第21話 グンノール妃の一族

 渡し船でセーヌ川を渡った一行は、宮殿として使用されている建物の一部に用意されている宿舎を目指した。


 ベレーム卿はルーアン郊外に滞在用の屋敷を保有していたが、今回はジロワのエウーゴン領継承指名運動のため、市街中心部に拠点が必要ということで宮殿宿舎を確保したのだった。


 大聖堂前の広場を突っ切り、街路の人込みを掻き分けながら一行は進む。


 ジロワは漂泊時代にルーアンへも立ち寄ったことがあるが、賑わいも街並みの様子も当時とはまるで違う。


 海路を経た荷物がセーヌ川を遡ってここルーアンで荷卸しされ、内陸部から川を下ってきた荷物もここで荷卸しされる。


 市場ではそれらの荷の取引が盛んに行われ、活況を呈している。


 キリスト教の浸透とともに、西フランクの領域では目にする機会の減ってきた、奴隷取引を行っている区画もあった。


 内陸水路の結節点として物資が集約されるパリとは異なり、ルーアンは外なる世界と内なる世界の交錯する場所であるのだ。


 宿舎で旅装を解くやベレーム卿はジロワを連れ、川沿いの大聖堂北隣の区画を占めるルーアン大司教館へと向かった。


 捻じ込んでもぎ取った機会である。約束の時間に遅れることはできない。かといって、時間的な猶予もあまりない。


 当代ノルマンディー公爵リシャール二世の弟君にしてルーアン大司教およびエヴルー伯爵を兼ねるロベール二世は、公爵家一門の長老格で宮廷重鎮中の筆頭である。


 また、信仰篤く『善良公』と綽名されたリシャール二世にとって、教会内において公爵家を代表する立場にありノルマンディー宗教界の最高権威であるロベールは極めて重要な人物であった。


 宮廷で、それも公爵に働きかけて何事かをなそうとするのであれば、絶対に敵に回せない人物である。到着早々ではあるが、真っ先に挨拶に訪れるのは当然であった。


 やや簡易ながら上質の素材で仕立てた僧服を纏う大司教は、ジロワよりも十歳前後年長ですでに老境に入りつつあるが、母后グンノール(またはグノー)妃譲りの明晰さと博覧強記は健在である。


 静かな佇まいにも関わらず、叡智を讃えたその双眸に見つめられると、全てを見通されて裸にされてしまう様な恐怖さえ覚えるという。


「ベレーム卿、お久しゅう。母君のご機嫌は如何かな?」

 ひとくさり再会の挨拶と社交辞令のやり取りが交わされ、

「さて、このたびは伴の者を連れて参りました。大司教猊下におかれましてはよろしくお見知りおき下されたく」

と、ベレーム卿がジロワを紹介する。

「おお、貴殿がメーヌ伯を打ち負かしたというクルスロー卿でありますか」

「クルスローの領主、ジロワにございます。大司教猊下に拝謁を賜り恐悦至極に存じます」

「よくぞ参られました。宮廷での噂話には縁のない拙僧でも貴殿のご武名は伺っておりますぞ。……エウーゴン卿のご息女の件は、お気の毒な事でございましたなぁ」

 噂に縁がない、と言うのは振りだけの様だ。最近の事情にもしっかり精通している所を見せられた。


「まったくもって。その関係もございましてな、この度クルスロー卿を宮廷に伴った次第。 ……公爵閣下はエウーゴン卿の遺領仕置きについて、いかなご存念をお持ちか、猊下にお明かしになられてはいませんか?」

 ジロワをエウーゴン卿の後任に推す考えを言外にほのめかす。

「さて、それは。俗界の事にござれば、拙僧のあずかるところではございませんからなぁ。とりあえず、現状はまだ何も決まっていないようですが」

然様さようでございますか」


 その後も幾度か、大司教の考えを探ろうとやり取りをしたが、結局老獪な大司教は支持とも不支持とも立場を明らかにしようとはしなかった。


 面談を終えて大司教館を辞去した後の帰途、ベレーム卿が大司教との面談の感触をまとめた。

「とりあえず、大司教は積極的に反対ではない、という程度か。まぁ、明確に反対ではないだけ佳しとするか」


 別段自ら派閥を構成する必要はなく、超越的立ち位置を確保している大司教からすれば、誰が遺領を継承しようと、その誰かとうまくやって行ければ良い。


 あえて旗幟を明らかにし、その他を敵に回す必要も利得もないので大司教の立場としては、至極当然であるが。


 次にジロワらが訪れたのは、太公后グンノール妃の実家クレポー家の当主クレポー卿オスベルンであった。現公爵やルーアン大司教らの母方の従兄弟にあたる。


 オスベルン卿はノルマンディー公家への忠義厚いことで有名であったが、目下のもの、特に成り上がり者と目される様な人物に対しては厳しい態度を取りがち、とも言われた。


 要するに、ジロワは歓迎されないだろう、ということだ。


 実際、重代の功臣ベレーム卿が連れて来たから会った、というだけで会見では終始ジロワのことは無視し続けた。


 ベレーム卿も心得ており、あえてジロワを押し出したりはせず、連れの者として冒頭に紹介したきりである。一応、挨拶に寄った、というお義理程度の訪問である。


 だが、ジロワにとってはむしろその徹底した態度が気持ちいい、と感じたくらいで特段隔意は感じなかった。噂によらず、自分の目と積み重ねた実績で相手を評価しようとする人物だと、好意的な解釈すらした。


 次に一行が訪れたのは、ジェラール・フリテールである。当時ノルマンディーで最も有力な騎士、と年代記作者オーデリック・ヴィタリスに書き残された人物であり、生まれたばかりの公爵の末子ギョーム・ド・タルーの傅役にも抜擢されていた。


 信仰心の篤いことで知られ、後年ノルマンディー公ロベール一世の聖地巡礼に同行、帰路客死したロベール公に聖遺物を託された人物でもある。


 クレポー卿とは対照的にフリテールはジロワを歓迎し、エウーゴン卿遺領の継承に関しても、ことは公爵閣下のお決めになることではあるが、と前置きしつつも自分に何がしかの選択が与えられるようなら喜んで支援しよう、と約束してくれた。


 フリテールの領地はペイ・ド・コー、イエモア、エヴルーなどにあり、エウーゴン卿とは近隣で親しく付き合いもあった。


 ジゼルの縁談がまとまった、と聞いて他人事ではなく喜び、婚礼に携えてゆく引き出物をあれこれ思案していたところだというのに……。


 いつまでも引き留めようとされたが、まだ他にも回らねばならない先がある、後日の改めて訪問する、と約束してフリテールの下を辞去した。


 次の訪問先に向かう途上、ベレーム卿とジロワは二人の貴人の一行に呼び止められた。

「ベレーム卿と、もしやそちらはクルスロー卿ではあるまいか?」

「おお、これはモルティメール卿! それにリジウー司教殿ではないか」


呼び止めたのは、東ノルマンディーのエヴルー近郊に領地を有する『司教の息子フィリウス・エピスコピ』の渾名を持つモルティメール卿ロジェと、リジウー司教ロジェの二人であった。


 モルティメール卿ロジェは齢三十、近年台頭著しい軍事指揮官として名を売っていた。クタンス司教ユーグの息子と伝わっている。


 もう一人のロジェ、リジウー司教はモルティメール卿の幼少からの友人だという。


 饒舌で多少軽薄にも感じられるほど陽気なモルティメール卿と、口数少なく物静かながら内に強い芯を感じさせるリジウー司教は実に対照的な二人連れであった。


 このうち、ジロワに強い印象を残したのはリジウー司教の方である。


 この御仁、かなり強情だな。殉教者、というのはこういう人物がなるのだろうか。そう脈絡もない印象を抱いたジロワだった。


 かたや、モルティメール卿の方はしきりにジロワを構おうとしている。どうやら、一方的にライバル視されているようである。こんな年寄りと競わずともよかろうに……。


 さすがにベレーム卿もしびれを切らし苛立ちが表情に滲み始めると、リジウー司教が友人を止めに入った。

「モルティメール、御予定のあるお二人をいつまでも留まらせてはいけないよ。両卿とも、お邪魔をして申し訳ございませんでした」

「いや、リジウー俺は……」

反駁しかけたモルティメール卿は、リジウー司教に睨まれ、口籠る。


 やはり、相当にしっかりした人物の様だ。リジウー司教ロジェ殿。覚えておこう。


 モルティメール卿らと別れた後、続いてジロワらが訪ねて回ったのは、これも太公后グンノール妃の妹デュヴェリーナとウェヴィアの子で、当代公爵の従兄弟となるハンフリー・ド・ヴィリーズとオスベルン・ジーファー。


 いずれも話題の人物の来訪とあって、歓迎しつつもエウーゴン領の件に関しては消極的、とまでは言わないまでも、公爵さまのお気持ち一つ、と判を押したような反応であった。


 ここまでで、頻繁にその名が出てきた太公后グンノールについて触れておこう。


 時代が遡ること、先々代ノルマンディー公ギョーム一世『長剣公』の頃。


 公には正妃としてパリ伯ユーグの娘ルートガードがあったが、彼女との間に子は生まれなかった。


 一方、公はブリタニア人奴隷のスプロータという女に手を附け、その間には男子が生まれた。これが後に『無怖公』と呼ばれるリシャール一世である。ギョーム一世はリシャールの存在を知ると、これを跡継ぎに指名した。


 ギョーム一世が和平交渉の席でフランドル伯の部下に暗殺され、西フランク王ルイ四世が機に乗じ、主を失ったノルマンディーへの侵略を開始した。


 公領はルイ王とパリ伯ユーグ(ギョーム公の義父)とに分割占領され、リシャール一世はルイ王陣営のポンテュー伯の監視下でランに幽閉される。


 いよいよリシャール一世が暗殺される、との情報を掴んだかってのロロ公の部下、ベルナール・ド・サンリスやオズモンド・ド・コントヴィール、イヴォ・ド・ベレーム(ベレーム家の祖)、デーン人のベルナール(アルクール家とボーモン家の祖)らが決死の救出を行う。


 からくも脱出に成功したリシャール一世は、パリ伯ユーグとルイ王との間の対立を利用し、ノルマン人領主らを糾合して勢力を回復。ルイ王からルーアンを奪還、ここにノルマンディー中興の祖となった。


 ノルマンディーを回復したリシャール一世は、パリ伯ユーグの娘エマを妻に迎えて同盟関係を強化。これまでのノルマンディー公歴代の膨張政策を改め、領内の安定化に力を注ぎ始めた。


 九六八年、リシャール一世の正妃エマは若くして死去する。


 そのすぐ後のことだった。


 リシャール一世は、ペイ・ド・コーの有力領主の家門クレポー家から、グンノールを妾(のち正妃)として迎え入れた。

 この一幕にはロマンス溢れる伝説もあるのだが、実際には有力領主との結び付きで領内安定を図ろうとしたリシャール一世の政略結婚の一つ、というのが現実だろう。


 さて、政略結婚の駒として迎え入れられたグンノールであったが、ここで彼女の才が花開く。

 極めて優れた記憶力と言語能力により、彼女はリシャール一世の単なる伴侶を超えた重要な政治的パートナーとなったのだ。


 また、彼女には兄と多くの姉妹たちがおり、それらはノルマンディー貴族層との結婚による結びつきを広げることで公爵家を支える一大閨閥を形成した。


 ジロワとベレーム卿が巡っていたのはこうして出来た『グンノール閨閥』のお歴々だったのだ。


 グンノール妃はかなりの長命で、死去したのは一〇三一年、夫はおろか息子や孫よりも長生きだった。

 一○二○年代にはまだまだ健在で、現役で政治的行為を行っていた(特許状への署名など)という。つまりこの物語の時点では、いまだ健在な、ノルマンディーの実質的かつ影の支配者である。


 世はグンノール一門の春であり、その盛時の終焉はまだ遙か歴史の先のことであった。


 さて、そのグンノール一門に連なる者の中で、ジロワらがまだ訪れていない先が一つあった。


「あそこは、評判の悪い御仁でな。実際その評判通りなのであまり立ち寄りたくはないのだが……」


 二人は、心なしか薄暗く禍々しい気配を発する、決して小さくはない屋敷を望見していた。


 この屋敷は、グンノールの姉センフリーの娘婿、つまり太公后の姪の夫となる、モンゴメリー卿の屋敷であった。

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