を嗅ぎ取ったタルヴァスが早朝、早速押しかけて来た。


 タルヴァスが事件の報を伝え聞いたのは、せいぜい昨日か一昨日だろう。直接関係のないベレームに話が伝わるのは、エショフールからの商品の流通速度と一緒だ。つまり噂話を運ぶ商人の往来頼りということになる。

 あるいは、クルスロー方面から伝わったかもしれぬ。その場合は少し耳に入るのは早まったであろう。


 命じたのはたかだか結婚話の妨害なのに、宮廷重鎮とその娘や側近らの暗殺という大事件となってしまった。万が一、発端が自分であることが明るみに出ようものなら身の破滅と、思い悩んで憔悴しているのが明らかだ。

 だが、その動機と結果のアンバランスさが却って事件とタルヴァスを結びつける妨げになることには気付いていない。

 今、タルヴァスが最も警戒すべきなのはむしろ、一部始終を知るニコラの存在の方である。この件は、タルヴァスに対する強請ゆすりのネタになりうるのだ。

 これで何らかの保身の処置、例えばニコラの処分(暗殺)などの手を打てるようならまだ見込みもあろうが、この小心者の男タルヴァスはただ不安に押し潰されそうになって当たり散しに来ただけだった。その程度の人物なのだ。

 

「ご要望の通り、この婚姻の成就は防ぎました。 これもご要望の通り、未来永劫完全に、ね。 どういう手段を採るかについてはお指図がございませんでしたから、より確実な方法を選択いたしました。ご不満の見当がつきかねますが?」

 『ブレトンの星占女』として、いつも通り黒のトーガとヴェール姿で隠しているが、ニコラの方も蓄積した疲れで苛立っていた。つい、タルヴァスを刺激するような答えを返した。


 タルヴァスの顔面に朱が差す。


「こ、この売女風情ばいたふぜいが!」

 しまった、と思った時には、逆上したタルヴァスに襟首を締め上げられ、揺さぶられていた。

 まぁいい、どうせ一発や二発殴られる程度は覚悟していた。


 だがこのときは不幸にも、激しく揺さぶられたためにヴェールが捲れ上がり、ニコラの貌が露わになった。普段は隠しているが、念には念を入れて性別を誤魔化すための化粧を施してある。

 サレルノ時代に同性異性を問わず虜にしたニコラの容色は、あれから十五年の月日が経っても健在であった。むしろ妖艶さが増している位である。


 タルヴァスは、欲望の抑制が効かない、誘惑に弱い男であった。


 獣性に火が付いた。


 ニコラを床に押し倒し、馬乗りになって野卑た舌なめずりをする。

「その思い上がった口を利けなくしてやる」

「……できますか? そんなことが貴方に?」

「……!」

 ニコラの言葉を挑戦と受け取ったタルヴァスは、まなじりを釣り上げ襲い掛かった。

 やおらトーガの首の部分を掴み、肌着シェーンズごと腰の方へと引き裂いた。そして、露出した姿を目にしたタルヴァスは、呻き声を上げる。

「き、貴様!……お、おっ、な、なんたる、罪深きっ……!」


 キリスト教の教義(申命記)として、異性装(男性の女装、女性の男装)は禁じられた冒涜行為である。

 ではあるのだが、なにをいまさら。自分の犯した大罪の数を数えてみよ、と皮肉を禁じ得ない。


「さて、どうなさいます? 続けられますか?」


 体勢とは裏腹に、タルヴァスの方が追い詰められていた。否、自分で自分を追い詰めていた、とも云える。

 タルヴァスがここで退こうが、進もうが、どちらでもニコラにとっては今更のことで痛くも痒くもない。

 だが、タルヴァスは負けまい舐められまいとする気持ちと、冒涜の罪に怖気づく心情との板挟みで身動きが取れなくなっていた。


 挑まれれば負けまいと奮い立つのはいいが、な。そんな意地を張って、一体誰に勝とうとしているのだ、タルヴァスよ?

 打ち克つべき相手が、自分自身であることに気付かないうちは、お前はいつまでたっても負け犬のままだよ。


 結局混乱の挙句、タルヴァスは逃げ出した。本人は逃げたとは認めていないかもしれないが、自分で自分を縛り上げた挙句、収拾がつかなくなって状況を投げ出したのだ。

 やれやれ、興ざめだ。開け放たれた戸口から、タルヴァスに付き従う従者たちの姿を見た。

 赤口のラウルこと小男のジャンは、何を勘違いしたか「ざまぁみろ」と言いたげな一瞥をよこしてからタルヴァスを追い掛けて駆け出した。エショフールで散々に振り回された意趣返しのつもりなのだろう。

 もう一人、黒髪で小太りの従者の方は、裂かれた衣服を纏うニコラを嫌らしく好色そうな視線で舐め回し、面白い見物をした、と言わんばかりにニヤニヤしながら先行する二人を追い掛けた。

 

「父さん」

 店の奥から、アーレッテが心細そうな声を掛けてきた。

「……大丈夫だ。問題ない」

 実際、衣服を裂かれて暴れられはしたが、身体に危害は加えられていない。

 娘を安心させようと苦笑をしてみせたが、

「違うの。母さんが……」

 娘が続けた言葉に、ニコラの表情は中途半端に固まった。





 エウーゴン卿親娘が急死したという報せはブリヨンヌにも届いていた。


 詳しい事情が何も伝わらない中、様々な憶測やデマが飛び交っていたが、どれも辻褄の合わない怪しい話ばかりである。

 ただ間違いなく言えるのは、ジロワがエウーゴン卿の領地を手に入れる見込みがほぼ確実になくなったこと、である。

 一報が伝わってからこのかた、ジロワの子フルクにこの事で話し掛けてくるのは皮相浅薄の輩ばかりであった。

 情報が錯綜する中、思慮分別のある者は事情が明らかになるまで距離を置いて話しかけて来ないか、その話題には触れないよう気を遣う。

 だが、憂いを帯びて物思いに沈むフルクについて、正しく理解している者はどちらの側にも存在しなかった。

 今フルクの心を占めていたのは、過日ブリヨンヌ伯ジルベール自身が彼に語った、彼の母マリーと彼の出生の事情について、だからだ。


 過日のこと、ジルベール伯の呼び出しを受けたフルクが執務部屋へ伺候すると、伯爵は人払いを命じた。フルクを傍らの椅子に掛けさせ、しばし無言となる。

 不自然な沈黙は、不穏な予感を募らせた。


 やがて、窓の外を眺めながらジルベール伯がやっと口を開いた。

「お前の母親が、当家に仕える者であったことは、知っているな?」

 勿論だ。だからこそ、その縁で騎士修行を受け入れてもらえたのだと、理解していた。

「それに、お前に名を授けたのが私であることも」

「はい、父母より聞いております」

「父、か」

 意味ありげなジルベールの口調を、フルクはいぶかしんだ。


「……お前の父御、ジロワ卿も当家に仕える騎士であった。臨時雇いであったがな。もっとも、私がジロワ卿のことを知ったのは、お前の母マリーが赤子、つまりフルク、お前を産んだと聞いた際のことだ。二人がどんな経緯でその様な関係になったのか、詳しくは聞いていないし知ろうとも思わん」


 ジルベール伯は一旦言葉を切り、振り返ると今度は真正面からフルクに強い視線を注いだ。


「だが、マリーは、お前の母親はその直前まで私の情人おんなだった」

 何!? 今、何と? 何を言われたのだ?


「フルク、お前は私の子だ」


 互いの身分があまりに違い過ぎて何もしてやれなかったこと、そして小なりとはいえ領主の総領あととりの妻となるならば、マリーにとってもその方が好かろう、そう考えて自分は身を退いたのだ。

 そして、これからも親子の名乗りを上げることは叶わないし、例えそれを明らかにしたところでお前のためにはならないだろう。ジルベールの正妻やその子らにどんな仕打ちを受けるか分からないのだ。

 本当は、このような事を打ち明けるつもりは無かったのだが、先般来、ジロワ卿が再び妻を娶り子を儲ける可能性が出てきて考えを変えた。

 このブリヨンヌ伯家というのも、元はノルマンディー公家の非嫡出子の家系だ。よほどの事が無い限り公位など望めない日陰者。だが、公家の血を引く、という誇りが心の支えとなっていた。

 非嫡出子として、同じ境遇を味わう可能性のあるお前に、誰にも明かせぬがせめてもの心の支えとして、公家の血を引く誇りを持たせてやりたい。そう思ってこの事を明かすことにしたのだ、と。


 以上が、その日ジルベール伯からフルクに語られた次第である。


 これまで、父親との関係を疑うことなど思いもしなかった。

 幼少の頃から母親似だと周囲の者たちに言われ続けてきたし、自分でもそう思う。

 

 だが、それは裏を返せば父親に似ている所が見出せない、ということではないか?


 非嫡出子とはいえ、ノルマンディー公家の血筋。


 誰にも相談できず、一人嵐の中を彷徨うフルクであった。


 このとき、もっと彼に人生経験があったなら、または良き年長の相談相手が存在したなら、伯爵の言葉を鵜呑みにせず、裏を取ろうとしたかもしれない。


 そして、もしそうであったなら、この後の、彼の運命と一族との関係には、別な未来が存在したかもしれない。


 だが、この時点でこれがどの様な結末を生み出すかを予測し得うるものは、神という存在を除いては、誰もいなかった。

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