第22話 モンゴメリーの蛇

 一応、一言挨拶だけ、そのつもりで立ち寄ったベレーム卿とジロワだったが、モンゴメリー卿の家宰は、二人を執拗に引き留めた。


 回廊の小坊に案内され、館の主と対面する。 

 客の前だというのに、だらしなく腰掛の背にもたれ掛かった貧相な男。

 派手な色彩に染められた上衣チュニックを着崩したその男は、酒杯を片手に口の端を吊り上げ、蛇を思わせる眼をギラつかせていた。


 モンゴメリー卿ロジェ。太公后グンノール妃の姉センフリーの娘の夫、つまり先代ノルマンディー公の姪の夫である。グンノール妃の閨閥の端くれではあるのだが、その性質が災いして栄達には縁がない。目先の利益に貪欲で裏切りも躊躇わない、信用も信頼も置けない人物と見られている。


「来るのが遅かったじゃないかね。こんな悪党の所には来るだけ無駄だとでも思ったか?」

 モンゴメリー卿は、来客の挨拶にろくな返事もせず無遠慮に切り込んできた。

 ベレーム卿とジロワは思わず、顔を見合わせる。

「久方振りの宮廷で、ご無沙汰していた先が多かったからですよ。他意はござらん」

「とぼける必要はあるまい? あれだけ大っぴらに触れて回ってるんだ、あんたらの目的は俺も知ってるさ。エウーゴンの跡目だろう?」

「……」

「だからこそ、だ。あんたらは俺の所へもっと早く来なければならなかった。実際のところエウーゴンの領地の価値を、あんたらはどれ位のものと見積もっているんだ?」

 どういうことですか? と、目線で問うジロワに、ベレーム卿は皆目見当がつかない、と首をを振るしかなかった。

「さて、あれだけの大身ですから、かなりのものでしょうが……それは問題ではありません。クルスロー卿はご息女ジゼル殿との婚約を整え、あとは正式な婚姻を待つばかりであった身。他に正当な継承者があれば出張ることもないが、誰のものになるやら分からぬ、というのであれば、少なくとも故人に所縁ゆかり深き卿が継ぐのは、その遺志にもかなうことでございましょう。それゆえの名乗りであれば、価値の大小という問題ではござらん」

「ふん、きれいごとを言う。どいつもこいつも……。領地が欲しい、富が、権力が欲しい、と正直になればよいものをな。大体、今でこそ騎士の貴族の、と澄ました風情を取り繕っちゃあいるが、本来俺たちノルマンなんぞ、そもそもは野蛮人の海賊の類に過ぎなかったんだぞ。『徒歩公』だって、故郷のノールで乱暴狼藉を働いて追放された罪人じゃねぇか」


 フランス王からノルマンディーに封じられた最初の人物、ノルマンディー公家の開祖ロロは、その巨体に乗馬が耐えられず、徒歩での移動を余儀なくされたため『徒歩公』と綽名された。


 もとはノルマン人のメール候の一族というが、ある年遠征略奪行ヴァイキングの帰途、国内で略奪を働いたために王の怒りに触れ、民会の決定により国を追放されたのだ。


 ロロとその一党はブリテン島北部経由でフランス北部沿岸のセーヌ川河口付近に流れ着く。当時セーヌ河口両岸は既にヴァイキングらの根拠地として占領されており、より内陸部やコタンタン半島への襲撃の基地となっていた。


 西暦九一一年、ロロは軍勢を率いてパリに攻め上るが、その手前、シャルトルにおいて激しい抵抗に会い、さらに西フランク王シャルル三世の援軍に挟撃されて敗戦する。

 この機を捉えたシャルル三世はロロに対し、フランス北部の地、現在のノルマンディー地方に貴族として封じる見返りとして、キリスト教への改宗とフランク王国への臣従を求めた。


 勝った側が申し出る条件としては随分気前がいい、ともみられるが、この一帯は既に長期にわたりノルマン人に占拠されていたため、実質的には追認に過ぎなかった。


 そして、西フランク王国側ではこれよりも前からノルマン人を取り込んでこれを北部に配置し、王国にとっての盾とする案が検討されていた。


 東洋風に表現するなら『夷を以て夷を制す』、ヴァイキング(ノルマン)の侵略をノルマン人自身に防がせる、という策である。

 

 こうして同年、シャルトルを流れるエプト川に掛かる橋上、この川を境に東はフランク(フランス)王領、西はノルマンディー領とするサン=クレール=シュール=エプト条約が締結された。


 ノルマンディーの主(まだこの頃は『ノルマンディー公爵』という称号は名乗られていなかった)となったロロは、だがしかし、それで大人しくなった訳では当然なく、やがて西部方面への侵略と支配地拡大を始めた。

 

 だが、世代を経るにつれて王家との婚姻やキリスト教の浸透によりノルマンディーはすっかりフランク王国文化圏の一部として取り込まれ、三代目リシャール一世の頃には拡張から領内安定への政策転換もあってネウストリアは安定した。長期的には西フランク王国側の狙いは達成されたといえるだろう。


 モンゴメリー卿の主張に虚偽や誤謬はない。だが、それはもう百年以上昔のことなのだ。年月を経て世の移り変わった今でも、なるほど仰る通り、と賛同できる主張ではない。 


「その様な遠い昔の話を持ち出しても詮無き事。今やその様な振る舞いは許されませんが……」

「分かってる。ちょっと脇道に逸れてしまったな。話を戻そうか」

 モンゴメリー卿は酒杯を傾け、一口喉を湿らせた。


「要は、だ」

 虹彩の小さな三白眼、白目は黄色味がかっていてまるで蛇の様だ。

「エウーゴンの領地を買うのに、幾ら払えるのか? って、そう聞いてんだよ」


 こいつは一体、何を言ってるんだ?


「かの領地の仕置きは現状、公爵のご裁量となる見込み。貴殿に対価を要求される筋のものではないかと」

 困惑しながらもベレーム卿が問い返す。

 ジロワはそれとは別に緊張を覚えていた。

 彼がルーアンへ赴くことを決めた理由には、暗殺者(の黒幕)の狙いがエウーゴン領にあるならば、必ず何らかの脅迫や実力行使などの接触がある、と見込んだからだ。

 もしや、この男が?


「確かにその通り。公爵の気持次第で誰があの領地を手に入れるか分からん。だからこそ、経緯からいって自分たちに分がある、そう考えているんだろう? だがな、ここで我にこそお任せを、と手を挙げる厚顔の士がいればどうなる? しかもそれが公爵一門の縁者であったなら?」


 むぅ、とベレーム卿は唸ったが次の言葉は出ない。


 モンゴメリー卿は、出すものを出さねば自分が手を挙げ、ジロワたちの邪魔をするぞ、と脅しているのだ。


 もちろん、手を挙げたからといって、モンゴメリーに分がある訳ではない。むしろ、徒労に終わる可能性が高いだろう。しかし、公爵(正確には太公后の)一門に繋がる人物であることには違いない。万に一つが無いとは言えない。


 そして、それを踏まえたうえで、実際に名乗りを上げる代わりにこの様な話を持ち掛けてきたのは、モンゴメリー卿の打算である。


 競争に加わって一か八かを狙うのではなく、『邪魔をしない事の対価』を要求することで手軽に、かつ比較的確実に利を得ようとしているのだ。


 単なる強請たかりである。ではあるが、実際に行動に移されると迷惑この上もないのも事実である。他の人物ならまだしも、グンノール妃の縁者、というのが厄介だ。


「検討しておきましょう」

「おっと、分かっているとは思うが時間的猶予はあまりないと心得てもらおう」

 回答を先延ばしすることで実質的に動きを封じる、という手は使わせない。そう釘を刺してきた。


 モンゴメリー屋敷を辞し、大通りに出るとベレーム卿はため息をつく。

「やはり、寄るべきではなかったな」

「こちらから行かなくても、どうせあちらから接触してきたでしょう。それだけの違いです」

「確かに。……あの申し出については、今しばらく情勢を見極めてから判断しよう。さしあたっては今宵のブリヨンヌ伯との晩餐の手ごたえを見て、だな」

「御意」


 ルーアンへ上る途上、ベレーム卿とジロワはブリヨンヌにも立ち寄っていた。その際、ブリヨンヌ伯は先にルーアンへ赴いており不在だったが、伯爵の家宰から伝言を伝えられていたのだ。


 曰く、自分はジロワを支持するので安心してほしい。先にルーアンへ上って支持工作をしているので、ルーアンで落ち合おう、と。


 そして、今宵はブリヨンヌ伯のところで晩餐にあずかる予定である。


 ブリヨンヌ伯が取りまとめた支持勢力が十分であればあるほど、モンゴメリー卿の動静は問題ではなくなる。

 

 大通りを行き交う人の波を掻き分けながら、一行は身支度のため宿舎に戻る。


 今宵はフルクとも再会するだろう。ブリヨンヌ伯に随伴して上洛している、ということなので、晩餐の席では騎士修行中の息子は給仕を務めるはずだ。


 取り立てて病や怪我を得たという報せは聞いていない。息災であろうとは、分かっているが、無事な姿を見るまで安心できないのは、人の親のさがというものか。


 空に雲が掛かって薄暗くなってきた。

「急ぎましょう。雨になるやもしれません」

 周囲の人の群れも、心もち足早になっているようだ。


 今宵は月も現れまい。

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